第一章 二十七
「こんにちわ」
「……こ、こんに、ちは……」
元気に挨拶した天宮空と対照的に、ゲッソリとした青い顔で出迎えたのは、幼なじみの清神翼だ。五年ほど老け込んでしまったかのような疲労した顔の翼を彼女は心配げな瞳で見つめる。
「だ、大丈夫……?」
「……だ、大丈夫」
荒ぶる鼓動を悟られまいと平静さを装うが、五歳の頃からの付き合いの天宮空には慌てて片付けたことが諸ばれしていた。
「もしかして片付けてた……?」
「うん……まあ、ちょ、ちょっと……。し、知り合いの……、荷物がお、多すぎて、さ、さっきまで、片付けを手伝っていたから、ね」
「そうなんだ。なんか急がせちゃったみたいで、ごめんね」
「そ、そんなことないよ。無駄にい、息……、息が、息が上がっちゃった、だけ、だから……」
「荷物そんなに多かったの……?」
「え……、遠路はるばる海外から来たからね……。片付けとか大変でさ、ははは……」
翼はごまかし笑いをした。片付けをしていたわけではない。
空を招き入れるか入れないかといった意見の相違により、シルベットとエクレールの口論が長引いてしまったために決着が付かなかった。
そのために、まずは二人を宥めることから始まり、二人は不承不承といった感じであったが、”どうにかして簡単に相手をしてもらい長居させない”、といった話しに落ち着いてもらうように何とか納得してもらったところである。
二人の準備が整えるまで玄関先で時間稼ぎをしなければならない。
翼の事情など知らない天宮空は、ただ単に居候しに来た海外からの知り合いの荷物が多いと解釈した。
「そうかな。まあ長期滞在するなら、いろいろと詰め込んだりしちゃう人もいるみたいだけど……だいたいは現地で、手に入るから荷物は少なめじゃないの。貴重品とか持ち歩いて窃盗とか強盗に合ったら、大変だよ」
「そ……、そうだね」
ごまかせた、と翼は心の中でガッツポーズをした。
まず一段階というどころだろう。翼は第二段階に移る。それによって、空はすぐに帰らなければならなくなるだろう。
「そういえば、空? 電話やメールとかLINEしたんだけど……」
翼は空に聞いた。この言葉によって、空は翼のメッセージに気づき帰るはずだ。
だが──
水玉模様をした愛用の手提げ袋からスマートフォンを取り出して見た空が口にした言葉は思いがけないものだった。
「電話? メール? LINE? どちらも来てないよ……」
「え……」
空がスマートフォンの液晶画面を見せられて愕然とする。液晶画面に表示された着信履歴に三回もかけたはずの”清神翼”の名はなかった。
何度、凝視しても見つからない。もっとも、新しい履歴で翼の名が表示されていたのは、昨日だったことに不思議思いながら、自分のスマートフォンを取り出して確認する。
「確かに、空に三回も電話したのに……」
翼は、”天宮空”という名前と電話番号が合っていることを確認し、改めて発信履歴に三回も天宮空の名前が表示されていることに怪訝な浮かべて呟いた。
どういうことだろうか。電波障害でも起こったのだろうか。それにしても、呼出し音も鳴っていたから全く繋がらなかったわけはないだろう。
「電話もメール来てないのか……?」
「え……うん」
天宮空はスマートフォンを操作してメールボックス、LINEを確認してみせた。
勿論、メールボックスやLINEにも清神翼のメッセージは昨日以降表示されていなかった。翼は自分のスマートフォンを操作して確認する。メールアドレスやアカウントには間違いなく”天宮空”のもので、先程ほと送っていたメッセージが表示されている。
どういうことだ。電波障害とシステムエラーでも起こったというのか。電話、メール、LINEの三つも。近辺で不審な動きがあったという緊急事態で警戒レベルが三に上がったこともあり、翼に不安が過ぎった。
その刹那。
「────終わりましたわよ」
掃除を終えた金の光沢があるエプロンを着用したエクレールが現れた。
「あ、エクレール」
「ゴミを隅から隅まで見逃さず排除しましたわよ」
「排除って……」
「お客様が来るのに、ただ“片付けをするだけでは物足りない”ですわ。なーに、このわたくしにかかれば、一塵も逃さずにclearですわ」
「無駄に発音がいいな……」
「〈異人〉ですから。それよりもそちらの方は?」
控え目な胸を張ったエクレールは、玄関先にいた天宮空の存在に気づいたふりをした。
「ああ。幼なじみの天宮空だよ。で、こちらはエクレール・ブリアン・ルドオル」
「はじめまして、エクレール・ブリアン・ルドオルですわ。エクレールと呼んでくださいまし」
「あ。はじめまして、天宮空です。気軽に空と呼んでください」
「いえいえ」
屈託ない笑顔でお互いに軽く紹介をしている隙に、翼は一足先に家の中に入った。
空を家に上げる前に確認をしたいことがあった。エクレールの“片付けをするだけでは物足りない”という一言に引っかかり、ある不安が過ぎる。
思い過ごしであればいい、と願いながら扉を開けると──
悪い予感が的中した。
リビングが黄金一色。高級感漂う家具に変えられてしまっていた。家具だけではなく、食器までもが王宮に設えられている高級品。とても一般庶民の清神家には不釣り合い過ぎてなんとも言えない。
「うわぁ…………」
翼は思わず呻いた。
もう片付ける時間もなければ、空は既に玄関先まで来ている。瞬く間に窮地に落とされた。どうすればいいか、と考える。手っ取り早い方法は、リビングに案内することをやめて、翼の部屋に案内するに落ち着かせる。
本当は、電話とメッセージを気づかせて早々と帰らせる算段だったが、作戦を変えるしかない。
エクレールが空をリビングに案内する前に、翼は踵を返してエクレールたちの元へと急ぐ。
扉を開けて二メートル先にエクレールたちはいた。
「どうしたの翼くん……」
「どうしましたのツバサさん……」
いきなり飛び出してきた翼にエクレールと空は怪訝な表情を向ける。
翼は、黄金色に塗り替えられたリビングを見られないように扉の前に立ち隠すと、慌てて取り繕う。
「あ、いや、なんでもないよ……」
面倒事が増えて、何とかして危機を脱出しなければならない翼は実のところ、何でもなくはない。むしろ切羽詰まっているといって言いだろう。送ったはずの電話とメッセージは届いておらず、気づかせて早々と帰らせる予定が頓挫した挙げ句、僅かな間に我が家のリビングを勝手に王室のようにされて、慌てない人間はこの地球上ではいないはずだ。
どうリビングを戻すか、空をどうごまかすか。もう頭の中がごんがらがり、収拾がつかないくらいに考えがまとまらない。
普段は、滅多なことで取り乱さない翼の慌てぶりに、空はますます心配になった。
「大丈夫? さっきよりも疲れが溜まったような顔をしているけど……」
「うん。そうかな……。うん、そうかもしれない……」
「さっきまで後片付けしてたんだもんね。休んだら?」
「いや、大丈夫だよ。四人でやれば、何とかなる」
「ん? 四人? おばさんとおじさんは主張中だよね? だとすると、燕ちゃんは今日早めに帰ってくるの?」
天宮空は首を傾げて考える。どうやら居候するのがエクレールだけと勘違いしているらしい。
「いや、違うんだ……実は────」
「ツバサ! 上の方の片付けは済んだぞっ!」
翼がシルベットや蓮歌の事も伝えようとした時に、そのうちの一人が二階から降りてきた。
すたすたと、飛び跳ねるように白銀の髪を揺らして一階の床に降り立ったシルベットは、突然に現れた異国人にきょとんとした顔をした空の方へ顔を向ける。
「貴様がツバサの客人か?」
「え……は、はい」
天宮空は我に返り、戸惑いながら返事をした。
「うむ」
大仰に頷き、一礼する。
「私の名前は、シルベット────水無月・シルベットだ。父親が日本人なので、日本語が得意だが、日常生活に多少の時代錯誤があるようなのだ。しばらくの間、清神家に居候のすることになった。ふつつか者だが宜しくお願い申し上げます」
「は、はい……。私の名前は、天宮空です。こ、こちらこそ宜しくお願いします」
「うむ。ソラだな。覚えた。ソラよ、宜しく頼む」
「は、はい」
意外と普通に自己紹介をしたシルベットに驚きながら見ていると、空が少し興奮した状態で話しかけてきた。
「つ、翼くん。な、何このハイレベル美人は?!」
「イタ、イタタタタッ……なっ、なに興奮してんの、空さん?」
「だって、外国人超絶美人が二人もいるんだよぉ! スゴクない? 足がスラリとしていて、もう私の足なんて…………」
「大こ────イテッ!」
大根足と言いかけて、頬を抓られた。
「翼くん、何か言いましたか?」
「いえ……別に何でもありません」
半眼で睨みつけられ、思わず漏らしてしまった失言を撤回した。
それを聞き終えると空は屈託のない微笑みを浮かべる。
「スゴイね! 二人も超絶美人の外国人が居候に来て!」
シルベットたちと会って嬉しそうに微笑む空に、翼は言い忘れたことを口にする。
「あ、いや……二人だけじゃないんだよ」
「え……」
「もう一人、いるんだよ……」
「マジですか?」
「マジです……。信じがたいですが、本当です」
「でも、どこにいるの……」
「今は、ちょっと足りないものを買いに出かけていて留守にしているんだ」
「へぇ〜どんな人?」
「水波女蓮歌というんだけど……、昨日出逢ったばかりで詳しくは知らないけど……強いて言うなら、可愛い子かな」
「みずはめれんか、っていうんだ。名前からして日本人っぽいけど……その子も外国人?」
「うん……まあ。台湾人と日本のクォーターだったかな」
翼が曖昧に答えた。
そういえば、彼女たちの設定を考えるのを忘れていた。どう答えたらいいのかを考えていると──
シルベットからの思いがけない言葉を発する。
「水波女蓮歌って、誰のことだ?」
「…………………え?」
「…………………はい?」
シルベットからの思いがけない一言に場が凍りついた。主に翼とエクレールが。
「だから蓮歌とは誰のことなのだ、と聞いている」
「…………えっ。銀ピカ────あなたは、それを真面目に言ってますの?」
「…………もしかしてなんだけど、名前を知らないで一緒にいたの?」
「知らん誰だそいつ」
自信満々で答えるシルベットに呆気にとられた翼とエクレールは開いた口が塞がらない。
燕の前とかで散々自己紹介しておいて、まさか仲間の名前を覚えていないなんて信じられない。もしも覚えていないなら頭の記憶力にも問題があるということになる。翼は確かめてみることにした。
「いや、一緒にいたじゃん。あの蒼い髪の女の子だよ」
「何だあのあの水臭い女か」
「シルベットは蓮歌さんの名前を知らないまま、一緒にいたんかい!」
「一緒にいたが、出会ったのは昨日だからな……」
「燕やお母さんの前で、何回か自己紹介してたよね?」
「記憶にないな。というか、野宿するかしないかの瀬戸際だったし、余裕などなかったぞ」
「そうでしたけど……」
翼はシルベットの表情を伺うと、真面目に本意で忘れていたかのような無愛想な表情をしている。どうやらシルベットは、人物といったものを記憶することには問題はないが、人の名前を覚えるのが苦手なようだ。
そういえばエクレールを金ピカ、ドレイクを赤じじぃ、蓮歌を水臭い女と酷いあだ名のような付けられていたな、と思い返す。
あれは名前を覚えていないから特徴をあだ名として呼んでいたのか、と結論を出した上で、翼を護る立場として、人の名前を覚えないということはいかがなものだろうか、と翼は心中を不安がらせる。
「で、あの水臭い女がどうしたのだ?」
「ん。居候するのが全員で三人で蓮歌が留守にしていると空に説め……ってか、一例のやり取り見ていたよね?」
「見ていたが」
「じゃ、わかるよね?」
「わかっていたが、それが間違っていないかの確認だ」
「……ほんと?」
「何がだ」
「いや、確認の話しだよ……」
「無論だ」
「……」
翼は少しばかり前頭葉が痛くなるのを感じた。
シルベットは基本的に人の顔と名前を覚えないようだ。本当かどうかに関しては、天宮空が帰ってから徹底的に調べるとして、いろいろと準備不足は否めず、今後が思いやられていると、翼が心の中で考えていると、シルベットの口が不意に開く。
「ツバサよ。居候は三人ではない。赤じじぃを忘れている」
「人数は覚えているんだ……ははは」
人数は覚えているのに、何故名前は覚えられないのだろうか、と翼は苦笑いを浮かべて疑問に思っている。
と──
「ちょっといいかしら?」
エクレールが小声で呼び止める。
「なんだ……」
翼は同じように小声で応じると、エクレールは耳打ちして伝える。
「長居をさせないとしても、来客を客間かリビングに通さなくともいいのでしょうか」
せっかく綺麗にしましたのよ、と言うエクレールに答えを窮した。
あんな日本の一般家庭にそぐわない黄金一色のリビングを空に見せるわけにはいかない。見せてしまったら、恥ずかしくなって合わす顔がなくなるだろう。
よって、リビングを通すわけにはいかない。
「いや、大丈夫だ。客間やリビングに通して腰を落ち着かせてしまったら、長居をしてしまう可能性がある。早く帰らせるには」
翼はそう理由付けてから、エクレールの不意に出した”客間”という言葉に不安に覚えてエクレールに言う。
「それよりも、まさかだけど……客間もエクレールが片付けたの?」
「ええ」
エクレールは二つ返事で答えた。
「おお、マジか……」
エクレールの返事は、客間もリビングと同じように黄金一色に染められているという可能性を示唆するもので、翼を項垂れた。
それにより、客間という選択がなくなった。だとすると、いつものように翼の部屋に通すしかない。
両親が不在で、いつもいる亮太郎や燕がいない時に女子を男の子の部屋に上げる行為について、いささかの不安を覚えたが、客間とリビングに通せない以上は仕方ないと割り切った。
だからといって、すぐに翼の部屋に通してしまうと、ズルズルと長居をしてしまいかねない。何とかして空が気を遣わせるように仕向けなければならない。
天宮空は内向的というか、空気を読み周囲に合わせることに長けた少女だ。何とか気を遣わせる雰囲気を出せば長居はしないだろうと考えてから、エクレールに言う。
「とりあえず、エクレールはもしものことを考えて、客間とリビングは元の家具に戻しておいて」
「何で、ですの?!」
エクレールは不満の声を上げた。それに客間もリビングと同じ黄金一色であること確実だろう。
「え……と、今は時間がないから自分で考えて」
「そんなこと言われましても、わかりませんわ……」
「わからなくっても、元に戻して」
エクレールは首を傾げるばかりで理由がわからないらしい。翼にその理由を今するべきか否かを考えていると────
そんな時。
清神家のチャイムが鳴った。
何度もけたたましく鳴る。
「誰だよ……。こんな時に人ん家のチャイムを連打する奴は……?」
「おい翼っ! 出てこい、オマエが外国人の美少女と一つ屋根の下で住もうだなんて一億万年早い!」
犯人は、声だけですぐにわかった。
「亮太郎……」
幼なじみで同じクラスの鷹羽亮太郎だった。
──こんな非常事態に、亮太郎まで来るなんて……。
と、思いながら玄関先に近づくと、
「あ……」
今日約束をしていたのは、天宮空だけではなく、鷹羽亮太郎とも約束をしたことを、すっかり忘れてしまっていたことに気づく。
ドア越しの亮太郎は呆れたかのような深いため息をついた。
「今、あ……、と聞こえたけど、オレのことを忘れたわけじゃないだろうな……」
「あ、い、いや……あははははは。そんなわけないだろう。それよりも、何で来たんだよ……」
ギクリと亮太郎の言葉に一瞬だけ凍りつきそうになった翼は誤魔化すように笑ってごまかし、すかさず話を切り替えた。
天宮空よりも少しだけ長い付き合いである鷹羽亮太郎だ。下手に言い訳を重ねても天宮空の二の舞を踏んでしまうことは目に見えていた。話しを切り出される前に、いつも通り軽い調子で話を切り替えた方が無難だろう。
笑ってごまかそうとするなよ……、と亮太郎はドア越しで不満げな声を漏らし、
「翼が予定時間に来なかったから電話したら話し中だったから空に連絡したら、今翼の家に外国から留学生が来ていると聞いたから来たんだよ」
「そういうことね……」
天宮空の方に視線を向けると、彼女は苦笑いを浮かべている。
表向きは外国人の留学生というシルベットたちが清神家で居候することは家族以外だと、空しかいない。燕という可能性も少なからずあるのだが、燕は亮太郎のことを嫌っていたため、それは有り得ないと早々と予想から外していた。
「翼。四歳くらいからの付き合いであるオレを差し置いて空にだけ、外国人がホームステイしていることを知らせただなんて、オレは悲しいんだぞ……」
急に噎び泣くような声に変えて訴えかけるように言い出した。わざとらしい芝居がかった亮太郎の声に翼はその言葉に本意はないと判断する。
「それはすまなかったな。で、本当の用件はなんだよ……」
「翼だけが外国人美少女とイチャイチャと、ウハウハと一つ屋根の下で住もうだなんて一億万年早い。だからオレと代われ」
「それが本当の要件か……」
翼はそう言いながら、ドアをチェーンで施錠した。
「こ、こいつ鍵を閉めやがった!」
「鍵は元からかけてある。チェーンをかけただけだよ」
「どちらにしろ、ひでぇ男だな……。最低だ」
非常事態な上で、問題事が次々と起こしている状態で、亮太郎の相手をしている暇はない。
「亮太郎、今はお前の話しを聞く暇はないんだ……。後でしっかり聞くから、今日は帰ってくれ頼む」
「ヤダね」
翼は、亮太郎にお引き取りを願ったが、いとも簡単に拒否された。
「外国人の、美少女の姿を拝ませていただくまで帰られるか!」
「亮太郎。何故、居候の外国人が何で美少女だとわかる。性別については、空には言っていなかったはずだけど……」
翼は、亮太郎の発言に疑問を口にした。
あくまでも、空には外国人とまでしか言ってはいない。性別や人数に関しては伏せていたはずだ。にもかかわらず、美少女と亮太郎が言ったことに違和感を感じる。
「ふふふ」
亮太郎は不気味な笑い声を上げる。
「簡単な話だ。空が到着するよりも前に、オレが到着し、庭先から美少女を確認した」
「のぞいたんかい!」
翼は思わず声をあげる。のぞき、は騒音、虚偽申告、乞食などの三十三もある軽犯罪法の一つに該当し、罪として定められている立派な犯罪行為だ。幼なじみの家に居候する外国人が気になるあまりに、犯罪に手を染めてしまったことに悲しさと情けなさとが混じり合う。
鷹羽亮太郎は、気になる異性を学校または街中で見かける度に告白する癖がある。その度に振られ、親しい異性──天宮空と翼の妹である燕に、『やっぱお前しかいない。付き合ってくれ』といって告白するといった行為を中学校に入学した当初から始めている。
知り合った当初から見境もなく女性を意識して声をかけていたわけではなかった。少なくとも、小学六年生まではサッカーなどの球技が得意なスポーツ少年であったはずだが、何を彼を変えてしまったのか。
現在は、九十五回も告白し、全てに失恋した経験を持つ。九十五回のうち、空は十回、燕に二十五回も告白されている。それが原因で燕は亮太郎を嫌っている。そのため、清神家を出禁となっており、家に上げるわけにはいかない。
そして、つくづくシルベットにリビングで着替えることを注意してよかったと思ったが、安心するには早いだろう。鷹羽家は、近所――清神家の前の通り沿いに一直線に行った先にある定食屋『桂屋』を営んでいる。昼時と夕食時には、混雑しており、休日には行列にもなる定食屋『桂屋』から清神家まで最短距離が五分程。後から空が清神家の行く途中で電話かメールで伝わったとしても空が到着する前に訪れることは可能であり、庭先から翼たちの会話を聞かれていた可能性が高いということだ。
ゴクン、と翼は唾を飲み込む。話を聞かれていたかどうかということを聞きたい。だが、どう聞くべきか。
──流石に、直球で聞くのはまずいな……。
翼がどう確認するか考えていると、亮太郎が声を上げる。
「いいからオレに外国人の美少女を紹介してくれっ! 翼だけが美少女と仲良く暮らすだなんて許さないぞ!」
「本音を漏らし過ぎ! 亮太郎が許す許さないも、もう既に決まっちゃったし。こっちが頼んで暮らすわけじゃないんだからしょうがないだろ!」
「なんという幼なじみの言い訳だろうか……。翼にはがっかりだ! 親友のよしみで、彼女たちのどれかを紹介させてもらおうと思ったのに!」
「本音がただ漏れだな!」
「ほっとけ! こっちはリア充に成り果てた親友のおこぼれを頂戴したく来たんだ。紹介するまでにこぎつけるまではオレは帰らんからな」
「何なんだよ、もう……」
恋愛や女性に飢えた猛獣と化した亮太郎に翼は半ば呆れ果てた──
その瞬間。
キン、という家の揺るがす地響きと共に、耳をつんざく不快な轟音が鳴り響いた。
「────ッ!?」
強烈に心臓を締め付ける感覚と得体の知れない不安感が広がっていく。この感覚は昨日二度ほど体験したことがあった。
「いや、これは……」
「ああ、間違いない……」
訝しげに目を細めたシルベットは言うと、奇怪な紋章──魔方陣を清神家の廊下に描かれ、色の霧に覆われた。
一メートルほどがぼやけてしまう密度が高い霧が、数瞬を置いてから視界は晴れた。目の前に広がるのは、清神家の中だ。何も変わらないように見えるが、まったくの偽物だということがわかった。
違和感がある。
【創世敬団】のドラゴンに最初に追いかけられた時と同等の、自分が居てはならないところにいるような感覚が広がっていき、不安が込み上げる。またしても、翼は誘い込まれたのだ。それもあっという間に。
「〈錬成異空間〉かっ!」
「〈錬成異空間〉だっ!」
翼とシルベットは、殆ど同時に声を上げた。そして、すぐさまにどちらが〈錬成異空間〉を張ったのか、を考えを巡らせる。
それは人間が出来ることではない。【謀反者討伐隊】や【異種共存連合】は、ハトラレ・アローラでの戦いを、その世界の生物に被害が及ばないように、世界の秩序を乱さない為の処置として、【創世敬団】は巨大なドーム状の空間内部を現実世界の街並みや自然などの起伏を模造し、再現することにより、獲物を捕らえるための罠として使用される〈錬成異空間〉は、敵か味方かの二択しかない。
四聖市外南側に不審な動きがあるとあらかじめエクレールから報告を受けていた翼は、どちらか可能性も高いと見ている。
「【創世敬団】に何らかの動きでもあったのか……」
「その可能性は高いな……」
シルベットは左腕を伸ばして左横に真っ直ぐと向け、掌を広げる。
そしたら、広げた掌を軸に白銀に光る魔方陣が現れた。白銀の魔方陣は、シルベットの体よりもやや大きめに拡がり、左から右へと横滑りしながらシルベットの体全体を包み込ように通り過ぎた途端に、シルベットが着ていた和服が端から空気に溶け消えていく。
かと思うと、それと入れ替わるようにして周囲から光の粒子のようなものがシルベットの身体にまとわりつき、別のシルエットを形作っていく。三秒も経たずに、魔方陣が通り過ぎて跡形もなく消失した時には、魔方陣が下降して、出会った時に身にしていた金属のような、布のような不思議な素材で構成されたドレス──戦闘姿になっていた。
続いて、シルベットは虚空に魔方陣を展開させる。魔方陣に手を入れ、【十字棍】を取り出し、すぐに腰に携える。
そして、また魔方陣に手を入れて、日本刀────天羽々斬を取り出した。天羽々斬を腰に携え、鞘から出して構えていると周囲を窺う。
さっきまでいたエクレールと天宮空の姿形はなく、家の外にいた亮太郎の気配は消えていた。
翼は荒れそうになっていた呼吸をどうにか整えると、周囲を伺うように視線をさまよせるシルベットに言葉を投げた。
「空たちは、どこ行ったんだ……」
「うむ」
シルベットは頷く。
「はっきりとしたことはわからんが、私たち二人だけが〈錬成異空間〉の中に誘い込まれたようだか」
「つまりこれは……」
「どうやら術者は私たちに用事があるようだな」
「用事って何……?」
「それは呼び出した本人に聞けばいいことだ」
「本人に……って────ッ!?」
シルベットに促されて翼は玄関の方に視線を向けると驚く。施錠したはずの玄関の扉がいつの間にか開かれ、入ってきたのは少女だった。
「あ──」
意図せず、声が漏れる。
「なんだツバサ? いきなり声を出して……。ツバサ?」
「──、──」
一瞬の間。
死の恐怖も、呼吸をすることすらも忘れ、少女に目を釘づけられる。
それくらい。
少女には。
見覚えがある人物だった。
「──君、は……」
呆然と。
翼は、声を発していた。
これから自分を拉致や殺される恐れがある相手だと、思考のうちに入れて。
少女が、ゆっくりと視線を下ろしてくる。
「昨日ぶりです、清神翼さん」
漆黒の巫女装束に似た衣にいびつな鎧を身に纏い、腰まで伸びる影のような、なんて形容がよく似合う漆黒の髪を揺らしながら、美しい所作で家の中へと入って一礼したのは──
「私の名前は、美神光葉です。はじめまして、水無月・シルベット。いきなりのお呼びして申し訳ありません」
先月の末頃から、翼が通っている市立四聖中学校に転入してきた少女────美神光葉だった。




