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第一章 二十六




 腰まわりをタオルで巻いただけの姿をした清神翼と胸と股間まわりは透けてはいなかったが布地の薄いワンピースを着用したシルベットが覆いかぶさるように倒れ込んできた。


 二人は赤めいた顔でこちらを伺い、エクレールと目が合う。


 不意の出来事に、エクレールは凍り付いた。


 二人の方も、まさかこんな体勢で倒れてしまうとは到底思わなかったのだろう。翼は恥ずかしげに、シルベットはキョトンとした表情で、エクレールを見つている。


 吐息や鼓動さえも聴こえてしまいそうな静けさが三人の間を漂う。実際は、それほど近距離でも無音なわけではない。そう感じてしまいそうなほど、三人の間にはそれぐらいの静けさに感じられるほどに静寂が辺りを支配している。どれほどの時間が流れたろうか。それは、ほんのわずかな時間にも思えたし、とても長い時間のようにも感じられた。


 エクレールの背中に冷や汗が流れる。ゆっくり、ゆっくりと呼吸を落ち着かせながら、置かれている状況を理解しょうとタオル一枚を腰回りに付けた状態の翼と、湯上がりなうえに身体を拭いておらず濡れた状態でワンピースを着込んだシルベットを交互に見つめる。何故、扉を開けた瞬間にそのような格好で倒れてきたかを考える。


 状況を整理しょうとしてから時間にして三十秒もかからない間を置いてから、考え至ったことにエクレールの身体が沸騰したかのような熱さを持ち、頬が赤めいていく。


「…………いやぁぁああああああああっっ!!」


 我に返ったエクレールが急激な体温の上昇にたまり兼ねて、思わず悲鳴を上げる。


「不潔です不埒ですわ破廉恥ですわ最低ですわ最悪ですわ! 早く離れてくださいまし!」


「いちいちやかましい……」


 シルベットは翼に覆いかぶさっていた身体を起こして立ち上がると、すっと目を細めてエクレールを睨みつける。


 エクレールは生ゴミでも見るような冷たい視線でシルベットを一瞥して、


「本当にそうだから仕方ありませんわよ。そんな……、はしたない格好で出てきて何があったかなんて想像はつきますわよ……」


 もうこれだから人間との混血は……、と大きなため息を吐き肩を竦めた。


 エクレールの態度と発言に気分を害したシルベットは不機嫌そうに眉根を寄せる。


「破廉恥な妄想をしている貴様に教えておこう。貴様は誤解している。たかだか、脱衣所に男女一緒にいるだけで、何が起こるというのだ!」


 被害妄想と差別発言はするな! とシルベットが付け加えて叫ぶと、エクレールはやれやれと耳を塞いだ。


「扉を開けた瞬間に裸当然の男女が倒れてきましたら、誰だって想像はいたしますわよ……」


 エクレールが顔を真っ赤にしながら言うと、シルベットはハン、と鼻で笑った。


「想像……いや、それは妄想だ。どんな妄想をしたかは知らないが、私はこのワンピースを着ていたから裸ではない。ツバサもタオルを巻いていたから裸ではない。貴様が急に開けたから起こった事故だ。よって、破廉恥な妄想に浸る前にそのことを謝れ」


 かけられた濡れ衣を鼻で笑い、シルベットは肩を竦めて謝罪を求めた。エクレールは謝罪を求めるシルベットを眦を吊りあげて嘲笑する。


「謝罪はいたしませんわ。わたくしは妄想に浸っているわけではありませんのよ……」


「そんなにも破廉恥呼ばわりするなら、証拠でもあるのか?」


 勘違いであることを一向に認めないエクレールに、シルベットは苛立ちながらも底意地の悪い笑みを浮かべて問う。


 エクレールの態度や言動にいくら癇に障ろうが、怒りを覚えたとしても、変えられない事実があることをシルベットは知っている。エクレールが言う一線を越えてはいない。


 だが、シルベットが一線を越えていないという確たる証拠はない。密室で二人っきりといった状況では、目撃者はおらず当事者だけしかいない。だからこそ、物件証拠が必要となる。


 何としても証拠を見つけだすために、エクレールは翼とシルベットを見てから、脱衣所を眺める。過激な服装。濡れた肢体……それ以外で、そのような行為を行ったという形跡は見られない。


 ──証拠がないと言えば、シルベットに何を言われるかわかりませんわ……。


 エクレールは焦りと不安を表情に出さないように注意し、揺さぶりをかける。


「証拠ならありますわよ」


「強情だな。だったら見せて見ろ」


 シルベットは余裕の表情を浮かべて返したエクレールに冷たい口調で鼻を鳴らした。


 腕を組み、曲線美豊かな胸強調させて、無い証拠をどうやって見せるのだろうか、とシルベットは少しばかり興味津々な表情でエクレールを見据える。


 エクレールは、自分よりも豊満な胸元を強調するかのようなシルベットの挑発に感じ、勝手に怒りを覚えたが高圧的な態度を変えず、


「そのような破廉恥な格好で出てきたことが何よりの証拠ですわよ」


「これだけでは証拠にはならないな……」


「そのような裸当然の格好してよくいいますわね。先ほど、あなたはそのふしだらでみっともない格好が裸ではない、とおっしゃりましたが……、あなたは目が見えないのかしら? それとも目に見えて理解できていないのかしら……。そんな薄いワンピースやツバサさんの大事なところを布切れ一枚隠しただけの姿なんて裸当然ですわよ!」


「貴様の方こそ、目どころか頭もおかしいようだな。一度、脳神経外科と眼科とやらで診てもらえばいい。これ以上、くだらない茶番に構っている暇も労力もない」


 シルベットは不機嫌そうにエクレールへ吐き捨てた。エクレールはあくまでも服装や扉を開けた時に倒れてきた状況によって、シルベットと翼は一線を越えたと判断している。


 服装の乱れとかなら証拠だと言い張るのはまだわかるだろう。エクレールの独断と偏見で一線を越えたと濡れ衣を着させられては敵わない。


 シルベットはエクレールの勘や推理はあてに出来ないと判断したと同時に、急に興味を削がれた。


「くだらない推理だったな。それよりも何用で戻ってきたかをさっさと言え。まだ交代まで時間はあるはずだが……」


 哀れむような笑みを浮かべて話しを変えようとすると、


「わたくしがせっかく華麗な名推理を披露いたしましょうと思ったのに……話しを変えないでいただけますか」


 と、エクレールはあからさまに不機嫌さをあらわにして、シルベットを見る。


 確かに、エクレールが戻ってきたには理由がある。シルベットが一線を越えたか越えていないか、よりも重大な理由だ。


 だが、自分が持ち出した手前で此処で終わらせることに対していかがものだろうか、もしくはシルベットに言われた通りにこのまま話を変えてしまったら彼女に負けたことを意味するではないだろうか、という云々と葛藤すること数瞬──僅か五秒もかからない間を置いてから、エクレールは大きなため息を吐く。


「そうですわね……。わたくしの華麗な推理であなたを追い詰める愉しみは後にして、わたくしがわざわざ此処まで足を運んだ理由をお話し致しますわ」


 ひとまずの問題の先送りに落ち着いたエクレールがこれまで経緯について語り出すよりも前に聞いて置きたいことがあった。


「それよりもあなたは、ドレイクからの〈念話〉は届いてらして?」


「赤じじぃから〈念話〉か……。感度や波動の確認で試しに一度交信したっきりだが……。赤じじぃの〈念話〉がどうかしたか?」


 何気なしにエクレールの問いにシルベットは答えた。どうしてそんなことを聞くのか、シルベットは怪訝な表情を浮かべながら聞き返すと、エクレールは半目で様子を伺っている。


「な、なんだその……如何にも疑ってます、ていった目は……?」


 シルベットはエクレールあからさまな疑いの眼差しに不快感をあらわにした。そんなシルベットをエクレールは観察するようにじーっと見据えてから、


「疑ってますわよ。でも、嘘ついている様子はありませんわね」


「たかが、赤じじぃの〈念話〉がどうかなどで、なぜ嘘をつかなければならんのだ……」


「確かにそうですわね。しかし仮にも上官であり、教官でもあるドレイクを赤じじぃ呼ばわりすることに対して、礼儀がなってませんわね」


「貴様こそ上官であり教官でもある赤じじぃに対して、『様』や『殿』とかの敬称を付けてないだろ」


「今時、『殿』はないですわよ……」


 エクレールは、学び舎で人間界に溶け込むための基礎情報を学び、配属先が人間世界の日本と決まった後にも、日本社会についても調べたこともあり、『殿』という敬称は普段から使われていないことを熟知していた。


 殿は、人名や職名などに付けてその人に対する敬意を表す接尾語だが、手紙や文書などの書き言葉に使われることはあるが、話し言葉では殆ど使われない。平安時代には『関白殿』のようにかなり身分の高い人に対して用いられた貴人を敬って言う代名詞ではあるが、鎌倉時代から少なくとも室町時代末期にかけては『殿』より敬意の高い言葉として『様』が併用されるようになり、明治から昭和時代にかけては、陸軍のなかで身分の低い職位のものにも『殿』が使われるようになったが、現代では『様』を使うことが一般的である。


「銀ピカ────あなたは、一体どこの時代の敬称を覚えたのかしら。現在の日本では、『殿』という敬称は手紙とかでも滅多に使われていませんわよ」


「私の家では、『殿』は立派な敬称で普段から使っているぞ」


 シルベットは、水無月家では『殿』は普段使いしているようなこと発言しているが、翼もエクレールは疑問視する。二人はシルベットと出逢ってから一度も口にしていることも見ていなければ、耳にもしていない。上官兼教官のドレイクでさえ『殿』という敬称を付けずに『赤じじぃ』呼ばわりをしていることから、『殿』という敬称には基準があり限られているのだろうか。


 だが、『殿』という敬称にどんな基準があろうとも、エクレールにとって重要なのはそこではない。


 口論はいつものことだが、落ち着きを取り戻していることにひとまず翼は安堵の息を吐いた。首を振って疲労感を振り払う。


「か弱い少女が喧嘩していますのよ。ついでにあなたに嫌疑がかかっている状態で、仲裁もしないで傍観しているだなんて男がやることかしら」


 エクレールに冷たく言われ、翼はぐうの音も出なかった。翼としても、どうにか二人には蟠りを残さずにしたかったのだが、そのような言葉の配慮を深く考えてしまい、そうした危惧が仲裁することに遅れてしまったようだ。


「そ、それよりも早く、二人とも着替えてくださいまし! もう少しマシな服装にしてくださらないと、真剣な話しができませんわよ……」


 エクレールは、少し言いにくそうしながらも翼とシルベットに着替えを指示した。


 確かに、タオルを腰まわりに巻いただけの翼の姿では真剣な話しをしょうにも集中はできない。いくら季節は夏だとしても。タオル一枚という格好のままで風邪を引いてしまう。


 実は、翼としてはエクレールに言われる前に着替えをしたかったのだが、シルベットと一線を越えたという疑いをかけられたけとにより、シルベットとエクレールの口論は苛烈し、ほっとくことが出来ず、容易に着替えをしに行く気持ちにもなれなかったこともあり、翼は了承する。


「わかった」


 着替えをするために自分の部屋に向かおうと踵を返そうとした。


 そんな時に──


 着替えの中に包まっていた翼の携帯が鳴った。


「空からか……」


 幼なじみの天宮空からの着信だった。




      ◇




「もしもし」


 翼は急いで二階の自室に戻り、手早く着替えを済ませてから天宮空からの着信を受け取った。


『もしもし』


「空、どうしたんだ?」


『えっ、と。翼くんが一向に現れないから心配して電話したんだけど……もしかして、忘れてる?』


「あ……」


 翼はすぐさま思い出した。今日は天宮空と約束をしたことを、シルベットたちやいろいろなごたごたがあって、すっかり忘れてしまっていた。


 受話器の向こうの彼女は呆れて深いため息をついた。


『やっぱり忘れてたんだ……』


「いっ、いやいや、べ、別に、忘れてなんか、いないよっ!」


『戸惑い過ぎだよ……』


「ごめん。急に外国人の知り合いが遊びに来ちゃってさ……ドタバタしてた」


『…………翼くんに外国人の知り合いなんか居たっけ?』


 天宮空は訝しむ声音で訪ねる。


 疑われるのも当然だ。天宮空とは五歳からの付き合いで、海外に知り合いなんていないことは知っている。


「えっ、あ……いやいや。さっ、最近、知り合ったんだよっ」


『最近って、いつ?』


「いつ、って……」


 いつ、と問われて翼は困った。最近しかも昨日知り合った、とはバカ正直に言えない。昨日は一学期の終業式であり、【創世敬団ジェネシス】に追われてしまい、天宮空たちの約束をすっぽかした日である。とりあえずメールで急な用事で行けなくなったと報せたが、昨日知り合ったなんて言ってしまえば、空たちの約束を破って、翼は外国人の知り合いを作っていたことになる。それだけは避けたい。


「あ……いや、一ヶ月前くらいに海外に行っていた従兄弟繋がりで……」


『従兄弟って……誰?』


「だ、誰と言われても……」


 翼の苦し紛れの言葉を天宮空は質問で返してくる。


 ここで下手に名前を出してしまうのも、あとあと口裏や帳尻合わせるのが大変なことになるだろう。


「……と、遠い親戚の従兄弟でさ、あんまり会ったことがなくって、どんな人とか名前まではわからないんだよ……」


『ふぅ〜ん。翼くんとは五歳の頃くらいから友人をやってますが……そんな遠い親戚にいることが初耳だね』


「ははは……。お、俺も最近知ったばかりだからね」


 疑われていることを肌に感じながらも空笑いして、改めて苦しい言い訳だった、と翼は後悔した。


『じゃあ、これからその海外の親戚の人を見に行くね』


「なっ……」


 天宮空の何気ない一言に言葉を失った。


『ホントに翼くんの家に外国人が来ているかを確かめにね』


「そこから信用してなかったのかよ……」


『じゃあまたね♪』


「ちょ、ちょっとまた……今散らかっている────って、もう切れてるよっ!?」


 最初の時点で信用されていないことに翼は衝撃を受けているうちに、こっちの返事を待たず通話は切れてしまっていた。


 ときおり現れる強情な一面が出てしまったのか、と翼は頭を悩ませる。天宮空は普段は温厚で人当たりも良く、自分の意見など個人的な発言は比較的少ない本心などを話さず隅に大人しくしている少女だ。それでいて一歩引いて見ているような内向的な性格をしているのだが、何かをきっかけに一度決めたら頑として譲らない強情な一面を出す時がある。


 空とは、五歳の頃に養子として天宮家に引き取られてからの長い付き合いである。そのため、翼はそういった彼女の長所にして短所である性格を理解しているからこそ、一度『家に来る』と言い出した以上、彼女が納得できるような理由を言わなければならない。


 現在は、【創世敬団ジェネシス】に命を狙われている身である翼は、幼なじみだからといって、やすやすと本当のことを言えない。もし正直に伝えたところで信じてもらえないだろう。


 行かれなかった理由としては、ある意味で嘘はついてはいない。現に、彼女たちは異世界人であり、こちらからすれば外国人には変わりはない。彼女たちが清神家にしばらく居候することでドタバタしたことも事実だが、彼女たちと知り合った経緯は嘘だ。空が訪ねてきた際、シルベットとエクレールにそこの辻褄合わせを彼女たちに相談して、何とか口裏を合わせたりしなければならない。


 もしも天宮空と接触している最中に、何らかの不穏な動きがあり警護レベルが上がった場合のことや、【創世敬団ジェネシス】の襲来してしまう恐れがあった場合の算段する必要があった。


 翼は、警護にあたる上での行動の制限について、ドレイクから事前に注意と共に人間との接触や外出に関しての注意──―【創世敬団ジェネシス】の襲来、または周囲に不穏な動きを感知すれば、警戒レベルが上がりなるべく不要な外出を避け、人間との接触を控えるといった行動の制限が行われる説明を受けていた。


『警戒レベルは四段階あるが、それは近辺で不穏な動きがあり、偵察隊が送り込み、状況がわかるまで様子見といった具合で上がるレベルと近辺での魔力の反応、もしくは抗戦での形跡があった場合に緊急事態といった場合に上がるレベルに分かれる。それによって、自分に迫る危険度がわかるといっていいだろう』


 現在、翼が置かれた警戒レベルは一だ。レベル一は、生活は通常通り行い、保護対象者への行動の制限は比較的にない。監禁はしないが、外出の際に警護に一人がつくと比較的に抑制的な行動の制限レベルは軽い。少なくとも五時間以内に戦闘になる可能性はない。


 次のレベル二は、正体不明の魔力の反応があった場合に上がる。


 内容は、生活は通常通り行ってもいいが、行動範囲は自宅から半径三キロ以内として、なるべく不要な外出を避け、自宅から最大で一キロ以上からは、警護は二人態勢となり、強化されるというものだ。偵察隊が送り込み、状況がわかるまでの様子見といった具合だろうか。


 非常事態とされるレベルは次からだ。近辺での魔力の反応、もしくは抗戦での形跡があった場合は、レベル三に上がる。行動範囲を自宅の敷地内として、奇襲の恐れがあるため不要な外出を避け、巻き込む恐れを考慮して人間との接触を控えなければならない。少なくとも、三時間以内は戦闘になる恐れはない。


 そして、レベル四は行動範囲を自宅内または自室。または、家族に被害が及ぶのを考慮して近辺にある市街地などの要所に密かに設けられた【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に従事する人が集まる詰め所で避難。外出は禁止。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に従事する人間以外の接触は禁止となる。


 そのため、警戒レベルが上がった際の対処を彼女たちに相談しなければならない。


 本当ならば、【創世敬団ジェネシス】に狙われているうちは、接触することは控えたかった。断る前に切られてしまったため仕方ない。何度かけ直して断ろうとしても、呼出し音だけが鳴り響くだけで応答さえしないのだから。


 一つ面倒事が増えたことに翼はため息をつく余裕さえない。すぐにシルベットとエクレールの元に戻って何とかするべく行動を移す。


 脱衣所の前の廊下には、金属のような、布のような不思議な素材で構成されたドレス────戦闘姿になっていた二人の姿があった。


 シルベットは日本の着物と同じ身体に布をかけて着る懸衣型をしたドレスに白銀の甲冑を合わせたものを、エクレールはヨーロッパ地方で見られる衣服のように身体を緊密に包む窄衣型をしたドレスに黄金の甲冑を合わせたものに身に包んでいる。シルベットは【十字棍クルワ】と日本刀を腰に携え、エクレールは黄金の三尖刃を手にして、まさしく今戦に行こうとしている彼女たちに翼は声をかける。


「シルベット、エクレール、緊急事態発生だ。お客さんが来るぞ」


「え……こんな時に、何を考えてお客を呼んでますの……?」


 エクレールは翼の言葉を聞いて、眉間にしわを寄せた小難しい顔を浮かべた。


「呼んだわけじゃない。本当は二、三日前から会う約束してたんだけど、今は外国人のお客さんが来てるから行けないといったから断ろうと思ったんだけど……、本当に外国人のお客さんが来ているかどうか見に来るって言い出して、断る間も与えないままに電話を切られたんだよ」


 翼は彼女たちに経緯と理由を伝えると、エクレールは「この非常事態に……」とぶつぶつと呟いた。


「非常事態って……」


 非常事態というエクレールの発言に、翼の心中に更なる不安が募った。


 ただでさえ、空が訪ねて来るという非常事態に、シルベットたち側でも何らかの非常事態が起きてることに、翼はたまらず訊き返す。


「そっちでも何かあったのか……?」


「ええ。でも、まあ……今の状況を言葉で表すなら、あったではなく起こりかけているといえばよろしいですわね」


「起こりかけている……」


 起こりかけている、という現在進行している意味を持つ言葉に翼の心中に不安が掻き乱された。


 エクレールが小難しい顔や口ぶりから、何らかの不穏な動きでもあったのだろうか。掻き乱す不安を何とか抑え込み、エクレールの詳細な説明を言うのを待つ。


「現在、詳細な状況はまだわかりません。今報告できることは此処より南側に魔力反応があったということだけですわ。現在は、こちらからの偵察部隊を送って調査している段階ですが……。複数の魔力が抗戦しているような動きをしているので、【創世敬団ジェネシス】からの襲来があり、近辺にいた【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の部隊と抗戦していると見て間違いはないと思いますわ」


「────っ!?」


 翼は息を詰めた。


 エクレールの言葉は、警戒レベルが上がり、翼の行動に制限にかかったことを意味する。


 翼は恐る恐ると聞く。


「警戒レベル的にどのくらい上がったんだ……?」


「そうですわね……大体、レベル三に上がったと思いますわ」


「一気にレベル三に上がったのか……。だから、空が訪ねてくることは危険というわけか……」


「ええ。だから訪ねてくることを断ってくださいまし」


「電話に出ないんだけど……」


 エクレールは呆れたと言わんばかりの表情を翼に向ける。


「もう一回、電話かけて断ればいいですわ」


 そう言われて、翼はもう一回電話をかけ直すが呼び出し音が鳴るだけで一向に出ない。


 天宮宅から清神宅までは徒歩十五分くらい距離がある。自転車と近道を利用すれば最短で七分で到着することができる。もう到着してもおかしくはないだろう。


 それに二、三度かけ直しても、呼び出し音だけが鳴り響くだけで、空からの応答はない。流石に、こんなに着信音を鳴らしているのならば気づかないわけはない。


 どういうことだろうか。翼と空とは電話を無視されるような間柄でもない。移動中に、翼の着信に気づけば出るはずだが、一向に電話に出る気配はない。気づかないということがあるだろうか。


 天宮空は、一日の大部分を自身がするべき事をすべき時にしないでスマートフォンの使用に費やしたりといったスマートフォン依存症ではない。歩きながらスマートフォンを操作するといった社会問題化したながらスマホまた、歩きスマホといった歩きスマホといった危険行為はしないものの、それでも着信やメッセージ、時間の確認といったことで立ち止まって使用することはある。


 それが清神宅から天宮宅の道すがらで行われるかはわからない。それでも食事中や勉強中でなければ、サイレントモード(マナーモード)設定にしていないはずであり、着信に気づき、電話に出るはずだ。


 だが──


 やはり応答もはない。これ以上は電話をかける行為は空に迷惑をかけることになりかねない。翼は電話を三回で終わらせてメールに切り替える。


 幼い頃からの長年の付き合い故に、翼の性格や癖を知っているために、不用意にごまかしや嘘をつくと信用されない恐れがある細心注意を払い、メールで『やはりドタバタしていて無理だから。日を改めて会わせるよ』といった旨をメッセージを送る。三分経っても返信はない。


 今度は、LINEで同じ内容のメッセージを送る。LINEならば普段使いされているから気づくだろう。LINEアプリ内の通知設定をオフまたはサイレントモード(マナーモード)にしたままで戻すのを忘れていたわけじゃない限りは、ポンといった街中でも聞こえるように少し大きめ設定された着信音に気づくはずと翼は考えた。


 だが、三分過ぎても既読されない現状に、空に何かあったではないのか、という翼の脳裏に不安が過ぎった。


 脳裏に過ぎった不安を払拭する手立てはないのか。翼は藁をすがる思いで、彼女たちを見据える。


「どうした?」


 翼の不安げな視線に気づいたシルベットは怪訝な表情を浮かべて訪ねてきた。


「幼なじみが出ないんだ……」


「その幼なじみはこの辺に住んでいるのか?」


「近所だけど……」


「……うむ」


 空が近所に住んでいることを聞いたシルベットは頷き、胸の前に本を開くように掌を見せると、白銀の魔方陣が展開された。


 およそ三百五十ミリメートルほどの魔方陣内に、次々と凹凸が形成されていく。それは、四聖市──清神家を中心にした住宅街を精巧に擬しているものであることに翼は気づく。


 その中には、およそ五ミリメートル程もない細々とした影が散らばって、蠢いている。


 影には四肢があり、人型をしている。目を凝らしてよく見てみると、見知った顔をした人影があった。いつも両親が不在している翼や燕を気にかけてくれる隣の叔母さんである。


 顔の表情、服装、動きなど細部に至るまで精巧に創られた小さな叔母さんは、エコバックを片手に商店街の方へ歩いていく。どうやら買い物に行くようだ。周りを見ると、見知った顔をした人影が意思があるかのように動いていた。


 これは一体何なのか、と翼は説明を求めるように、シルベットに見据えると、


「これは魔力を持たない人間でも感知することが出来、それを術者以外にも見せることが出来る〈箱庭〉という術式だ。これで、その幼なじみとやらが無事に此処に向かっているのかを確認しょうと思うのだが、私はその幼なじみとやらの本名も顔も知らない。顔を知っているツバサがこの中を覗いて、無事に此処に向かっているのかを確認してみてくれ」


 と、説明してから翼に頼んだ。


「おう……わかった」


 翼は応じると〈箱庭〉を覗き込み、清神宅から天宮宅からの道程を目を懲らして探すと、思いのほかすぐに空の姿を捉えることが出来た。


「いたか?」


「いた。ここから二、三分程の距離だから、そろそろ着くよ」


「うむ」


 シルベットは頷き、掌を閉じて〈箱庭〉を解除させてから、真横に魔方陣を展開させる。魔方陣はスライドさせて、今し方装備したドレスや武器を消え、和風ワンピースへと早着替えた。


 シルベットの眉が上がり、口元が引き締まった。真剣そのものの顔で、言う。


「とりあえず、無事に向かっていることがわかったというわけだな。幼なじみの相手を私に任せろ」


「え……?」


「はい……?」


 シルベットの言葉に、翼とエクレールは二人二様の驚きの声を漏らした。


 およそ三分前までに、翼が二人に頼みたかったこととしては間違いはない。空が清神宅を訪ねてくる理由は、本当に外国人の知り合いが来ているのかどうかを見に来るだけであって、翼が外国人の知り合いが来ているという真意を確かめるためにある。


 だから、シルベットとエクレール、またはどちらかが会って話しをしてくれれば、天宮空の気が済み、納得して帰るはずだっただが──


 警戒レベルが上がった現在の状況での来客を招くことは巻き込む恐れがあるとエクレールとの一連のやり取りでわかり、LINEやメールで断りのメッセージを送ったはずである。


 なのに何故? と翼とエクレールはシルベットを見ると、


「既に、そこまで来ているのだぞ。理由が曖昧なままで、帰すわけにはいかんのではないか」


 と、シルベットは身嗜みを整えながら言った。


「確かにそうだけど……。警戒レベルが上がったし、すぐに帰さないわけにはいかないんじゃないの」


 シルベットが言う通り、LINEやメールで『やはりドタバタしていて無理だから。日を改めて会わせるよ』といった旨をメッセージを送ったが、何でドタバタしているのかといった理由を考えていなかったが、警戒レベルが三に上がった以上は長居をさせるわけにはいかないはずだ。


 理由にしては打ち合わせも何もしていないため自信はないが、空が訪ねてきても『電話をかけても出なかったからLINE、メールでメッセージを送ったよ』とかいって、どうにかして帰すことできるだろうか。下手に片付けしているとかごまかすと手伝うという可能性もある上に、シルベットたちの片付けは昨日の夜の時点で終了している。ごまかし切れる自信はない。


 問題なのは、警戒レベルがどのくらいで引き下がるか、だ。あくまでも、急場しのぎでのごまかししか浮かばないのだから。長引くと自分の首を絞めることになる。


「案ずるな。その幼なじみとやらに【創世敬団ジェネシス】や【謀反者討伐隊トレトール・シャス】などの異世界――ハトラレ・アローラの存在などを伏せながらも不信感を与えない程度の会話をすればいいだけの話しだ」


 シルベットはことさら簡単に言った。


 腕を組み、構えるシルベットに、エクレールは大きく深いため息を吐く。


「銀ピカ……こっちも非常事態で、それどころではないことをわかってますわよね。人間の少女を構っている余裕なんてありませんわよ……」


「金ピカよ。ツバサに不要な外出を避けることが出来ても、極端に人間との接触を控えることは不可能に近いぞ」


 出来ることならば、なるべく人と接触しないように断って、来させない方が一番の安全策なのかもしれないといった後に、シルベットは話しを続ける。


「ツバサが部屋に閉じこもり、私たちで護りで固めれば、ちょっとした居城が築けるが、長期に渡って警戒レベルが下がらなかった場合、ツバサの私生活に支障を来たす上に生活基盤を崩す恐れがある。勿論、周囲を護りかためることは不可能ではない。現に赤じじいを中心とした包囲網を張っている。だが、ツバサは、不在する両親の代わりに家事などをこなしていることもあり、近所や商店街にある程度の面識や交流を持っているだろう」


「うん……まあ」


 翼は頷く。シルベットが言ったとおり、翼は幼い頃から近くの商店街に通っていることもあり、名前も知られている。全ての店に面識はないが、食料品や日用品を買いに行く時によく立ち寄る店とは、気軽に挨拶を交わして、ちょっとした世間話をするほどだ。


 翼が頷いたことを確認した上で、シルベットはレベル四になった場合、または自室で引きこもった際に起こりえる問題を示唆する。


「友人関係についても、ある程度のコミュニティーが存在し、確立しているために日常生活を送る上で人と接触することは避けられん。もしツバサが部屋に長く引きこもってしまえば、妹であるツバメや友人知人に心配されてしまい、最悪な場合は、両親に連絡が行く恐れはあるだろう。そのため、ツバサさんに外の人間関係を絶ってまで、外出を控えるようにとは言えないのではないか」


「確かに、ツバサさんの今後の私生活を考えるのなら、下手に引きこもらずに普段通りにしたの方がよろしいですわ。────だからこそ、レベル三と四は相当な深刻な事態でなければ上がることはありません。ですからこそ、この非常事態に、客人を招くことは危険ですわ」


 エクレールは、シルベットが示唆する翼の私生活の影響を認めた上で、改めて拒否する。


「警戒レベルが上がったという深刻な状況化で、また詳しい状況がわからない以上は、むやみに人間と接触することはなりません。それは、その人間を巻き込んでしまい恐れもあるからですわ。わたくしたちの任務は、【創世敬団ジェネシス】を討ち、人間を護ることです。保護対象者でなくともそれは同じことですが……正体を隠して、必ずしも危険が及ばなように、無事に護り切れるわけではありませんわよ」


「たかだか、ツバサの客人とお茶を啜り談笑しながら、ツバサとそのソラとやらの警護を行えばいいだけの話しではないのか。護り切れる自信がないのなら【謀反者討伐隊トレトール・シャス】を退隊すればいいだけの話しだ」


 護り切れる自信がない奴に護られるツバサが迷惑だ、とシルベットはエクレールを挑発する。


「何ですって……ッ」


 エクレールは烈しい怒気を帯びた、地の底から響いてきたような声が出し、シルベットを猛禽類のような鋭い目つきで睨んだ。


「あの赤じじぃには、貴様が行ってくればいい。自信がない金ピカに変わり、ツバサは私が護るだけだ」


「〈念話〉が通じなかった使えない言う台詞ではありませんわね……。誰がツバサさんや人間を護れる自信がないと言いましたか? わたくしはただ、今は敵側がどのくらいの戦力で仕掛けてくるかはまだわからない状態で、客人を招くにはリスクが高すぎるといっただけですわよ」


 無駄に自信ありげなシルベットの物言いにエクレールは苛立ちを覚えたのか、顔を真っ赤に染めながら言った。


 エクレールはわなわなと震えて、身体に青い稲光を走らせ、怒りをあらわにする。そんな彼女を見て、シルベットは動じることなく、挑発的な微笑みを見せる。


「だったら、”正体を隠して必ずしも危険が及ばなように、無事に護り切れるわけではありませんわよ”といった貴様の発言は、ツバサや人間ではなく、自分のことと私は受け取るが……いいのか?」


 赤い瞳を侮蔑の感情で染めて、シルベットはエクレールを睥睨した。


「わたくしたちが、学舎で【異種共存連合ヴィレー】や【謀反者討伐隊トレトール・シャス】になるために、どんな試練をくぐり抜けたかわかりますの! 〈学び舎〉さえ通えることが出来なかった混血が……。軍人になることは無事で生きては還れる保証がないことくらいわかっていますわよ」


 エクレールも眦を吊り上げ、敵意を剥き出しにして応酬する。


「だったら、死を恐れずに立ち向かえばよいだけの話しではないのか」


「先のようなことがあって、あなた一人に任せておけるわけがありませんわよ!」


 シルベットとエクレールの声は冷たく、容赦がない。空気は瞬く間に険悪なものとなり、二人の少女たちは天敵に相対した猛獣同士のように敵意を込めた、見据えたものを貫かんばかりの鋭気を放つ双眸で睨み合う。


「先のようなこと? 何のことをいっているのかはわからないな。まあ、どちらにしろ貴様は腰抜けには間違いないな」


「腰抜けですって! 先のようなことは、初めて【創世敬団ジェネシス】の対峙してから先程の脱衣所での一件までのことですわよ! あなたなんて態度がでかい木偶の坊ですわ」


「木偶の坊だと……。貴様など血の臭いにあてられて我を失ったりと使えん奴だったではないか。私よりも使えなかったくせに、木偶の坊呼ばわりするな! 貴様など人間世界に降り立った時に花畑で踊り狂っていた”痛い子”だったくせに」


「”痛い子”にしたてあげられたあなたでしょうがっ。前々から思っていましたが、わたくしよりも下位種のくせに、あなたの態度が大きすぎますわ」


「そこそこの身長とそれなりの胸にしかなく、色と権力以外はさっぱりのくせして、態度がでかい貴様に言われたくない!」


 歯軋りの音がした。二人のどちらが発したのかはわからない。もしくは、どちらだろう。


 翼は苦りきった顔で周囲を見渡す、いつも仲裁に入るドレイクと蓮歌は不在だ。それにより、彼女たちの仲裁役を買って出なければならなくなったことに、身体が重くなった。


「……この二人の仲裁をしなければならないのか……」


 翼は肩を落として、大きなため息を吐く。


 ドレイクと蓮歌を呼びに行くことも、おちおちと考えている時間はない。そうこうしているに空が到着してしまうだろう。


「よし!」


 翼は意を決して、舌戦が息つぎにより中断した一瞬の隙を突いて、シルベットとエクレールの間に立つように身体を割りこませた。


「ま、待てっ!」


 翼がそう言った。


 その瞬間──


 ピンポン、というチャイムが鳴った。


 どうやら時間切れらしい。




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