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第一章 二十五




 偵察隊隊員達を一人残らず惨殺し、最後に隊長であるシリウス・ブラウンを一刀両断して仕留めた美神光葉は、彼の眼に生気が失うのを確認した。


「やっと死にましたね」


 美神光葉は、凍てついた感情の全くない顔と声音を屍に向けて、ひき息吐いてから全長二メートル────六尺六寸一間もある麓々壹間刀を鞘に納めた。


 麓々壹間刀。


 闇での斬撃──闇討ちにて最大限の攻撃力を発揮し、古来より裏家業として代々間諜を生業としてきた美神家の次代当主を自ら選ぶなど、独自の意思を持ち、その者に力を与えてきた宝剣にして妖刀である。


 例え手元になくても、所有者である美神家当主が呼べば空間を超えて手元に現れる特性を持つ。所有者が美神家当主たり得ないと麓々壹間刀が判断したときに手元から失われ、次世代に引き継がれてしまうため所有者として選んだものに従順ではない。


 ただし、その判断は不明瞭な点がかなり多い、病魔に冒され指揮を執るのもままならないほど衰弱したとしても、治めるべき美神家を離れて放浪したとしても、果ては自身の野望のために間諜ではなく剣士として暗躍していようとも、麓々壹間刀が手元に残り見離したりは決してしない。


 麓々壹間刀は、『闇隠しの斬撃』という異名を持つ間諜として向いている剣なのだが、忠実に間諜として美神家当主と重んじても『つまらないな』と不意に頭の中で聞こえたと思ったら、麓々壹間刀がいつの間にか消え、次世代に引き継がれてしまったことがあったという。


 麓々壹間刀は、あらゆる種族の言語を扱える高い知能を持つ。ハトラレ・アローラでは言語を理解し、会話をする武具は珍しくはない。神剣、魔剣、妖刀ならば、意思疎通が可能だ。


 しかし、麓々壹間刀はその中では一線から外れている。意思疎通するための会話は殆どがなく、答える、話しかけるは彼の気分次第であり、問いかけても答えてくれないことが多い。にもかかわらず、話しかけてほしくない時に言葉をかけてからかってくるのだから、性格が悪い妖刀といえる。


 麓々壹間刀曰く、『会話も所有者も気分次第』と美神光葉が何となく麓々壹間刀の所有者となった時に、聞いてみてもうんともすんとも答えてくれなかったため、その日の夜に真剣にどうして所有者に選ばれたのかを考えていたら、ガハハと品のない笑い声を上げながら答えてくれた。


 美神光葉としては、所有者を自ら選び、見放しも見放さないも独自の意思を持つ麓々壹間刀の力を当てにはしてはいない。性格も意地も悪い彼がいつ忽然と消えて居なくなってもいいように、麓々壹間刀の力を借りずとも闇での斬撃を発揮できるようにし、日々の修練を欠かしたこてはない。


 その甲斐があって、精度は少しながら落ちるものの、麓々壹間刀の力無しでも闇での斬撃を扱えるようになった。


「あの程度の剣術ならば、練習相手にもなりませんでした」


『相も変わらず無愛想な顔してんな』


 下品で耳障りなキンキン声が脳内に響き、美神光葉は秀麗な眉を顰める。


「何ですかいきなり……。頭の中で下品で無駄に大きな笑い声を上げないでください……頭痛がします」


『ガハハ、そういうなよ。吾がいつ居なくなって消えようが独り立ちできるように、修練したかいがあったというわけだからな。素直に称賛しているのさミッちゃん』


 そのミッちゃんという呼び方やめてください、と美神光葉は、トン、と麓々壹間刀を小突いた。


「称賛されるほど戦果を得たわけでも、精度が高い闇での斬撃をこなしたわけではありません。現に、あなたの力を借りれば殆どを一閃で仕留められるというのに、約五割は一閃で仕留めることが出来ませんでしたから」


 美神光葉は端整な顔立ちを悔しげに歪ませた。


 ドレイクが送り出した【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の偵察部隊は、中級兵から新兵で構成されており、美神光葉よりも経験が浅く、特質とした顕現する力も技能も魔術は持ってはおらず、比較的に脅威となる兵士はいない。


 隊長であるシリウス・ブラウンは剣術、魔術、武術に関して経験が多く、他の隊員は闇での斬撃──闇討ちだけで殲滅でき判断し、彼は梃摺る可能性を試算はしていたが……。


 偵察部隊全員を殲滅するのに、予測した以上もの時間がかかってしまった。それだけではない。シリウス・ブラウンに留めを射す刹那、敵に援軍を求める〈念話〉送らせる余裕を与えてしまったことは、彼等を甘くみてしまった彼女の失態といえた。


 自分の失態に、ギリと軋む音をさせながら歯噛みして悔しがる彼女を麓々壹間刀は弾けるように一声、笑った。


『そう謙遜するな。五割もの成功しているんだ。素直に驕ってもいいくらいだ。時間はかかったものの吾の力を借りずに殲滅できたのだからなガハハ』


「…………」


 カタカタと金属音をたてて震えながら、嘲るように笑い声を頭の中で響かせる麓々壹間刀に美神光葉は不機嫌そうな顔を向けて、一瞥して、嘆息する。


 いちいち構っていても仕方ないと諦めて、失態を取り返すべく、南方へと顔を向けると〈魔彩〉の術式に〈見敵〉と〈空間把握〉を加えて展開させた。


 すると、四聖市外南側にある井鬼町近辺を俯瞰するかのような空間が美神光葉の視界に立体的に映し出され、各所に人型を象った色彩豊かな揺らめく光と一際大きい細長い蛇体に少し盾状の平べったい四肢を有した龍型の白と赤と青の三色が混ざり合った光が生きているかのように動いている。


 遠方にいる敵を見つける──〈見敵〉だけでは、ただの揺らめく炎としてしか映し出されないが、魔力が色として視認できる──〈魔彩〉を合わせることにより、相手の詳細な部分――顔、容姿、戦闘、顕現する力などを鮮明な形として映し出され、それに地図を俯瞰するように敵地の状況を把握する──〈空間把握〉を加えることにより、詳細な敵側の状況・様子・行動・戦術を見通し、索敵が可能としていた。


 魔力を持たない人間を感知し、それを術者以外の他者に見せることが出来る〈箱庭〉との違いは、魔力を持つ人間は感知しない。そのため、〈魔彩〉と〈見敵〉はあくまでも対亜人専用であり、〈空間把握〉は〈箱庭〉の応用術式といえる。


 美神光葉は、対亜人専用魔術を三つも駆使して状況を伺う。


 人型を象った色彩豊かな揺らめく光が刀剣、鎗、斧、銃といった各々の武器を構えて、井鬼町上空──細長い蛇体に少し盾状の平べったい四肢を有した一際大きい白と赤と青の三色が混ざり合った龍型の周囲を旋回している。美神光葉は目を細めて見やると、ズームアップされて詳細な状況が大きく写し出された。


 刀剣、鎗、斧、銃といった各々の武器を構え、上空を旋回している光の顔や容姿、着用していた戦闘服にTHJとSEIKIいうアルファベットに挟まれるように八一一といった数字に刻まれているのを確認して、美神光葉は脳内に記憶した【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に所属する全隊員の名簿を思い浮かべて、照らせ合わせる。


 約一秒半は有して、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊第八百一部隊であることがわかった。次に、一際大きい細長い蛇体に少し盾状の平べったい四肢を有した白と赤と青の三色が混ざり合った龍型の光を見ると、形状から蛟龍────伊呂波定恭であることがわかった。


 ──生きていたのですね……。


 最後の〈念話〉から、いくら〈念話〉を送っても音信不通だった蛟龍──伊呂波定恭が生存していたことに美神光葉は安堵する。


 右腕を失い、躯には無数の裂傷があり、魔力量も強大ながらも衰えていく様子から全くの無事ではなかったが、何より生存していたことに表情が少しだけ綻んだ。


 だが、まだ安心するのは早いと美神光葉は井鬼町に在住する【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊第八百一部隊の方を見据える。


 複数いる【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の中にいる一人、隊長と思わしき白髪の男性が何かを訴えるかのように蛟龍────伊呂波定恭に向かって、口を開け閉めしていた。


 残念なことに、〈魔彩〉と〈見敵〉と〈空間把握〉には、映し出された者が話している内容を聞き取ることは出来ない。そのため、何を伊呂波定恭に訴えかけているのかは読心術で見抜くしかない。


 美神光葉は、隊長と思わしき白髪の男性の口元の動きを読みはじめる。




      ◇




 幾重にも連なった全長五百メートル程の巨大なドーム状の障壁を隙間なく、紅蓮の炎が蹂躙していく光景を障壁からおよそ五百キロメートル程遠くで〈結界〉を構築して様子を伺っていた少女────如月朱嶺は【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊第八百一部隊に視線を向けていた。


 スティーツ・トレスは、蛟龍――伊呂波定恭が〈念話〉に伝えた内容──頑なに【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に投降を拒否する理由に上げていた”【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に如月朱嶺の先祖にあたる如月龍造の暗殺に加担した者がいる、という証言が真実なのかというのを確認するために生け捕りにしょうとしている。


 瀕死に近い状態である蛟龍をどう捕らえるべきか。身や命が尽きることを恐れずに一撃を放とうとしている敵を下手に武力行使して抑えることは出来ない。下手に攻撃を加えれば、蛟龍が死滅する恐れが生け捕りは不可能だからだ。


 それで手加減をすれば、こちらがやられてしまって恐れがある。それでは目もあてられない。攻撃を受け流して被害を最小限にとどめ、敵が弱まっていくのを待っていた方が先決といえる。


 スティーツ・トレスも、まずは瀕死に近い状態である蛟龍が身動きが取れないほどに弱くなっていくところを生け捕りにしょうとしている。策として間違ってはいない。


 蛟龍の死を畏れずに残された命を投げ討ってまで自らの顕現する力を、全ての魔力を弾丸に変えている状態から逃亡の可能性は低いが、みすみす見逃すわけにもいかない。逃亡を赦せば、中途で事故でも起こして死滅でもしない限り、蛟龍────伊呂波定恭は【創世敬団ジェネシス】の本拠地に帰り着いてしまうだろう。


 そうなれば、【創世敬団ジェネシス】の幹部に報告されてしまう。現在、人間界とハトラレ・アローラの状況から考えれば、報告をしない理由がない。


 人間が世界を支配する前──何千万も前から亜人は、両界を行き来してきた。それは多少の尾鰭がついているものの、世界各国に伝説や神話として語り継がれている。


 東洋では人を助け幸福を運ぶ神聖な存在として崇められ、西洋では人を喰らい邪悪な存在として疎まれている。東洋では多神教、西洋では一神教といった人間界の宗教上による影響は大きいが、ハトラレ・アローラの亜人が人間達に畏怖を抱かせてしまった行動をしたことには間違いはなく、それが人間界とハトラレ・アローラの講和の足枷となっている一番の要因でもあった。


 人間側からして見れば、〈ゲート〉という不可解な事象によって人間界と異世界を行き来する亜人は得体の知れない生き物だ。言語を理解し冗談を口にする程の知性と本能や感情に支配されず、道理に基づいて思考し判断する理性を兼ね揃えている。寿命が千年以上もあり頭脳が明晰の彼等は、普段は人間と話しやすいように魔力といったオカルト的な力を有し魔術といったものを行使して人型を保っているが、最小で二メートルから最大で七百メートルといった巨躯を持ち、種族ごとに明確に異なった顕現する力を司る元素により神格化させた獣の姿をしている。


 魔力を有し魔術といったものを行使して、種族ごとに明確に異なった顕現する力を司ることにより特異性ある彼等の攻撃、防御力は共に高い。


 特に、龍族の力は脅威的だ。飛行能力を持ち、硬度が高く鳥の羽根よりも軽い鱗を全身を覆っている。強固な鱗を持つ龍族の防御力は、一部のハトラレ・アローラの存在することを知る人間からは空飛ぶ戦車と喩えられ、自動小銃や十二.七ミリメートル重機関銃では効果はなく、対戦車ミサイルや砲撃でも殆どダメージを与えられない。


 さらに機動性は、殆どの龍族がF−四以上の速力を持ち、旋回半径と機動力は種族や体躯によって様々だが、それでも戦闘機ヘリ以上はある。加えて、電磁などの電波の反射率がある龍族以外はステルス性が高く、レーダーに映りにくいという性質を持つ。そのため、人間は龍族を脅威とみなしている。


 人間からして見れば、味方にできれば心強いものはないのだが、動物的な部分があらわになった際の危険性を考えれば、すんなりと受け入れるわけにはいかない。


 一部の亜人は、ひとたび濃度が高い血の臭いをあてると理性を失ってしまう。理性を失えば、野性的な感情──動物的な部分があらわとなる。


 動物的な部分とは、元々自然界で生きていくために備わった生得的行動(遺伝的性質に基づき、習得的な影響を受けない行動)といった生存のための行動──生きるために食べ、危険を回避する狩猟本能、闘争本能や子孫を残すために交尾を行うための生殖行動や育てるために大切な母性本能など自己保存能力や種族保存能力といったものを指す。それらはある種の全ての個体に見られる複雑な行動に基づき、生まれつき備われているものであり、変更がきかないものだ。


 特に、空腹時に血の臭いに呼び起こされる生得的行動はとても堪えがたいものであり、意識が薄れていく中では麻薬のような感覚に陥ってしまう。普段は人間と同じように一日三食を摂取し、食欲を満たしており、理性を失わないための訓練を受けているため、よっぽどのことがない限りは理性を失うことはない。


 だが、それでも人間側からしてみれば動物的な部分をあらわになった時の危険性を考えてしまえば、すんなりと受け入れることが出来ない。テンクレプと元老院ら三百に、各大陸の代表者である聖獣らは、亜人と人間が両界で共存していく上での不安を払拭するために五百年以上も面談を繰り返し、協定や誓約をつくり、信頼を得る努力を繰り返してきてはいるが、決して動物的な部分──生得的行動があらわにならないという保証されたわけではない。それに加えて、生得的行動にならずとも人間の味を知ってしまった亜人──【創世敬団ジェネシス】が人間界で密猟を行っていることにより、存在が公表し本格的な講和に応じる悠長してしまうことは無理もなかった。


 ──戦場では、敵の言葉ほど疑わしいものはないけれど……。


 人間界とハトラレ・アローラが、まだ信頼関係が成り立ってはいない中で蛟龍が〈念話〉で伝えたことが公になれば、不信感を与えかねない。


 蛟龍が吐いた嘘や出まかせだとしても、あらゆるものが怪しく感じられ、言い訳にしか聞こえなくなってしまうだろう。


 疑念が疑念を生んで増殖していき、何も信じられなくなっていくと、何が真実で、何処が嘘かといった正常な判断ができなくなってしまうのは人間も亜人も同じだ。


 ──それをきっかけに、人間界やハトラレ・アローラ内で混乱が起きてしまえば、敵の思うツボね……。


 何をもって偽りがあるかないかの判断基準は不確かな以上は、敵を生け捕りにしておく方が身のためだろう。


 調査を行い、確たる証拠がない限りは敵の言葉を鵜呑みにして、莫迦正直に全て聞き入れることはない。例え、元同志であろうと敵は敵だからだ。


 不幸中の幸いは、蛟龍はまだ【創世敬団ジェネシス】に伝えていない可能性が高いということだろうか。もしも、既に伝わっているのならば、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】や【異種共存連合ヴィレー】の存続、人間界とハトラレ・アローラの運命で蹂躙できる好機を逃すわけがない。


 ──まだ蛟龍が〈念話〉で近辺にいる仲間に伝わっている可能性は決して低くはないけど……。


 ──どちらにしても、蛟龍を生け捕りか殺すの二択しかないわね……。


 報告をさせないためには、捕らえるか殺すしかない。後を追って、彼を捕縛することは不可能ではないが、複雑な異空間に入ってしまえば捕らえることは敵わない。


 ならば、どうするか。やはりスティーツ・トレスが考えた身動きが取れないほどに弱くなっていくまで攻撃を受け流すしかないだろう。


 蛟龍は、それを見越して〈浸蝕〉付きの光線と時間差で炎を吐いた。あれならば、〈浸蝕〉された〈結界〉の術者は、浄化するために術式を解かざる追えなくなる。〈浸蝕〉に感染した術者を浄化するために一旦引かせて、二人のみで蛟龍の攻撃を受け止めたとしても、よっぽど魔力量が大きくない限り、全長五百メートル程にも及ぶの巨大なドーム状の障壁を長時間も維持することは難しい。


 如月朱嶺は、蛟龍────伊呂波定恭に一瞥する。


 蛟龍の躯から細かな塵のような粒子が蒸気と共に噴き出す。体内部温度の異常上昇により躯が赤く発光。生命線でもある蓄えていた顕現する力と共に魔力が巻き上がり、パラパラと堕ちていくのが確認できた。


 蛟龍の肉体は緩慢に崩壊しつつある。明らかに急激に力強さが失われている。限界が近いのだ。如月朱嶺の〈呪術〉により治癒力が働いていない状態である蛟龍にとって、〈浸蝕〉付きの光線と火焔放射の二種類の技を一撃して吐いたことは負担が大き過ぎた。少しずつ蛟龍の躯は高度を落ちていき、ついに地上に脚がついてしまう。


 このまま、蛟龍が力尽けば【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に軍配が上がる。


 しかし──


 蛟龍の眼には戦意を失ってはいない。


 ──まだ何か仕掛けてくる……?


 如月朱嶺は注意深く蛟龍の様子を伺う。


 蛟龍は炎を吐き出しながら、照準を【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に向けたまま動かさず首をくねらせると、緩慢に朽ちていく躯から取りこぼした粒子と先ほどから〈浸蝕〉と火焔を行使した際に消費した顕現する力と魔力の副産物──〈オーブ〉が浮き上がり、体内に再び吸収していく。


 長大な首を通じて、端を引き千切られ大きく開かれた口内に充填。紅蓮の炎を吐きつづける口内から喉元にかけて幾何学的模様の光りがうごめき、次第に大きく膨らんでいくそれは魔力を持たない如月朱嶺でさえ感じる強大なエネルギーとなって、蛟龍の口内に蓄えはじめていた。


 しばらくの間(漂泊時間は、最大でおよそ十分以上)、空間を漂泊し、いずれは消滅する〈オーブ〉を吸収する意図に関して、如月朱嶺は図り知れないが蛟龍はまだ諦める様子はない。依然と投降する気もなく、攻撃的になっている。


 通常ならば、短時間で二、三分、長くとも五十分の休養したら亜人が行使できる万物(物質)の根源をなす不可欠な究極的要素──元素によって産み出されている顕現する力やそれを原動力として行使する魔力といった二つの力を回復、または人間界に存在する元素を司るのならば、定常的に補充されている人間界の自然エネルギーを取り込むことも可能だ。


 蛟龍が司るのは、水だ。水は、人間界やハトラレ・アローラだけではなく、どの世界にも存在している木・火・土・金といったの五種類の元素に含まれている。海洋、湖沼、河川とある人間界の水圏は、地表の七十パーセントを覆っている。その上に多数の動植物が半分以上もが水で構成されているため、顕現するには困らない。


 だが──


 如月朱嶺の〈呪術〉により、治癒力が全く働いていない状態の蛟龍は不可能だ。


 人間界に存在する元素とあっても自らの顕現する力として順応させるには、およそ三十分以上の時間を要する上にかなりの体力も魔力を消費してしまう。生命線での力も失い、躯が朽ち果てていこうとしている中で持たせることはかなわないと見見切った蛟龍は苦肉の策として、朽ちていく際にこぼれ落ちた力を蓄積させることに切り替えたのだろう。


 だが、消費した力──〈オーブ〉までも吸収する意図が見えない。


 同じエネルギーの塊である〈オーブ〉には違いはないが、魔力で行使し〈錬成異空間〉の維持する際に溢れ、空間内を彷徨う〈オーブ〉とは違い、消費した力の〈オーブ〉の欠片ひとつには、人間界で定常的に補充されている自然エネルギー以上の力は殆ど残ってはいない。攻撃や防御などを行使し役目を終えてしまい、輝きを放つだけのエネルギーしかない。百分の一の確率で力が残っていることがあるが、それでも全ての粒子をかき集めたとしても、一撃目、二撃目と比較してしまえば、精度も威力も劣ってしまう。


 如月朱嶺は、全長五百メートル程にも及ぶ幾何学的模様の障壁の状態を伺う。障壁には蜘蛛の巣状の亀裂が走り、幾度も明滅を繰り返している。二人だけで幾重にも連なった〈結界〉を維持させる限界が迫っている。あのままでは、少なくとも五分しか持たない。


 躯からパラパラと堕ちていた塵のような魔力の粒子を再び口内に蓄積されていく攻撃を受ければ、更に維持させる時間は三分くらい縮まることになる。


 第三陳まで下がった〈浸蝕〉に感染した術者の様子を伺うと、腕まで蝕んでいた黒ずみは未だに術者の手首までしか浄化が進んではいない。完全に浄化し終わるのは、少なくとも五分はかかる。


 浄化を終えて、第一陳まで上がって〈結界〉を構築する時間を考慮すれば、蛟龍の攻撃に間に合いそうもない。


 そんな状況化である【謀反者討伐隊トレトール・シャス】にとって、強力な一撃となるだろう。


 それは、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】は一気に窮地に陥り、形勢が逆転したことを意味する。


「事情もさることながら、御先祖様の盟友か何だかは知りませんが、子孫である私が終止符を打ってみせます!」


 如月朱嶺は瞳に強い意思を宿らせて、紅閃を放ち煌めく朱色の槍────朱煌華を構える。気を朱煌華と脚力に送り込み、大地を蹴り、風の如く疾駆、跳躍を経て【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の方に向かう。




 蛟龍は、ふらつく足元を地上を踏み締めて固定して、長大な首を真っ直ぐと伸ばす。再び大砲のスタイルを取り、発射体勢と移る。


 それに気づいたスティーツ・トレスは、予想外の蛟龍の三連撃目に息を詰めた。彼の躯に一瞬だけ強張るのを感じるくらい緊張が走った。


 数瞬の間をおいて、スティーツ・トレスは速やかに情報を分析し、隊員達に知らせようと口を開くが耳をつんざく衝撃音を上げたと同時に、紅蓮の炎をまばゆい光りが引き裂く。


 海のように波立ち揺らめく炎を切り裂き、二つに分けて迫る禍々しい光りは轟音を立てて、蜘蛛の巣状の亀裂が走り幾度も明滅を繰り返し限界が近い障壁に衝突する。


 幾重にも連なった〈結界〉は一瞬にしてごなごな砕けて、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊第八百一部隊の第一陳に襲いかかる──


 寸前で、光線は停止した。


 禍々しい渦巻いて暴力的な力を放つ光線の眼前に、少女────如月朱嶺が飛び出したその瞬間に、時が停まったかのように静止した。如月朱嶺の左手には紅閃を放ち煌めく朱色の槍────朱煌華を縦横に振り回している。


 振り回す度に朱煌華の穂先の左右にあったまるで戦闘機の可変翼のような副刃から糸よりも細く鋭利な副刃が顕れた。


 新たに顕れた副刃は横に回転して、まるで花弁を開くように形作った槍を軽々と操りながら、如月朱嶺は祭祀を司る巫女自身の上に神が舞い降りるという神がかりの儀式のために行われた神楽に似た舞いを上空三十メートルで祈りを捧げるように舞い踊る。


 朱く色づいた花のような朱煌華を持つ腕を上げる度に彼女の周囲には、陰と陽が分けられた穴が空いたかのごとく、疎なる空間が生まれていき、禍々しく膨らんだ光線が縮まっていく。


 禍々しい光線と比べれば、まだ余りにも小さな人間の少女が舞い踊る姿に光線を放った蛟龍はおろか【謀反者討伐隊トレトール・シャス】人間世界方面日本支部派遣部隊第八百一部隊は目を奪われる。


 亜人でさえ身も凍る恐怖を味わう戦場で、紅閃を放ち煌めく朱色の槍を持ち身を躍らせる人間の少女の姿に、スティーツ・トレスは途方もない衝撃を与えた。


 紅閃を振り上げて、約一分にも満たない神楽に似た舞いを踊った如月朱嶺は最後に朱煌華を光線を突き刺すと、禍々しい光線は中が抜けた風船のように萎ぶ。その隙と言わんばかりに少女を声を上げる。


「今のうちに、蛟龍を捕らえてください。今ならば、全ての力を出して身動きができないはずです!」


 如月朱嶺の透き通った声にったスティーツ・トレスは、蛟龍────伊呂波定恭の様子を伺う。彼は既に自分の躯を浮遊する力もなくなってしまったのか、グッタリと地上で横たわっていた。


 状況が理解できないといった表情を浮かべて、口をゆっくりと動かす。


 ──どういうことだ……。


 ──何が起こったというんだ……。


 声を発せる力も残っていないのか、無音でそう言った直後、行使していた力が瓦解した。塞がることない無数に付けられた傷口から鮮血が噴き出し、蛟龍────伊呂波定恭は力尽こうとしていた。


「……伊呂波定恭を捕らえよ!」


 スティーツ・トレスは、蛟龍────伊呂波定恭が死滅する前に捕らえるべく、自らが先行して隊員達に指示する。隊員達は喚声をあげて続く。


 横たわる蛟龍から約百メートル離れた場所に降り、様子を窺う。頑なに【謀反者討伐隊トレトール・シャス】への投降を拒否し、【創世敬団ジェネシス】として意志の強さを持ち、屈することなく抵抗してきた蛟龍だ。


 蛟龍に少しでも力を残っていたとしたら反撃される恐れはある。油断はできない。身体の各所に穿たれた傷口から涌き水のように血が流れ、蛟龍の周囲は血の海と化している。腰を落とす隊員達の躯を容赦なく血に染めながら警戒を怠らず距離をつめていく。蛟龍は立ち上がる気力も殺気を接近する隊員に牙を剥き威嚇する力もないのか、横たわったままぴくりとも動かない。


 身悶えることなく、呼気も虫の息程しかない。五十メートル近づいても全く動く気配がない蛟龍に、隊員達に緊張が走り、唾を呑みこんだ。


 死んでしまったのか。死んだフリか。ただ単に身動きがとれないだけなのか。全ての力を出し切ってしまった蛟龍はどちらの可能性も有り得る。


 厳島葵が生死確認をするために進み出る。〈高温感知〉や〈見敵〉の術式を行使しても、魔力や体内温度の有無くらいしかわからない。生死確認をするにはもう少し近づかなければならない。


 周囲をスティーツ・トレス、シー・アーク率いる攻撃部隊が反撃された時に備えて警戒にあたらせ、蛟龍から約五メートル程接近した厳島葵は様子を伺う。


 五メートルほど接近しても蛟龍の巨体は身じろぎ一つさえしないばかり、健康状態の龍の心臓ならば微かながらも鼓動音さえ聞こえてくるはずだが、全く聞こえてはこない。


 厳島葵は恐る恐ると蛟龍に駆け寄り、無数に傷をつけられた鱗に耳を寄せる。鮮血に濡れたものの堅牢な硬質を維持している鱗から依然として心臓の鼓動音どころか肺が空気を出し入れするための音さえも聞こえてはこない。厳島葵は耳が血に汚れることを気にすることを構わずに鱗に付けて再確認してから、厳島葵は振り返ると瞼を閉じて首を横に振る。




 蛟龍の心臓、呼吸が停止をしていた。




      ◇




 伊呂波定恭が吸息を引き取り、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】が騒然としている状況を〈魔彩〉と〈見敵〉と〈空間把握〉を合わせた術式越しに見ていた黒髪の少女────美神光葉は小さく息を吐き、術式を解除した。


 表情を険しいものに変え、踵を返すと視線を四聖市に向け、右手をおもむろに挙げた。すると、彼女を中心にして、森だけではなく、四聖市の上空に闇夜色の炎が奇怪な紋章──魔方陣を路面に描かれ、撹拌される瀑布のような靄の壁が降りてくる。直径にして七百メートルほどの巨大なドーム状の空間の内部を現実世界の街並みや自然などの起伏を模造し、再現することにより、現実世界そっくりの空間を構築した〈錬成異空間〉を展開させると口を開く。


「伊呂波定恭の時間稼ぎを有効に使わないといけません」




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