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第一章 二十四




 各部隊から偵察として派遣された隊員達は、上空を飛び立った瞬間から、四方八方へと散るように駆け出していく。


 何かと競争をしているかのように、疾駆しながら剣または銃や槍などの自分に合った武器を構え、警戒の視線を周囲に向けて巡らせた。


 周辺の集落など人の居そうなあらゆる場所を見渡して飛行する。人間に飛空している姿を視認しにくいように、保護色に守られた昆虫と同じように相手に視認されないようにできる〈景色同化〉とは違う、複数の人間の〈死角〉の膜を周囲に展開している。よって、術者は稀にいる魔力や霊力をもった人間からは視認してしまうが、大半の人間から〈死角〉となるため騒がれることはない。


 周辺地域の人間の姿は疎らにだが視認できた。体温を持つ生命体が発する赤外線を感知する〈高温感知〉の術式を展開し、魔術的視覚を発動させて、あちこちにある建物内部に生き物の気配を視認した。


 【創世敬団ジェネシス】は、主に狩猟の獲物探しの道具として要することが多く、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】は周囲の生命反応を確かめるために使用する〈高温感知〉は、大型の獣なら約三キロメートル、鳥などの小動物でも、約一キロメートル離れた場所から発見できる。また、遭難者の捜索といった用途にも用いられている。


 しかし、〈高温感知〉は生命体が発する魔力を感知し、魔力が色として視認できる能力である〈魔彩〉とは違って、魔力を持つ亜人は対象外だ。あくまでも体温を持つ生者が対象である。術式を行使するには、それなりに魔力と精神を視覚に負担をかけてしまう。


 酷使すれば失明も有り得るために、既に生まれながらも負担なく行使できる眼を持つ黒龍族以外は、修業を積まなければならない。視覚を失わない視覚に送り込む魔力量を調整するには、百年もの長期間を要するため、日々を【創世敬団ジェネシス】の討伐のために奮闘する隊員達が取得するには、その合間を縫って修業するしかない。それが非常に面倒くさいために、取得すれば便利があるが行使できる亜人は少ない。


 先頭を飛行するシリウス・ブラウンは、黄龍族であるため〈魔彩〉は取得中のため使うことはできないが、魔力を感じることはできる。〈高温感知〉も既に学舎で取得していたため難なく行使することは可能だ。


 ざっと見たところ、近辺の集落には村というほど人数は多いが、街というほど人数は少ない生命反応があることを視認する。【創世敬団ジェネシス】と戦闘になれば、被害を招く可能性を視野に入れて、〈錬成異空間〉の術式の展開の準備をしながら、シリウス・ブラウンが口を開く。


「それにしても、膨大すぎる魔力だよな……」


「そうだね。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】でも滅多にいない魔力量だ」


 横を並走していた同期の東雲謙が〈見敵〉と〈空間把握〉といった魔術的視覚を発動させて答えた。


 東雲謙は、シリウス・ブラウンと同じように修業中のために〈魔彩〉は行使することができない。


 その代わりに、〈魔彩〉よりは使いなれている〈見敵〉と〈空間把握〉を利用した魔術的視覚を発動させることが可能であり、〈魔彩〉よりは負担も少ない。そのために、〈魔彩〉と同等の鮮明度ではないものの、魔力を感知することが可能のため東雲謙はこっちを利用している。


 黒柱と共に渦を巻きながら天へと上がって、花火のような勢いで放物線を描き周囲に派手に飛散している魔力を捉えると速やかに分析し、魔力量から相手の戦闘能力を試算した東雲謙は、周辺住民への被害が拡大する可能を示唆する。


「あれは、そう簡単に倒せる相手じゃないね。急いで、このことをドレイク様に伝えなきゃ」


「そうだな。俺らは相手からも人間からも注意しながら密偵査を続けているから、謙はドレイク様に報告してくれ」


「了解。シリウスも十分に気をつけてくれ」


 東雲謙は躯を翻して引き返し、シリウス・ブラウンは近くにいた隊員達に合図を送り、降下した。


「よっしゃ。相手がどんな奴か、拝みにでも行きますか」


 全員が降下したことを確認したシリウス・ブラウンは、大量の魔力反応がある南側を目指す。




 隊員達は呼吸を静かに抑え、じわりじわりと進みながら些細な異変を見逃すまいと周囲に視線を走らせている。皆の視線は速過ぎることも、遅過ぎることもない速度で、森林を注意深く探っていった。


 目標である強大な魔力の奔流は、今も健在であり、幾つもの魔力とぶつかり合っており、抗戦中と見たシリウス・ブラウンは仲間たちと一定間隔を開けて、地を這うようにして森を進んでいると──


 突然の違和感にシリウス・ブラウンが逆立つ。


『なんだ!?』


 〈念話〉で、いくつもの報告を求める声が放たれる。


 既に、これ以上は強くなりようがない程に張り詰めてていた隊員達の反応は早い。


 素早く姿勢を低くし、ある者は違和感を感じた方向を振り返り、また一部の隊員達は、違和感がした方とは別の方向に視線を巡らせて警戒の漏れを防いでいた。


 だが──


『……北方から接近する魔力反応を発見! こちらに近づい──────うわぁああああ』


 隊員が〈念話〉で警声をあげたと思ったら、シュキーン、という金属的な素振り音がしてからの断末魔が隊員達の鼓膜を震わせる。


 そこから〈念話〉から敵の素性や、移動方向が報告しょうと試みる隊員達の幾つかの声が上がったが、報告を終わる前に切り裂く音がした後に掻き消されていく。


 敵の素性がわからない状況でシリウス・ブラウンは冷静に思考を巡らせる。


 背後から近づいてくる正体不明の敵を迎え撃つために、近くにいた隊員達にハンドサインで合図を送る。近くにいた隊員達は、背後から迫る正体不明の敵に混乱することはなく、敵を待ち構えるように広がった。


 この辺りには人間達の集落もある。


 人間は、生まれたての頃は誰しもが魔力や霊的な力を持っているが成長する過程で人間はその力を失っていくものだが、稀に魔力を保ったまま成長するものがいる。それは微量だったり、亜人と同等の強大な魔力量だったりするため、安易に魔力量だけでは亜人か人間かの判断がつきづらい。


 加えて、魔力量を自由に調整できる亜人もいる。近在の人間と同じ服装をして襲って来られたら、【創世敬団ジェネシス】か【謀反者討伐隊トレトール・シャス】なのか以前に、亜人なのか、人間なのか、はたまた亜人に襲われて恐慌に駆られ、木の棒や農具を武器として握った人間なのか見ただけでは判別がつかないのだ。


 一瞬の勘違いと、判断の誤りと、手違いが当たり前のように横行する戦場にあって、味方を守り、自分が生き残るためには、”敵らしければ撃つ”ことだろうが【異種共存連合ヴィレー】が友好関係を結ぼうとしている人間世界では例え木の棒や農具を武器として握った微量の魔力を持った人間であっても、攻撃をするわけにはいかない。


 少し迷いが命取りとなる戦場に置いて、冷静な判断が問われる。特に、反戦国家である日本に置いて、殺人マシンのような完璧な敵味方識別能力が求められてしまう。出来なければ、”完璧ではない”と非難されるだけでは済まなくなるだろう。


 亜人は人間と同じように感情がある。決して殺人マシンではない。


 だからこそ攻撃をする、しないの一瞬の迷いが起きてしまう。それが、隊員達が敵味方と識別し攻撃態勢に移る前に、攻撃を受けてしまうことになる。敵味方と識別できたとしても、相手が護っているはずの人間だった場合に戸惑いが生じる。


 ハトラレ・アローラの存在を知らない人間にとって、亜人は得体の知れない生き物であり、脅威だ。


 【異種共存連合ヴィレー】、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】、【創世敬団ジェネシス】の存在を知っていても、人間に敵味方の識別するには困難だ。シリウス・ブラウンらが相手が亜人なのか、人間なのか、という判別がつかない以上に、人間にとっては、姿形は人型であっても、”同じ化け物”であることには変わりはないのだから、混乱するのは無理もない。


 【謀反者討伐隊トレトール・シャス】としては、”亜人全ては人間に害をなす生き物”といった偏見が、敵からの攻撃を受ける以前に、人間の手によって精神的に参らされていくこととなるのだ。


 仲間や誰かを傷つける敵かも知れない存在が、いっそのこと敵だと断定してしまいたい。絶対に安全な死体へと変えて安心したいという衝動が隊員達の中に込み上げた。


 だが。


 彼らはまだそこまで疲弊していなかった。強固な意志でこれを抑え付けることに成功し、シリウス・ブラウンは隊員達が危険に身を晒されないように偵察隊の隊長として、細心の注意を払いながらも、〈見敵〉と〈空間把握〉を利用した魔術的視覚を発動させて、薄暗い森の奥から少しずつ近づいてくる微量の魔力反応を捉え、監察する。


 隊員が〈念話〉で状況報告を行った際、シュキーン、という金属的な素振り音が一つだけしか聞こえなかった点やそれから間が全くなく隊員からの〈念話〉が途絶えたことから、相手が暗殺能力が長けているのは確かだろう。


 微量しかない魔力を持たない人間が亜人を一太刀もしくは最小限の攻撃だけで、戦闘訓練を受けた屈強である【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の軍人である亜人を倒すことは確率的には低い。だからシリウス・ブラウンは隊員達に伝える。


『武器になる物を持って向かって来る者を見れば、全てを敵と認識する。いや、何も持っていなくても、敵なのかも知れないと警戒しろ』


『イエッサー!』


 シリウス・ブラウンの〈念話〉に隊員達は答えて、薄暗い森の奥から近づく魔力の反応を警戒にあたる。


 南側──隊員達からしては背後に感じる強大な魔力と抗戦中と比べると、魔力反応は掻き消されてしまいそうなくらい微かだ。


 そして、前方から近づく敵は足音は立ててはいない。地面には小枝や幹が落ちている森の中を全く物音を立てずに、早歩き程の速度を保ちながら進むことは、戦闘訓練を受けた軍人であっても、相当な訓練を受けなければ難しい。


 だからこそ、近づく者は油断できない敵だと改めて判断した。


 およそ三十メートルの距離の辺りに迫る敵の魔力反応は、速度を緩めようとも上げようしないまま、一定の速度を保ちながら仕掛けてくる様子も動きはなく、真っすぐと近づいてくる。


 木などの障害物があるために薄暗く、視界が拓けてはいないために、未だに敵を捉えることは出来ないていない。だが、あと数分絶てば、厭でもご対面するだろう。


 隊員達は一斉に武器を構える。射線上に味方をおかないように充分な距離と間隔を広げて、一定速度を保ちながら迫る敵を半包囲した。そして油断無く〈結界〉を張り、奇襲されてもいいように防御力を上げる。


 深く薄暗く木が覆い茂った森の奥から一つの陰影が浮かび上がり、小柄な少女らしき人が現れた。


 線細く小柄な体格と漆黒の巫女装束に似た衣。腰まで伸びる漆黒の髪といった格好は、少女には違いない。だが、肝心な顔は能の女面の一つである二本の角と大きく裂けた口をもつ鬼女の面────般若面によって隠されている。


 ただし、腰に携えた全長二メートル以上もの日本刀が凍える殺意を振りまいていた。刀身は鞘に収まって見えないが、漆黒の鞘から、ただならぬ気配を感じ取り、”妖刀”であることを裏付けていた。


 銃を持つ隊員達は、人陰の下腹部に照準を合わせる。


 敵は、戦闘訓練を受けた【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の軍人を一太刀または少ない斬撃で討ち取るほどの熟練とした剣の腕を持っている。敵が剣を振るう前に、相手の動きを封じるために下腹部を狙う。


 頭や胸部は、相手が何者かを聞き出す前に即死させてしまう恐れがあり、頭部や手足といった的が小さい部位よりは、脚を通じなければ動かすことは出来ない部位──下腹部を狙った方が、咄嗟の動きの中でも大きな動きは少ない。そのため、的を大きく比較的捉えやすい部位といえた。


 す、と般若面に隠された一対の目が閉じられ、そして開く。


 闇夜の靄が炎のように立ち上がる。薄暗い森の中を更なる暗闇が漂いはじめていき、視界が月の光りがない夜のような暗闇が襲う。視界は一メートルさえも見通せないほどに悪くなっていく。シリウス・ブラウンは、すぐさまに視界が悪い状況下に置いて、〈見敵〉と〈空間把握〉を利用した魔術的視覚を発動させて、対応する。


 それでも辺りに隊員達の魔力の反応が確認できる程度視界が悪いことには変わりはない。


 それでも微量ながらも魔力反応を持つ少女の動きがわかるはすだと、シリウス・ブラウンは般若面を被った少女の方に視線を移す。


 と──


 少女らしき魔力反応は、暗闇の中をゆらりと動き、一瞬で消えた。


 その瞬間──


「ぎゃああああああああッ!」


 先ほどと同じように、シュキーン、という金属的な素振り音がしてからの断末魔が聞こえた。


 それを皮切りに、いくつかの切り裂き音がして銃声や金属同時がぶつかり合い音が鳴り響き、怒号や悲鳴が至る所から上がる。


「どこに行っ────うわぁああああああ!」


「敵はど────ぎゃあああああああああああッ!」


「何も見え────うぐッ!?」


 隊員達の悲鳴が上がる暗闇の中で、シリウス・ブラウンは木に背を向けて、周囲に警戒の目を走らせる。しかし先ほどまで〈見敵〉と〈空間把握〉を利用した魔術的視覚で観測できた微量の魔力反応を捉えることができない。


 ──どういうことだ……。


 ──確かに、さっきまでは……。


 一瞬の戸惑いも混乱も命取りである戦場に置いて、シリウス・ブラウンは戸惑いを生じてしまった。偵察隊隊長として、恐怖と混乱が渦巻く闇の中で見えない敵に冷静さを欠いた隊員達に呼びかけなければならないにもかかわらず、彼は必死に冷静さを取り戻すのに三十秒もの時間を空かせてしまった。


『落ち着け! 声を上げれば、敵に居場所を知られることになるぞ!』


 シリウス・ブラウンは冷静さを取り戻して、敵に居場所を知られないように〈念話〉で呼びかけた頃には、隊員達からの応答はなく、ただ辺りには異様な臭気が漂い、充満していた。


 鼻腔を襲うむせ返るような途方もない嘔吐感を覚え、摂取した昼食が胃からせり上がってくる感覚にどうにか抗うため、シリウス・ブラウンは思わず口元を覆う。


「……っ、う……っ」


 ざっと足音がすぐ眼前で聞こえ、視線を上げる。深い紅に染まった長剣を持った少女が立っていた。


 暗闇が少し薄れていき、薄暗いながらもおよそ七メートルほど視界が晴れていき、見えた光景にシリウス・ブラウンは愕然とする。


 視界を埋め尽くしたのは、赤い色だった。


 多い茂る緑色の草木や地面の上に、夥しい量の赤がぶち撒けられている。


 そして所々に、歪な形をした大きな塊が視界範囲内だけでも五つほど、小島のように仲間達の肉片が浮かんでいた。


 凄惨な光景を背景に腰まで届く漆黒の髪を風に揺らしながら、華奢な肢体を包む漆黒の巫女装束に似た衣はどす黒い染みのようなものに汚されている。


 シリウス・ブラウンは剣を握り締め、


「よくも────ッ!!」


 絶叫しながら地を蹴った。仲間を殺された怒りで、我を失ったシリウス・ブラウンは大きく剣を振りかぶった。


 だが、少女の動きの方が一瞬速かった。少女は髪ひとつ乱さない動きで避けられる。足を払われ、受け身も取れずに無残にも倒された。それでもシリウス・ブラウンは立ち上がり、仲間の敵を討つために剣を振るう。


「仲間を殺したお前を、いくら神が赦そうとも許すわけにはいかないっ!!」


 鋭い呼気と共に吐き出しながら、シリウス・ブラウンは剣を横薙ぎに繰り出す。少女は、踊るように避け、仲間の血で深紅に染まった刀身で難なく受け止める。火花が散り、二人の顔を閃光が明るく照らす。


 金属がぶつかり合うその衝撃音が暗闇の森の中でこだまして、一気に加速する。二人の剣戟が周囲の空間を圧した。


 幾度も繰り出される剣圧に二人の近くに生えていた草木が切り裂かれていく。


 少女は舌が巻くほどの正確さでシリウス・ブラウンの斬撃を次々と落とした。攻撃を加える僅かな間──少しでも隙ができると鋭い一撃を浴びせてくる。シリウス・ブラウンは瞬間的反応だけで迎撃して難を凌いだ。


 シリウス・ブラウンも少女も少しでも敵の思考、反応を読もうとして、両目に意識を集中させた。二人の視線が交錯する。


 少女の双眸はあくまでも冷ややかで、感情らしきものを伺えない。


 不意に、シリウス・ブラウンの剣先が偶然にもあたり、少女の般若面を右頬から左眼にかけて切り裂いた。


 切り裂かれた側の般若面が落ち、カランカランと渇いた音を立てて、


「な──っ!?」


 シリウス・ブラウンは半分あらわにした少女を見て、思わず声を上げた。秒間何発もの撃ち込んできたが冷酷な眼差しで目にも留まらぬ速度で長剣を操り、的確にシリウス・ブラウンの攻撃を弾き返した少女の顔が、般若面が右頬から左眼にかけて切られたことにより、顔を半分にあらわになった。


 少女は素早い身のこなしでシリウス・ブラウンと間合いを取ると、長剣を構える。


 暗闇の中で、ぽっと浮かび上がるように目前に立ち、見据える少女を、半分あらわになった少女の顔を、シリウス・ブラウンは何度も目を擦り、確認する。少女の顔には見覚えがあったからだ。


「その顔……もしや?」


 シリウス・ブラウンは驚愕と狼狽に目を見開きながら、顔を半分あらわにした少女の名を口にする。


「美神――光葉中尉……っ!?」


 シリウス・ブラウンは喉を絞り、その少女の名を呼んだ。


 端正な顔立ちや美しい容姿もさることながら、天性の剣術を腕前を持ち、黒龍族の名家である美神家の若き当主であり、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】で、シリウス・ブラウンの上官にして先輩にあたる人物──美神光葉に間違いなかった。


 ”黒き女剣豪”と謳われ、ハトラレ・アローラでは名も顔も知られている美神光葉は、表情を驚愕と狼狽の色に染めたシリウス・ブラウンの言葉に、ぴくぴくりと眉を揺らし肩を竦める。


「やはり、ばれてしまいましたか。正体を隠すためのお面がこうなってしまっては当然のことでしょう。私の顔は広く知れ渡っていますしね。遅かれ早かれ、ばれてしまうのは目に見えていましたから仕方ありませんね」


 美神光葉は、親しい人と談笑するかような気楽な声音で話しかけてくる。だが、驚きうろたえるシリウス・ブラウンを映した瞳には感情がなく、刀身のように冷ややかなままだ。


「ど──」


 どうして? という美神光葉への問いをシリウス・ブラウンは般若面を半分斬られ、あらわになった顔から伺い知れた上官の表情──”笑み”を見て、飲み込んだ。


 笑みの形に作られた表情から感じ取れたのは、親愛の情や歓喜の色ではなく、絶対的な勝者としての余裕と、肌がちりつくような研ぎ澄まされた殺意。それを認識すると同時、シリウス・ブラウンは美神光葉は、敵であることを確信する。


 発言、状況、態度、そしてシリウス・ブラウンに向けられた殺意は美神光葉は、敵であることを証明していた。


 まるで品定めするかのように、シリウス・ブラウンのことを上から、下からジロジロとなめ回すように見る美神光葉にシリウス・ブラウンは前傾させ、剣を構える。


 剣を構えるシリウス・ブラウンの様子を見て、美神光葉は愉快そうに唇を歪める。女剣豪として謳われた少女の瞳に剣気が帯び、先ほどまで微量だった魔力が膨れあがり、強力なものに変化した。


 剣気も魔力もシリウス・ブラウンとの差は一目瞭然だった。差が開きすぎている。脆弱。あまりにも、脆弱。視界は七メートルほどしか見通せない暗闇という状況化で、勝利する構想が浮かばない。


 さっきまで互角だったのは、明らかに美神光葉は手を抜いていたことが明らかであり、少しは剣術に自信があったシリウス・ブラウンのプライドをずたずたに切り裂いた。


 シリウス・ブラウンは油断なく美神光葉を睨め付けるが、それが強がりであることは一目瞭然だった。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】で指折りの剣術の腕前を持ち、天性の剣豪とも謳われた彼女を相手に、シリウス・ブラウン一人ではどう足掻こうとも勝てる見込みはない。


 だが、撤退を試みたとしても、視界が悪い暗闇の中では、魔力が色として視認できる能力である〈魔彩〉を問題なく行使できる黒龍族であり名家の生まれである美神光葉が有利だ。特に、〈魔彩〉と〈見敵〉と〈空間把握〉といった術式を掛け合わせれば赤外線カメラよりも鮮明度と見通せる魔術的視覚を持つことが可能となり、〈魔彩〉を取得できていないシリウス・ブラウンが圧倒的に不利であることを〈魔彩〉を取得するために勉強中だったシリウス・ブラウンは理解していた。


 〈見敵〉と〈空間把握〉を利用した魔術的視覚をもったとしても、魔力量を自由自在に調整できる美神光葉を捉えることは難しい。


 幾千もの戦場で敵を切り倒し、屍を踏み越えた女剣豪から一人で逃げ切れる自信がなければ、身を隠すことが出来ない。立ち向かわなければ、犠牲となった隊員達のように肉片となって血の海に沈むだけだろう。ならば、とシリウス・ブラウンは剣豪である彼女に小細工無しで正面切って挑むことを決意する。


 勝算なんてない。


 だが、シリウス・ブラウン率いる偵察隊は、作戦隊長として全一任されているファイヤー・ドレイクに二十分間隔の定期連絡をするように命じられている。このまま、シリウス・ブラウンら偵察本隊からの定期連絡が二十分も過ぎてもなければ、援軍を送ることになっている。


 次の定期連絡まで、およそ三分四十四秒──


 剣豪を相手に三分以上も時間稼ぎできるかはわからないが、シリウス・ブラウンは賭けるしかない。


「うおおおおおお!!」


 心の奥に生まれた、弱気を吹き飛ばそうとシリウス・ブラウンは絶叫した。


 シリウス・ブラウンは〈加速〉の術式を構築、躯──特に剣を持つ右腕に魔力を注ぎ込み、加速させて、何秒何発もの攻撃を撃ち込むのを可能にして、電光石火のごとく、勢いをもって美神光葉に肉薄する。


 目にも留まらぬ速さで繰り出されたシリウス・ブラウンの剣撃を美神光葉は蚊の子を振り払うように難なく弾き返す。


 美神光葉には、未だに笑う余裕さえある。悔しさに表情を歪ませながら、シリウス・ブラウンの強く剣を握り、援軍が来るまでの時間、美神光葉の足止めしょうとを暗闇の中を駆ける。


 肉薄して、一閃。


 斬りかかるが、美神光葉は長剣で弾き返して防がれた。


 だが、シリウス・ブラウンは弧を描くように右後方に弾かれた剣にかかる遠心力を利用して、躯を大きく振り返り強引に剣筋を再び彼女に向ける。


 そして、まだ美神光葉に弾き返されることを予測して、全方向から連撃に繋げる。全方向から電光石火のごとく噴出した剣尖が超高速で美神光葉へと殺到する。だが、シリウス・ブラウンが繰り出した百二十七回もの連撃は全て弾かれた。


 百二十八回目で、美神光葉は長剣で防いだシリウス・ブラウンの剣筋を軌道を読み、連撃させまいとシリウス・ブラウンが一瞬背後を向ける隙を狙って長剣を振るう。


 シリウス・ブラウンは背後から近づく美神光葉の剣気に気づき、咄嗟の判断で強引に躯を捻って応戦。美神光葉の攻撃を防いだ。


 あと少し──零、五秒ほど剣を前に戻すのが遅れていたら、シリウス・ブラウンの右腕からお腹にかけて切り落とされていたことだろう。


 シリウス・ブラウンは間合いを取り、美神光葉を見据える。


 ──見切られた以上はもう同じ戦法は使えないな。


 シリウス・ブラウンは、左腕をさりげなく出して、剣を両手で構えさせる振りをして、チラリと腕時計を一瞥して、時間を見る。


 次の定期連絡まで、残り一分と五十三秒前──


 ドレイクが援軍を送る時間を含ませると、二分以上は美神光葉を足止めしなければならない。


 剣豪を相手に二分以上の足止めできるか。保険として、シリウス・ブラウンはもしものことを備えて、〈念話〉の術式を構築する準備をする。


 だが、〈念話〉を送るには魔力が必要であり、魔力は死滅してしまえば失ってしまう。


 ──もし討ち負けようとも、即死だけは避けなければならない。


 〈念話〉を送れように細心の注意を払いながら、シリウス・ブラウンは剣を両手で構えて、再び地を蹴った。


「うおおおおおお!!」


 シリウス・ブラウンは咆哮し、沈み込んだ体勢から一気に飛び出し、地面スレスレを滑空するように突き進んだ。


 美神光葉の直前でくるりと躯を捻り、両手でもった剣をまずは左斜め下から叩き付けるように振り下ろした。その攻撃は長剣で迎撃され、激しい火花が散る。


 ──やはり、ふさがれたか……。


 シリウス・ブラウンの一撃は、敵の肩に達する直前に長剣に阻まれて弾かれた。彼は惜しいとは思わない。再び距離を取り、向き直る。


 すると今度は、お返しと言わんばかりに美神光葉が突撃してきた。長剣を大きく振りかぶり、下ろす。長剣を持つ右腕が亜人の動態視力で視認できない加速度をもって、シリウス・ブラウンに襲いかかる。


「チッ!」


 シリウス・ブラウン舌打ちしながら躯を右へ流して、回避を試みる。美神光葉の死角に回り込み、一閃を放とうとした。


 が──


 美神光葉は、亜人の動態視力もってしても捉えることができない速度をもって、シリウス・ブラウンの左から回り込まれ、逆に死角を取られてしまった。


 尖った先端の突きをシリウス・ブラウンは咄嗟に剣でガードしたが、激しい衝撃に全身を叩き、数メートルも吹き飛ばされ、木に激突する前に剣を地面に突いて防ぎ、速度が弱まったところで一回転して着地する。


 美神光葉はすかさずシリウス・ブラウンが攻撃準備をする余裕を与えまいと、突進して距離を詰めてきた。


 全長二メートルもの長剣が閃光帯びて加速。シリウス・ブラウンの脳天めがけて突き込まれる。そこから彼女の連続技が開始され、シリウス・ブラウンは剣をフルに使い、防御に徹した。瞬間的反応だけで上下右左と殺到する攻撃を捌きつづける。


 十六連撃最後の上段斬りを剣で弾きと、シリウス・ブラウンは間髪入れず攻撃を放った。


「こ……のぉ!!」


 白銀の光芒を伴った突き技が美神光葉の胸めがけて放たれた。


 だが──


 ガガァン! と炸裂音を轟かせて〈結界〉により防がれた。 〈結界〉に拒まれた衝撃にシリウス・ブラウンは跳ね飛ばされた。シリウス・ブラウンが突き技を放ってから美神光葉がそれに気づき、〈結界〉の術式を構築するまでの間、コンマ一秒もかかってはいない。どんな凄腕の魔術師でも一秒ほどはかかってしまう。にもかかわらず、〈結界〉の術式を超高速で構築してしまった美神光葉に、数メートル先離れた場所で着地した、シリウス・ブラウンは剣を構えて、警戒する。


「……素晴らしい反応速度ですね。流石は偵察隊の隊長と言えます」


「そちらこそ、オレの攻撃に気づいてからの〈結界〉の術式を構築するまでが速すぎるぜ……」


「お褒めの言葉、痛み入ります」


「本当に、味方なら頼もしかったのにな……!!」


 言いながらシリウス・ブラウンは地面を蹴った。美神光葉は剣を構えて間合いを詰めてくる。


 どうしようもない壁が、途方もない差が、二人の間には存在していたが構わずに斬りかかる。美神光葉も長剣を振るい、斬りかかった。剣と長剣が激しい金属音を鳴って火花を散り、超高速で連続技の応酬が開始された。


 シリウス・ブラウンの剣は美神光葉の長剣に阻まれ、美神光葉の剣はシリウス・ブラウンの剣に弾かれ、二人の周囲に様々な色彩な光りが連続的に飛び散り、暗闇の森の中に衝撃音が突き抜けていく。


 時折お互いの斬撃がかすみ、擦り傷が出来ていくが勝敗が決定する打撃ではない。


 だが、端から見れば拮抗しているように見えるが、シリウス・ブラウンの脳裏に美神光葉に勝利は微塵も浮かんでこなかった。剣豪と謳われる彼女の実力にかつてないほどの焦りを感じている。超高速での攻撃が続く中で、疲労が増していくシリウス・ブラウンては違い、美神光葉は余裕、嘲笑、殺意を含んだ笑みを絶やさず、疲労の色が見えない。


 ”漆黒の女剣豪”と謳われた彼女の実力に図り知れないものを感じながらも、感覚を一段階上げる。負けまいと自らの限界を超えるために攻撃のギアを上げていく。


 ──まだだ。


 ──まだ上がる。


 ──なんとしてでも、彼女をおさえる!!


 〈高速〉よりも上回る〈超高速〉の術式を構築して、剣を振るう速度を上げた。加速度を増した剣戟の応酬に美神光葉の微笑みが、おっ? といった程度の驚きに変わった。


 ──いつ力尽きてもおかしくはない。


 ──力尽きた時は、オレの最期だ。


 ──最期が最期ならば、少しでも剣豪の記憶に遺るように足掻いて、抵抗してみせよう。


 〈超高速〉をもったシリウス・ブラウンの剣戟に美神光葉の奏でる攻撃の速さがごくごく僅かながらも遅れていく。やっと疲れても出てきたのか、とシリウス・ブラウンは全ての防御を捨て去り、畳かかける。


「うおおおおお!!」


 流星の如く暗闇に剣閃が美神光葉に殺到する。


 その瞬間──


 美神光葉は笑った。


 流星の如く殺到したシリウス・ブラウンの剣戟を美神光葉は超高速を上回る加速度をもって、全て弾き返した。シリウス・ブラウンは彼女に疲労で速度を弱めたのではなく、自分と同じように〈高速〉の術式を構築をしていたことを悟られまいとしたフェイクだと気づいた時には、シリウス・ブラウンを上回る美神光葉による剣閃の応酬が襲いかかる。


「──うガッ!?」


 シリウス・ブラウンは剣で防ごうとしたが間に合わず、長剣の刀身は躯に吸い込まれていくかのように、躯中を貫き、夥しい鮮血が噴き出された。


 鮮血は宙を舞い、地上に撒き散らされ、血の海が広がる。


 躯中に、赤い線を引かれたシリウス・ブラウンは自らの血で作られた海の上に倒れた。


 火に炙られたかのような恐ろしいほどの強烈な痛みが全身を貫き、駆け巡った。脈動しながら全身を蹂躙する痛みに、シリウス・ブラウンは歯を食いしばって、声なき声を上げて抵抗する。


 血の海でもがき苦しみながらもむシリウス・ブラウンは胸中に忍び込む絶望に抗うように、ゆっくりと立ち上がろうとしたが、躯が思い通りに動かない。まるで全身に鉛の服を着せられたかのように重く、痛みが走って上手く立ち上がることが出来ない。


「畜生ッ!!」


 シリウス・ブラウンは絶叫した。絶叫しながらも、四肢は斬り落とされてはいなかったが、全身を貫いた美神光葉の連撃に深刻な痛手を負い、疲労困憊の躯に鞭を打ち、抵抗する。


 だが、シリウス・ブラウンの躯は意志に背き、一向に動く気配はなく、再び血の海に沈んだ。


 そのまま、シリウス・ブラウンは躯を動かすことが出来なくなった。


「もう終わりですか?」


 不意に、頭上からの声にシリウス・ブラウンは重い頭をゆっくりと顔を上げると、美神光葉が音もなく、すぐ前まで近づいていた。


 地面に横たわるシリウス・ブラウンの頭上に美神光葉の全長二メートルもの長剣が掲げられる。美神光葉は妖しく嗤いながら、仲間達の血により赤く迸らせる刀身を、血の色の帯を引きながら、シリウス・ブラウンの頭上に落とされようとしている。


「残念でしたね。あとちょっと速ければ防ぎきれたのに、残念です」


 苦悶の表情を浮かべるシリウス・ブラウンに、美神光葉は侮蔑に似た表情を向けた。


 躯を動かすことが出来なくなったシリウス・ブラウンは、抵抗も出来ない状況に悔しげに顔を歪める。


 あまりにも遠い。


 あまりにも弱い。


 あまりにも届かない。


 あまりにも足りない。


 彼女との実力の差を改めて痛感したシリウス・ブラウンは、悔しげに冷笑を浮かべる美神光葉を睨み据えながら、迫る死の陰に怯える。


 次の定期連絡まで二十秒前後──


 ドレイクからの援軍が到着するのを含めて約五十秒ほどはかかるだろう。


 ──ならば、果てる前に〈念話〉で、すぐ近くにいる仲間に伝えて、包囲網を張らせたが得策だ。


 シリウス・ブラウンは美神光葉に気づかれないように〈念話〉の術式を展開、比較的に近くにいた水波女蓮歌と東雲謙に送る。


「もう終わりなら、それでいいですよ。さようなら」


 そう言って、美神光葉はシリウス・ブラウンの姿を見てほんのわずかに哀れむように目を細めて、自分と仲間の血で紅く濡れた妖しげな日本刀を振り落とした。


 シリウス・ブラウンの視界は二つに裂かれた次の瞬間、辺り一面に肉引き裂く水っぽい音が鳴り響く。


 それをシリウス・ブラウンが最期に、意識は消失した。





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