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第一章 十七




 突如として現れたのは龍だ。龍というよりは、竜──ドラゴンに近似している。前肢、後ろ肢、頸部、尾といった部分に紅玉造りの甲冑と紅蓮の炎を纏った龍は爆風が収まると、両翼を広げて、豪快な笑い声を上げる。


「ははははは、待たせたな仔龍たち」


「なぜ、貴様が…………炎龍帝がいるんだ。ワシはあの時、確かに捕らえたはず」


 横倒しになっていたラスマノスが首だけ起き上がり、炎龍帝────ファイヤー・ドレイクに驚愕と困惑が入り混じった眼差しを向けていた。


 ドレイクの紅蓮色の全身には、溶かされた後はおろか、傷の一つもない。


 それはシルベットたちも〈錬成異空間〉が消滅してなかったから無事でなくとも、生きていることは想定内はしていた。


 だが、無傷とは誰も予想はしてはいなかった。それはドレイクと闘い手応えを感じたであろうラスマノスも同じ心境だろう。


 朱雀から譲渡された不朽の加護を纏い、空中で見下ろすように佇むドレイクは信じられないといった表情を向けているラスマノスを一瞥し、


「瀕死状態まで追い込んだことは褒めてやろう。しかし貴殿は絶命寸前まで追い込んでおきながら、とどめをささずに吾輩の不朽の加護を欲したために生け捕りにしたことにより、吾輩に傷を癒し、【熱風動殺】を練るために必要な魔力を準備する時間を与えてしまったことが誤算だ」


 ドレイクは、僅かに声を低くして言う。


「朱雀────煌焔様を、不朽の加護を、南方大陸ボルコナの戦士である吾輩────炎龍帝ファイヤー・ドレイクを舐めるなッ」


「くっ……下等種族の分際で」


 ラスマノスは顔を悔しげに歪めさせて、上空に自分を囲むほどの魔方陣を展開させる。


 紫色の紋様で回転するそれは、〈転移〉の術式であることをシルベットてエクレールは気づいた。


「逃げるぞ!」


「逃げますわ!」


 殆ど同時に声を上げる。


 のそりと、重い巨体を起こらせたラスマノスが鋭利な歯が並ぶ口の端を上げ、笑みの形に曲げて言う。


「これは逃げではない! 戦略的撤退だ。よって、体制を整い次第、再戦を申し込む」


 ラスマノスは、足元にいたエクレールの〈結界〉に護られた人間の少年────清神翼に視線を流した。


「せいぜい、そのか弱い下等生物の命を奪えないようにするんだな…………」


 翼は、その視線に、背筋にぞっと走る何かを覚えた。


 それは、まるで最初に黒いドラゴンの大群に襲われていた時に感じたものよりも遥かに上回る恐怖を感じた。清神翼という存在を、人間という生物を、完全に捕食する獲物としている狩猟者たるその視線には、穴が空くほどの強烈な欲望が込められている。


「果たしてお前の中に“それ”が眠っているのか。それを得るための戦を改めて用意しょう……。楽しみだふふふ……」


 〈転移〉の魔方陣はストンと下方へと移動する。紫色の紋様に混じり、溶けていくようにラスマノスのせせら笑う声が消えていく。


 魔方陣が地上に降り、弾けて消えた時には、ラスマノスの巨体は既になく、去っていた。




      ◇




「何だ、生きておったのか」


 シルベットは、ドレイクにぞんざいに声をかけた。


「しんがりを努めると向かっていた割には、いとも容易く通したではないか。私たちの教官とぬかしたにも拘わらず、これは力不足にも甚だしいぞ」


「勝手に殺すな……。ラスノマスと戦ったが、横やりをさされてしまった……。油断してたわけではないが、ラスノマスの後ろにはどうやら何者かがいることだけはわかった


 シルベットのどこか刺がある言葉に、ドレイクは肩をすくめる。


「今回は、朱雀──煌焔様の加護により、一命を取り留めたが、次もそうなるとは限らない」


「何だか知らんが反省しているようだが、しんがりを十分に勤められない貴様など私の教官とは認めるにはいかない」


 シルベットの言葉にドレイクはしばし黙考し、そしてすぐに結論を出した。


「……確かに、吾輩も教官という職には向いてないと自覚はしている。朱雀様から任命され教官として就いたのはいいが、何も教えることが出来ないままだったことや、全てにおいての力不足と反省する点が多い」


 眺め回し、周囲の状況を改めて確認する。


 既に、幾何学的模様だけの〈錬成異空間〉は術式は解除され、現実世界の風景が広がっていた。現在は翼の忘れ物を無事に取り、人の気配がしない市立四聖中学校の校舎内を移動していた。


 ドレイクは一呼吸置いてから話しを続ける。


「ドラゴンの大軍に囲まれていたとしても優先しなければならないのは保護対象である人間の少年だ。生命の危険性がある戦いや技は極力避け、少年を安全圏まで逃げるのが先決と基本を教えなければならなかった。吾輩としては、一生の不覚だ。炎龍帝という二つ名を与えられたとしても、まだまだ吾輩は未熟者であったということだ。危うく教え子達を危険に陥れ、守護するべきである人間の少年の命を奪いかねなかった。それでは吾輩の時間稼ぎも無駄に終わってしまっていただろう。それでは死にたくとも死にきれないというものだ」


「私に説教をするほど、無事ということがわかった。あたかもラスマノスに闘いを挑んだ私が悪いと言われているようだな」


 シルベットは舌打ちをし、ドレイクに鋭い一瞥を送った。


 その視線を知ってか知らずか、ドレイクは思考を巡らせている。


 ラスマノスは、正統なる毒龍族としては一頭しかいないが、【創世敬団ジェネシス】の助力を受け、兵力を補っている。そのため、ラスマノスが再戦してくる場合は、先程の戦と同等──もしくは、それ以上の兵力で挑んでくる可能性が高い。そうなれば、不利であることは目に見えており、苦戦を強いれるだろう。


 実戦における大切な周囲の状況を把握し、迅速に行動を移せる判断力や機動力は、実戦経験にないに等しい彼女では統制が取れ熟練された軍隊には敵わない。


 エクレールと蓮歌は学び舎で基本的な戦術と魔術を教わっているが、シルベットはある特殊な事情により学び舎に通えてはいない。しかし、十分な教養とはいえないが、巣立ち前には採用区分に応じた能力をみるために、一般教養が成されているかどうかの作文や記述式の筆記試験、面接試験、身体検査を行っており、採用基準を満たし、【異種共存連合ヴィレー】と【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に巣立ちした日に合格している。当然ながらエクレールと蓮歌もクリアしている。


 それでも不安が尽きないのは、彼女たちは正式な【部隊チーム】内での研修を受けてきたわけではないことだろう。

 通常ならば、巣立ちを終えたばかりの成龍(人間でいえば成人)は、通常ならば配属される部署や【部隊チーム】内で適性をはかるために模擬戦闘を含んだ研修を行う。


 だが、彼女たちの【部隊チーム】は巣立ちの式典でテンクレプが急遽新たなに創設された部隊のあるために、研修を行う教官は存任してはいなかった。


 人間の少年を保護するという任務は、研修経験がない彼女たちには周囲の状況を把握し、迅速に行動を移せる判断力や機動力を養うには最適といえる任務だが、あくまでも実戦がなければ、という前提がなければならない。


 しかし、【創世敬団ジェネシス】との対戦──ラスマノスの襲来により大戦へと拡大し、それが研修経験がない彼女たちを実戦に参加せざるをえない珍事に発展させてしまった。


 ラスマノスが出て来てしまっては、教官として彼女たちの【部隊チーム】に配属された以上、ドレイクが研修を行わなければならないのだが、ラスマノス再戦までに全ての研修を終えることは十分に困難であり、不可能だ。


 研修には最大六ヶ月かかる。いつラスマノスが再戦してくるかわからない今、悠長に研修に行っている暇はない。研修を行いながら、軍隊としての基礎と鍛練を短期で教えなければならないことを考えれば、ドレイクは気が遠くなってしまう。


 ドレイクは下士官から始まり、現場に揉まれて准士官、尉官になり、才能と経験の両方を手に佐官、将官と至り、現在の階級は大将である。叩き上げで鍛え上げられた戦闘力は、魔術以外の剣術・槍術・弓術・柔術・といった武術では南方大陸ボルコナでは随一であり、実力はある方だ。しかし、それを教官として短期で教えられるほど、器用ではなかった。


「あなた、自覚というものはありませんの? どう考えてもあなたが悪いに決まってますわ……」


 シルベットの一メートルほど離れて真横を歩いていたエクレールが呆れ声を上げる。


「ラスマノスを相手に勝てるわけはありませんわよ。それなのに、戦いに応じるだなんて、血の気が多い下賤はこれだから厭ですわ……」


「貴様こそ、私が食い止めている間に先にツバサを連れて逃げればいいものをモタモタとしているから悪いのだ」


 エクレールの見下す発言にシルベットは応じる。


「私ばかりに責任を押し付けるな金ピカ」


「それはこちらの台詞ですわ。あなたが戦闘で放射能なんてばらまくから〈錬成異空間〉に穴を開けて、現実世界に脱出できなかったのですわ。そんなことしたら一気に人間が被爆して始末書だけでは済みませんことをその筋肉質な頭は理解してまして!」


 エクレールは咄嗟に怒鳴り返し、荒く息をした。


 ズキズキと頭痛が襲ったのかこめかみを押さえる。


 そんな彼女にシルベットはお返しとばかりに嘲るように唇を歪めた。


「何を言っているんだ貴様は、先にあっちが毒や瘴気を垂れ流しで来たんだ。私は力の顕現で応じただけに過ぎない。ラスマノスがのそのそと追いつくよりも前に金ピカがツバサを連れて逃げればよかったのではないか」


「その前に【創世敬団ジェネシス】の大軍が囲まれてしまっていたことを忘れていまして? ただわたくし達が逃げられるように道だけを作ればいいのに、それをせずに龍化までして戦闘なんかしたのはどこのどいつですわよ……」


 言い合いを始めたシルベットとエクレールは相も変わらず仲は悪い。


 ドレイクは小さく嘆息する。


 水無月・シルベット。


 エクレール・ブリアン・ルドオル。


 水波女蓮歌。


 指揮する上官は不在。彼女たち三人だけという編制で組まされた軍隊として有り得ないほど少数部隊。それは幾千の組織・大軍を相手どるには不利な編制である。


 加えて、【部隊チーム】ワークとしては最悪といっていいだろう。彼女たちは自信過剰的な発言や行動、自己中心的な行動が目立ち、あまつさえ上流階級の生まれにもかかわらず口は良くない。力の顕現ならば最強と言われる種族である彼女たちだが、協調性は殆どない。


 僅かな間だけ形として連携が出来たのは、あくまでも彼女たちの性格によるものだろう。

 先陣きって突撃するといった行動が目立つシルベットと冷静を見極め、守備を固めて可能ならば攻撃といったエクレールがいたからだろう、とドレイクは彼女たちを分析する。


 蓮歌は、性格上では守備側といえる。だが、長時間の〈結界〉を張る体力や魔力が不足しているという心配がある。そのため、大量の体力と魔力を消費する攻撃にも体質的には向いてはいない。だとするならば、青龍族の治癒を向上させる力を生かすには、治療者としての役割を与えた方がいいだろう、とドレイクは大まかな役割を決めていく。


 前線にシルベット。後衛に蓮歌。攻撃と守備どちらも出来るエクレールは真ん中に配置を付ける。これで形としての【部隊チーム】となった。


 それでも、彼女たち【部隊チーム】は未熟であり未完成。ラスマノスたち【創世敬団ジェネシス】を相手取るには不利という現実は変わらない。


 ──ラスマノスとの再戦に向けて、彼女たちの研修及び鍛練は急務だが、大軍に備えて他の【部隊チーム】に協力を要請しなければならない……。


 シルベットたちが上手く結束できるか。他の【部隊チーム】と連携してくれるのかという不安は尽きない。


 だが、このまま何もせずに全てを投げ出して負けてしまうことは赦されない。


 それは上司にあたる朱雀────煌焔からの期待という名の重圧。失敗すれば焔の面子を潰すだけでは済まないという重荷がドレイクの肩を重くする。


 ドレイクは改めて、上司に厄介な問題事を押し付けられたなと感じた。


 ──問題は山積みだが、やるしかあるまい……。


 ドレイクは、彼女たちに研修と共に【部隊チーム】としての大事な協調性を磨かせることと、実戦における判断力と機動力を上げるための鍛練を叩き込むことを計画する。


 通常は、六ヶ月かかる研修と共に鍛練を短期で積ませなければならないことは彼女たちにとって苦でしかならないが、ラスマノスに敗北して死滅するよりはいいと心を鬼する。


 そして、同時にドレイク自身も苦手とする魔術を向上するための鍛練の必要性を感じざるおえない。


 魔術を要しない剣術・槍術・弓術・柔術・といった武術は得意だが、魔術関係は技術不足。それゆえに先の戦闘では、背後から来る奇襲に気づかなかったという失態を犯してしまった。そのために瀕死状態から全快まで時間がかかってしまうといった原因になってしまった。


 ──吾輩も鍛練を積まなければならぬ……。


 自身の魔術の向上を視野に入れながら、彼女たちにあらゆる戦術を叩き込み、【部隊チーム】として連携がとれるようにするための鍛練の計画を立てたドレイクは、ハトラレ・アローラから旅立つ前に渡された通信機──携帯を取り出す。


 ガラパゴス携帯と呼ばれるボタン式通信機。通称ガラケー。

 深紅に染まった携帯をパカッと開き、電話帳からメールを送りたい名前を探し出す。


 本文に用件を書き込み、送信する。



 宛名:焔様。

 件名:協力要請。

 本文:現時点のシルベット、エクレール、蓮歌の戦力・経験が乏しい上に、研修経験がない。そのため、ラスマノスと大戦するには不十分であり、経験豊富な加隊を求める。


 追伸、どうやら敵組織には何者かの影がある模様。正体は不明。

 何者かに仕えるシン・バトラーと名乗る男性と接触したものの、それ以上の情報は無し。




      ◇




 七月十五日、土曜日。


 日本時間五時二十四分。


 ハトラレ・アローラ。


 南方大陸ボルコナ。


 マグマが活発に活動する火山の変動により、気温が百度になることも降らないこの大陸は草木も生えることもなく、湖も川さえも干上がり、代わりにボコボコと活動している溶岩の川が流れている。


 この土地に住む生物は、何千度の高温にも堪えられる強靱な鱗を持つ赤龍と、炎の化身である朱雀と鳳凰だけ。


 しかし──


 ある一角のみが違っていた。


 楽園と呼ばれる地帯だ。


 楽園には草木が生え、森がある。森の中にはせせらぎが聞こえる小川が流れ、その先には湖があった。


 ボルコナの僅かな自然を見渡せる丘の上には、地球の和風の神社のような建物があった。


 深夜。


 神社境内を、煌々と燃える篝火が照らしている。拝殿に射しこんでいるのは淡い月光。季節を忘れるほどに空気が冷たく張り詰めているのは、社を包む結界のせいだろう。


 この結界のおかげで、何千度になる熱から守られている。


 昼間の気温は二十五度、深夜は十八度と生き物には過ごしやすい気候となっており、動物や昆虫も生息している。ここは言わば、ボルコナの最後の楽園。


 しかし、いつも騒がしかった虫たちの鳴き声も、今はもうほとんど聞こえない。声が出すのも憚れる静謐な空気が流れている。


 少女は無言で、広い拝殿の中央に座っている。


 まだ幼さを残しているが、綺麗な顔立ちの娘である。


 細身で華奢だが、儚げな印象はない。むしろ鍛えられた刃のような、しなやかな強靭さを感じさせる少女だ。そんなふうに思えるのは、生真面目そうに引き結んんだ唇と、彼女の瞳に宿る強い光のせいかもしれないが。


 少女が身につけているのは、人間界にある国──日本。その北地区にある公立中学の制服である。


 文武両道を学問とする学校で、そこがボルコナからの下部組織だと知る者は少ない。


 拝殿にはひとりの先客がいる。それは、女性である。


 女性は、身体の周囲に炎を纏わせながら台座に座っていた。


 袖が半ばから揺らめく火焔にした、白い和装。天女の羽衣のごとく身体に絡みついた炎熱の帯。そして、炎髪灼眼。


 その姿。その力。それら全てが、女性がただの人間でないことを如実に表していた。


 ボルコナの支配者、もしくは守護者である。


 朱雀。


 煌焔だ。


 煌焔は脚を組み、人間の少女を見据える。


「さてと──ドレイクが無事にバカ娘三人のところに合流したわけだけど……予想以上に状況が悪い。独り身で子供の扱いを知らないドレイクがどう問題ばかりの娘たちを指導するんだろうね、え〜と……そなたの名は何だっけ?」


 煌焔は言葉はぞんざいだが、声音だけ厳かだ。それでも冷たさは感じない。実年齢よりも若い声だった。どこか笑いをどこか笑いを含んだ女の声だ。


「如月。如月朱嶺」


 一瞬遅れて、少女は答えた。緊張でかすかに声が震えた。だが、焔は、構わずに質問を続けてくる。


「年齢は?」


「十四。あと一ヶ月くらいで、十五になります」


「じゃあ、怪しまれずに同級生として監視できるね」


「はい。上手く役目を勤め上げるよう精進して見せます」


「そんなに気を張らなくともいい。あやつらのサポートとして居てくれればいいだけだからな。それ以外は気楽に、青春を謳歌した方がいい」


 くす、と煌焔は笑い。

「青春は短いからね。すぐに朱夏が過ぎ、玄秋が来たと思ったら、もう白冬だ。人間は歳をとるのが早い。だから、今を楽しみ、悔いのないように過ごすことだ。ただ────」


「──っ!?」


 その瞬間、爆発的に膨れ上がる殺気を感知して、朱嶺は跳んだ。


 板張りの床を蹴りつけて、そのまま後方に一回転して着地する。頭で考えての行動ではない。危険を察知した肉体が、無意識に動いたのだ。


 大気を裂いて振り下ろされた炎の刃が、直前まで朱嶺の座っていた場所を駆け抜けていった。


 朱嶺の動きが一瞬でも遅れていたら、確実に命を落としていた。真剣による本気の斬撃だ。


「いい反応だ」


「これは……なんの真似ですか?」


 軽く息を弾ませながら、朱嶺は太刀を台座のほうへと向けた。


「ふはははは。いい反応だ、人間にしてはよく凌いだ」


 満足げに笑う煌焔に、朱嶺はムッと眉をひそめた。


「何ですかこれは……?」


「まあ座れ」


 焔が言った。彼女の言葉に渋々と従って、朱嶺は正座に戻った。溜息をついて、太刀を置く。


「さあ、本題に入りましょう」


「はい」


「良い返事だ。そなたには、バカ娘のサポートの他にやってもらいたいことがある」


「何でしょうか?」


「それはなあ、ある者が接触してくるかもしれないから、彼女たちの援護に回ってもらいたいということだよ。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】で、手伝いに来た以外は内密でね」


「えっ内密に、ですか……?」


「そうだ」


 朱嶺は正直に首を傾げた。実際、彼女たちの援護だけで内密にする意図がわからない。その答えを最初から予想していたのだろう。女は、なんの感慨もなく淡々と続けた。


「ラスノマス。種族は、毒龍。人間嫌いの絶滅危惧種。それが人間の少年────清神翼を狙っている。それだけならば、別に内密にする必要はなかった」


「────と言いますと?」


「一足早く教官として行ったドレイクからの情報でね。ラスノマスの後ろには、何者かの影があるらしい。その目星に関しては、わかっているんだがね……。心配事があるんだよ」


「心配事…………、ですか?」


 如月朱嶺は首を傾げる。


 炎龍帝と名高いファイヤードレイクが教官として、任務に就いていれば心配事なんてないと思えるのだが……。


「ああ。どうやら、ドレイク以外にも近辺を入り込んでいる妾の間者が妙な動きをする者を複数、確認したらしい」


「複数、ですか……?」


「ドレイクがあのバカ娘たちを教育しながらでは、対応するのは難しそうな数のね」


「……ふ、複数とは、どのくらいでしょうか?」


「そうだな。はっきりと、確認にとれたものでも十くらいかな……」


「十ッ!?」


 十、つまり十人、もしくは十ヵ所で動きがあったことを意味する。


 流石の炎龍帝でも三人の、しかも問題児の教官をしながら、それら全部と対応するのは難しそうだ。


「でも……しかし、私も全てに対応するのは…………」


「わかっている。妾もそれらを二人だけに任せておくほど非情ではない。十のうちに、既に六は見張っている。朱嶺に担当してもらうのは、二、三くらいだから、安心していいぞ」


「はぁ……」


「ん? 不服か?」


「いえ、そういうわけではなく……」


 人間の少女に受け持つには、二、三は多いような気がする。


「…………せ、せめて、対応しきれる距離にいる敵の撃退ならばいいんですけど……」


「それはわからぬ。だが、人間では、霊力の容量は少ないからな。対応しきれる距離にいる者の監視、もしかしたら新手の何者かが接触してくるかもしれんから監視も怠るな。現れたら、すぐさまに確保。あとは、撃退が主な任務だ」


「そうですか。わかりました。────もう一つ、訊きたいのですが…………」


「何だ?」


「なぜ私が攻撃をされたのでしょうか……?」


 不機嫌な口調で朱嶺は訊き返す。煌焔の瞳から悪戯めいた悪意を感じる。床に置いた太刀に思わず手が伸びそうになる。


 朱嶺のそんな反応に、御簾の向こう側の煌焔は落胆の息を吐き、


「わからないのか。いくら地球に力を出す制限があっても、ある程度、攻撃力と防御力がなければならない。もちろんの回避能力もな。だから、だな」


「なるほど。これはその試験的なものだと……」


「ああ。候補者を選ぶにどっかの阿呆んだらがチマチマとやっていて、イラついててな。こちらでそれまでにサポート兼監視役を送ることにした。それに合格した。それだけのこと」


「そうですか……」


 力を試されていたことに、なじみはムッと眉をひそめた。


「私がすることは、シルベット、エクレール、蓮歌のサポートをしながら、不審な動きをする者たちの監視、接触するのを敵と確認次第、同行するのを頼み、反抗したのなら戦えと──」


「まあー簡易的な内容はそうだな。接触する前の動きを頼みたいところだが何分、人手が足りない。人間にも可能だと思える範囲は、このくらいかなー、という判断だ。すまないが、ラスマノスとかいう老いぼれなんかに人間の少年を殺されないように応援を頼むよ。時が来たら、追加の命令もあるかもしれない。くれぐれもバカ娘たちには気付かれるなよ」


「追加の命令…………」


 朱嶺がひどく嫌な予感がした。


「そう。その時は、妾が直々にするやもしれない」


「えっ」


 朱嶺は思わず驚く。


 普段は、大体は煌焔に傅く鳳凰が務めることが多い。かなり昔は、煌焔もしていたがあることがきっかけでハトラレ・アローラという世界線にある南方大陸ボルコナに引き込まれて、滅多なことでは、顔を出さなくなった。


 理由としては、様々なことが重なってしまったからと訊いたことはあるが、真意は残念だが朱嶺はわからない。


「もしかしたら、【戦闘狂ナイトメア】が顕れるかもしれない」


「えっ」


 朱嶺は不安げそうに煌焔のことを見据える。


 【戦闘狂ナイトメア】。


 ハトラレ・アローラで、三度程。人間界では二度。数多の命を奪った殺戮者。人間界である世界線に生まれた人間である如月朱嶺は、ボルコナからの下部組織である学校出身であり、家系にハトラレ・アローラ関係者がいたため、その呼称は知っていた。


「なぜ、【戦闘狂ナイトメア】が…………?」


 煌焔は真剣な瞳に少女を写して言った。




「【戦闘狂ナイトメア】といっても、有名なメア・リメンター・バジリスクではなく、ロタン────レヴァイアサンだがな」




「えっ」


 如月朱嶺は、背筋に冷たいものが走った。


 ロタン。


 通称、レヴァイアサン。


 豊穣と太陽を司り、闇を形作る怪物を退治していた神竜が、人間界では某宗教によってレヴァイアサンという名を与えられた彼女は、メア・リメンター・バジリスクとは違い、〈催眠〉で〈反転〉し、〈堕天〉したわけではない。自らの意思により【戦闘狂ナイトメア】と堕ちた災厄の竜だ。


 レヴァイアサンとは、【創世敬団ジェネシス】はルシアスの下に控えている、七人の元帥たちの一人にして、グラ陣営を率いる幹部の一人だ。人間界でも知られた竜である。


「何故、レヴァイアサンが…………?」


「まだ、はっきりしたことはわからない。ただ──今回の戦には、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーという輩が関わっているようだ。ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーが関わると必ずしも【戦闘狂ナイトメア】が顕れることが多い。メア・リメンター・バジリスクは監獄島で収監、封印されている。今のところは、脱獄したという報告はない。もし、人間界に顕れるのならメア・リメンター・バジリスクではなく、ロタン────レヴァイアサンの可能性が高い、というわけだ」


 煌焔の言葉に、少女はしばし絶句した。


「…………ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアー、って何者ですか…………?」


「そうだな。奴とは対峙したから正体はわかっている」


 煌焔はそう言って、ゾォゥズフゥー・キャリーディスペアーについて、如月朱嶺に告げた。


 その名を訊いて、如月朱嶺は困惑な表情を浮かべて、


「…………えっ、それはつまり…………」


 それだけ呟いた。


「正体についてはわかっているが、現在は隠れ蓑としている人物はまだわかってはいない。そっちはそっちで任せているからね。見つかるまで時間の問題だよ。それよりも今日、そなたをここに呼んだ理由。わかりましたよね?」


「は、はい……」


「戸惑っていましたが、返事が出来るくらいには意識はありますね。────では、南方大陸ボルコナの支配者として、煌焔は、そなたに任務を命じます」


 静かだが、有無を言わさぬ口調で女が告げた。


「…………はい」


 困惑の表情を浮かべて、返事をした。


 もしかして自分は、とんでもない災厄に巻きこまれてしまったのではないか。そう思って如月朱嶺は、我知らずと小さな溜息を洩らした。




       ◇




 歌が聴こえる。


 とても美しい歌だ。


 光が一切ない暗闇の中で響く歌声に、女性はゆっくりと瞼を開ける。


 ぼんやりとする意識の中で、周囲を見回すと、フッと歌が止み、声がした。


「────さあ、起きなさい。お仕事の時間よ」


 ──またですか……。


 覚醒していく意識の中で、女性は内心で、嫌がりながらも起き上がる。


 その瞬間──


 光が射した。


 光といっても、闇と変わらない。淀んだ青をした光だ。禍々禍しさとしたら、周囲に拡がる闇よりも光の方が陰湿している。


「少しだけでも、会わせてあげるわ。大切な、とても大切な────」


 響く女性の声は謳うように言った。




「子供に────天宮空に会わせてあげる。────メア・リメンター・バジリスク」




 意識は一旦、途切れる。


 再び意識を取り戻した時は、女性は小さな泉や小川がある森の中にいた。東側の空がうっすらと明るくなり始め、野鳥が囀ずる声がし、野生の小動物が目を覚ます。


 木々の間の向こうから、開かれたところが見えてくる。それは広場だ。広場の中央には、石造りの瀟洒な噴水があり、その後方に、建物が二つ建っていた。


 女性────メア・リメンター・バジリスクは、自分が今いる場所に、その建物も、光景も見覚えがあった。間違いない。


 ──此処は……。


 メア・リメンター・バジリスクの生まれ故郷である不知火諸島──その中にあった赤羽宗家が主要する別荘────唐紅花宮だ。


 芝生だった広場は荒れ果てているが、何度も通ったこの光景を忘れるはずがない。


 前にある職員が宿泊する別邸や赤羽宗家が宿泊する別邸の奥にある本邸は、廃墟となっていたが、辛うじて形を保っている。


 懐かしさと時の流れの無情さにうちしがれながら、メア・リメンター・バジリスクは涙を流し、荒れ果てた広場の前に座り込むと──


「──懐かしいでしょう」


 後ろから声がした。


 メア・リメンター・バジリスクは、声がした背後を見るとそこには────漆黒と深い青の魔装を着用した女性だった。


 人間体の外見の推定年齢はおよそ十九か二十歳である。海と同じ真っ青とした髪はゆるふわとしており腰まで長い。優雅な所作でメア・リメンター・バジリスクの前に顕れたその姿は、絵に描いたような美しさであり、同性でさえも見惚れてしまいそうなる美貌を兼ね備えている。


 そんな彼女が身につけるのは、オーストリアのチロルドレス風だが、前開きで襟ぐりの深い短い袖なしの胴衣は深青、同じく襟を深く刳ったブラウスは黒、膝上までを覆うスカートは艶めかしい光沢をした黒である。その上に、禍々しい漆黒の鎧を籠手、胴、胸、膝、靴と部分的に付けられており、溢れ出す魔力は、聖獣級といっても申し分ない。


 【戦闘狂ナイトメア】。


 ロタン改めレヴァイアサンが邪悪な微笑みを浮かべて、〈錬成異空間〉に顕現した。


「わざわざ、故郷に連れてきて、封印を解いてあげたのよ」


「──な……、何故…………?」


 メア・リメンター・バジリスクはおよそ五年ぶりに口を開いて言葉を出した。少したどたどしく、自分の知っている自分の声ではないことに気づく。


「五年ぶりだもんね。今まで何度も封印されて来たんだもん。そうね。同期生と比べて遅かったけど、変声期が今来たのね。おめでとう。巣立ちの時は、声変わりしてなくって恥ずかしかったんでしょう? ならいいじゃない。大人の声になって」


 ロタン改めレヴァイアサンはそうぞんざいに言ってから、メア・リメンター・バジリスクの疑問に答える。


「あなたの封印を解いた意味については、〈アガレス〉様と赤羽綺羅からの命令があったからよ」


「き、綺羅……!」


 ロタン改めレヴァイアサンの口から思い人の名前を耳にして、メア・リメンター・バジリスクは思わず声を上げる。


「綺羅が……、綺羅が、何と言いましたか?」


「触るなッ!」


 メア・リメンター・バジリスクは、思わずレヴァイアサンにすがりつこうとする。それに、レヴァイアサンは不快感を露にして、メア・リメンター・バジリスクに魔力の波をぶつけた。


 濃縮された魔力の波は、暴風となってメア・リメンター・バジリスクに襲いかかり、弾き飛ばす。


 荒れ果てた広場の中央まで吹き飛ばされたメア・リメンター・バジリスクに、ロタン改めレヴァイアサンは冷たい表情を浮かべる。


「思い人の名前を出したくらいで、色めくだなんて腹ただしい…………。そんなに慌てなくとも会わせてあげるわよ。任務を無事に遂行できたらね」


 ロタン改めレヴァイアサンは、〈転移〉の魔方陣を展開させて、そこを通り抜き、立ち去った。


 残されたメア・リメンター・バジリスクは、朝風に晒されながら、目もとを左腕を乗せる。


「…………そう言って、会わせなかったくせに…………」


 メア・リメンター・バジリスクは、目もとを覆った左腕の濡れるのを、気づくこと誰かはおらず、小鳥とリスやウサギ、ネコやイヌといった小動物が回り囲んで心配げに見ていた。




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