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第一章 十三




 清神翼の意識は、いつの間にか深い霧の中にいた。


 周囲の景色は何も見えない。シルベットや【創世敬団ジェネシス】の姿も見当たらない。


 しかし、すぐ隣にはガッシリとした体格をした男がいる。


 毛先を立たせた銀の短髪に、堀が深く巌のような顔立ちは獰猛な戦士を思わせる。金で造られたかのようにきらきらと輝く、美しい黄金の装甲の隙間からは、ボディビルダーのような筋骨隆々な身体が僅かながらも確認できた。


 清神翼は理由はわからないが、この大男は実体というものを感じえない。


「……え?」


「忘れちまったのか……いや、忘れちまって当然だわな。ただ名乗って、再び信頼を得るにはまだ早急ってもんだ。だから名は明かせられない。すまないが、頭の中に入れてくれや」


 二メートルもある長身の男は、低めで渋いダンディな男のような声音を響かせて、両手を合わせて頼み込む。翼は完璧で流暢な日本語を使いこなす、名を明かさない怪しげな男を訝しみながら言った。


「いやいや、必死に頼まれ込まれても、名前を明かさない怪しげな外国人風の大男の言うことなんて、頭の中に入れたくないよ……。せめて、名を明かせない理由も教えてくれない?」


「すまねぇ。今はその時じゃないんだ」


「……勿体振るな」


 地に肘をつき、土下座までする名もわからない大男に、翼はぼやいた。


「そもそも、ここは何処なんだよ。俺は、先までシルベットと一緒に学校にいたはずなんだけど……」


「そんなことは後でわかる。それよりも今は時間がねぇ。一回しか言わねぇし、失敗できねぇ」


「失敗できない、って、何をする気だよッ!?」


 失敗はできない、という大男の発言に戸惑う翼を尻目に、大男は胸ポケットから小さな刀剣を取り出す。


 それは掌に調度収まるほどの龍に模した小さな刀剣だった。


 銀色の鞘には細かい鱗状となっており、鍔にはルビーのように真っ赤な玉が特徴的な細部まで精巧な龍の頭部が装飾されている。


 製作者のこだわりを感じる一品でいえる刀剣のミニチュアを大男は、


「幼き頃に託された時よりも早いが、誓約に従って行う」


 翼の胸にぐいっと押し入れた。


 何の抵抗もなく、刀剣は胸の中に、スッと入っていく。


 どくどく、と翼の胸の中で脈動をはじめ、何かが流れ込んでくる。


 しかしそれは、シルベットに亜人──龍人の血液を流し込まれた時と同じ感覚とは違う。自分の体内で起きつつある変化に翼は文字どおり体感し、同時に凄まじい激痛も味わうことになった。


 それはもしかしたら、男性が生きていく上で味わうことがない母親の胎内から赤ん坊が出てくる時に伴う誕生の痛みと苦しみに相当する。


 その苦痛が体全体に駆け巡り、その苦痛が翼の口から、ありったけの絶叫を吐き出させた。


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 思わず地に膝をつき、心臓の上を手で押さえ、苦悶の表を浮かべる。


 何度も気を失いかけたが意識がなくなることはない。どれだけの時間がわからなくなるくらい、翼は苦痛を味わい続けた。


 どくん。心臓とは違う何かが胸の中で脈動する。


 直後、周囲の霧がいきなり晴れていった。翼の意識が現実へと引き戻される。


 最後に、大男の声がした。




「────思い出せず、少し大変だろうけどな…………邂逅を果たせたのだから────」


 そこで声は途切れて、翼の意識が深い眠りについた。




      ◇




「え……」


 清神翼は瞬きをして、周囲を見回す。


 何もなかった。見渡す限り、一面に幾何学的模様。地平線が果てに見えるだけの世界が広がっていた。どこまで行ったら果てにたどり着けるのかさえも不明の、広大な空間。


 さっきまで【創世敬団ジェネシス】と呼ばれるドラゴンたちによって〈錬成異空間〉に創られた現実世界にそっくりに偽りの街いたはず。一体何をどうしたら、この何もない空間に立っているのだろうか。


「何なんだ、此処は……」


 何が起きたのか、現状を高速で確認する。


 シルベットが校舎に向かって、剣を振りかぶろうとした刹那、ぬばたまの月が浮かぶ天上に亀裂が生じた。硝子を割れたような波紋を描き、放射状に入った亀裂から幾何学的模様の光りが溢れ出して、天上は破壊された。まばゆい光りがシルベットと翼を飲み込まれていった。


 ──その後は?


 脳裏にフラッシュバックする、あの光景。天上からのまばゆい光りに、飲み込まれた後を何度も思い出そうとするが、ぷっつりと途切れてしまって、どうしても、この何もない空間に取り残されるまでの過程がわからない。


 やっと思い出せたのは、光りの中に影が三つあったこと。その内の二つは、とてつもなく小さく、人のような形をしていた。はっきりと確認したわけではなかったがスカートのようなひらひらとしたものを履いており、少女のように思えた。


 もう一つはとてつもなく大きく、蝙蝠ような羽根が生やしたような影だった。恐らくドラゴンだろう。【創世敬団ジェネシス】か、味方とされている【異種共存連合ヴィレー】か【謀反者討伐隊トレトール・シャス】は、人間の翼には判別は出来ない。


 だが。


 天上の亀裂もまばゆい光りは、三つの影のどちらかが原因によるものだろうか。


 しかしこれ以上、考えていても埒が明かないと諦める。


 超常現象に関しては、無知とは言わないものの、少しかじった程度の知識しか持ち合わせがない翼にとって専門外。だとすれば、【異種共存連合ヴィレー】や【謀反者討伐隊トレトール・シャス】という組織に属していて、異世界の住人であるシルベットに聞けば、状況が理解する手だては少なくともあるはずだ。


 それでも周りを見渡してもの幾何学的の模様をした地平線が見えるだけで、人影も何もなく、翼を護衛にあたると言っていたシルベットの姿もない。


「一人でどうすればいいんだよ……」


 少し混乱した頭を何とか整理して脱出する手だてを探そうとするが、上手く思考がまとまらない。その前に周りには何にもない幾何学的模様だけ広がる世界では、何も出来ない。


 翼は、今はシルベットの血液により半龍半人となっているが、人間界で中学二年生の人生の半分も生きてはいない人間の少年である。シルベットのように魔術など扱ったことなど一度もなければ、【創世敬団ジェネシス】と戦った経験など一度もない。それ以前に、弄ぶように追いかけ回されて殺されかけた経験からドラゴンに恐怖を抱いている。


「こんな時に襲われたら、どうするんだよっ……!」


 シルベットが保険として血液を流し込んだおかげで、そう簡単に死滅することはなさそうだが、それでも不安は絶えることはない。


 この先──【創世敬団ジェネシス】のドラゴンとの遭遇、シルベットの合流、幾何学的模様の空間からの脱出、について考えていた────


 その時だった。


 翼の正面に巨大な影が浮かび上がり、翼の身体を覆い隠したと思ったら、ズン、と重量がある音と共に地面が揺れた。


 一度は経験した、その地響きに、翼の脳裏に恐怖が過ぎる。


 もしかして、と振り返ると。


「な……ぁ!?」


 驚愕に喉を詰まらせ、翼は思わずその場で後ずさった。


 翼が見たもの────


 胴は蛇のように長く、四肢は極端に短い。頭には鹿のような角が生え、全身を緑よりの蒼い色の鱗が覆っている。その鱗に覆われた外皮からは清らかな水の粘膜が張っており、その姿は魚類めいた雰囲気がある東洋の龍に近い姿をした生き物だった。


 蛇のように裂けた顎の隙間から、キュイイイインという甲高い鳴き声を上げた山二つほどあろう巨躯の蒼い龍は、沈黙したまま翼を観察しながら歩み寄る。


 蜥蜴に近い爬虫類型の強面では、人間である翼ではは相手が友好的とも、敵対的とも判別は出来ない。ただ、すぐに襲われることはなさそうだが、どちらともつかない視線を向けられて、翼は指一つ動かすことができない。


 金縛りにあったみたいに身体が硬直して動かない翼を、視界の大部分を覆うかのような巨躯を持つ龍はすぐに襲うことをしない。時折、体調を窺うように首を傾げてくる。明らかに、何度も襲撃してきた【創世敬団ジェネシス】側のドラゴンとは違う。


 ──味方なのか?


 ──だとしたら、【異種共存連合ヴィレー】とか【謀反者討伐隊トレトール・シャス】側なのか?


 ──味方と成り済まして、襲いかかってくることはあるのだらうか?


 あらゆる答えが出ない疑問符を浮かべ、蒼い龍の動向を警戒する。そんな翼と龍の間に静寂が辺りを支配しはじめて、睨み合いが続いて、どのくらい経っただろうか。永遠に感じる時間を経てから、緊張感が張り詰めていた時間があっさりと崩れ去った。


「そんなじろじろと見ているんですかあ。やめてくださいよ気持ち悪いですねぇ。こっちは、あなたを護るためにいろいろと行使して、疲れてるですからあ。蓮歌の気持ちも少しは考えてくださいよおニンゲンさん」


 蒼い龍は呆れ果てたように長い首を振り、山二つ分ある巨躯に似つかわしくない鈴の音に似た少女の声で口を開いた。


「え……」


 思考は混乱する。


 一体、どういう状況に陥っているのかがわからない。目の前の身体を水の膜で纏った蒼い龍は、蜥蜴に近い爬虫類型の強面には似つかわしくない美しい少女の声音と歌のような語調で話しかけてきたことに驚きを隠しきれないが、最初に【創世敬団ジェネシス】のドラゴンに襲われた時にシルベットと共に顕れたエクレールと呼ばれていた黄金の龍も巨躯や爬虫類型の強面の割に少女の声を発していたことを思い出す。


 間延びする美しい声音にもかかわず、言葉の内容だけが反して汚い蒼い龍はシルベットやエクレールと同じくハトラレ・アローラのどちらかの組織に属する龍人であること、どうやら人間の言語を理解し、話せることだけはやっとのことで認識した。


 そして、気付く。


 碧の瞳で見据える水の龍は、身体にはところどころに血が滲んでおり、呼吸が荒い。吐き出される息が心なしか弱々しい。激戦をくぐり抜けた事を容易に想像させた。


 ──なんで、こんな疲れているんだ。


 そう思った翼の疑問を知ってか知らずか、蓮歌と一人称する手負いの蒼い龍は口を開く。


「まったく、何で蓮歌がこんな面倒くさいことしなきゃいけないですかあ。早くエクちゃんと合流したいというのに、あなたがいきなり気絶なんかするから、【創世敬団ジェネシス】に見つかったじゃないですかあ」


 蒼い龍は顎で翼の後方を上空を示し、翼は指し示された空を見上げて、目を開く。


 空を見上げれば、夥しい数のドラゴンたちが群れ飛んでいた。それも総勢千匹近いドラゴンの大群が、光の粒子が雪にように舞い、蛍のように飛んでいる幾何学的模様の空間の中を支配しながら、さながら流星雨のごとく、高速で飛行している。しかも、一心不乱に翼たちがいる方向を目掛けて飛んでくるのが見えた。


 狙いを翼に定めたドラゴンの大群は、蝙蝠のそれと似た両翼を力強く羽ばたかせ、急降下する。爬虫類の蜥蜴じみた面構えに獰猛さも増し、鼻面に険しくしわを寄せ、牙を剥き出しにした野性の形相で、一斉に翼へと襲いかかっていく。その光景は、どんな怪獣映画よりも迫力がある。だが、のんびりと観賞に浸るほどの余裕は翼にはない。


 ドラゴンの大群は口を大きく開き、首を伸ばしてくる。


 食べようと言わんばかりに涎を垂らして、蒼い龍を無視して、突撃をする。獣にとって、目の前に脆弱な人間がいれば、それはただの美味しい獲物でしかない。


 巨大な口は大きく開かれ、無抵抗の翼へと迫る。


 逃げようと、後退しても間に合わないのは目に見えていた。


 相手は巨大なドラゴンだ。しかも千匹近いドラゴンの大群である。それ以前に、千匹近い数のドラゴンが殺到する圧巻の光景に、恐怖と絶望に全身を金縛りに陥った翼では身動きはとれないだろう。


 翼は救い求めるように蒼い龍に目を向けると、


「【創世敬団ジェネシス】からあなたを隠蔽するために呪法を長時間行使したので、蓮歌は疲れちゃってもう結界等に必要な術式は長くは構築できませんからぁ……」


 爬虫類型の強面でもわかるほどに、迷惑そうに顔を歪めた。




 蒼龍────水波女蓮歌は正直焦っていた。


 翼を【創世敬団ジェネシス】から隠すために、〈結界〉に複数の魔術を重ねがけに行使している。


 元から持久力と集中力が少ない蓮歌は、翼を発見してから体と所持品が大きな動作で動き回っても微かな物音を相手に聴認させないための〈無音〉、保護色に守られた昆虫と同じように相手に視認されないようにするために〈景色同化〉の魔術に、〈結界〉に編み込んでいて、行使しているため、魔力の消費力は多く、ただでさえ、少ない持久力と集中力が途切れてはじめていた。


 疲労困憊になりながらも蓮歌は、清神翼を護ることを投げ出すことなく、護り続けているのは、兄である水波女蒼天に〈ゲート〉を通り抜け、別れ際に言われた『ここから先は、本当に巣立ちだよ。最初の任務は、人間の少年一人を護ることだ。【謀反者討伐隊トレトール・シャス】として、人間の少年一人も護らなければ、この先が思いやられるからね。その時は、ハトラレ・アローラに帰ってお見合いさせられるだけだよ』という言葉に他ならない。エクちゃんことエクレール以外、契りを結ぶ気は毛頭ない蓮歌は、疲労困憊の躯を起こして、近づく敵軍に睨み据える。


「絶ッッッッッッッッッッッッ対に護り切って、エクちゃんと一緒になりますからねぇッ!!」


 蒼い光を纏わせて蒼龍────水波女蓮歌は、残された力を振り絞った。




 気だるげで、疲労が見える蒼い龍は、力を振り絞るように、翼を護るようにドラゴンの前に立つ。そんな蒼い龍を見て、翼は少しだけ希望を見出だしたが、まだ不安は拭えたわけではない。


 ──この蒼い龍一匹だけで勝てるのか……。


 シルベットのように、一騎だけで百以上の敵と戦って勝てる感じが蒼い龍には感じられない。


 ──見かけは神々しいのに、シルベットよりも強いとはとても思えない。


 ──負ければどうなる?


 ──喰われる?


 ──どんな風に?


 カラスが集団でゴミをつつくようにしろ、丸呑みにするにしろ、身体をかみ砕いて味わうにしろ、火炎放射されるドラゴンの炎でこんがりと焼かれてるにしろ、どうあっても翼の最期は同じに違いない。


 翼は恐怖と絶望に全身を縛られたまま、ぎゅっと目を閉じた。




「──安心しろ。こいつらの相手は、私が受け持つ」




 清神翼と蒼い龍────蓮歌の鼓膜を、凛とした声が震わせた。


 それは、少女の声だった。


「……え」


 神話に登場する戦乙女のように勇ましく、かつ強気な口調だ。そして翼は、この声を聞いた事がある。


 おっかなびっくり、ゆっくりとまぶたを開いていく。


 翼がまず最初に見たのは、空に浮かぶ人影。


 きらめく白銀の翼を羽ばたせて、柔らかく揺らすのは、背に生える翼と同じく煌めく銀髪。血のように深い異形の目に、外国人なのに日本人寄りの小さな鼻。小さな口からは可愛いやり歯が見え隠れしている。


 大人っぽさと可愛さの両方を適え備えた顔に、これからの成長に期待大といってもいいくらいのわがままな身体には金属のような、布のような不思議な素材で構成されたドレスを身に纏っている。そんな彼女が手にする銀色に輝くそれは、一振りの日本刀だった。


 全長三、四メートル程ある美しい。切れ味も装飾性も特化された華美なる神剣。ずしりととした重量感はある輝きを放つ幅広の長く分厚い刀身を持ち、両刃。柄も長く一メートル半もあり、全長三、四メートル程ある長剣の三分の一を占めているから少女が両手で握っても有り余る。


 少女が扱うには、とても不向きで、小回りが利かない刀剣を軽々と扱うのは──。


「貴様の相手は、銀龍族の姫である水無月・シルベットが致す。尋常に参る」


 シルベットが迫りくるドラゴンの大群と翼たちの間を飛翔した。




      ◇




 ──ラスマノス達が清神翼を発見し、進軍を開始し始める五分前──




 シルベット達は【創世敬団ジェネシス】から五百キロ以上離れた地にいた。


 体と所持品が大きな動作で動き回っても微かな物音を相手に聴認させないための〈無音〉、保護色に守られた昆虫と同じように相手に視認されないように接近できるたもの〈景色同化〉の魔術を二つを重ねがけに加えて、〈高温感知〉により視認しにくいように、広範囲に魔力の塊である〈オーブ〉を漂わせている。これにより、大きな動きしない限りでは気付かれることはない。


 しかし、それでも容易に近付くことは出来ない。まるで網のように張り巡らせた警戒の目によって、少しでも近付けば気付かれてしまう危険性が孕んでいた。


 魔術が得意とするエクレールは魔術的視覚を発動させ、〈見敵〉と〈空間把握〉を手慣れた感じで使った。遠方にいる敵を見つける魔術と、地図を俯瞰するように敵地の状況を把握する魔術だ。これにより、五百キロ先にいる【創世敬団ジェネシス】の大軍がどのような陣地でいるかが手に取るようにわかる。


 幾千もの【創世敬団ジェネシス】の大軍は、一個師団ごとに十匹の少数編制の分隊を取らせている。殆どの分隊は、半分以上を見張りとして回されており、少なくともラスマノスまでに辿り着くまでに百以上もの警戒の目を潜らなければならない。


 加えて、巻き添えを喰らわない適度の距離を取りながら、ラスマノスを中央に放物線のように張り巡らせた厳重すぎる警戒態勢。敵の規模やリスクを考慮すれば、容易に突破はおろか近づくことも難しい。ここは、様子を窺った方が得策だとエクレールは考え、ドレイクに報告する。


 因みに、ドレイクの疑いは【謀反者討伐隊トレトール・シャス】と南方大陸ボルコナの紋章、朱雀────煌焔の直書による任命書を所持していたため、ようやく晴れた。


 しかし、【部隊チーム】内に悪雲が立ち込め始めている。


 ハトラレ・アローラで上位二位の金龍族の純血である自分が【謀反者討伐隊トレトール・シャス】であることを血の臭いによって醜態を晒した挙げ句、一目で見抜けなかったドレイクをハトラレ・アローラで上位三位の銀龍族と人間との混血であるシルベットが一目で見抜いてしまったことに、エクレールだけは納得がいってはいなかった。


 下位の存在と侮っていたシルベットに負けたとことに自尊心が高いエクレールは悔しそう奥歯を噛みしめる。


 しかし、諍いを起こしている暇はないと割り切り、ドレイクから酔い止めの薬を処方してもらい、遠方で【創世敬団ジェネシス】の偵察を行っていた。


 シルベットとドレイクは、【創世敬団ジェネシス】の大軍が何らかのが動きを見せた時に、エクレールの報せを受けた後にすぐに対応できるようにと迎撃と防衛の準備だけを万全にする。


 人間の少年────清神翼が捜索しても見つからない以上、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の応援が駆け付けるまで三人という少数編成で【創世敬団ジェネシス】をなるべく撃墜しなければならない。


 追加入隊した水波女蓮歌は清神翼と同じで消息が不明だ。しかし、彼女を捜索している時間はない。今は、【創世敬団ジェネシス】の動向を探る必要があった。


 ドレイクは、大軍を率いるラスマノスを知っている。


 毒龍族である彼は、【創世敬団ジェネシス】の中でも強敵にあたる。龍人族の中で異形であるラスマノスは、体内に強毒と瘴気を持っているため、下手に切り込んではやられてしまう。毒龍族の血清がない上に、高い龍人の治癒能力をもってしても完治はおろか、死に至らしめる威力を持つ。


 ドレイクは、教え子となった彼女たちにそれを伝え、要請しておいた応援が来るまで適度に距離を保ちつつ、待機を命じた。


「ところで応援とやらは、いつ要請したのだ?」


「吾輩がこの空間に突入する前にした。早くとも五分以内には到着するはずだが……」


 ドレイクが【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に応援を要請してから、既に五分以上は経過している。未だに味方は姿はおろか魔力も感じてはいない。


 ドレイクたちと同じように〈無音〉、〈景色同化〉、〈高温感知〉により視認しにくいようにして、【創世敬団ジェネシス】に接近を試みているのなら、何らかの【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の伝達方法でもって伝えもいい頃合いだが。


「魔鉱石からは、何の返答もない……」


 ドレイクは、時間を確認するように腕時計の様子を窺う。


 この腕時計には、魔鉱石が使われている。


 魔鉱石とは、北方大陸タカマガにある地脈・霊脈が交差し、高密度の霊気と魔力がある浄土山から採掘される純粋な霊気・魔力の結晶体である。


 その魔鉱石に微弱な魔力を流し込みと、電波を発生する。その電波を相手が持つ魔鉱石に周波数に合わせて飛ばすことにより、その電波を受信した相手の魔鉱石が色彩豊かな光りを、モールス信号のように点滅をさせて、簡略的な自分の意思や様子を半径百キロほどにいる相手に簡単な伝達を行う。細かい部分まで注意や説明などには適してはいないが、緊急時や【創世敬団ジェネシス】に気付かれないようにするために【謀反者討伐隊トレトール・シャス】が主に持ち寄る伝達方法の一つ。


 腕のいい職人の手により細工させたドレイクの魔鉱石は、腕時計型をしてある。持ち運びや人間界で所持しても違和感がなく目立たない形状と依頼したら、腕時計型となったのだ。


 伝達に必要な魔力は、〈オーブ〉よりも微弱であり最小限で済む。魔術系が不得意とし、〈錬成異空間〉を構築して負担が大きいドレイクにとって、少ない魔力で通信を行うには手軽な魔鉱石が適しており、都合がいい。


「合図を複雑化し過ぎたではなくて?」


「いいや。余りにも複雑化すると、吾輩の魔力が持たなくなる故に、簡略化した。〈錬成異空間〉を保てなくなったら、魔鉱石を使った意味がなくなるからな」


 エクレールの問いにドレイクは答えた。


 【異種共存連合ヴィレー】及び【謀反者討伐隊トレトール・シャス】は、魔鉱石で信号を送る場合は、相手に悟られないように、その時々で暗号を使う。【創世敬団ジェネシス】に流れた謀反者や密偵の可能性を視野に入れて、簡略な信号を避けているが、ドレイクは余りにも複雑化すると、いくら微弱な魔力だけで済むからといっても、魔力を持たなくなることを考慮し、合図を簡単なものに変えているが、全く反応はない。


「どうしたものか……」


「簡略化し過ぎて相手に気付かれたのではなくて?」


「気付かれたのなら、何らかの動きはあるはずだ。しかし、何の動きもない。シルベットが大軍と相対した時に、何かに気づき退いたと聞いた時には、もしや? と思ったが……」


 エクレールの問いにドレイクはふうむと考え込んだ。


「幾千程もある大軍を〈瞬間転移〉で、ここまでの距離を率いて、陣営を組ませるまでにかかった時間は、ざっと見積もっても迅速に動けて四十五分から六十分程だろうな」


「私が貴様らと合流するまでに三分もかからんかった。そこからゴタゴタを経て経緯を打ち明けてから大軍を見つけるまでに四十五以上は少なくとも時間を消費してしまったな」


 ドレイクの大軍が陣営を築くまでの推定時間とシルベットが大軍が退いてから合流し、ここに辿り着くまでの時間を算出しても、やはり戦闘を起こすような時間はない。


「だとすると、この出来損ないの〈錬成異空間〉が広大過ぎて、合流できないんじゃないですか。一体、どこまで広くしたのかはわかりませんが、人間の学校の敷地面積どころか一つの地方ぐらいありますわよ……」


「うむ。この無駄に広大で何もない空間をどうにかせねばなるまい。唯一、もっとも評価が出来るのは、この垂れ流しになっている〈オーブ〉という霊気と魔力の塊だな。雪のように降って、蛍のように飛んでいるおかげで、魔力を最小限に抑えれば、相手に気付かれずに接近ができる」


「ですが、この距離までが限界ですわね。これ以上は、いくら無能者でさえも気付かれてしまいます。そこんところは、教官として、どうなんですか?」


「肉弾戦類の戦闘ならば、得意なのだが……魔術系は苦手な分野だ。誰かに〈錬成異空間〉の構築が持たなくなる前に、顕現権を譲渡する必要があるが……」


 魔術系が得意なエクレールは、〈無音〉、〈景色同化〉、〈高温感知〉を加えて、〈見敵〉と〈空間把握〉の魔術を行使して偵察係を引き受けている。シルベットも三つの魔術に加え、三人の周囲──半径十五メートルほどのドーム型の〈障壁〉を張り、防衛へと回していた。巣立ちを迎えたばかりの仔龍であり、まだ戦場経験が少ない新兵であるシルベットとエクレールに負担を増やすわけにもいかないため、ドレイクが引き続き空間を維持にしていた。


「スパルタといって、空間の維持への権限を引き継がせてもよいが、大軍の戦闘の前に潰すわけにもいかぬ」


「空間の維持を引き継いだだけで潰れると思われているとは心外だな。金ピカはどうだか知らんが、私はそう簡単に潰れんぞ」


 ドレイクの心遣いに、シルベットは言葉通りに心外だという表情を浮かべ、肩をすくめる。


 シルベットに挑発されたエクレールは、ふんと鼻を鳴らす。


「あら。潰れるのは銀ピカの方ではなくて。わたくしは学び舎で首席で卒業したのよ。魔力の量と魔術関連に関しては、わたくしの右に出る者はいませんでしたわ」


「学び舎では優秀だとしても、実戦で役に立たなければ意味がないぞ。血の臭いなんぞにあてられ、教官を倒そうとした醜態を晒しておきながら、学び舎を首席で卒業したという枕詞などとまだ言っているのか。呆れた金ピカだな。そのようなもの戦場では免罪符にもならない。無駄に博識だということを満足する暇があったら、学び舎で得た知識を現場で活用できるように、少しは試行錯誤したらどうだ」


「それはわたくしに向けた言葉ですの……? それとも、学び舎を莫迦にしているのかしら」


 シルベットの発言に、エクレールは鋭い視線を向ける。


「そうだが。わからなかったのか。優等生と何度も自負しておきながら、そんなこともわからないようでは先が思いやられるな」


「はっ! 何を寝言をいってますの。寝言は寝て言うものですわ。学び舎にも行けずに、親の七光りに加えて人間との混血へのお情けで【異種共存連合ヴィレー】と【謀反者討伐隊トレトール・シャス】に入隊出来た銀ピカの方こそ、この先どころではないですわよ。先が真っ暗闇ですわ」


 エクレールはシルベットの挑発に激昂した。


 学び舎を首席で卒業した身でありながら、血の臭いにあてられ、ドレイクを【創世敬団ジェネシス】として討伐しょうとした醜態(薄々とドレイクを【謀反者討伐隊トレトール・シャス】と感じつつあったが、自尊心が高いエクレールはその過ちを認めたくなくって、ドレイクを始末しょうとしたという失態)を揶揄されたことへの怒りを抑えられない。


「ふん。酔い止めがなければ、血の臭いにあてられ、暴走してしまう仔龍には言われたくはないな……」


 偵察の最中の身でありながらも罵詈雑言を向けてきたエクレールに、シルベットは呆れたように肩を竦めた。


 不快感を露わにしながらも、シルベットの表情に余裕や優越感めいたものを感じたエクレールは、腹立たしさを覚える。


「……まぁ、まあ……、まあッ! よくもまあ、一回くらい敵味方の分別が出来たぐらいで、混血の仔龍の分際で純血のわたくしを仔龍扱いしないでくださいまし!」


「敵味方の分別も出来ないで、肩書きばかり自慢したがる輩こそが仔龍だぁ!」


「どちらも仔龍だッ!」


 偵察中というにもかかわらず、辛辣な言葉を交わし合う警戒心がない二人をドレイクは叱責する。


「敵陣への偵察中に諍いをはじめてどうする! 貴殿らに、緊張感と警戒心が足りん。ここは、戦場だ。仔龍の遊び場ではない。これ以上、諍いをするのなら祖国に帰還し、幼龍からやり直せ!」


 フン! とドレイクに叱咤された二人はそっぽを向く。


 二人には仲直りする気も、偵察の最中という身でありながら諍いを起こしてしまったへのドレイクの謝罪はない。


 無言のまま、自分に与えられた役割を果たそうと魔術を行使する彼女たちの様子を眺め、ドレイクは肩を竦める。


 二人は、龍人上位種としての戦闘能力は高いが礼儀がなってはいない。礼儀を一から教育をし直さなければならない必要性をドレイクは感じた。


 それ以外にも二人は階級以外にも相容れないものを感じた。それは二人の知識の違いであり、生き方の違いでもある。お互い一般の子女と決定的に違うことがあげられる。


 龍人族の上位種である金龍族で育ったエクレールは、それに相応しい教養を受けて育った。その教養は、学び舎を首席で卒業という結果に繋がり、元から高かった自尊心を更に高めてしまった。そのことが自分よりも下位の種族を見下すことにもなっている。それが諍いを起こす原因となっている一つだろう。


 シルベットの場合は、龍人族の上位種である銀龍族の姫でありながら人間との混血。それゆえに禁忌をその身に宿して生まれてしまったがために、学び舎で教養を受けられず、身内以外との接触を赦されなかった閉鎖的空間でのみ自由を赦された中での限られた教養、独学で剣術などを学んで育った。それが、幼児の時に養うはずだった他者とのコミュニケーションが偏りを生んでしまっていた。


 しかし、一から礼儀を施せるほどの時間は今はない。現在は、【創世敬団ジェネシス】の動向が気になる。特に、ラスマノスだ。大軍の中心で指揮を取るラスマノスは、エクレールの〈見敵〉に知られた情報だけで知る限りでは、小数人数で作戦会議を行っている最中らしい。〈見敵〉だけでは内容を知れ得ることは出来ないため、ラスマノスらはどのような企んでいるのかがわからないままだ。


 ドレイクは軍人として、敵陣への偵察中に諍いを起こしかけた緊張感と警戒心が足りない二人を諫めることだけに留め、ラスマノスが動きを注視する。


「応援部隊が未だに合流していない以上は、様子を窺うことしか出来ん。この少人数では勝つことはおろか、あ奴らに嬲り殺しにされてしまうのが落ちだろう。だとしたら、先に清神翼と追加入隊した水波女蓮歌と合流して、大軍ごと〈錬成異空間〉に閉じ込め、殲滅した方が得策と言えるだろう」


「ですが、いくら〈見敵〉と〈空間把握〉の魔術を行使しても、清神翼及び水波女蓮歌の居所が掴められませんでしたわよ。にもかかわらず、見つけ出すことは可能ですの……」


「それを今は模索中だ」


「教官が聞いて呆れるぞ」


 シルベットに続きエクレールも、ジトっとした目をドレイクに向ける。


 教官経験などないドレイクは戦士としては優秀だが、自らが得た知識を他者に教えることに関して不慣れだ。南方大陸ボルコナその最果ての島で、討伐隊隊長を任された時は、弟子入り志願する部下たちに『吾輩の背中を見て、技を盗め』と言って、殆ど行って来なかった。そのため、肉弾戦としては実力は本物にもかかわらず、人に教えるというものが女子供と接することと同じように、めっぽう弱い。


 ドレイクは魔術専門の教官の必要性を感じて、生きて戻れたら朱雀に要請を出すことを考え、一方では、シルベットとエクレールが肝心なことは『吾輩の背中を見て学べ』という新米教官に不安と不満を抱きはじめていた。


 この偉丈夫を教官として信用に値する者だろうか。戦士としての実力は直に対峙して本物であることはわかっている。しかし、教官としてのドレイクはどうも信頼していいのだろうか、と揺らぎはじめている。


 【創世敬団ジェネシス】と戦闘するために必要とされる〈錬成異空間〉。幾何学的模様の空間を偽の世界を創り出すと同時に構築するという、もっとも【創世敬団ジェネシス】と対峙することが多い【謀反者討伐隊トレトール・シャス】が行使することを義務付けている基本。それを意図的ではなく、純粋に失敗してしまったドレイクを教官として認めるべきか、シルベットとエクレールは見極めようとしていた。


 指示一つ一つに合理性が欠けているのではないか、と再三の確認をしながら、他の方法がないかと思考を巡らせて提示する。


 常に大軍への注視しなければならない戦場の中で、シルベットとエクレールが信用しなければならないのは、誰かを判断を下すためにも、ドレイクを教官と相応しいのかを試さなければならない。


「まあいい。とにかく今は敵を見張りが先決は理解できる。動きがあれば────────ん、あれは……?」


シルベットは、自らの言葉を止めた。


 【創世敬団ジェネシス】の陣営────ドラゴンの大軍の中央から、突如としてドラゴンの大軍の中央から不気味な色をした霧状の靄が立ち上り、強大な異形の龍が顕現した。


「毒龍……ラスマノス」


 ラスマノスが本来の姿である毒龍に化身した。


 蛇のような爬虫類と百足のような節足動物を合わせ持ち、歪な形態をした毒龍が咆哮を上げると、


「【創世敬団ジェネシス】の大軍よ、進撃の時だ。巣立ちしたばかりの雌といえど、遠慮はするな! 皆殺しにしろッ」


 ドラゴンの大軍に指示を送った。彼等は咆哮で応えて翼を羽ばたかせる。





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