第二章 七十一
動物の臭いと排泄臭といったものを凝縮したかのような悪臭を立ち込めさせながら【冒涜】は、ずんぐりむっくりとした短い手足でゆっくりながらも巨体を前進させていく。
飛竜さながらに空を飛び回る翼を持たない【冒涜】は、全身を覆う強靭な鱗を持ち、少なくとも現在存在する世界線にある武器は一切通さない。もし斬られたとしてもすぐに再生する治癒力はあるのだから、容易く死滅することはない。それに【冒涜】の司る力には、五大元素だ。
現存する全ての力を持っているために攻撃力は、神に匹敵する。それゆえに、神に反旗を翻した場合に、手に負えないことを考えられ、冒涜という烙印を押されて封印された哀れな生物。それが【冒涜】。
彼は名さえも与えられず、冒涜と罵られ、罪もなく堕とされた生物が神はおろか、神に愛され、生かされた者や世界に対して憎んでいる。これまで外見や能力だけで判断してきた神やそういった思考を持った者に対する生物に対しての報いともいえる状況にルイン・ラルゴルス・リユニオンは胸が高鳴った。
「さあ。哀れな子羊……いや──子羊にしては大きいな。神に勝手に堕とされてしまった哀れな生物をどうするのだろうか」
ルイン・ラルゴルス・リユニオンは、【冒涜】の首を刈り取るスサノオではなく、彼に合戦する者たち──その中で、一際に白銀に輝く少女に目を向けた。子どもがワクワクとしながら特撮ヒーローを見つめるような眼で。
周囲は悪臭が立ち込めており、皆は一様に顔をしかめた。
「……クサイですわッ! 何ですのこの臭いはぁ……」
「アレは、生まれてからまもなくして落とされたからね。排泄物の処理を教えてくれる、やってくれる母親もいなかったから、それが躯に染み込んでしまったんだろう」
横で並走していたヤマトタケルがエクレールに教える。
「生まれてまもなくって……それって赤子ということですわね」
「ああ」
「赤子の時に何かしでかしたんですの?」
「してない」
「え……な、何と言いまして?」
ヤマトタケルの答えにエクレールは聞き間違いと思い、問い返した。
“落とす”という言葉は、何らかの罪を犯して、それを裁くために神がよく使用する言葉だ。つまり“落とす”、“落とされた”はその者が何らかの裁きがあったことを意味する。
だが、【冒涜】は何にもしていないというヤマトタケルの言葉に耳を疑うには無理はない。
必然的に再度訊き返してしまうが、返ってきたヤマトタケルの言葉にエクレールは耳を疑うことになる。
「していないんだよ悪さなんて。出来るはずがないんだ赤子なんだから」
「えっ……では、何で落とされましたの?」
「それは……」
ヤマトタケルは言葉を濁らす。
「神界には、“いろいろ”とあるんだよ……」
“いろいろ”という何とも歯切れが悪いヤマトタケルの曖昧な答えに、エクレールは納得できない。少なくとも【冒涜】が罪も犯してはいないにも拘わらず落とされる正当性を感じられない言葉の数々にエクレールはヤマトタケルの信用を失いつつある。
「“いろいろ”とは何ですのよ。ハッキリとしてくださいまし!」
「残念だけど……これ以上は詳しくは言えない。神界にも他の世界線には言えない内部事情があるんだ」
ヤマトタケルの歯切れの悪い答えにエクレールは不審感を露にしながらも気付く。彼がチラチラと様子を窺うように前方に視線を向けていることに。
エクレールがヤマトタケルの視線を追って見るとそこには、シルベットの前方を行く名を呼ぶこと酷く嫌う神──ヤハウェだった。
ヤマトタケルとエクレールの視線に気づいた名を呼ぶこと酷く嫌う神──ヤハウェはゆっくりと速度を落として、二人の前にまで下がるとヤマトタケルに不敵な微笑みを向ける。
「何故、言わない? 答えてあげればよかろうヤマトタケルよ」
「それは言葉を誤れば、大きな誤解を生んでしまいかねない事情ですがいいんですか?」
「誤解とは何のことだ。例え誤解を招いたとしても、神がすることに間違いはない。神こそが規律であり、正しいのだからな。疑うのならば罰せればよいだけの話だ」
ヤマトタケルから視線をエクレールに向ける名を呼ぶこと酷く嫌う神──ヤハウェは言った。
「私があの【冒涜】を落としたのだからな」
「それは一体、どういうことですの?」
「至極、簡単なことだ。強く作ってしまえば、神である私に脅威を齎すと考えて、まだ赤子のうちに落とした。それだけだ」
「強く作ってしまった……。その言葉から察するに【冒涜】というのはあなたが作ったんですの?」
「いいや。あれは、ルシフェルという、かつての私の右腕だった者が作り出したものだ。使える者であったが、いちいち口答えなどして私に歯向かってくる従順とは言い難い。それだけではなく、問題行動が多かったからな。彼もまたいつ叛逆してくるかわかったもんではないことは明白だ。そんな彼が作り出したものだ。私を脅かそうとするに違いないと、彼共々落としたまでよ」
「ルシフェルがアレを作り出したということですのね……」
「ああ。神を脅かすことは神である私が赦さんからな。冒涜をアレに、絶対的な悪をルシフェルに烙印を押して。這い上がったとしても、叛逆されないようにな」
「よっぽど、あの【冒涜】が神に反逆される未来が視えましたのね……」
「いいや」
「え……」
名を呼ぶこと酷く嫌う神──ヤハウェの言葉にエクレールは驚く。
「視えてはいない。【冒涜】は、落としてなければ穢れることはなく、あのような醜く姿にもならなかっただろう。次いでに言ってしまえば、育て方次第では清廉潔白、純真無垢で、神を越える存在となっていたに違いない」
「では、何故落としたのですの……?」
「それは至極簡単なことだ。神を越える存在などあってはならない。そんな存在は、小さな芽のうちに潰していくのが当然というわけだな。それで、アレが神に復讐心を募らせて暴れまくたとしても、穢れただけで闇に堕ちる存在など私に使いに値しないと、消し去ればよいだけの話だ。それに這う上がったところで焼き滅ぼし、それを信者に伝えれば、私の神格は磐石といえる」
自慢話を語るように答えて嗤う名を呼ぶこと酷く嫌う神──ヤハウェ。自分に脅威を齎すかもしれないというだけで、まだ罪もない生まれたばかりの赤子を、優秀であったが従順ではないルシフェルを落とした。加えて、それが復讐しに這い上がった時に利用することに神にエクレールは虫酸が走った。
一抹の不条理を感じざるを得ない。神というだけでそんなことも赦されてしまってもいいのか。エクレールはやはり神は世界線に深く関わらない方がいい、必要ないと無神思考を加速させていく。そんなことを露一つも考えない神──ヤハウェは高らかに笑っている。
ヤマトタケルだけは、エクレールの神は必要ないといった思考の持ち主であることをスサノオから訊かされていることもあって知っているために、彼女の無神論を加速させるのではないかと口ごもっていた。にも拘わらず、自慢げに話してしまったことに神──ヤハウェに呆れ、頭を抱えた。
確実にエクレールには神に対しての不審感を加速させてしまったことに、今後のことに影響が与えてしまわないかと不安を募らせる。
そんな神二柱と龍人が各々とした気持ちでいるところで前から声がかかった。
「なあ?」
前方を飛んでいたシルベットがゆっくりと振り返る。
「さっきから無駄口を叩いているようだが、【冒涜】が目の前まで来ておるぞ」
「ほう、そうか。ならば、邪魔者を滅そうではないか」
意気揚々といった様子でヤハウェは【冒涜】に掌を向けて右手を翳す。掌には、神々しい光が集められていく。それはヤハウェによる神力で作られた弾丸。闇を瞬く間に振り祓うそれを【冒涜】に狙いを定めて、嗤う。
「一瞬で終わらそう」
【──だ】
ヤハウェが光を放とうした時に声がした。それは直接的に頭に響いた男性と女性の中間のような声である。
【──ぜだ】
それはヤハウェだけではなく、シルベット、エクレール、ヤマトタケル、スサノオといった【冒涜】と戦っている者たちの他に高天ヶ原、強いては神界の殆どに届いていた。
【何故だ? 何故、私は落とされたのだ? 誰も教えてくれない? 誰かに理由を訊こうとして神界を訪れたというのに、何故攻撃をされないといけないんだ? 誰か、理由を……】
切実なる疑問への問い。それは明らかに【冒涜】からのものだ。
【冒涜】の首を刈り取っていたスサノオは一旦の攻撃を止めて、その言葉を伝えてきた彼に問う。
「お前はそれが知りたくって神界に来たのか?」
【そうだ】
スサノオに向けられた返答は、スサノオだけではなく周囲にいる者たちの頭の中に響いた。
【冒涜】は、生まれてまもなくして落とされた故に何も教えられずに育ってきたこともあり、交信系の術式に要する周波数は曖昧であり、定められてはいない。〈念話〉や交信や通信系の術式には相手側に伝えるための周波数がある。それに合わせることにより不特定多数か特定少数に伝えることに出来るのだが、それに関する操作が【冒涜】は曖昧だ。しかも交信の周波数が広範囲にしているために、スサノオに向けられた言葉が広範囲に不特定多数に向けさせているために起こった現象といえる。
エクレールは、周波数が乱雑さと力の配分からして、【冒涜】があらゆる経緯から交信系の術式は殆どが独学で取得したのではないかと考える。教えてあげられる者がいたとしても、交信に使うために力の用量がおかしい。交信系の術式には力はそんなに行使しない。人間界で使っているスマートフォンといった携帯機器が通話に使うための電力ほどで充分だ。にも拘わらず、【冒涜】は無駄な力が多すぎる。この事から最初は誰かに術式を習っていたが、途中でそこまで習えずに独学で覚えたのではないかと推測した。
エクレールはシルベットに視線を向ける。
──独学や感覚、見ただけで取得する輩はいますが……【冒涜】はそういった類いではないですわね。
エクレールは視線を【冒涜】に戻すと、観察するように眺める。
──少なくとも神が脅威というほどの力を有していますが、術式を繊細に動かす能力は欠けていますわ。
──五大元素を有していても、それを同じ首で吐き出すことに多少の難があります。別々の首で吐き出した時と比較して、一つの力だけ見れば少し威力が落ちていました。恐らく、同時に吐き出すことにより五大元素が反発してしまうためでしょう。無理に威力を上げて放とうとしても反発するために僅差で吐き出すしかない。せっかくの五大元素を使いこなしていれば、まとめられていたはずですが……。
──それを考えると、【冒涜】は力の配分とか術式を教えてあげられる師はいなかった。もしくは途中からいなくなったと考えるべきですわ。
エクレールはそこまで考えて、戦いになった際の対処法を構築するものの、いまいち【冒涜】を討伐しょうとする気が起きない。それは、恐らく【冒涜】の落とされた理由を訊いてしまったからだろう。
──交信してきた内容から察しますと、【冒涜】に落とされた理由を知りたがっているだけですわね……。それどころか交信するための言語も扱えていますから、場合によっては穢れてしまっている躯を浄化することで治まるかもしれませんわね。
──でも……。
エクレールは【冒涜】から神──ヤハウェに向ける。
そこには、掌で集積した光を解除せずに依然と【冒涜】に狙いを定める無慈悲な神がいた。
「知る必要はない。貴様は此処で死滅し、私の神格の糧になるのだ」
「お、おい待てっ」
ヤハウェと【冒涜】の間にシルベットが両手を広げて立つ。
「何の真似だ?」
「【冒涜】が何やら知りたがっているようだぞ。教えてやらんのか」
「その必要はない。これから死滅するアレに落とされる理由を知って何になる」
「少なくとも教えられて気が晴れる可能性は高くなるし、成仏するだろ」
「教えることにより成仏したとしても、アレが行くのは天国ではない。永遠に続く地獄だ。神に脅威を与え、神界を穢したのだから、その罪を償えるものではないからな」
「【冒涜】は言語を扱えるようだから、話せばわかり合えるかもしれない」
「何を言っている。アレの言葉に惑わされてはならぬ。アレは、神界だけではなく全世界線を脅かす存在だ。このままでは、高天ヶ原だけではなく、他の聖域や世界線まで被害が出る。その前に塵も残さず殺すのが道理だ。それに貴様が邪魔者であるアレを倒すと言ったのではないか」
神──ヤハウェがシルベットの言葉に答えた。それにシルベットはあからさまに厭そうに顔を歪める。
「気が変わった」
「何故だ。さっきまで倒すと意気揚々としていたのは貴様だろ」
「ああ、そうだな。【冒涜】は言語を話せる。話せばわかり合える可能性がある。【謀反者討伐隊】としては、まずは話し合いをして投降を促すのが決まりだからな」
「惑わされるな。言語を使えてもわかり合えるかは別の話だ。それに話し合いをすることにより、仲間に引き入れようとするかもしれないのだ。対話する必要はない。貴様らは邪魔者は排除すればいいのだけだ」
「わかった。そうならないように気をつけよう。【冒涜】には、まず落ち着いてもらえるように話をする。それでも理解を得られなかったら、理解を得られるまで話を続ける。一向に理解を得られなかった場合は残念だが、あの巨大な躯が暴れないように拘束しかあるまい」
「貴様はわかってはいない。アレと話をすること時点で無意味だということを学べ」
「何故だ。【冒涜】は言葉をそのままに受け取るならば、落ちた理由を教えてほしくって神界に来ているようではないのか。話してみて、それを上手い具合にルイン・ラルゴルス・リユニオンに使われているだけだったらどうするんだ?」
「あくまでも言葉通りならばな。もしかすると、そうやって惑わすのが相手の狙いだったらどうする? 相手がルイン・ラルゴルス・リユニオン側にいる限り【冒涜】は敵であることには変わりはない。相手に情けをかけるべきではない」
「情けをかけるどうのうこうのうというよりは、【冒涜】が何故落とされた理由について教えてやらんのだ。正当な理由があるのなら教えて、相手に納得してもらえるはずだろ。何故、それをしないのだ? 穢れているから信用できないのなら、浄化してから話し合えるし、理由も教えられるはずだろ。相手が言語を扱えるのに対話しないのは損だぞ。確かにルイン・ラルゴルス・リユニオン側でいる以上は何らかの狙いはあるかもしれんが、アレの狙いを聞き出せる好機かもしれん。誤解があるのなら和解をすればいいし、話しているうちに或いは【冒涜】を味方になってくれるかもしれん。こちらも【冒涜】のことを殆ど知らない状態だからな。このまま、討伐するよりは話を聞いてやるのがよいのではないか?」
シルベットは神──ヤハウェに一瞥して問う。
「必要はない。悪の言葉に耳を傾けてはならぬ。惑わされるだけだ」
「さっきから何度も惑わされるというが、何に惑わされるというのだ。自分という確たる意思を持てば惑わされることはないだろ。【冒涜】が催眠か洗脳系の術式でも使えるとでもいうのか。スサノオに向けた交信がに広範囲に不特定多数に伝える辺り、術式に関しては不得意とも思えるが」
「話す必要はない。悪はこちらの戦意を削ぐために惑わしてくる。さっきの話を訊いて考えを改めたというのなら、貴様は情が厚いのだろう。だったら、それを狙って惑わしてくるに違いない。だから話し合いなどせぬ方がいい。聞き耳を持ってはいけないのだ。出なければ相手の思う壺だ」
「情を利用して惑わす可能性としては一理ある。が、相手は何も知らされずに落とされて不満が溜まって穢れた可能性は充分に高い。その不満さえ取り除けば浄化しやすくなるのではないか。浄化して話しすれば案外いい奴かもしれんし、何らかのこんたくとというのが必要と考える。それに【冒涜】を討伐したとしても、未練がある以上は成仏することなく、オオウスのように何らかの復活を遂げた場合に、また襲来してくる可能性はあるのではないか。だったら、相手が教えてほしいところを可能性の限り答えて未練をなくせばいいと考える。それで駄目なら最終的に戦いなりすればいいだけではないのか」
「訊く義理はない。教えてやる必要はない。私の平穏を脅かすものは全ては地獄行きなのだ。その考えは揺るがない。神に叛逆したルシフェルに耳を傾ける者は穢れて地獄行きだ。【冒涜】もまた同じ」
話し合いは平行線のまま、ヤハウェもシルベットも頑固として譲らない。そんな彼女たちに会話に割って入ったのは、金髪碧眼の少女──エクレールだ。
「銀ピカ、残念ですが、この神様は【冒涜】を落とした理由を言えないのではなく、言いたくないのですわ」
「どういうことだ?」
シルベットが割って入ったエクレールに問うと、エクレールはさっき訊いたばかりの話でわかったことをシルベットに教える。
「答えは至極簡単ですわ。【冒涜】を落とした理由は、ただ単に自分の地位を脅かされるからといったものだけで、根拠はありませんのよ。それを【冒涜】に伝えたとしても気が晴れるどころか怒り狂うだけで、むしろ状況が悪化するだけですから、断固として対話はしたくはないということですわ」
「そうか、わかった」
シルベットは頷く。視線をヤハウェに向ける。
「つまり、【冒涜】が落とした理由は私利私欲であって、あのような穢れてしまった責任を取らないというわけか?」
「だったらどうする……」
「その言葉は肯定と受け取るがいいのか?」
「好きにしろ。アレは、神に脅威を与える存在であることには変わりはないからな」
「わかった。──話を変えるが……穢れた者は浄化すれば元に戻れる可能性はあるのか?」
「私があると答えたらどうなるというのだ。穢れの状態にもよるが浄化して戻る可能性は低いがある……貴様、アレを助けるつもりか?」
「助けてやるつもりはないが、なるべく譲歩してやるつもりだ。貴様がしない分だけな。穢れた状態では話し合いはできぬ。内容が内容だけに暴れる危険性は高いからな。まずは、【冒涜】には神界に被害が及ばないような場を用意しなければならん」
「【冒涜】がそれを素直に聞き入れる可能性は……まずは少ないでしょうね」
横で平行線を辿るシルベットとヤハウェの話を訊いていたエクレールが口を開く。
「理由を話すために必要だと素直に聞き入れてくれればよろしいんでしょうけど……相手が穢れていますから疑心暗鬼にとらわれる可能性は高いですわ。それを考慮すれば、相手の了承を得ては難しいですわね。生物というものは、穢れば世界のあらゆるものが信頼できなくなると訊いていますから。だとすると、こちらに信頼がなければ成立するやり取りは出来ませんわ。そういった話は浄化してからでなければなりませんから」
「どちらにしろ、穢れを落とさなければ始まらないというわけだな」
「そうですわ」
「だったら、相手に納得していないが仕方ない。あの巨体を拘束して身動きを封じてから、〈結界〉の中で大人しくしてもらおう。その中で浄化を行えばいいのではないか」
「そうですわね。でも、穢れてしまった者から訊いた話では、浄化する際に痛みを伴う場合があるらしいですわ。そうした場合、暴れる可能性はありますから、頑丈で大きな〈結界〉が必要ですわね」
エクレールがシルベットの意見に賛同するように彼女の横に進める。
「可哀想だが、やはり暴れないように拘束して身動きを封じるしかないな」
「仕方ありませんわね。そのために【冒涜】の動きを封じます。スサノオにも手伝ってもらえるようにヤマトタケルに伝えてもらっています。快く手伝ってもらえるなら心強いですわね」
「貴様ら何を勝手にアレを救おうとしているんだ……。アレを浄化などして助ける義理はない。神に脅威を与える存在は生かしてはならぬ。脅威というのは無くさなければならないのだからな。それを救おうというのなら、貴様らや日本の神共は悪魔だ」
「残念だが、貴様の神格のために【冒涜】の命を犠牲にできるほど、都合よく出来てはおらんのだ。命を助けることを悪魔だというのなら、私は神にも天使にもなれない。目の前の命を救わずに殺すほど非情にはなれない」
「わたくしも同感ですわ。【冒涜】を助けることで世界が破滅するとおっしゃってるのでしたら、何故【冒涜】をそうならないように導かないのでしょうか。あなたは神様なのでしょう。それとも口先だけですか」
「何だとっ……」
「救うと仰りましても、自分の信徒だけを助けて、自分の神格を脅かす者の命などどうでもいいという考えなのでしょう。そんな不平等なことを神自身がしてよろしいのですか。信じていようが信じまいと救いが必要な者がいた場合、手を差し伸ばして導いてあげるのが神ではないのですか」
「神がすること、決めたこと、やることが世界の秩序を正させるものである。即ち、護るべき規律は神にあり、神に従うことこそ律法なのだ」
「だからなんですの? 別に落とさなくとも害はなかった【冒涜】を落とす正当な理由にはなりませんわ。神が何でも勘でも正しいと仰るのでしたら、単なる神の押し付けでしかありませんわね。信徒でしたらそれで済みますが、そうじゃない方々からして見れば、“神である自分は何者よりも偉い”、“神である自分に奉仕して当たり前”、“神である自分に従うことが当然”といった自分勝手としか聞こえませんから気をつけてくださいまし」
エクレールの言葉は止まらない。これまでの鬱憤をはらそうとするかのようにヤハウェに言葉を叩きつけていく。
「全知全能であって、自分では何もかもが分かっているという驕りでしょうか。下のことを何も考えていませんですし、わかってないと思いますわ。神だからといって怠ったために観察力が低くなったのでしょうね。競走相手を片っ端から落としていっていては能力を向上することなんて出来ませんですし」
「龍人の分際で神を侮辱するのか……」
「従順な方々を近くに置いているために甘やかされたのでしょうか。間違ったことを指摘するといったわたくしに目くじらを立てて、“龍人の分際で”といった差別と偏見発言をするだなんて、神としてどうなるんでしょうか。いくら神だからといっても自分を脅かすといった理由だけで相手を蹴落とす権利はどちらにしろ有りませんわ」
フン、と鼻を鳴らすエクレールは神に言い放つ。
「わたくしたち──【謀反者討伐隊】的には、どんな権力をもってしても、救えるはずの命を見捨てること出来ませんわ」
「貴様らは、私を冒涜するのか……」
ヤハウェはワナワナと躯を怒りで奮わせながら、龍人の少女たちを睨む。
「私は冒涜した覚えはないのだが……」
「わたくしも冒涜した覚えはありませんわ。ルイン・ラルゴルス・リユニオンは、明らかに【冒涜】と戦わせようとしていますわ。それを救ってみせれば、ルイン・ラルゴルス・リユニオンが思い描いたものとは違うものになると同時に、調子に乗っているアレに嫌がらせになるといった考えを自分勝手な神に邪魔されたくないだけですわよ。それを冒涜として捉えるのならば、その自覚がありまして?」
エクレールは挑発するかのような微笑みを向けると、ヤハウェは目に殺意を込めて睨む。
「貴様には、神罰を与えてやる……」
「わたくしは、最初からあなたの信徒ではありませんし、あなた以外の神全てに信頼していませんのよ。それは何故かと知りたかったら、神なのですからご自身で調べて見てくださいまし。調べて知ったところで何が悪いのかだなんて、恐らく理解できないと思いますけど」
「貴様は私を愚弄するのか?」
「わたくしの戯言を愚弄として機嫌を損ねましたの? それはおかしいですわ。寛大なる神ならば、わたくしの戯言なんて気にしませんわよ。全知全能たる神ならば、わたくしの戯言を戯言で返す心に余裕を見せつけると思いますし、もしくはくだらないと一笑に付しますわ」
ニヤリとエクレールは意地の悪い微笑みを返す。それに、ヤハウェは苦虫を何百匹を口に入れた顔をした。
「……貴様がどの神のことを言っているのかは知らないが、私は小莫迦されて何も言い返さない神ではない……」
「そうですか、わかりましたわ。そういうことにしときますわ」
ヤハウェの言葉にエクレールはジト目で一瞥しながら返すと、彼女はヤハウェから【冒涜】に視線を変えた。
「銀ピカ、行きますわよ」
「いいのか?」
「何が、ですのよ……」
【冒涜】から視線を外さずにシルベットに言う。
「後ろのアレが神罰を降すといっていたが……」
「よろしいのですわ。わたくしが信じると判断したものだけを信じていますのよ。アレがわたくしの信用に値しなかった。ただ、それだけですわ。それに──」
エクレールは少しだけ後方のヤハウェを一瞥する。
「──あんな自分よがりな神ですのよ。たかが、自分の神格が脅かせられるからといって、自分の力を高めることをせずに、相手を蹴落とす神なんかに、手を借りたくはありませんわ。それは、わたくしは魂だけになっても厭ですわ」
「そこまで厭か……」
「ええ。加えて、あのような性格の方々は精神が捻れてますのよ。約束しても何らかの難癖を付けて破りますし、平気で他者の誹謗中傷はします。考えが深いようで浅いのですわ。そんな性格の可能性が高い神に手を借りるわけには行きませんわ。あんなのに借りを付けたら、何を要求するかわかったものではありませんし。あと、あなたも気軽に神と何の考えも無しに約束はしないでくださいまし」
「神に啖呵を切っている貴様には言われたくはないな……」
「その言葉、そっくりそのままにお返しいたしますわ」
シルベットとエクレールはそこで話を終わらせて、【冒涜】に向けて動き出した。




