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第二章 七十




 波打つ金髪をそよ風に靡かせながら、細身の体に臙脂色のジャケットを羽織った少年──イクスは微笑んだ。


 目線の先にあるのは、およそ八十センチメートル程のドーム型の箱庭である。箱庭の中には高天ヶ原の様子が立体的に映し出されており、彼は名を呼ぶこと酷く嫌う神──ヤハウェがシルベット側についたところを見て安堵した。シルベットとヤハウェが互いに歯に衣着せぬ物言いに一触即発となりつつあったが、皮肉にも【冒涜ブラスフェミー】の放った破壊光線によって救われることになるとは、神でさえも予測していなかっただろう。


 ヤハウェは気難しく荒々しいが神である。神格はあらゆる世界線の信仰を見ればわかるほど高い。シルベットに護らずとも、彼ならば【冒涜ブラスフェミー】の破壊光線はひと捻りどころか指一本だけを少しだけ動かすだけで往なすことができる。だからこそ、誰かに助けられるといったことはされるとは考えていなかった。助けられたとしても、それには何か恩を押しつけるためだと考えるだろう。


 しかし、殆ど条件反射的に助けたシルベットの答えは思いもよらないものだった。恩を売るためではなく、ただ“話している最中に、邪魔されるのは好かない”といった今までない答えにヤハウェは彼女に興味を抱いた。諍いの先伸ばしであり解決とはなっていないが、一先ずはヤハウェという強大な神の助力を得たことには変わりはない。先が思いやられるが、興味を持っている間は険悪になる可能性は低い。二人の性格や口調を考えば全くないとは言えないのが難点だが……。


 イクスは目の前で同じように高天ヶ原の様子を眺める少女に視線を移す。


「どうやら、あの気難しい神も仲間に加わったようだよメティス」


 メティスも高天ヶ原の様子を見ながら、優雅な所作でカップに煎れた紅茶の匂いを楽しみ、一口に啜ると、冷静に返す。


「ヤハウェですね」


「名前は出しちゃダメだよ……」


「本来の名前ではありませんからセーフですよ。それに陰口ではありませんですし」


「まあそうだけど……」


「ヤハウェが加わったなら【冒涜ブラスフェミー】を倒すには充分すぎる戦力でしょう。災厄を巻き起こすくらいの神力を持っていますからね。シルベットたちにとって心強いです。問題は、お互いに反発しないかどうかが気がかりといったとこらですね」


「すぐに思ったことを口にしまいがちで負けず嫌いのシルベットと自己肯定感が高く権威主義的思考で威圧的な態度のヤハフェは噛み合わないんじゃないかと思っていたからね。このまま険悪な関係にならないことを祈るばかりだよ……やれやれ」


 イクスは苦笑いを浮かべて肩をすくめると、カップに煎れた紅茶を一口啜る。


「ええ。エクレール以上に、上手く噛み合えば心強い組み合わせではありますからね。今回は【冒涜ブラスフェミー】の破壊光線から助けた恩があって、助力を承けられることになりましたが、次も助けるとは限らないのがヤハウェです。仲直りをしてもらえば、世界線戦が早く終わるとは思いますが期待は出来ませんね……」


「そこんところ、仕方ないね。互いに遠慮なんて皆無だし。一先ずは、ルインにとって世界線戦の初戦としてはなかなかのものとなったというところではあるけど……まだ片付いていない問題はあるから、そっちも何とかしなきゃね」


 イクスは箱庭に映し出されたアマテラスの社に視線を向ける。


「ええ。ルインとしては、些か足りませんし予定とは違いますから、何か動くと思いますよ」


「そうだね。見物としている身としては肝心な英雄の一人が動き出すのが遅いことに不満でしかないけど、それは仕方ない。人間だし。強大な敵に怖じ気付くことは無理はないからね。無理矢理に動かしても彼のためにはならない」


「清神翼には、これからの成長を期待すればいいと思いますよ。彼には隠れた能力がありますが、それを見出すには時間がかかります。神の染色体を持っていても、人は人。人の子には変わりはないですからね」


「そうだね。今の人間界を生きてきた彼にとって、何の準備も無しに能力を引き出すなんて酷だろうね。まずは、暮らし方から見直すべきだろう。あと、食生活も」


「彼の置かれている立場からして急には難しいと思いますよ。あの年齢的に全ての暮らしを変えることは困難ですから。少しずつでも順応して行けばいいところでしょうね。あとは、ゼノンが何とかしてくれることでしょうけど、両親が赦してくれるか」


「難しいね。親というのは子の幸せを願うからね。世界線戦という明らかに不穏しかないことに首を突っ込ませたりはしないだろう」


「そうですね。清神翼は何よりトキさんの子孫にあたりますからね。トキの兄である水無月龍臣と同じく世界線戦には反対で参加させないようにすると思いますよ」


「両者の両親の説得は難しいね。ルインとルシアスのせいで一旦は、村周辺を壊滅寸前まで追いやられたんだから関わり合いを持とうとは思わないだろうし、彼等の敵は【創世敬団ジェネシス】といった異世界からの襲来者だけじゃないからね。幸せを願うなら関わらないのが一番と思うのも無理はない」


「そうですね。仕方ありませんよ。私だって、二人やDの血族を〈奴等〉から護るためにもゼノンの継承者を選びましたが、ルインのせいで完全に裏目になりつつあります。さぞかし、一族から恨まれていることでしょうね」


「入れ知恵にルインにいるんだから仕方ないんじゃないね」


「そうでしょうけど……」


 メティスは不満げに端正な眉間に歪ませて、口にカップを運んだ。


「説得とか問題諸々は世界線戦をやりたがっている方に任せて、メティスとしてはどう思う?」


 イクスは微笑みを浮かばせて、再びメティスに視線を向ける。彼の微笑みに二人に助けるかどうかを確かめているのだと感じたメティスは頷く。


「そうですね。このまま身護るだけでは無神経でしょうし、ゼノンの継承者に清神翼とシルベットの二人を選んだ責任もありますから、タイミングを見て、手助けでもしなければとは思っていますよ。じゃなきゃ、彼等の両親に恨まれます」


「親というか一族の恨みほど恐ろしいことはないね」


「ええ」


 メティスはこの世界線のどこかで戦争が起こっているだなんて思えない澄みきった青空を見上げる。


「継承者としての基準がDであり、それにあたる家系ですから、必然的に二人は候補であったのですから。それも充分に伝えなければなりません」


「ルインが自分が口を挟んで二人を選ばせたと吹聴しまくっていたからね」


「彼が口を挟んできたのは確かですし、決め手でありましたから、若干の意味合いの違いですね。まず、ルインが口を挟む前に既にシルベットさんと清神翼さんは継承者として最有力候補であったことをご両親に伝えた上で、何の意図で決定したのかを伝えなければ私の名誉が少しばかり揺らいでしまいますね」


「両親のケアと共にメティスの名誉だね」


「ええ。その上で名誉挽回のためにも助力する次第です。勝手に子どもたちを継承者として決めて、ルインの世界線戦に巻き込んでしまいましたから、不満があるのもわかりますからね。Dを基準して、どなたが継承者で選んだとしても巻き込んでしまう方々が出てしまうのは無理はないと思いますけど……」


 メティスは、端正な顔を気難しそうに歪めながらカップに口を付けて、啜る。


 美しい所作で飲み終えたカップをテーブルに置くと、メティスはゆっくりと立ち上がった。


「さて、私は恨まれないように、まずはシルベットの両親の下に行きましょう」


「おっ、行くのかい。僕も付いて行ってもいいかい?」


「いいですけれど……どうせ、付いてくる気だったのでしょう……」


「まあね」


「いいですよ。その代わり、その箱庭もあちらで持ち運べるように用意してくださいね」


「わかったよ」




      ◇




 ハトラレ・アローラ。


 中央大陸ナベル──ゴールデンガーデンより南にあるテンクレプ領地にある病院施設。その地下際奥にある特別病室に、水無月龍臣とシルウィーンはいた。二人は寄り添いながらベットの上に座り込み、天を仰いでいた。


 清潔だが無機質な明るさがある天井やそれを支えている白い壁もどんな攻撃を受けようと崩れないような材質が使われている。それに加えて、幾重にも術式が張り巡らせており、例えシルウィーンが龍態となって暴れたとしても破壊は困難だろう。


 外界へと繋がるものは一切ない。窓を模した枠には、町並みに草原、空や海といったコンピュータグラフィックス映像を投影し、殺風景な室内に申し訳程度に鮮やかな色彩を添えているだけで外界との繋がりはないものだ。病室から出るにはやはり入口しかないが、やはりテンクレプが鍵をかけ、幾重にも〈結界〉を張ってしまっている。抜け出すことは不可能だ。


 水無月龍臣は深いため息を吐く。


「テンクレプ殿には参ったな……。これでは、シルベットと翼くんのところには行けぬぞ」


「そうですね……でも──」


 項垂れる水無月龍臣の隣にいたシルウィーンが静かに口を開く。


「──不謹慎ですが、実のところ私はホッとしています。貴方が目覚める前に、予め医者からこれ以上の無理をしてしまえば容態が悪くなることを聞かされていましたから。もし貴方が行こうとした場合は、強引にでも止めるつもりでした。それが貴方を死なせないためだと思ったからです。これ以上、私は大切なものを失いたくない……子どもたちが大変な目に合っているのに酷い母親です……」


「シルウィーン……」


「でも、必死な貴方を見て、一緒に戦おうと考え直しました。今は出来るだけ貴方のお傍にいたい……これまで一緒にいられなかった分だけ」


 シルウィーンの最後の声は震えていた。泣くのを必死に堪えているそんな震えた声である。水無月龍臣は、表情を見たかったが彼女は隠すように顔を俯いていて見ることは出来ない。


「……これまで傍にいられずにすまんなかったな。婚姻を結んだ時に傍にいると誓ったのに約束を護れなかった拙者を赦してくれとは口にせぬ。シルウィーンたちが幸せに暮らす未来を作るためだと言って、今まで家庭を疎かにしてしまった拙者に赦される資格はないのだ……。せめてもの償いとして、シルベットや翼くんを巻き込もうとするルイン・ラルゴルス・リユニオン、ルシアスたち──【創世敬団ジェネシス】らを野放しにはしておくわけには行かない……」


「それで貴方が傷つき、亡くなってしまうことになってもですか?」


「……」


 水無月龍臣はシルウィーンの言葉に押し黙った。そんな彼に捲し立てるように言葉を続けるシルウィーン。


「貴方が深い傷を負い、亡くなられた場合、悲しむのはどこのどいつだと思いますか? わかりませんか? 教えてあげます。私たち家族であることを忘れないでください。家族にとって一番悲しいことは、家族誰かが欠けることです。私に二度も家族を欠けさせるんですか? ミハエルを失った時と同じく、私に悲しい思いをさせるつもりなのですか?」


「……シルウィーン。拙者は……」


「たとえ世界が平穏になったとしても、傍に貴方がいなければ意味がありません。だから、私は、出来るだけ貴方に無茶をさせないために共に戦おうと思いました。貴方が消息不明だった時に私はとても、……とても、寂しかったのですから、償いとして傍にいさせてください」


 バッと、シルウィーンは俯いていた顔を上げて、水無月龍臣へに向ける。


「……っ!」


 襟元を掴んで縋る愛妻の顔を見て、水無月龍臣は言葉を失った。


 見目麗しい彼女の顔には淋しさと喜びを綯い交ぜにし、大粒の涙を流していた。ひっくひくっ、と嗚咽を漏らすシルウィーン。これまで嗚咽を漏らさないように捲し立てていたものが我慢が出来ずに決壊してしまったのだろう。


 シルウィーンが自分がいなかった時の淋しさ、やっと会えたという喜びを肌に感じ、水無月龍臣の心臓がキュッと掴まれるように痛んだ。これまで彼女の傍にいたいという気持ちが溢れてしまいそうになるのを頭を振って払い、ゆっくりと優しく彼女の肩を掴んで引き離す。


「……拙者といては傷ついてしまう」


「私は銀龍──龍人なのですから、人間である貴方よりも丈夫ですよ」


「そういうわけではない……。相手は神だ。龍人といえど、無事では済まぬぞ」


 シルウィーンは溢れる涙を袖口で拭き取り、落ち着かせるように大きく息を吸うと、淋しさと嬉しさが綯い交ぜにした彼女はおらず、代わりに凛とした彼女がいた。


「家族のため悪神の中を飛び込む覚悟に貴方に付いていきますよ」


 毅然とした面持ちのシルウィーン。そんな彼女を見ていると、水無月龍臣は連れていきたい衝動に駆り立てられたが、頭を振って払う。


「妻をこれから危ない目に合う可能性がある場所に連れていこうとする夫がどこにいると思うのか」


「では、夫や子どもたちがこれから危ない目に合う可能性があるのに大人しくしている妻がどこにいると思いますか」


「……」


 シルウィーンの返した言葉に水無月龍臣は言い返すことが出来なかった。愛妻の言葉にごもっともだと頷かざるを得ない。それでも何とかシルウィーンを思い止まらせる言葉を探す。


「子に帰る場所が必要だ。母親には帰る場所になってほしい」


「では、貴方にも子の帰る場所になって頂かないと」


「いや。拙者には子を護る使命がある」


「手負いで何が出来るのですか。今は英雄であるテンクレプが貴方の代わりに向かわれています。テンクレプならば、必ずしも救ってくれると思いますよタツオミ」


「テンクレプ殿にはこれ以上、我が子と“妹の子孫”の戦いに巻き込んでしまうのは……」


「何を今さら言っているんですか。少なくとも、私はそれを承知で貴方と添い遂げることを決めています。嬉しい時も、悲しい時も、一緒にいる約束しましたよね?」


「いや、しかし巻き込まれようとしているのは、下手をすれば全ての者の命を失わせてしまう戦だ。戦乱の世を知っている拙者として、あの時の辛い思いを子だけではなく身内にもさせたくはないのだ──」


「では、貴方の傍にいると約束した私は一緒に戦うのが道理ではないですか?」


 水無月龍臣が言おうとしたことをシルウィーンは遮り口にして微笑む。


「貴方が愛娘たちを救おうとしてくれていることは理解しています。父が私を連れて帰ろうと人間界に降りてきた時も、ルシアスたちが村に襲いかかった時も、貴方は自分のことを考えてはいなかった。人間のまま、亜人の戦いに口を挟むなんて、貴方くらいです。だからこそ、命がいくつあっても足りません。私は少しでも貴方が命を長られるように、一緒にいる時間が多くなるように自分の血液を渡したのです。決して、貴方を死地に向かわせるためではありません。少しは傍にいる私の思いにも気づいてください」


「……シルウィーンには感謝している。命が短い人間である拙者を此処まで生きて来られたのは、シルウィーンのお陰だ。シルウィーンとの婚姻を赦してくれたハトラレ・アローラの皆にも恩義がある。それは返したくとも返せない恩義だ。その恩義に拙者は少しでも返せなければならない。恩を仇に返すわけにはならぬ」


「貴方、落ち着いてください……。何度、私の血で龍人になり、どのくらいの時間を行使し続けたと思っているのですか。アガレスとの戦いで消耗し、明らかに身体に限界が出始めています。これ以上は、戦かせるわけにはいきません。相手は仮にも神なのですから、これまで以上の戦いになります。此処は疲れが癒えるまで休まれていても、それは仇にはなりませんよ。テンクレプたちにしても、貴方には恩があるのですから、娘たちを助けてくれるはずです」


「それでは、返せない恩が増えてしまう。戦いという仇を与えてしまうのではないのか。子どもたちが無理矢理に戦わされている状況に陥ろうとしている中で、父がうかうかと休んでいるわけにはいかない。子どもを護るのが親の仕事であり、親は子どもに平穏無事な未来を残さなければならぬのだ」


「──言っていることはごもっともな気がするけど、間違っているね」


 ふっと声がした。二人しかいない室内に全く別な声が響き、二人は身構える。


「いやいや、そんな身構えなくともいいよ。危害を加える気は全くもってないから」


 何もない空間に紋様が現れ、そこから一人の少年が出てきた。波打つ金髪と細身の体に臙脂色のジャケットを羽織った少年である。


 後から少年が続く。背丈が低く小柄での細身ながらも異性の情欲を煽るには充分な、魅惑的な肢体している見目麗しい少女だ。


 目尻の垂れたおっとりとした神聖さを感じる眼が優しく水無月龍臣とシルウィーンを見据える。


「夫婦の会話を邪魔して悪かったね。僕の名前はイクス。こちらはメティス」


 二人に問われる前に名乗った少年──イクスは、爽やかな微笑みを浮かべながら、後ろにいた少女の名を告げた。水無月龍臣とシルウィーンはイクスとメティスと名乗った二人に訝しげに眉を潜める。


「イクス……。メティス……」


「何処かで耳にした名だな……」


「そうだろうね。キミたちからしては、少しばかり恨みを持たれる名かもしれないし」


「……」


 恨みを持たれるかもしれない、と爽やかな微笑みで口にするイクス。そんな彼に水無月龍臣及びシルウィーンは怪訝な表情のまま警戒心を怠らない。


「そんな僕らを警戒されてもおかしくないわけだけど……。まあ、一先ずは落ち着いてほしい。子どもたちが危険な戦にいて、気が気じゃないことは充分にわかるし、逸る気持ちもわからなくもない。どちらも大義名分を口にして戦争したがっていることには他ならないんだから。こっちから言えた義理じゃないけど……」


「その言い方では拙者が戦争したがっているみたいではないか……」


「同時に、私たちのことを良くと知っている様子ですね……」


「そうだね。二人のことはよくと知っているよ。水無月龍臣さんが、人として生きた頃は、日本が戦乱の世だったこともあって自らを犠牲にして戦争に挑むところとか、同じようにシルウィーンもハトラレ・アローラで暗黒時代で育ったこともあり、血の気が少しばかり多いこととか。今と比較すると二人とも戦争に対して慣れすぎてしまうところか自己犠牲愛者だから、自らを犠牲にすれば戦争がなくなると思っているのが一番怖い。残念だけど、君たちが自らを犠牲にしても、戦争の原因であるものがなくならない限り、いつまで経っても戦争は起こってしまう。君たちがすることは自らを犠牲にすることではなく、傷ついた身体を治しながら次の戦争を食い止めるために策を練ることだ。今、子のために親がすることは、子を信じて見護るしかない。無理に戦地に赴いても今は足手まといなんだから」


「つまりイクスが言いたいのは、水無月龍臣さんはゆっくりと療養してくださいということです」


 イクスの言葉にメティスが付け加える。


「戦争慣れてしまっているあなた方には、戦争によって起こる苦しみと悲しみがわかると同時に、戦争によって命を奪うことに対しての畏れを磨り減らしています。それによって、戦うことに対して躊躇がなくなっていることを忘れないでください」


「では、拙者たちはどうすればいいというのだ?」


「さっきも言いましたよ。水無月龍臣さんはゆっくりと療養してください。シルウィーンさんは水無月龍臣の傍になるべく長くいてください。夫婦なんですから」


 メティスは木漏れ日のように優しい温もりがある微笑みを浮かべて水無月龍臣の問いに答えた。すかさず口を開いたのは、イクスだ。


「まあ。そのまま休めと言われても子どもたちが気になって室内から出ちゃいそうだからね。そんな君たちに現状だけでも見せてあげようと思って」


「現状を……」


「見せる……?」


「ああ」


 イクスは頷く。


 彼は徐に紋様を展開させ、何やら召喚した。それは木の枠である。七十センチメートルほどの美しい円形状をしたもので、木の枠というか、底が浅い木箱といった方が正しい。


 それを、水無月龍臣のベット下にあった移動式テーブル──オーバーテーブルに置くと、イクスは神力を木枠に注ぎ込む。


 すると、箱全体に神聖な輝きの紋様が帯びて、箱底から様々な形状のものが迫り出してきた。それは小さく精巧な山間だ。木々たちが生い茂り、美しい外観の社が建っている。これは箱庭か何かかと水無月龍臣とシルウィーンと見据えると、社の前に黒々とした何とも不気味なものが現れた。それは、一つの巨大な胴体にうねうねとした複数の首が付けられた生き物である。


「これは一体なんなのだ……?」


「そのままだけど、これは箱庭さ。といっても、人間界の箱庭とは違う。人間界の箱庭というものは、小さな、あまり深くない箱の中に、小さな木や人形のほか、橋や船などの景観を構成する様々な要素のミニチュアを配して、庭園や名勝など絵画的な光景を模擬的に造ったり、漫画やアニメの再現、世界の何処にもない幻想的な光景を作り出して楽しむものだが、この箱庭は小さな、あまりにも深くない箱の中に現実の世界を小さく立体的に見ることが出来るものなんだ。わかりやすく例えるならばテレビ中継をこの小さな箱庭で立体的に見える道具さ」


 イクスはそう答えて、箱庭の中を促す。水無月龍臣とシルウィーンは視線を箱庭に移す。良くと見ると、細々としたものが動いている。社の敷地内、空中、森の中と蠢いているのがわかった。それらには四肢があり、人型をしているのがわかったところで気付く。


「……っ!」


「あっ」


 水無月龍臣は声を失い、シルウィーンは思わず声を出た。彼等が見つけたのは、シルベットとゴーシュといった自分の子どもたちと清神翼だ。シルベットは、少数の人たちと一つの巨大な胴体にうねうねとした複数の首が付けられた生き物に立ち向かい、ゴーシュは社の中で見知った友たちと、清神翼は……。


「わかってくれたようだね。今映しているのは、現在の高天ヶ原だよ」


「どういうつもりですか……? 室内から出られない私たちに高天ヶ原の様子をわざわざと見せることに何か意図を感じざるを得ないんですが……」


 疑い深く見据えるシルウィーンにイクスは肩をすくめる。


「おいおい、そんなに疑わないでおくれよ。僕はただ単に、親が子の状況がわからないというのは不満だろうし、心配だと思って、行かせることは出来ないけど、少しでも状況でもわかればいいかなといった僕らなりの償いさ」


「償い……?」


 償いというイクスの言葉に水無月龍臣の首を傾げる。その疑問にイクスの横にいたメティスが頷く。


「ええ」


 メティスは身ごしらえをしてから姿勢を正し、恭しく二人の前に歩み寄ると、スカートの端を掴み上げて、美しい所作でお辞儀をした。


「改めまして、私の名はメティスです。ゼノンの継承者として、シルベットと清神翼の二人を最終的に選んだ者です」


「えっ」


「なんとっ」


 水無月龍臣とシルウィーンは驚いた。それは無理はない。二人ともゼノンの継承者を選んでいるのは、神であることは知っていたのだが、どの神なのかは知らなかったからだ。メティスも何処かで訊いたような程度であり、ゼノンの継承者を決めた神=メティスという同一といった考えではなく、何処かの神話で見た名前だなという程度である。


「その反応ですと、私のことはご存知ではなかったようですね」


「シルベットが選ばれた際には、神の御告げとして訊いていて存在は訊いていたが……。どの神なのかは知っておらんかった」


「確かに、ゴーシュがお世話になった女神とは訊いていたような気がするんですが……」


 水無月龍臣とシルウィーンは思い出すように言った。


「どうやら肝心なことを伝えられていないようですね……。これはこれで誤解されていないようですが、私の知名度の無さが露呈したようで複雑です……。これは良い機会と切り替えて私のことと共に、悪い噂についての弁明もかけて教えるとします」


「弁明……?」


「はい。高天ヶ原の様子を眺めながらでもいいので訊いて頂けると助かります」


 メティスはそう水無月龍臣とシルウィーンに言ってから、語り出した。




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