第二章 六十五
スサノオは身体を内側から押しあげるように発達した筋組織をフルに使い、大剣を振るう。それによって巻き起こった無数の剣圧が高天ヶ原を呑み込まんとする大穢れを吹き飛ばす。
しかし、吹き飛ばされた大穢れはすぐに戻ってしまう。
「くっ!」
舌打ちをして、憎らしげに大穢れを見据えるスサノオ。その横を日本刀を構えたヤマトタケルが振るう。
「はあっ!」
気合いの一閃。無数の剣圧を伴って斬撃を飛ばすが結果は同じで、すぐに大穢れは彼等の前に立ちはだかる。
神二柱の横を雷撃が轟音を上げて、電光石火の如く通りすぎて、大穢れを吹き飛ばした。だが、またすぐに戻ってしまう。
「な、何ですのよ……っ」
攻撃されてもすぐに元に戻ってしまう大穢れにエクレールは悔しげな声を上げた。
「しぶとい穢れだな……」
「あれだけ強力で巨大な穢れを見たのはいつぐらいか……」
スサノオは、立ちはだかる穢れと同等の大規模な大穢れがあった記憶を思い起こす。それはかなり昔であり、いつくらいかも定かではない時代の、ある異世界で起こった出来事だ。
「恐らくは、ある世界線の神代で起こった災厄が近い。あれは確か、その世界線の神官や巫女たちの手も借りて祓戸大神に助力を願って、ようやく治めたと記憶している」
「そうか。ならば、祓戸大神の四柱の手を借りた方がいいかもしれない」
「ハライドノオオカミ? 何ですのそれは……?」
スサノオとヤマトタケルの会話を耳にしたエクレールが、祓戸大神という聞き慣れない言葉に首を傾げる。
「祓戸大神とは、罪穢れを祓い清める、祓戸四柱の神の総称。つまり、神道において祓を司る神だ」
「つまり早い話、祓いを専門に行う神たちだね」
エクレールの疑問にスサノオが答え、ヤマトタケルが付け加えた。
「祓い専門の神と言いますと、こんな大規模な穢れを祓うことも容易いと」
「可能性は他の神よりも高い。しかし、あのくらい巨大な穢れは一気に祓うことは困難かもしれない。それでも祓戸大神の力を借りて封じることで長い年月で浄化していき、弱まらせて祓うことはできる。その場合は、他の神の手が必要だがな」
「とどのつまり、あのくらい大きな穢れは、祓い専門の神の力を借りなければ、何も出来ないと?」
エクレールの刺がある言葉に顔を顰めるスサノオとヤマトタケル。
「言い方が悪いぞエクレール……」
「敬意のひとかけらもないが、祓戸大神は祓を専門としているため、祓いによる術式に対して、他の神よりも長けているのは確かだ」
「そうですの。でしたら、そのハライドノオオカミとやらを呼んでくださいまし」
「ああ。そうしたいところなのだが……」
スサノオは、眼下に視線を向ける。彼の瞳には高天ヶ原──アマテラスの社を映している。
「祓戸大神の四柱は、高天ヶ原にいる。だが、一向に浄化か祓いの儀式は行う様子は窺えない。恐らくは祓戸大神の四柱に何かあったと見るべきだろう」
「それは、どういうことですの?」
エクレールの次の疑問に答えたのは、ヤマトタケルである。
「祓戸大神の一柱であるセオリツヒメが清神翼をルイン・ラルゴルス・リユニオンから救出するために向かったことは、聞き及んでいる。それによって考えられることは、セオリツヒメがルイン・ラルゴルス・リユニオンと戦っている最中で戻られていないか、あの穢れによって負傷してしまい、すぐに祓戸大神らが動けない状況なのかもしれない」
「他に打つ手がありませんの……」
「……そうだな。ルイン・ラルゴルス・リユニオンの目的を察するのならば、恐らくは少しの穴を彼は用意していることだろ」
「アレの目的……」
ルイン・ラルゴルス・リユニオンの目的、というスサノオの言葉にエクレールの脳裏を過ったのは、“世界線戦”、“清神翼とシルベットの英雄譚”だ。それに彼女の表情は、神二柱から見ても不機嫌な顔が露になったのは明らかである。
それも仕方ない。ルイン・ラルゴルス・リユニオンは、世界線戦から清神翼とシルベットの英雄の物語を紡ぎ出そうとしている。英雄譚とは、英雄を主人公とし、その活躍や雄々しさを讃える話だ。その英雄の片割れにシルベットが選んだルイン・ラルゴルス・リユニオンの考えに理解が出来なかった。シルベットとウマが合わない彼女にとって、気分を害するだけで理由に関して、彼は色々と言っていたが、エクレールは何を言っていたかなんて思い出したくない。
だが、他に穢れを祓うには重要なことらしい。忌々しげに思い起こしながら、エクレールは低い声で神二柱に問う。
「まさか、世界線戦を起こした理由がツバサさんと銀ピカを英雄にするためといった絵空事ですの……?」
「そうだな。ルインの目的は清神翼と水無月シルベットの英雄譚だ。彼は、これまで何度も失敗してきた経緯を考えて、世界線戦を始めることにあたり、まだ未熟である二人でも乗り越えられるように試練を用意したに違いない」
エクレールのドスが利いた声に動じることなくスサノオは答えた。続けて、ヤマトタケルが口を開く。
「彼が程度を誤ってなければ、恐らく人間または半人でも潜り抜けられるようにしているところがあるはずだ」
「程度を誤ってなければ、ですの……。今まで程度を誤っていたアレが今回もしくじっている可能性はありますわね」
「少なからずね。自らが起こした失敗を生かせるように記録を取り、何度も推測して成功に導くのが我々の主な仕事だ。それに基づいて、どう動くは相手側によるがな」
「そうですか……。そうなりますと、アレには申し訳ありませんわ」
エクレールは微笑みを讃えた。それは不愉快で不機嫌極まりない濁りきった微笑みであるが、少しばかり期待している顔だ。
「銀ピカは予測外で規格外ですのよ。こちらの思惑通りに動くとは思いません。ですが──」
エクレールの言葉を遮るかのように凄まじい音が炸裂した。
上空から劈くような轟音がエクレールたちを行きすぎると激しい爆発音が響く。
一体何が起こったのか、とエクレールと神二柱は警戒心を露に爆発音がした方に視線を向けると、大穢れに穴が穿たれていた。穴を中心点として、爆風が巻き起こる。
大穢れに巨大な波紋を描き、波打つと同時に天上に吹き上がってきた。
エクレールと神二柱は上げてくる大穢れを回避するため、飛沫を避けながら、高度を上げる。
高度を上げながら、エクレールと神二柱は膨れ上がる大穢れの中央に開けられた穴の中に人影があることに気づく。
よくと目を凝らすと──
それは少女である。それも見知った顔をした、さっきまで一緒にいたはずの銀翼銀髪の少女──水無月シルベットだった。
「……い、いつの間に……」
表情を驚愕に染めるスサノオとヤマトタケル。エクレールだけは、ああやっぱりといった顔を浮かべている。
シルベットは、エクレールたちの攻撃が大穢れには効果がなかったことを見て、刀剣による物理的な攻撃、剣圧、魔術攻撃は効果がないと判断した。
大穢れは流動的で、地形に合わせて形を変えている。ほぼ一定の密度を保ちながら範囲を拡大していき、液体特有の性質として表面張力がある。粘性は見たところない。さらさらとした水に近い。液体のために、斬ろうとしてもすぐに元に戻ってしまう。斬れない液体に損害を与えるのは不可能だ。もし、物質的に水に近ければ、蒸発させればいいが、広範囲に拡がっていく穢れを蒸発する手間がかなり骨が折れる。
何か爆発的なもので吹き飛ばせないかを考えた結果、シルベットが思いついたのは、〈重力〉を剣と自らにかけることによって編み出される業を駆使して、大気圏より高い高度から隕石のように落下していき、大穢れを吹き飛ばし、蒸発できないかというものだ。自らを焼けないように〈結界〉を施し、〈重力〉を剣と自らにかけることによって、隕石のように大穢れに墜ちるといった攻撃は、神二柱からすると自殺当然であり、エクレールにとっては手間のかかる攻撃だ。
それでも大穢れに穴を穿ち、墜落の熱量によって五十キロ範囲を蒸発させることにした。一体、どのくらいの〈重力〉を自らに課したというのか、ざっと見積もっていても、シルベットの全長から基づいて計算してもかなりの質量だ。突入速度は音速より遥かに大きくしなければならない。その度で大気圏を通過する時の衝撃と高温はとんでもない数値だ。いくら躯が頑丈な龍人とあれど、ダメージは相等だろう。下手すれば、躯が一瞬で溶けてなくなってしまう可能性があるのだから。
「……ほんとに、よくもお莫迦なことを思いつきますわね……。ハライドノオオカミといった日本の神の名が出たにも拘らず、その手の話に異常に詳しい銀ピカがしゃしゃり出なかったので、何か莫迦げたことでも仕掛けてくることはわかっていましたが……」
大穢れを吹き飛ばした中心で、こちらに向かってガッツポーズを取り得意気な顔を浮かべるシルベット。そんな彼女に呆れながらも心中では、少しばかり安堵するエクレール。隣にいる神二柱も同様の息を吐いた。
強大かつ巨大な大穢れを祓うためには、祓戸大神の力が必要不可欠だ。それでも祓いきれない場合はある。少しずつ浄化して弱まらせていかなければならない。規模からすれば、全てを祓うにはかなりの年月を要するのは確かだ。それを半分以上も吹き飛ばし蒸発させたことは、その分の手間を減らせたことになる。
アマテラスの社には、〈結界〉を張っている。その〈結界〉はアマテラスの従者によって起動されたものであるのは確かだが、建物や物といった配置によって維持しているものであって〈結界〉が穢れても術者には影響はない。
二十年は〈結界〉を維持し浄化し続けるアマテラスの社は、期限が切れる二十年に一度に遷宮を行い、数年かけて新たに〈結界〉と浄化を施している。二十年という期限付きだが、〈結界〉が穢れたとしても浄化し続けることが出来るために、吹き飛ばされた穢れの影響はないだろう。流石に二十年以上も籠城することは困難だ。それに、穢れたものを浄化し続けていれば、それなりに土地と建物に負担がかかってしまう。
シルベットが〈結界〉周辺の穢れを吹き飛ばしたことにより、浄化に余裕を持って行うことができる。
「無茶なことをしたが……こちらとしては大助かりだ」
「そうだね。助かったことにより、無茶なことをするなと彼女に言えなくなってしまったよ……」
苦笑するスサノオとヤマトタケル。そんな神二柱の会話が耳に入ったエクレールは口を開く。
「助かったといって、無茶をすることを要因すると銀ピカが付け上がりますので、厳しくしてくださいまし」
神二柱に向かって容赦のないエクレールは、銀ピカを甘やかさないでくださいまし、と言った。確かに、と頷かざるを得ない彼女の言葉に神二柱は首肯する。
「そうだな」
「甘やかしは良くないな」
「後で厳しく伝えよう」
「今すぐに注意してくださいまし」
後回しにしょうとする神二柱に苛立ちを含んだ口調で窘めるエクレール。表情からも不機嫌さを露にした彼女は、眼下にいるシルベットを指をさす。
「早く、今すぐに、注意をしてくださいまし」
どことなく凄みを感じてしまうエクレールに、神二柱はタジタジになる。
「エクレールよ、今は注意している暇はない」
「そうだ。穢れの大部分は吹き飛ばしたからといって、また増殖しているには変わりはない」
「では、さっさと済ませてくださいまし」
「さっさと済ませて、と簡単に言うが、こういうのはちゃんと注意するには時間が必要なんだ……」
「それを簡潔にしてくださいまし。説教なんて後にしても構いませんが、何かしでかした時に少しは注意しませんと効果はありませんのよ。特にあの銀ピカはただでさえ忘れっぽいを公言してますの」
「しかし……」
「しかしもヘチマもありませんわ。何を親バカ孫バカ全開の甘やかす気満々の言葉を並べて後回しにしてますのよ。神とあろう者が情けない……」
「……わかった。端的に注意をしょう」
エクレールの勢いに負けた神二柱は、シルベットに無茶をしたことを注意すると約束し、彼女へと降下した。
◇
「ようやく現れたか。一頁目にしてはなかなかの登場じゃないかギルガメッシュ」
「ルイン……」
ギルガメッシュは悔しげな顔を浮かべた。
彼にとって、ルイン・ラルゴルス・リユニオンを倒したいのは山々だが、穢れが躯中に回り、反転してしまった。要は堕ちたのだが、持ち前の精神力で意識は陽のままを保っている。だからといって、躯の自由はきかない。
まるで雁字搦めされたように動かない躯の代わりに首を動かして、ルイン・ラルゴルス・リユニオンに顔を向ける。
「容易くオレの名を呼ぶな無名の神……」
「ここから私の名は、拡がっていく。そうなれば無名ではなくなる」
「汚名としてな」
「こうでもしなければ状況は変わらない。今でもDの遺伝子は取り込まれ、失われようとしている。彼等はDと交配することによって、その特異性を取り込もうとしているが、交配し遺伝子を持った子を生んだとしてもDの特異性が受け継がれるわけではない。むしろ、それは悪手だ。遺伝子の配合によっては危険な種族を新たに作り上げてしまう可能性があることを私の身内が証明している」
身内、というルイン・ラルゴルス・リユニオンの言葉を訊いて、ギルガメッシュの脳裏に思い浮かべたのは、セザノン・ジェホヴィ・リユニオンだ。
セザノン・ジェホヴィ・リユニオンは、最初こそは他の種族との交配を禁止にさせていたが、別種族同士で恋に落ちてしまい、次々と交配していき、数々の種族を生んでしまった。さらには、純潔のDは滅んでしまったことにより、少なからずDの遺伝子を持つ種族と他の種族を交配させて、何とかDの遺伝子の存続を試みたが受け継がれることなく衰退していき、結局は争い事が絶えない悲惨な世界となってしまった。その事態が起こることを誰も予感したわけではない。
違う遺伝子を持つ交配には危険が伴うことを神は知っていた。だからこそ、無闇に他の種族と混じり合いを禁止させてきたのだが、恋愛感情と性欲を抑えることは難しいのは、これまでの結果から明らかだ。
「状況は悪くなる一方だ。それに彼等は気づいてはいない」
「確かにそうだがな。こちらがどう伝えようと、その危険性を理解できなければ、約束を破られてしまうのは仕方ないことだ。ゆっくりと教えるしかないが、こちらの考えを理解したとしても恋に落ちてしまえば無意味だ。恋は厄介で盲目だ。一度、恋に落ちれば、そんな話なんてものどうでも良くなる。世界線内が小さい以上は他の種族との交流も仕方ないことだ。その延長線上に他の種族との恋愛や交配があっても仕方ない」
「恋愛の云々については、自由でいいよ。相手を認めて好きになるのは、神にも止められないその者の自由意思だ。生殖するための大事な過程だからね。でも、それさえも悪用する輩が嫌いだ。ヘドが出る。あまりにも目先の未來しか見えていない。如何にして、Dの遺伝子を取り込むことしか考えていない。そのためならば、何も知らない身内でさえも利用するのが赦せない。決して、奴等との混じり合いは禁止すべきだが、そんなことを信者に言ったとしても、どうせ書きかえられるだけで何の意味もない。神さえも操る道具としか考えていない。意思を持った神は邪魔でしかないのだから、こちらとしては徹底的に叩からせてもらう。勿論、救い手を用意しておくのが“神様”としての私の心遣いだ」
「それで、幼い彼等を英雄に仕立て上げる気か……なんと浅ましい限りだ。Dの存続と敬意を目的とした目先しか見えていない。それでは奴等と一緒じゃないか」
「ああ。少しは反面教師になれるように、そう策をたてた。ブーメランとして受け止めるといいさ。それさえも自覚できなかったら、もうやり直すことは手遅れなんだろうね。もうその時は──」
ルイン・ラルゴルス・リユニオンは、氷点下を感じさせる冷たい声音に変える。
「──滅ぼすしかあるまい」




