第一章 十一
ドラゴンの大軍は、凶猛に燃える瞳を地上にいる少女────シルベットを見下ろしながら、魔力の粒子が舞い降る幾何学的模様だけの上空をそれぞれ編隊を組み、旋回中──
体長は、平均七メートルから十メートル前後。編隊と思われるものは十五メートルを軽く越えている。形状は、爬虫類じみた頭部と胴、手足。尾は蛇。コウモリのそれに似た両翼を力強く羽ばたかせているドラゴンであるが、体表は、紫色、黒色、赤色とあり、三種族の混合での編制であることが窺い知ることが出来た。
鼻面に険しくしわを寄せ、牙をむき出しにした野性の形相をしたドラゴンの大軍は、眼下の銀翼銀髪の少女────シルベットに咆哮を上げ、殺意という圧力を向けてくる。
シルベットはごくりと息を呑んだ。こちらも迎え撃たなければ負けてしまう。
「多勢に無勢どころではないな。どう考えても私には不利な状況だ。────実に、燃えるような展開ではないか」
上空からの殺意にシルベットは臆するところを見せずに、それどころか飛翔するドラゴンの大軍に高ぶる闘志を燃やしていた。
瞳には、知性や理性の色濃く宿し、高濃度の血の臭いによって、高ぶる闘志に酔っているわけでも、残忍と非情な動物的な本能に支配されているわけではない。
シルベットは残忍と非情な動物的な本能を引き起こし、亜人を狂わせる高濃度の血液の臭いの影響を受けず、態度は一切変わらない。ただ単に、シルベットは両親から生まれながら身に備わった禁忌を発動しないように、と感情と魔力の制御するための修行を幼少期の頃から受けていたため、意識を残忍と非情な動物的な本能に支配されることなく済んでいる。
だが、高濃度の血の臭いにより残忍と非情な動物的な本能の影響がないにもかかわらず、高ぶる闘志に燃やし、好戦的な態度を見せたのは、シルベットの個人的な欲求の一端でしかない。
シルベットの個人的な欲求──それは、“強敵と手合わせをしたい”というものであった。そして、“討ち取るには困難な戦況”に、シルベットはわくわくとヒーローもののテレビ番組を楽しみにする少年のような感情を抱いていた。
シルベットが闘いにこのような感情を抱くようになったのは、父親の水無月龍臣が人間界の日本からハトラレ・アローラに来訪する度に、お土産として与えられたものの影響がを受けていることにある。
屋敷の敷地内から出ることを許されなかったシルベットにとって、楽しみの一つであった水無月龍臣がシルベットに与えたものは、日本のお土産であった。
それは、お守り・熊手・羽子板・招き猫・達磨・凧・こけし・けん玉・鯉のぼり・折り紙・箸・扇子・和傘・風鈴・着物・浴衣・袴・甚平・下駄・草履・蚊取り線香・陶磁器・狸の置物・日本人形・尺八・琴・津軽三味線・太鼓・浮世絵・お面・能面・茶道具・抹茶・和菓子・漬物・日本刀(複製品)・弓矢(複製品)…………等と数え切れない。
その中でも、武士等が活躍する漫画や小説ものがあった。特に、シルベットは人間界では実写化もされた幕末を舞台にした漫画がお気に入りだった。シルベットは徹夜で読み耽けては、屋敷の庭先で再現するという遊び呆けるといった行動を取るほどに熱中していった。
まるで人間の少年のような幼少期を過ごしてきた少女────シルベットは、ヒロイックな行動を好みであるがために、この幾千以上もいるドラゴンの大軍に一人で立ち向かわなければならないという展開と、ドラゴン一頭に強力の魔力があり、倒すにも容易ではないという“討ち取るには困難な戦況”につい心を踊らせてしまう。
「だったら、こちらも精一杯の抵抗を見せようではないか」
シルベットは、右掌を横にして〈召喚〉の術式を展開させる。象形文字のような文字列が並ぶ魔方陣だ。それはハトラレ・アローラの古代文字で武器召喚と【十字棍】を意味する。シルベットはそこから【十字棍】を取り出すと、周囲にこちらの様子を伺う〈高温感知〉で捉えた爬虫類の近似種────ドラゴンに向けた。
「ハトラレ・アローラはおろか全世界において禁忌として忌み嫌われている、銀龍族の混血だな」
大軍の中から一匹のドラゴンが進み出てきた。
全身は硬質な鋼を思わせる灰色と紫が混じり合った鱗を持つ歪な形態をしたドラゴンだ。
頭には鋭く歪んだ角。逆三角の鋭い暗赤色の眼光と首から頭の先までは西洋のドラゴンを思わせる形をしているが、胴体は戦車のような装甲に覆われており、百足のような百本もある足がある。尻尾には、毒々しい色をした棘が無数にあり、先端に大きな骨塊のついた二つの尾をもつ。
羽根はなく、エクレールの金龍族や蓮歌の青龍族のような浮遊力を持つ種類の龍族であることをシルベットは一目で見抜くが、異様な形態をしたその一匹のドラゴンに目を奪われた。
まるで蛇のような爬虫類と百足のような節足動物を合わせ、アンキロサウルスのような剣竜類のような尻尾の先端と鱗に、ステゴサウルスのような剣竜類のような棘を加えたかのような、ハトラレ・アローラでも少数種であり珍しい。
禁忌より一ヶ月前まで水無月家の敷地内でしか自由に行動ができなかったシルベットにとっては尚更である。
「ワシは、多様な民族で構成された紫龍族。その中でも極めて数少ない種族の毒龍の一人。名は、ラスマノス。【創世敬団】に刃向かう愚かな【謀反者討伐隊】の犬にして、禁忌を持つとされる軟弱で家畜である人間と銀龍の間の仔龍よ。半人前にしては、ワシらの存在に気付いたことを褒めてやろう」
実に堂々としていて、大軍を率いる老将帥の威風さえ感じさせる毒龍────ラスマノス。
眼前で、幾何学的模様の天上を蹂躙するドラゴンの大軍から降下する歪な形状をしたドラゴンを見定め、戦闘に備えて、精神を研ぎ澄ます。
内に秘めた残忍と非情な動物的な本能を持つ獰猛な自分を解放するのではなく、それらを掌握し、攻撃性を遺憾無く発揮させるために集中しながら、大軍の老将帥────ラスマノスに言葉を向ける。
「貴様らが爪が甘いだけではないか」
「半人前程によく己の未熟さを理解してはいないようだな。偶然にもワシらを嗅ぎ当てたくらいで調子に乗るでない」
「私を半人前だの混血だの仔龍だのと罵り見下している貴様らが、一人に対して大軍を投入したことに大人気ないとも卑怯とも思わないのか?」
「戦争に卑怯も大人気ないなどという言葉ない。どんな策をたてようが敵に勝たなければ意味がない。戦場は勝敗がすべて。勝者こそ正義。敗者は正義に逆らったゴミ以下の存在であり、討ち滅ぼして始末した方が世の中が綺麗に片付けられるというものだ。このような戦力差くらいで、卑怯という言葉で片付けるのは、戦場を運動競技の争い事と混合してしまっている若造だ」
「ほう。確かに、戦争において勝たなければ意味がないことも、勝敗がすべてであることも理解できる。軍隊に配属された時点で、戦争は遊戯や運動競技の争い事とは違う。戦場は、生死を賭ける場であることも理解できる。命懸けでの闘いにロマンだけでは済まない世界だ。しかし、戦争に生死を賭ける場を当事者である私たち亜人界以外────特に人間界に巻き込むことは赦されない行為であることを理解しなければならないはずだ」
「浅はかな考えだな。弱者であり、家畜である人間をどう扱おうがワシら【創世敬団】の勝手だ。むしろ、三千年前程までは、亜人は人間界に来ては人間を捕食することが普通だった。それを人間を保護するだなどと勝手に決めたテンクレプを愚か者だ。己が人間の喰えないからと保護して、友好関係を築こうなどと愚かにも程がある」
「だからハトラレ・アローラの争い事を人間界に持ち込み、巻き込んでも構わないということにはならない。実に、浅はかで薄汚い欲に溺れた考え方だな。それで人間の少年を一人を狙うに対して、大多数で襲うとは――そこまで家畜と罵る人間に噛み付かれるのが厭なのだろうな」
「何だと……っ」
シルベットの言葉に、ラスマノスは不愉快そうな顔を向ける。蔑んでいた瞳に残酷な色を宿し始めたのは、戦争の経験が二つ程しかない少女にラスマノスがもっとも恐れることを口にしてしまったことに対して、癇に障ったのだ。
ラスマノスがもっとも恐れていることを人間の思いもよらない反撃。ドラゴンは頑丈な鱗や司る力によって無敵とも思えるが、そうではない。どの亜人でも弱点はあり、勝ち目がないとされてきた人間でも勝てた歴史────神話は少なくない。
人間たちが亜人に勝利したもの中では、誰も神話とした語り継げることもない上に、記録にも消えたものも多い。その中で、全滅しかけた種族があった。
その種族こそ、多様な民族で構成された紫龍族の中で埋もれるように生きながらえる毒龍である。
毒龍であるラスマノスは、幼い頃より人間と戦場で激突し、殲滅しかけた経験を持ち、家畜として扱ってきた人間に滅ぼされることをもっとも恐れている。絶滅まで追い込まれかけた人間に対して、恐怖や憤りを抱いているラスマノスは、同じ亜人種でありながら人間の味方をする【異種共存連合】や【謀反者討伐隊】を目の敵とし、人間と銀龍の混血種であるシルベットに対して穢らわしいものを見るかのような視線を向けていた。
「家畜当然の人間にワシら大軍が負ける、だと……そのようなことは有り得ない。亜人が人間に劣ることはないのだ」
「人間には、火事場の馬鹿力というものがあるそうだ。家が火事になった時に、家にあった通常は一人では持てない重い家具を抱えたまま脱出したという逸話から転じて、とんでもなく追い詰められたときに、追い詰められた側の人間が本来無いほどの力を発揮することあるという意味らしい」
人間の体には、力を自動的に抑え込むように脳が制御しており、その全ての力を使いまくると筋肉が壊れてしまうなどの不備を起こってしまう。その不備をあらかじめ予防するために、脳が人間が限界として扱える力は、本来の力の二十三割しか出せないよう制御しているという水無月龍臣やシルウィーンから聞かされた話をシルベットをラスマノスに言う。
「人間は冷静な状態でいられなくなり、興奮作用の非常に強い成分が体内で分泌されると体内抵抗が緩くなって、普段は抑制された力を出せるようになるから、人間が亜人に絶対に勝てないということにはならない。そして、私にはその人間の血液が流れている。だから半人前だからといって、貴様に劣るとは限らない」
眼前で、幾何学的模様の天上を蹂躙するドラゴンの大軍を背にして睨むラスマノスへ向け、前傾姿勢で【十字棍】を構え、突撃するための穴を狙う。
「ならば、ワシら大軍に打ち勝て見よ仔龍よ」
「そうさせてもらおう」
シルベットとて無防備で突撃するわけではない。周囲半径三メートルの範囲に加護と〈防御障壁〉の術式を練る。
これで、ひとまず防備に不安はない。
不朽の加護で身を守らせ、シルベットは敵の出方を窺いながら接近する。
ドラゴンの大軍は、一個隊が二十五匹からなる。二十五匹は、全長十五メートル級のドラゴンを真ん中に置き、ダイヤモンドのような形成で編隊を組んでいる。編隊と編隊の間には、一定の間隔を保ちながら群れを成して飛行。それらが連なり、ドラゴンはシルベットの上空を渦を巻くように旋回していた。
上空に張り巡らされた鉄壁の包囲網に、シルベットは怖じ気づくどころか、敵を称賛する。
「うむ。【創世敬団】にしてはやるではないか。先の戦いとは大違いだな。無闇に、突撃されない間隔を開けて飛んでいる。一編隊事態が囮として機能しており、どのドラゴンがやられたとしても、すぐに応戦できるという配置。天上を覆いつくす数なければ出来ない編隊の組み方だな。これでは容易には突撃は出来ないどころか、近づけさえも不可能だ────だが、面白いではないか……」
相手にとって不足無し、とシルベットは不利な戦況を楽しむかのように笑う。
【十字棍】の穂先を空に──斜め上方へと向け、隙のないドラゴンで出来た網を食い破るための反撃としての一太刀を確実にするべく、好機を逃すまいと集中し、全身全霊で待ち構える。
まさしく、鉄壁という陣営で上空を飛び回るドラゴンの大軍の穴や隙をシルベットは狙う。
シルベットの策は、とてもシンプルで単純である。幾千ものドラゴンの大軍は、例え一身の乱れもない編隊を組み、鉄壁な防御を誇っていようとも、相手には魂が宿り生きているには変わりない。
そして、その数だけ感情や意志や行動──性格が存在し、魔力の差は不均衡。どんな訓練を積んだ軍隊であれど、緊張状態が長く続けば疲弊してしまう。それが正確さと精密な企みをしていようとも、隙は必ず出来る。そこを衝く。
しかし、編隊の誰でもいいわけではない。一兵ではすぐに持ち直してしまう。確実に大軍を揺るがすには、編隊を指示している編隊長級かラスマノスが妥当だろう。
シルベットはとにかく編隊長級かラスマノスの隙を見付けだし、そこから叩き潰していけば、どんな数を誇る軍隊であっても終わりだ、と断定している。だが、幾千もの戦争を経験している猛者である編隊長級とラスマノスが隙を見つけることは困難であり、戦場経験が少ないシルベットにとって至難の業と言える。
だが、逃げるつもりはシルベットにはない。考えてもいない。敵前逃亡などシルベットの中ではありえない。圧倒的な数を目の前にしても、シルベットは闘いに燃えていた。むしろ闘志を滾らせる。
今は目の前の強大である敵に勝たなければ、自分の命はおろか人間の生命が脅かされることになる。どうしても退けない戦いに、シルベットは全てのドラゴンを掃滅できるかだけを思考し、構わず【十字棍】を握りしめた。
およそ百メートルから五百メートル上空を飛行するドラゴンの大軍は、羽ばたきを力強くさせ、編隊ごとにシルベットに応じるように構えを取る。
シルベットへ向ける幾千もの大軍を形成するドラゴンは鼻面に険しくしわを寄せ、牙をむき出しにし、獰猛さを増した。威嚇するように、獲物に飛びかかる寸前という表情を向けてくる。
シルベットと【創世敬団】の大軍の間には距離がある。【創世敬団】には、火炎放射や破壊光線を放っても余裕で避けられるほどの距離があり、シルベットには奇襲を仕掛け、意表をついたとしても確実に殲滅出来るのは二、三匹が限度。すぐに態勢を立て直されかねない。
大軍全ての意表をつかせ、維持を続けることは出来ない。【創世敬団】の初戦時に、シルベットは一網打尽にすべく、禁忌である力の解放を僅かだが行った。
銀龍族の司る力は、原子力である。人間界にあるウラン、プルトニウム、トリウムと似た放射性物質と同等以上の力を持つ銀龍族には、人間との間に生まれた子に禁忌を持って生まれる。それは、人間よりも遥かに頑丈である亜人の鱗や皮膚を破壊してしまう。ウラン、プルトニウム、トリウム等の放射性物質とは比較にもならないほどの破壊力を持つ禁忌をシルベットは自分を司る力として備わっている。
その力の顕現を、エクレールが翼を〈錬成異空間〉から外部へ避難させた後に解放させ、外部に漏れないように最小限に抑えて、百匹程度のドラゴンの軍勢を手っ取り早く一網打尽にすべく禁忌の力の顕現を行った。
【創世敬団】の〈錬成異空間〉をエクレールが奪い、シルベットが脱出可能にして、外部から隔離し、巨大な獲物を生け捕りにする仕掛け、檻として、全てのドラゴンを殲滅に成功させた。しかし、その時のように、ドラゴンの大軍を最小限の顕現により殲滅は出来ない。
それらの行程を一人で仕掛けることは容易いが、まだ空間内の何処かに人間の少年である翼がいる可能性があるため安易に使用は出来ない。シルベットの血液により半龍半人と化しているが、それでも被曝してしまう可能性は少なからずある。
【異種共存連合】及び【謀反者討伐隊】として、そして人間界の友好の梯として、シルベットは護衛対象者を被曝させるわけにもいかず、禁忌を極力は空間内に広がらない程度に抑えながら戦わなくてはいかない。
方法として、【十字棍】の刀身に微量の力を流し込み、肉弾戦を仕掛けるしかなくなるが、シルベットとドラゴンの大軍の間には、攻撃を仕掛けるには距離が開いてしまっている。
加えて、数では【創世敬団】が圧倒しているため、シルベットの方が部が悪く、半端に仕掛けても意味はない。
──まだ仕掛けるには距離はあるが、やはり数で向こうで上回っている分だけ有利か。
改めて一人対大軍という戦局にシルベットは悔しげに歯噛みした。
形勢逆転が不利な戦況に、シルベットは大軍へ狙い定める。
お互いに様子を窺いつつも攻撃を仕掛けないままの膠着状態が、およそ七、八分。しかし、十分も経たないにもかかわらず、小一時間は経ったと錯覚してしまうほどに辺りに張り詰めた空気が漂う。シルベットが踵に百メートルから五百メートル先にいるドラゴンの大軍へと飛翔できるほどの膂力を溜め込んだ────刹那。
横方の遥か上空より稲妻が放たれる。
それは、闘志を滾らせた両者の間を切り裂くように稲光が明滅し、ドラゴンの大軍の遥か後方から雷鳴が轟いた。
「なっ、何なんだ一体……、せっかく盛り上がってきたのに空気を読まずに水を差すようなことを……」
シルベットとドラゴンの大軍の幾何学的模様に突然と鳴り響いた轟音に驚愕し、せっかく滾った闘志を削がれた。
ドラゴンの大軍との戦闘に踏み出す前に邪魔をされ、シルベットは不快感を露わにする。ラスマノスも眉間に皺を寄せて、轟音がした方を向く。
「なんじゃ、せっかく半人前の仔龍を嬲り殺しにしてやろ────ん? あれは、もしや……」
ラスマノスが何かに気づいた。
シルベットを囲むようにダイヤモンドのような形成で編隊を崩さず旋回するドラゴンの大軍は、突然と鳴り響いた雷鳴に警戒を露わに咆哮を上げ始める。
それを確認して、ラスマノスは頷き、真っすぐと雷雲が立ち込める空に向けた。
「どうやら愉しみはお預けということになりそうだ。火事場の馬鹿力ごときでワシらを殲滅出来るかどうかを確かめてやろうと思ったが残念だ」
ラスマノス率いるドラゴンの大軍は、〈空間転移〉の魔方陣を展開する。ドラゴンは目標をシルベットではなく、雷鳴を轟かせた何者かに移し、魔方陣に飛び込み、転移していく。
「逃げる気か!」
「逃げるわけではない。ただ貴様と嬲り殺す暇がなくなってしまったようだ。再会するまでに、死なないように気をつけるんだな小生意気な半人前」
ラスマノスはそう言い残し、幾千以上もいたドラゴンの大軍はあっという間に、悪臭を残して転移してしまった。
「一体、どういうことなのだ……?」
シルベットは、雷鳴を鳴り響いた幾何学的模様の空を見据えて、ようやく気付いた。
その方角から魔力を感じる。ラスマノスらドラゴンの大軍とは同等またはそれ以上の強力で膨大な量の魔力。それは亜人の上位種相当のものに匹敵する。
シルベットは三百キロ先まで見通すことができる〈視覚強化〉な魔術を使用して、ラスマノスが自分との戦いを先に置いて向かったであろう魔力の出所を探る。しかし、それはすぐに発見できた。
「これは一体、どういうことなのだッ!?」
幾何学的模様の空間に粉雪のように光りの粒子が舞う世界で、魔力が二つあった。
一つは、炎。一つは、雷。前者が所持している武器が戦斧。人間界の日本で侍であった水無月龍臣に剣術を教え込まれたシルベットが感心するほどの熟達した戦士のような立ち合いを繰り広げ、後者を翻弄している。
そして、後者の所持している武器は穂先が三つ又に分かれた長鎗。前者を何とか仕留めようと、小柄で小回りが利く躯を稲光らせ器用に動かして、必死に足掻いている。シルベットは雷を司る魔力を主とし、熟達した炎の戦士である前者を打ち負かそうと必死に食らい付く後者をよくと観察し、ようやくそれが見覚えがある人物であると気づいた。
「何をやっているんだ、この緊急事態に……」
間違えるはずはない。傲慢と負けず嫌いに具現化したかのような無駄に強気で、自分よりも優れた実力を持つ人物を目の敵にし、相手を蹴落とそうとする正念が腐ったかのような闘い方をする人物は、シルベットは一人しか知らない。不快感を顕わにして、二つの魔力が交叉する空を見た。
「私の戦いを邪魔しおって、ここは一つやり返してやるが文句は言わせんぞ金ピカ」
◇
墜落したエクレールは身体を捻って立ち上がると、そのまま地を蹴ってドレイクに向かって突き進んだ。
「はああああああああああああ!」
エクレールの小柄な躯が風を切って疾駆し、三尖両刃刀の穂先に全ての勢いを託して突き出す。
三尖両刃刀の穂先は空気を焼く勢いで突き進む。だがドレイクは戦斧を軽く捻りそれを圧するように弾く。
勢い余ったエクレールはドレイクの背後まで駆け抜けていった。
「やはり、やりますわね。流石は【創世敬団】の手練れ!」
振り返っての言葉に、ドレイクは深くため息を吐き出した。
──やはり仔龍でしかないのか……。
金龍族の第一皇女候補だからと聞いて、ドレイクはすぐにあの『雷の猛将』の異名を持つゲレイザー・ブリアン・ルドオルの一人娘であることがわかった。しかし、金龍族の第一皇女候補という肩書きよりも先に、落胆の色を隠しきれなかった。
ドレイクは何度か、ゲレイザー・ブリアン・ルドオルと戦場を共に潜り抜けた時期があった。その時に衣食住を共にすることもありゲレイザーの人となりと、『雷の猛将』たる彼の戦いぶりを目にしている。その分だけ、エクレールに対する期待は大きく、ゲレイザーや金龍族の威光、恩恵を受けてなおも、ドレイクを【創世敬団】と誤って攻撃をしかけるといった初歩的な失態に、失望はこれまた大きい。
──勝手な期待を抱いてしまった自分が悪いのやもしれない。
「吾輩を【創世敬団】などではない」
「【創世敬団】ではない? 何をわかりやすい嘘をつくのかしら……」
ドレイクを見て、エクレールはその瞳にひどく残念そうな感情を過らせる。
それは軽蔑、嫌悪、いっそ悪辣に見下す感情の大半であった。
「云ったはずですわよ。わたくしたち以外に、こんなところに現れるだなんて、【創世敬団】か【謀反者討伐隊】しかおりません。気配を最小限に留め、大量に降らせた〈オーブ〉の中を紛らせて、わたくしに接近を試みようとするだなんて、隙を狙って攻撃を仕掛けようとしか思いません。よって、あなたは【創世敬団】ですわ」
「それが吾輩が【創世敬団】という証拠になるというのか?」
「ええ」
断言したエクレールを見ながら、ドレイクは深くため息を吐き出した。
「確かに、それだけを切り取れば怪しい。しかし所詮は怪しい程度であり、吾輩を【創世敬団】と決めつける確たるものにはならない。証拠が足りないのだ。貴殿は、少なくないと感じたりしないのか?」
「いえ。十分だと思いますわよ」
「いや。十分ではない」
ドレイクは、即座にエクレールの答えを真っ向から否定した。
慎重に相手を推し量るには、エクレールの推理は少ないという問題では済まされない。見極めに大事なのは、出身大陸や経歴、家族構成を至るまで、前科はあるかという犯罪情報、信用たる人物であるかという身辺を徹底的に洗い、既知の事実や経験に基づいて考えを巡らし、事柄を推し量りといった過程を経てから、判断材料を揃えていくものだ。
時折、【謀反者討伐隊】の中には、そういった確証もなく亜人に備わっている動物的勘といって【創世敬団】を判別しょうとする者もいるが、真っ当な分析とはならないため、勾引さえも出来ない。
しかし、この緊急時に全てのものを揃えるのは、容易ではない。確証を得るにはそれなりに時間がかかってしまう。ここは、相手を監察して動向を探っていった方が正しいやり方だろう。
「貴殿には残念だ。非常に見極めというものが出来てはいないところか、記憶という曖昧なものを証拠と突き立てながら人間の子供でさえしない安い推理を振りかざし、吾輩を【創世敬団】呼ばわりされるとは、な……。実に、学び舎で成績だけが良かっただけの仔龍だ」
「わたくしの目も耳もわたくし自身の五感により、あなたを【創世敬団】だとビンビンと感じていますわ。あらゆる分野において高い才覚を持ち合わせしているわたくしの推理を人間の子供以下だなんて、あまりにもわたくしの推理が当たったからって負け惜しみはおやめなさい。観念して、投降なさい。今なら痛い目合わずにするわよ」
エクレールは一息にまくし立てた。
自分の判断に間違いはない、と断固として【創世敬団】と認めないエクレールにドレイクは怪訝な表情を浮かべる。
エクレールの異常な好戦性からドレイクは、【創世敬団】のドラゴンの大軍が醸し出す血の臭いに当てられたことに気づいた。
理性・知性を持つ龍人であれど、獣である。
両界で聖獣として扱われることが多い黄龍・青龍・朱雀・赤龍・白虎・白龍・玄武・黒龍や、黄昏龍・金龍・銀龍等の亜人種には野性の肉食動物と同じく、残忍と非情な動物的な本能を持ち合わせており、ふっとしたきっかけにより剥き出しとなってしまう。
そのきっかけは、主に濃厚な血の臭いである。
血の臭いは、亜人の凶悪な部分でもある抑制の利かない残忍と非情な動物的な本能────野性を呼び起こさせ、理性を失なわせ、意識を闘争心だけ特化させた人格へと擦りかわってしまう。
破壊・殺戮衝動に駆られた亜人は、言語は使えるが対話での説得は完全に不可能となる。特に、本能だけが特化した獣となった龍人は、目につくもの全てを破壊と攻撃の対象としてしまう。飛び散る血肉に快楽を覚え、目的も忘れて力を振るうことに喜びを感じ、高ぶる闘志を更に増幅させ、破壊・殺戮衝動を尽くすまで止まらない。
ドレイク等の幾千の戦場を経験をした者ならば、どうにか堪えることが出来るがエクレールのように戦歴が少なく、経験が浅い隊員にとっては抗うことがは困難だろう。
衝動的な高ぶる闘志を抗うことはできないが、掌握して手懐けることは可能だ。手懐けるというよりは、利用するといった方が正しい。戦闘だけの知性という皮をかぶった獣へと変貌してしまう恐れがあるには、短期間で高濃度の血の臭いを嗅き、体内に染み込ませなければならない。ちょっと鼻につくだけ程度では、亜人の強い意志・理性・意識は動物的な本能に支配はされない。
防ぐこともできない高濃度であり、鼻を塞いでも皮膚の細部や穴という穴から体内へと入り込むほどの密度でなければ陥ることはない。密閉空間にて血の臭いが高濃度で猛威を振るう空間内は、意志・理性・意識は野性に支配する条件が揃っている。
ドレイクは、真摯そのものという表情で地上に落下したエクレールを見つめた。
まだ血の臭いにあてられて、時間は経ってはいない。対話もかろうじて出来ている。時折、我に返っているのを見受けられる限りでは、エクレールは、まだ本来の理性が残している。
ドレイクを【創世敬団】扱いしてまで攻めている辺りから、自分に言い聞かせ、自尊心で何とか繋ぎ止めているのだろうな、とドレイクはエクレールの状態を見てそう推測した。
本格的に野性に支配された場合は、高ぶる闘志を満たすために精神異常を来たした狩猟者のように有無や理由付けなどせずに、ドレイクへ牙を向けているに違いない。
──とにかく助けが必要ですわ……。
三尖両刃刀を両手で強く握りしめ、エクレールは警戒を怠らない姿勢で、ドレイクに気付かれないように、周囲を探った。それと同時に、暴れ回る闘争本能を抑え込もうとするが、どうにも抑えがきかない。
さらに、さっきドレイクの気配を発見したのと同じ術式だが、ドレイクに警戒し、記憶と意識を失わないように気を使いながらでは集中が三分割になってしまい、本来気配を感じるはずの五キロも届かないでいた。
──出来れば蓮歌を、と思いましたが、状況確認が出来るのでしたらこの際、銀ピカでも構わないですわ……。
しかし蓮歌はおろかシルベットの気配さえも五キロ圏内には感じない。早々に気配を探るのを諦め、エクレールがまた【謀反者討伐隊】か【創世敬団】かを定められていないドレイクに、“断続的に残忍と非情な動物的な本能に支配される度に記憶と意識が飛んでいること”、を悟られないように集中することに切り返る。
──仕方ありません……ここは、相手を見極めるために揺さぶりをかけますわ。
「確かにそうですわね。でも、顔見知りの重役を斬らなければ大事に到らないですわよ」
エクレールは鼻を鳴らしながらそう言い捨てる。
「あなたなんて、たかが下位種族の炎龍ですわ。わたくしと顔見知りでないということは、あなたは組織でも下っ端なんでしょうから、誤って斬られたからといって、文句は言えないでしょう?」
せせら笑って、【創世敬団】と決めつけた上に、もし冤罪となったとしても下位種族や重役ではないなら赦されるというエクレールの横暴の考え方に、ドレイクは呆然となり、ふつふつと怒りが沸き上がった。
【創世敬団】と決めつけられたどころか、下っ端扱いをされて、感情のままに怒鳴り散らすのは寸前で堪える。ここで感情に任せて怒声を上げれば、【創世敬団】の思うつぼである。
──奴らに隙を見せてはいけない。
どうやら意図的に怒らせて揺さぶりをかけていることを、ドレイクは十秒も絶たずに見抜く。
──態とがましく怒りを誘うようなことを言いながら、野性に支配されて意識と記憶が断続的に失っていることのカモフラージュをしているようだな。
【創世敬団】の大軍との戦場が終えた後に、エクレールを叱り付けることを決め、何とか怒りを表に出さずに彼女に乗ることにしたドレイクは口を開く。
「吾輩が下っ端という判断も些か早い。炎龍族は、金龍族よりも下位種族であるが、吾輩が貴殿よりも戦闘能力が劣るとは思わん方が身のためだな。外見や身分で侮っていると、油断が生まれてしまい、ろくな目にあわないぞ」
「見苦しい負け惜しみですわね。下位種族の炎龍ごときあなたなんて、金龍族のわたくしが負けるわけはありま……せんわよ」
いっそ清々しいほどの傲慢さで、胸を張った途中で再びエクレールの瞳に色が失い、目に映るもの殲滅せんとする獰猛さを孕ませた危なげな光りが宿った。
「またか」
忌々しげに言い切ったドレイクは戦斧を構える。
「────ならば、叩き殺せるなら殺してみせよ仔龍!」
「仔龍と呼ぶな!」
ドレイクの挑発にエクレールは躯中から黄金の稲光が走らせ、怒りを顕わに雷鳴を轟かせる。雷電を躯中に纏わせ、激昂を素振りを見せたエクレールだが、さすがに無闇には突き進まなかった。
突撃したら、エクレールを空間の外に誘導しょうと考えたのだが、当てが外れてしまったドレイクは雷電の影響を与えない適度に距離を取りつつ、牽制する。
ドレイクの装備は感電の受けない素材で作られている。しかし用心深いドレイクは、距離を取りつつ、相手の出方を窺う。
刀身のサイズと雷電の鎧により分はエクレールにあるが、ドレイクは巧みに躱しながらも、わざと隙を見せ、相手の隙間に付け入る攻防を始めた。
二メートルの巨体の割に軽快に位置変えながら、上手く立ち回るドレイク。
エクレールは、ドレイクの立ち回りに必死に食らいつき、軽やかに天空を舞いながら円を描く。
雷電が弱まった隙を狙い、ドレイクは戦斧を繰り出す。相手を一撃必殺として仕留められる大振りの攻撃とは違い、連撃を目的とした小振りの攻撃だ。武器と共に相手を一刀両断するような力はないが、少しずつ相手にダメージを与えることが出来る。
連撃に繰り出された戦斧と三尖両刃刀が激しくぶつかって軋む。穂先同士が弾かれ、火花が散った瞬間、エクレールが躯全体でドレイクを圧倒しようと強引な刺突を繰り出した。
が──
ドレイクに軽め弾くだけで防がれ、エクレールは悔しそうに歯噛みをする。
攻撃が防がれたことにエクレールは感心したように微笑むと、ドレイクとの距離をじわじわと詰めた。
三尖両刃刀を小刻みに動かしながら繰り出す。急に滑り出すように動き、肉薄する。繰り出された三尖両刃刀をドレイクは身をよじって射線を避けた。百戦錬磨のドレイクは、武器を構えた時点で、次なる攻撃が如何なるものかがわかる。
そして、エクレールの視線の動きにより、三尖両刃刀を躱す目安となっていた。
ドレイクは少しずつ空間の外にエクレールを誘導するように、移動していることは高ぶる闘志により我を忘れているエクレールは気づかれてはいない。
──このまま仔龍を外に連れ出せば少しは落ち着き、冷静を取り戻すだろう。
エクレールは三尖両刃刀を振り回し、ドレイクを追いかける。ドレイクは戦斧を振ってエクレールの三尖両刃刀を払いのける。
エクレールに気付かれないように心の注意を払いながら、次々と繰り出される三尖両刃刀をドレイクが首をひねって躱し、再び戦斧と三尖両刃刀の近接戦が始まる────その前に。
「はぁああああああああ!」
突如として、背後から飛んできたのは斬撃により中断された。
またしても、突然の襲来者を確認して驚愕し、呆れる。
「またしても、仔龍か……」
「私を仔龍呼ばわりするなデカブツ!」
ドレイクとエクレールに刃を振り下ろしたのは、銀翼銀髪の少女────シルベットだった。




