第二章 五十三
スサノオが開いたゲートを通り抜けたシルベットとエクレールの視界に飛び込んできたのは、広大な自然だけの世界であった。
大部分は草原だ。芝生のような翠が一面に広がっている。そこに幾つもの水流があり、至るところに湖や池を形成させているが遥かに草原の面積が多い。水源の周囲には最低でも二十メートル近い大木が幾つも聳えているが、一キロほどの範囲だけで森よりは林が多いという印象である。遥か地平線に目を凝らせば、山々があるが岩山が殆どといったところがわかった。森が少ないが自然豊かである世界を眼下に眺めながら、口を開いたのはエクレールである。
「ハトラレ・アローラと人間界の間にもうひとつの世界線があるなんて初耳ですわ」
「この世界線は、神界によって往来は禁止されている。本来であれば足を踏み入れてはならない世界だ」
「自然が豊かで実に平和そうだがな」
自然豊かで立入を禁止する理由が思いあたらないシルベットは不思議そうに眺めるシルベット。エクレールも彼女の意見に同意なのか頷く。
「そうですわ。往来を禁止する理由が今のところは見つかりませんわよ?」
「ここには何もない。動物と呼ばれる生物は全滅し、樹木や草といった植物が残った世界だ。【創世敬団】に襲われるような生物はいない。それは【謀反者討伐隊】が助ける生物もいないということだ。だから、往来する必要性はない世界線といえる。そして、神界としては、せっかく生き残った植物を保持した考えなのだ。この世界線を担当した彼女のためにもな」
「彼女? ここは、アレが滅ぼしたわけではないのか?」
「そうだ。動物たちは自滅しただけだ。理由は優占種が禁忌を破ったことにより、不必要な混じり合いと進化をさせてしまったために争い事が過熱してしまったために、滅亡してしまっただけで彼女は滅ぼそうとしたわけではない。ルイン・ラルゴルス・リユニオンは、彼女の血筋であることは間違いはないのだが、性格は彼と違って優しかった。いや、優しすぎたのだ」
「優しすぎた?」
「生まれてしまった動物を彼女は愛した。平等に愛して、何とか共存させようとしたのだが、そんな彼女の気持ちなどお構い無しに戦争を始めた。そんな粗暴な動物でも愛した。裏切られても愛し続けた。そして、自らで手を降せずにこの世界の動物は滅んだのだ」
「愛したことにより何故、全ての動物が滅ばければならぬのだ?」
「世界の生態系は崩れやすい。全ての生物が平穏に暮らすにはその均衡を保たなければならない。この世界線は均衡を保つことが出来ないほどに種類が増えすぎた。少し生態系が崩れば、世界は立ち行かない。そういった意味での間引きが行われる。自然を使って、増えすぎた生物を減らし、浄化を行う。生物にとってはたまったものではないだろうが、そういった間引きをしなければ世界は滅んでしまうのだ」
「たまったもんじゃないな……」
「たまったもんではありませんわね……」
シルベットとエクレールは迷惑そうに顔を歪めてから、ほぼ同時に口を開いた。そんな彼女の反応にスサノオは苦笑する。
「神としては辛い立場である。間引きには他に自然を使った浄化の他にも寿命がある。生命には寿命があるのは、生態系の釣り合いを保つためにある。それにより、生物は新たに生まれてくることができるのだ。しかし、彼女は愛する余りに全ての生物に永遠の命を入れた。それにより、生態系は崩れただけではなく、戦争を起こした。それにより、生物は大部分を失うことになった。摘まれてはいけない生物の数を減らしてしまい、自滅した」
「永遠の命を与えたのであろう。傷を負ったとしてもすぐに治るのではないのか? 一度死んでも蘇るのではないのか? どっかの不死鳥のように」
シルベットは疑問を口にすると、それにスサノオは頷く。
「そうだな。その説明する前に一つ例え話をしなければならん。シルベットやエクレールは倒さなければ相手──殺さなければならない敵が不老不死だった場合、どうする?」
「私は、戦ってみたい気もするが改心できそうなら話し合うのが【謀反者討伐隊】としては正しいのだろうな。それが駄目ならば諦めて戦うしかあるまい……何だ金ピカ、その文句ありげな目は?」
ちゃんと話し合わずに戦っているあなたがどの口が叩いてますの、と言いたげなエクレールのジト目に気づいたシルベット。すかさず不愉快な視線を向けるエクレールに訊くと、彼女は、「なんでもありませんわ」とはぐらかして、スサノオの問いに答えた。
「……わたくしは不死身相手に戦う気はさらさらおきませんわね。いくら戦ったとしても相手には決定打となるダメージを与えることは難しいですわ。いくら傷を負わせて瀕死の状態までに追い込もうと甦ってはこちらの身も持ちません。それが何度も繰り返されます。大抵の不老不死である生き物はタフですし、傷と同時に疲労も回復してしまいますし、こちらが疲労困憊でも相手がケロッとしていてはいつか負けてしまいますわ。相手が話がわかってくれそうでしたら対話を試みるのが一番ですわ。話し合いが無意味と判断したらお手上げですが…………何ですか銀ピカ、その目は?」
また精神的に不安定になった場合はすぐさまと逃げ出しそうだな貴様は、といったシルベットのジト目に気づいたエクレール。彼女の問いにシルベットは「気のせいだろ」といってはぐらかした。
少しばかりの彼女たちの間に不穏な空気が漂うのを感じたのか、スサノオが話の続きをする。
「そうだな。基本的に戦っても無駄だ。不死なのだからな。相手に決定打となる傷を負わせることは不可能だ。お互いに倒せないと理解して、相手と距離を取ればいい。滅びていった生物もその考えに行きついた。だが、どうしても戦わなければならない程に相手を憎み合うことが起こってしまったのだ」
「どんなことが起こったのだ?」
「それは、各種族の人口の増加だ。不死である彼等は交配し、個体数を増やしてしまった。それは、決して減ることはあらゆるものが無限に不足するという意味だ。つまり、これまでの種族間で割り当て決めたものだけでは狭くなっていき、種族間での争い事が絶えなくなる。そして、追い込まれてしまうほどに冷静さを失った種族らは、無駄である戦争に突入する。そうなれば、止まらないのが感情を持った生き物の性だ。大義名分を並び立てて、相手の持つものを略奪をしょうとする醜い戦争の始まりだ。そして、お互いに相手を滅ぼすために有効的な戦術を考え、瀕死までに追いつめられる何かを生み出す。それは悪魔の囁きかもしれない。悪魔に囚われた生物は全ての種族らを殺して、自らも破滅させる道を歩くことになる。此処は、そういった争いの成れの果てだ。お陰で動物は死に絶えた。植物の一部には、その毒物の影響を受けているものも多い。だから、彼女や彼女の身内である者以外に管理のために訪れることのない世界線だ」
「つまり、いろいろとあって植物しかいない、動物たちが勝手に戦争は始めた成れの果てといった世界線というわけだな」
「ざっくりとまとめ過ぎですわよ……」
ざっくりとまとめたシルベットに呆れ果てるエクレール。
「まあ、そういうことだな。ざっくりとまとめられたが事実だから仕方ない。ここには、優占種は植物だ。動物が滅亡し、動物と共に昆虫も滅んでしまった。彼等がいなくとも生存できるように進化を遂げた植物たちが生きる世界だ。優しすぎた彼女が護れなかった世界でもある……──ッ!?」
スサノオが少しだけもの悲しげな顔を浮かべたがすぐさまに劈くような爆音によって打ち消された。
音がした方をスサノオは右、シルベットとエクレールは左を見た。そう爆音は左右二ヵ所から轟いたのだ。音から一拍の間を置いてから凄まじい衝撃波と供に力の塊が巻き起こる。
ドドドドドド、と地鳴りに近い轟音を響かせながら、莫大な力の奔流は風の龍となって、粉塵を撒き散らす。
この世界で生きながれた草木を破壊していき、一直線へと大地に足跡を派手に付けて、スサノオとシルベットたちを挟み込むかのように向かってくる。
──〈結界〉を……いえ、ここは訪れることはおろか、先ほどまで知らなかった世界線ですわ。
──これから仮にも神であるルイン・ラルゴルス・リユニオンと戦うことを考えますと……。
エクレールは、一旦は〈結界〉で張って防ごうと考えたが、初めて訪れた未開の世界線である。魔力が供給できない世界の可能性はゼロではない。
──魔力を供給できない世界の可能性がある以上は、確認できるまでは無闇に魔力を浪費するのは避けるべきですわね。
──ですが、あの得体の知れない力の塊を防御無しで受け止めるのは………ん?。
エクレールは考えを巡らしていると、迫りくる力の塊は地表面は削り、そこの周辺に生えている草木には影響はあるが、空には全く影響を与えていないことに気づく。力の塊の速度はそんなに速くない。高度を上げれば、ギリギリで回避できる。無理に防ぐよりは高度を上げて難を凌ぐ方が得策だと考えた。
エクレールは高度を上げる。彼女に続き、同じようなことに考えが至ったのかシルベットとスサノオも高度を上げた。彼女たちが衝撃波の影響範囲から離脱した零・一秒で足下へと到達する。
二つの力の塊は下域で激しくぶつかると、相殺した。
一体誰がこんなことを? と考える間もなく、再び爆音が辺りに轟き、衝撃波が襲う。今度は高度が少しばかり上だ。直撃する恐れがある。さらに上空へと逃げるには少しばかり速度が早い。回避するために高度を上げる暇はない。〈結界〉を張ろうとしても間に合わかどうかは怪しい。ならば、とシルベットは持っている武器で切り裂くかと天羽々斬は構える。
しかし、刀身は折れて真っ二つだ。衝撃波を切り裂くような斬撃は魔力や司る力を溜め込む時間が必要とされる。どんなに急いでも衝撃波の到達するにはギリギリだ。
それでもやるきゃない、と折れた天羽々斬に力を込めようとするシルベットの前にスサノオが進み出る。背中に携えていた天羽々斬と形がよく似ている剣を抜く。
そして、振り抜き様に剣を迫りくる衝撃波へと叩きつけるように降り下ろす。
ゴオッ!!! といった轟音が鳴り響き、スサノオの一太刀は迫りくる衝撃波を切り裂いた。
「ん?」
柄に伝わる感触にスサノオは首を傾げる。
斬撃により霧散する力の塊を彼はよくと観察し、伝わる感触の違和感の意味に気づく。
「これは……神力か」
「神力だと……?」
「ああ。神力だ。神力というのは、神界の神と呼ばれる存在にしか使えない神界であれば、十分に使える力だ」
「それは、ここに神がいるということか?」
「恐らく、そうだろう。ただ──ルイン・ラルゴルス・リユニオンではない神力だ」
「どういうだ?」
「簡単なことだ。我々の他に先客がいるようだ」
「それは、私たちを狙ったということなのか? つまりアレの手下ということか」
「いや、そうではない」
シルベットの考えをスサノオは否定する。
「吾を狙うには力が少しばかり弱すぎる」
スサノオは話している内に、また轟音が辺りを震わせた。力の塊は、彼女たちがいる地点から十キロ離れたところを通りすぎていった。
「どちらかといえば、誰かが放ったものが偶然にも吾らのところであったと答えた方が良さそうだな」
「つまり、わたくしたちよりも早く誰かがこの世界に来て、戦っていると?」
「そういうことだな。この草薙剣に力の一端に触れただけだが、どうやら吾がよく知っている神のようだ」
「それは誰ですの?」
「それは──ん?」
スサノオがエクレールの問いに答えようとした時に、遥か地平線で明滅する光を捉えた。
続けて、爆音が複数も鳴り響き、粉塵が巻き起こる。スサノオは〈神眼〉を使う。〈神眼〉は目に神力を行使することにより、世界の裏側まで見通すことができる業だ。
〈神眼〉により、粉塵が巻き起こった場所の様子を窺う。
「やはり彼奴か……」
「彼奴とは誰だ?」
「うむ。白鳥──日本武尊だ」
「おお……ヤマトタケルか。日本神話で有名な神だな」
ヤマトタケルと聞いた途端に目を輝かせるシルベット。対して、うんざりしたような表情を見せるのは横にいたエクレールだ。
「また日本神話ですの……。そちらからして見れば、管轄なのだから仕方ありませんが関わり過ぎではなくて?」
「そうだな。日本の管轄であるが、彼が深く関わってくるとは珍しい。白鳥──日本武尊は、女装しても男とはわからないほどに美しい顔立ちをしているが暴力的で激しい気性の持ち主だ。どんな相手でも恐れない勇猛果敢な彼がこの世界に降りてきたとなると……恐らくは」
「恐らくは、なんですの?」
「彼がこの世界線戦に関わっているということだ」
「それは、敵か味方かどちらですの?」
「わからんな。パッと見た限りでは、白鳥が相手にしているのはは【創世敬団】のようだが」
「【創世敬団】と戦っているのなら、味方の可能性は高いのではないのか?」
「そうとも限らない。相手は気性が荒い暴力的な神だ。どんな敵でも立ち向かう英雄であれば、味方であれど気に食わなかったら戦う神でもある」
「それはつまり、味方だが何か気に食わなかったから戦っている恐れもあるということか?」
「そういうことだな。どちらかといえば、こちら側であることは確かだ。様子を窺いつつ、判断しょう」
「様子を窺って判断している暇はないと思いますわ。早くツバサさんをアレから救い出さなければなりませんのよ。わたくしの使命は彼を護ることですから」
「ツバサを行かせた貴様が言うな……」
「そうですわね。でも、あなたもわたくしのことは言えませんのよ……」
「ほう。言うではないか……」
シルベットとエクレールは睨み合う。二人がよく諍いを起こすことはわかっていたスサノオは少しため息を吐く。
「……こんな時に諍いを起こすな。これからルイン・ラルゴルス・リユニオンとの再戦だという時に……。少しは緊張感を持つことをすすめよう。同じ部隊の隊員なのだから力を合わせ────」
「イヤだ!」
「イヤですわ!」
シルベットとエクレールはスサノオの言葉をほぼ同時に遮る。
「私はこの金ピカと相性が良くない! 【部隊】として行動するには、金ピカは欠点ばかりな上に、私が言うことにケチをつけることに優越感を浸る生意気な女だ」
「よく言いますわね! あなたこそ、わたくしの口にすることの揚げ足ばかりを取ろうとしていることはわかってますのよ。これからだから学びがない方は厭になりますわね」
わたくしはあなたみたいに脳筋ではありませんのよ、とエクレールは肩を竦める。
「せっかく学びを受けている割りに、いざという時には使い物にならんだろその頭は」
「言いますわね!」
「言うぞ!」
スサノオの一言によりシルベットとエクレールはお互いの不平不満を言い合い、ヒートアップしていく。スサノオとしては、同じ【部隊】という事実を口にしただけで、そうした上で諍いばかり起こす彼女たちに注意を促しただけに過ぎないのだが、ここまで諍いを起こす彼女らに一個神として呆れ果てるしかない。
スサノオは未来を視る。彼女たちを連れてきたことは正解だったのかを見るために。しかし、神が多く関わっているために先は不確かで不透明だ。まだ未来を決定されてはいない。今後のことを鑑みるならば、二人の協力態勢は必要とされる。
負けず嫌いである彼女らは自分から折れることは難しい。エクレールは、【部隊】が出来たばかりの初期と比較すれば、少しながら成長が見えるが、シルベットに至っては一進一退だ。成長したかと思えば、戻ってしまう。
手っ取り早く成長を遂げることは難しい。近道を教えても彼女のためにはならない。生物の全て失敗と傷み、そして挫折によって、二度とそれを繰り返さないために学習する生き物だ。
学舎に通わなかったがひと通りのことは見よう見まねで出来てしまうシルベット。学舎で首席で卒業したエクレール。天才と秀才といっていい彼女らは、自分を変えるための失敗と挫折をしたことはない。
スサノオは思考を巡らせた。
──ルイン・ラルゴルス・リユニオンの意表をつくにも、彼女の成長のためにも。
スサノオは諍いを起こすの彼女らに言った。
「二人で、あそこにいる白鳥──ヤマトタケルに話しかけてこい。失礼がないようにな」




