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第一章 十




 瞼を開けて最初に飛び込んできたのは、白い輝きだった。


 光の向こうには幾何学的模様の空があり、周囲を見渡すと果てに地平線が一本だけ引かれただけの幾何学的模様だけの空間が広がっていた。天上からきらきらとした結晶が淡く輝いて、仰向けに倒れていたエクレールに雪のように降っている。


 寝起きの頭でそれを確認し、エクレールの意識は少しずつ状況を理解して覚醒する。寝起きは、宮廷暮らしで物心をつく前から培ったもので良く。そして早い。


「……何がありましたの? さっきまで【創世敬団ジェネシス】と呼ばれるドラゴンと対峙したはずでしたが……。何でこのような、〈錬成異空間〉の基礎だけが広がる空間なんかに……ッ!」


 完全に覚醒したエクレールは上体を起こした瞬間、腰辺りにズキンと痛みが走り、悶絶する。腰を打ちつけてしまったようで、しばらく痛みが引くまで躯を横にして腰を抑えた姿勢を取った。


 痛みが動いても支障ないくらいに和らぐまでに、エクレールは一連の出来事を回想する。


 エクレールは、学舎を正式に出ていないシルベットが護衛対象者である清神翼に失礼ないように、もしくは【創世敬団ジェネシス】が奇襲を仕掛けてきた際、援護しょうと動向を見張っていた最中、幼馴染みである水波女蓮歌が現れて、シルベットとエクレールの【部隊チーム】に加わったと報せてきた。しかし、エクレールは蓮歌が【部隊チーム】に加わることに異義を唱え、揉めている時に【創世敬団ジェネシス】の黒いドラゴン──黒龍族が衝撃波と共に襲来。エクレールは、すぐに応戦するために【聖なる雷光】を豪雨のように降り注がせようとしたところ、人間の少年──翼が巻き込まれてしまうことを蓮歌の注意で気づき、地上に到達する直後で無理矢理に変えてしまったせいで、【聖なる雷光】が暴れ狂ってしまった。


 ──その後は、どうなりました?


 脳裏にフラッシュバックする光景。【聖なる雷光】が降り注いだ後のことを思い出そうとするが、ぷっつりと記憶が途切れてしまって、どうしても、この何もない空間に取り残されるまでの過程がわからない。


 考えている一分ほど間を置いて痛みがすっかりと和らいだ。エクレールは周囲に誰かいないかを確認した後に、服をぺろっとめくって腰の状態を確認する。赤く腫れてはいたが、跡が残るものではない。念のために、指で押して痛みはないことを確認してから、軽く手足を回して体調を確かめる。異常はない。他に打ち付けたところも腰の痛みと同じように癒され、一安心する。


「嫁入りの女の子の躯に傷なんて付けたら、お父さまに怒られてしまいますわ……」


 エクレールの父親──ゲレイザー・ブリアン・ルドオルは齢七千歳を過ぎているが、亜人からは人間的外形は五十代前半ほどだ。しかし体つきは亜人の中年とは違い、未だに逞しさを保っている。


 若い頃からあらゆる武術で鍛え上げられたことにより、龍人の平均的な体力と若さを保っていることを一人娘であるエクレールに自慢げに語っていたことを思い出した。


 ゲレイザー・ブリアン・ルドオル。


 『雷の猛将』の異名を持つ彼はエクレールの父親であり、ハトラレ・アローラにある五大大陸の一つである中央大陸ナベルの東北側を治める金龍族の帝王である。


 荒々しい電磁を司る金龍族を一つにまとめる統率力を持ち、戦闘能力や貿易などの外交への駆け引きにも長けているゲレイザーは、エクレールにとって憧れの存在。人一倍に自尊心や傲慢な彼女の唯一、尊敬し、目標としている人物である。一人娘であり、金龍族の皇女の座は確実であるエクレールは、その椅子を甘んじて座るつもりはない。


 父親のように【謀反者討伐隊トレトール・シャス】で成果をあげ、認められて皇女の座を座りたい、そしていつか越えたいとさえ願う彼女にとって、父親の背中は余りにも大きく偉大で、優しい。


 公の場では、中央大陸ナベル東北地方を治める金龍族の長として厳しい顔を見せるゲレイザーは普段は重厚な迫力を醸し出しているが、宮廷での父親であるゲレイザーは少し違う。特に一人娘であるエクレールに対しての接し方は、仕付け面ではスパルタを主とするが、時々は甘やかしてしまうほどに過保護なところがある。


 ──お父さま、元気でしょうか……。


 〈ゲート〉近くまで送り出してくれたゲレイザーの寂しそうな顔を思い出したエクレールは頭を振る。


「い、いけませんわッ! 人間界に来てまだ三日も経っていないのにも関わらず、お父さまのことが心配になって帰りたくなるなんて、金龍族の第一皇女候補として情けな────ッ!!」


 自分を鼓舞しょうとしているエクレールの鼻孔に流れ込む強烈な悪臭に、顔をしかめた。

 高濃度の鉄製に近い臭い。血液に似た鼻孔を強く刺激する臭いに加え、饐えた独特の臭いがいつの間にか空間内を漂い、猛威を振るっている。


 エクレールは掌に術式を展開させ、扇子を取り出す。音を立てて開いたエクレールは、鼻の前に翳し、どうにか逃れようとするが、完全には防ぐきれず、強烈すぎる臭いが鼻孔を襲う。


 袖で覆っても、悪臭は細かい編み目を塗って、侵入してくる。口で息を吸っても、堪え切れない悪臭がエクレールを苦しめる。防ぐきれない悪臭に涙目になって、声なき絶叫を上げる。


 ──どこの誰ですか、この悪臭を撒き散らす愚か者は……ッ!


 臭いを絶つべく、周囲を見渡して、悪臭の元を探す。


 しかし、周りを見渡してもの幾何学的の模様をした地平線が見えるだけで、人影も何もない。


 ──そういえば、蓮歌もいませんわね……。


 一緒に【聖なる雷光】の豪雨の巻き添えを喰らったはずの蒼髪の少女────水波女蓮歌がいないことに、いまさら気づく。


 もしも【聖なる雷光】の直撃してしまったとしても、蓮歌は幼い頃から幾多に渡りエクレールの電撃を受け慣れており、回避法もそれなりに熟知している。普段なら黒焦げになって、転がっているはずだが、蓮歌の姿形は見当たらない。


 この悪臭の中をどこに行ったのか。もしかすると、【聖なる雷光】の直撃を受けてしまったのか、エクレールは蓮歌の安否が気になって辺りを見渡す。邪険にしたが、エクレールにとっては蓮歌は幼なじみであり、大切な親友である。


「蓮歌、どこにいるんですかっ! 隠れているのなら、早く出て来なさい。この悪臭の中、ふざけて隠れても、わたくしはあなたを【部隊員チームメイト】とは認めませんわよ」


 いずこかにいる蓮歌へと呼びかけた。しかし最小限に悪臭を体内に入らないように心がけて、両掌と袖で鼻先を覆ってしまったために声はくぐこもってしまい、五メートルも届かない。


 それどころか、悪臭が二重した両掌と袖のガードをすり抜け、またしてもエクレールの体内に侵入して来てしまい、声での呼びかけを早々に断念した。


 エクレールは魔力で練り上げて気配での探索に切り替える。

 しかし、魔力を練り上げて気配を感じる五キロ圏内には親友の気配は感じない。だが、代わりに濃密な気配を感じた。蓮歌のものではない。それは、魔術が得意なエクレールでなければ、見失ってしまうほどの塵のような小さいものであった。


 エクレールは眉をひそめて、気配の正体の分析をする。


 ──これは一体……〈オーブ〉か何かでしょうか?


 〈オーブ〉。


 人間界では玉響現象またはオーブ゛現象とも呼ばれ、主に写真やカメラなどに映り込む、小さな水滴の様な光球のことである。肉眼では見えず写真や映像でのみでしか確認されず、人間界の解釈は科学的と心霊的の二通りある。科学的観点にはフラッシュ光の空気中の微粒子による後方散乱が写り込んだもの、心霊的観点では、人の体から抜け出た魂が飛ぶ姿とされ人魂・鬼火・狐火とされているものを指す(怪火と解釈がなされることもある)。


 人間界でのオーブの形状や性質について語られる内容は、全国に共通する部分もあるが地域差も見られる。余り高くないところを這うように飛ぶ。色は青白・橙・赤などで、尾を引くが長さにも長短であり、主に出現するのは夜間(昼間に見た例も少数)程度だが、亜人界であるハトラレ・アローラでは多少なりとも相違する部分はあるが、エネルギーの塊という意味では同じである。


 ハトラレ・アローラの〈オーブ〉は、霊気と魔力がある場所に、大地から時折り発生し、ゆっくりと空中を浮遊する現象のことを指す。


 この現象は、魔力の流れや分布状況、地脈・霊脈の状態に応じて、大小強弱様々な霊力・魔力で構成された球体が生み出され、しばらくの間は空中で浮遊する。


 魔力で行使し、空間全てが魔力で構築された〈錬成異空間〉の内部ではそれと似た原理で構成され、淡く輝く〈オーブ〉が生み出される。しかし、通常の〈オーブ〉とは違い、発生するのは大地からではなく、天上からだ。


 それには理由がある。霊力・魔力を生み出されるのが主に大地を巡る気の流れ──龍脈によって生まれたものであり、自然が生み出した産物。しかし、亜人により人口的に生み出された〈錬成異空間〉内で発生する〈オーブ〉は、霊力・魔力が多く集積する場所が天上にあるためだ。そのために溢れてしまった〈オーブ〉は雪のように降り注ぎ、空間内を彷徨う。


 しかし、エクレールが発見した濃密な気配は、蛍火のように漂う〈オーブ〉とは似て非なる。


 ──〈オーブ〉にしては長時間、形状を留めていますわね。


 大地や〈錬成異空間〉内を巡る気の流れ──龍脈や仕組みによって生まれたものである〈オーブ〉は、供給源である龍脈や仕組みからあぶれたことにより、〈オーブ〉は自らを保てなくなり、消滅してしまうのが常だだ。〈オーブ〉は自らで霊気や魔力を作り出せないため供給源を失ってしまうと形を維持できなくなり、しまいには儚く消えてしまう。


 だが、〈オーブ〉と同じく、魔力で出来ているが、消滅せずに何かを探すように不振な動きをしている。しかも少しずつ移動していることに気付いたエクレールは異常に降り、漂う〈オーブ〉を見据え、思考する。


 〈錬成異空間〉内の〈オーブ〉は、構築者によって魔力の調整により、供給は自由で、全く降らせないことは可能である。よっぽどの魔術を練り上げが不得意でなければ、魔力の配給に異常は起こらない。


 エクレールは学び舎に通えず、魔術の知識はなくとも〈錬成異空間〉を構築できるシルベットがいるのだから、そんな失敗するはずがないと断定し、この〈錬成異空間〉を構築した者がある意図をもって、〈オーブ〉が大量に降らせている可能性から、その理由を目標に見つからずに接近するためのカモフラージュと推測する。


 ──では、次に何のために気配を〈オーブ〉に紛れて接近しなければならないのか?


 不審な動きをする〈オーブ〉に偽装したと思われる濃密な気配を探りながら、それが視認できる範囲内までに近づいてきたことに気づく。


 エクレールは、無言で迫ってくるそれを確認するために見据える。


 向こう側から迫ってくるそれは血のような悪臭が漂い、〈オーブ〉が雪のように降り注ぐ〈錬成異空間〉の中では、不吉なものに思えてならない。


 それは男性だった。


 燃えるような赤髪、目に映る全てを焼き尽くす炎のような紅の双眸。如何にも、筋肉隆々の戦士という偉丈夫だった。如何にも手練れのオーラを放つ推定身長二メートルを越える大男をエクレールは【異種共存連合ヴィレー】及び【謀反者討伐隊トレトール・シャス】、【創世敬団ジェネシス】のどちらなのかの判別をする。


「あの方は、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の方ですか? それとも……」


 エクレールは、悪臭が出来るだけ口に入らないように覆いながら呟く。


 【異種共存連合ヴィレー】及び【謀反者討伐隊トレトール・シャス】と【創世敬団ジェネシス】のしっかりとした見分け方はない。【創世敬団ジェネシス】は【異種共存連合ヴィレー】に謀反を起こした同郷のものであるために、こういった戦場の遭遇での線引きは実にややこしい。


 エクレールは、およその国籍や種族などの見分けは出来るが、三つの組織ともに様々な亜人種が国籍・種族問わず所属しており、明らかに敵意を受けなければ、【創世敬団ジェネシス】であるという決定打とはならないのが現状だ。


 更に、【創世敬団ジェネシス】は敵側に探りを入れるために間諜・密偵も有り得るため、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】の紋章を象った制服などを偽造品を所有していることがあるために、見分け方は殆どが勘でしかない。そのため、同士討ちや冤罪などが危惧されているために慎重に相手の見極めなければならないのだが──


「……うっ」


 遠くから接近しつつある偉丈夫を【謀反者討伐隊トレトール・シャス】か【創世敬団ジェネシス】かを見極めようとして、その途上でエクレールはそれを投げ出す。


 空間に漂う悪臭が皮膚に擬態化している鱗の間や、毛穴という毛穴に入り込んで、不快感で思考が上手く回らない。


 血のような悪臭がエクレールの内側で、焦げつくほど煮詰めたかのような憎悪、殺意と変換され、昏々とした暗闇の中で募っていく。


 体内へと侵入を赦してさまった悪臭が、正気を失わせる成分を含む何かだと気づき、何度か吐き出そうとするが、既にエクレールの内部で、限蹂躙するように度を忘れて不必要なほど増加した憎悪と殺意は、燃焼される。


 この人間界にきて以来は、ここまでの一度もなかった。

 本来は首席にだけ赦される巣立ちの式典で代表挨拶をし、出世への登竜門であった第一部隊配属だったはずが、人間と銀龍族の子というだけで急遽選ばれたシルベットに対しても、ここまで憎んだことはない。


 エクレール的には理不尽な理由で問題児として扱われ、忌み嫌っていたシルベットと【部隊チーム】を組まされてしまったことに、決定を降した黄昏龍のテンクレプや元老院議員達の老人を憎んだ経験は何度かあったが、ここまで憎悪や殺意を抱いたことを、これまでの人生で一度もなかった。


 憎悪と殺意の炎が自分の意思ではなく燈され、躯の中を荒れ狂い、全身の血液を沸騰させる。


「ぁ、ぁ、ぁ……」


 エクレールは、視界が真っ暗に塗り潰されるかのような感覚に襲われた。


 本来の感情から色が失われ、、憎悪と殺意で満たされたエクレールの体内である衝動に変わっていく。


 それは、破壊・殺戮衝動に類するものだった。


 ──…………あれは【創世敬団ジェネシス】ですわ。


 破壊・殺戮衝動が囁く。〈オーブ〉が雪のように漂う空を飛行する紅き戦士──偉丈夫を【創世敬団ジェネシス】だと。


 ──【戦場(こんな場所)】に顕れるだんて【創世敬団ジェネシス】か【謀反者討伐隊トレトール・シャス】しかいません。


 尽きることのない憎悪と殺意を燃料にし、勢力を上げる破壊・殺戮衝動は理性に働きかけ、闘争本能を燃やされていく。


 ──しかし、わたくしはあのような方に見覚えなどありませんでしょう。


 自分を見失わないよう意識を強く持ちながら、抗おうとする。


 ──だから【創世敬団ジェネシス】ですわ。


 しかし、留まることを知らない破壊・殺戮衝動は抗うエクレールを蝕んでいく。


「【創世敬団ジェネシス】でなくとも、所詮は下位であり下級の者ですから口封じとして叩き斬っても大丈夫ですわね────…………ッ!」


 不意に、狼狽に顔を染める。


 エクレールは、自分が口にしてしまったことに背筋を凍らせた。


「わたくしは、なんと…………────ッ!?」


 数瞬の間を置いて、憎悪・殺意という目に見えない感情により、沸き上がった破壊・殺戮の衝動により絶望の淵に沈まされ、【謀反者討伐隊トレトール・シャス】として、あるまじき凶行へと誘導されそうになっていたと認識した瞬間、エクレールは無意識のうちに地面を踏みつけていた。


「い、いけ、いけませんわ……。冷静さを取り戻さなければいけませんわ」


 躯の中を満たしていき、凶行へと誘おうとしている感情と衝動を発散させるように地面を蹴りつける。それは、無駄な抵抗だった。


 空間全体を正気を失わせる悪臭は、口を開く度に入り込み、躯を動かす度に皮膚呼吸を利用して侵入してくる。気体のために、剥がし取ることも吐き出すことも出来ない。


 冷静さを失った隙をつかれ、エクレールは錯乱状態に陥り、いっそ状況を悪くしただけに過ぎない。


 どうすることも出来ないまま、エクレールは最後の足掻きとして、電撃を周囲に放とうとしたが、それは叶わなかった。


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ────……ッ!」


 声を上げ、電気を消すようにエクレールの意識が事切れた。




 数瞬の間の沈黙を置き、エクレールは口元が自然にほころぶのを自覚し、その笑みをさらに大きくした。エクレールが愉しげに狂笑を深める。


「ははははは! はははははははははははははは!」


 エクレールは、闘争・破壊・殺戮のどれかに類することを愛する狂気に染まった笑い声を上げた。


 龍本来が生まれながら備わっている荒々しい野性を刺激する【創世敬団ジェネシス】のドラゴンの大軍が醸し出す血の臭いに、エクレールは当てられてしまっていた。彼女を支配するのは、『壊したい』と『殺したい』という欲求だけ。


 目につくもの全てを攻撃対象として、血肉を斬り刻むことにより沸き起こる快楽を、破壊による喜びを、エクレールに要求する。


 エクレールはそのことを自覚しながらも、抗うことを赦されず、稚気と覇気にあふれる笑顔を前方に向けた。




 そこには、紅き戦士────ドレイクの姿があった。




      ◇




 ドレイクに攻撃をしかけたのは、金髪碧眼の少女────エクレール・ブリアン・ルドオルだった。


「口の利き方に気をつけなさい。わたくしは、エクレール。金龍族の第一女王候補のエクレール・ブリアン・ルドオルですわ。【創世敬団ジェネシス】の分際で、わたくしを仔龍呼ばわりしないでくださる。あなたの分を弁えない言動、見逃してやれるほど、今のわたくしは機嫌も体調もよろしくなくってよ」


 高らかに名乗りを上げ、仔龍呼ばわりされたことに、臓腑が煮え滾るほどの怒りを彼に向けていた。


 仔龍。


 幼龍(生後から十年までの龍)、子龍(十年から成年を迎えるまでの龍)を卑しめていう語。ハトラレ・アローラでは、主に〈巣立ち〉を迎えたばかりの成龍(成年を迎えた龍)、精神年齢が低い成龍に使われる仔龍は、人間界の日本でいうところの『餓鬼』と似たような意味合いで使われることが多い。


 正気を野性に支配されたといえど、餓鬼と同義語を持つ仔龍呼ばわりされたエクレールは当然のように憤慨する。


「わたくしを仔龍呼ばわりしたことを後悔しますわ!」


 高ぶる闘志を宿す瞳には、理性は微かに戻りはじめているが、まだ野性に掻き消えていない。


 だがしかし、高濃度の血の臭いを呼吸する度、口を開く度に体内に侵入しているため、正常な精神状態を完全に取り戻せるまでには至ってはいない。眼前のドレイクを殺せ、と野性が煽ってきている。


「…………わ、吾輩が【創世敬団ジェネシス】だと……?」


 唐突なエクレールの襲撃により、【創世敬団ジェネシス】の一味という誤解を受けたと状況を理解するのにドレイクは五秒の間がかかった。そして、理解し、表情に不愉快さを露わにする。


「貴殿は、多大な勘違いをしている」


「将来有望、知的で美しいわたくしが何を勘違いしているのか……しら…………?」


 虎視眈々と隙を狙うエクレールは、刀身までも黄金に輝かせた派手な装飾をした三尖両刃刀を両手で強く構え、猛禽のような臨戦態勢で、ドレイクに警戒を向けた時──唐突に我に返った。


「え……?」


 一時的だが、理性を取り戻したエクレールは簡単には呑み込めずにいる。眼前の偉丈夫がいて、双方に刃先を向け合っていることが理解できたが、状況全てを判断するには至っていない。


 ドレイクを【創世敬団ジェネシス】か【謀反者討伐隊トレトール・シャス】かの判別し終えるよりも前に、高濃度の血の臭いにより自分の中の野性に唆され、衝動的に襲いかかってしまったが為に記憶が飛んでしまったのだ。しかし、エクレールがそれを理解・自覚するには判断材料としては、少なすぎるのだ。


 突然、意識不明だった者が意識を取り戻すようにエクレールは今の状況を理解するのには時間がかかる。唯一、状況を知っているであろう眼前の偉丈夫は刃先をエクレールに向けている。微かに、こちらに戸惑いの色がを伺えるぐらいで【創世敬団ジェネシス】か【謀反者討伐隊トレトール・シャス】かの判別がわからない。


 そのために現状を気軽に聞けず、エクレールは緩んだ表情を引き締め、ドレイクを警戒する。


 【創世敬団ジェネシス】か【謀反者討伐隊トレトール・シャス】かの判別がつくまで、偉丈夫には何も知られてはいけない。


 エクレールは、ドレイクに悟られないように気丈に振る舞いながら、現状を探ることにした。


「吾輩を【創世敬団ジェネシス】と勘違いしている」


「何故、ですか?」


「……」


 ドレイクは、エクレールのな問いに答えない。


 先ほどの好戦的とは違い、何かを探るようなに彼女の別人の態度にドレイクは怪訝な表情を浮かべる。


 ──何だか急に先ほどの殺気が嘘のようになくなった。


 明確な殺意ではなく、相手を値踏みするような警戒に入れ代わった彼女に、ドレイクは問いには返さず、聞き返す。


「どういうつもりだ? 先ほどまでとは、態度が一変しているようだが……」


「態度が一変……────」


 ドレイクが口にした言葉を聞き、首を傾げたエクレールに唐突な間が空いた。


 僅か数瞬の間を置いて、エクレールは不敵そうに微笑みを浮かべる。


「いいえ、あなたは【創世敬団ジェネシス】の可能性がありますわ。わたくしの勘がそう言ってますのよ、間違いはありません。わたくしたち以外に、こんなところに現れるだなんて、【創世敬団ジェネシス】か【謀反者討伐隊トレトール・シャス】しかおりません。気配を最小限に留め、大量に降らせた〈オーブ〉の中を紛らせて、わたくしに接近を試みようとするだなんて、隙を狙って攻撃を仕掛けようとしか思いません。よって、あなたは【創世敬団ジェネシス】ですわ」


 一息にまくし立て、三尖両刃刀を握り、ドレイクに叩きつけた。


 ドレイクは急に豹変したエクレールに驚きつつも、それを受け止めようと戦斧を構える。


 だが、凄まじく金属がぶつかるような音を響かせて受け止めたドレイクはよろめいた。


「……さっきの攻撃とは重さが違う?」


 一度目の一撃と重さが違うこと驚愕しながらも、ドレイクはエクレールに身体の正面を向ける。


 エクレールは時を置かずに、さらに三尖両刃刀を振ってドレイクに乱打を叩き込んだ。


 首、胴、足、腹……と次々と、素早い連打がエクレールに撃ち込まれ、ドレイクはじわりじわりと後退った。下がりつつも隙を探し、反撃を試みる。


 だがエクレールは素早く、ドレイクの戦斧を躱して飛び退いた。


 数メートルの間合いを取り直したエクレールは嗤う。


「先ほど、不意打ちを狙って攻撃を仕掛けましたが、攻撃を捉え、武器を顕現させて防ぐまでの行程を僅か一瞬で済ませてしまうだなんて、わたくしはあなたをかなりの猛者と窺いましたわ。しかし、年若いわたくしには敵わないようですわね!」


 嬉々として語るエクレールの表情は、獰猛な肉食獣であった。


 ドレイクが何者かを分析している内に、再びうずうずとした高ぶる闘志に襲われ、野性が顔を出したエクレールは、腕ならしをするように三尖両刃刀をぶんぶんと振り回す。


 再び破壊・殺戮衝動に駆り立てられたエクレールは、風のような勢いで間合いを詰めると、三尖両刃刀を横殴りに叩きつけた。


「はッ!」


 裂帛の気合いと共に叩き付けられたエクレールの三尖両刃刀をドレイクは戦斧で受け止めた。そのまま、鍔ぜりあいに持ち込み、口を開く。


「落ち着くんだ。冷静になれ仔龍よ。吾輩は、別に────」


「二度目はないですわよ!」


 再び餓鬼の同義語である仔龍呼ばわりされたことにエクレールは怒り、破壊・殺戮衝動を解放、ドレイクの言葉を終えるのを待たずに戦斧を振り払う。


 エクレールは眼前にいるドレイクを睨みつけ、三尖両刃刀を奮って肉薄する。


「わたくしを二度も仔龍と呼んだことを後悔させてあげますわ!」


 空を切って繰り出される三尖両刃刀をドレイクはわずかに身を傾けただけで切っ先を躱す。


 自分の三尖両刃刀での攻撃を前にして眉一つ動かさなかったドレイクを見ると、エクレールも少しばかり警戒して身構えた。


「わたくしを仔龍呼ばわりしただけのことはあるようですね。ならば、こちらも本気を出させていただきますわ」


「吾輩は、貴殿に攻撃を仕掛けようとしたわけではない。合流しょうとしただけだ」


「合流しょうとして、攻撃を仕掛ける企てている可能性も否定できませんわよ」


 エクレールは、次に連続刺突を繰り出した。


 しかしその直前には、ドレイクは低い姿勢で滑空していた。数度の連続刺突は空を切り、その下を掻い潜ったドレイクは、三尖両刃刀を取ってそのままなぎ払うように一旋させる。


「なッ!?」


 上下逆さまになったエクレールを、ドレイクに地上に向かって落とす。


 盛大に土埃を上げ、落下した。




      ◇




 目を開くのと同時に、眠っていた意識が覚醒していく。


 視界に入り込んだ景色によって、目を覚まされたかのような感覚。実際、どのくらいの時間を閉じていたかはわからない瞼の隙間から流れ込んでくる風景は、それくらい鮮烈だった。


 最初に目に入ったのは空だった。青空に白い雲がたなびく空ではない幾何学的模様をした空。光り輝く粒子が雪のように地上へと降り注ぎ、蛍のように舞って消える。


 徐々に視線を下げていくと、幾何学的模様だけが広がる世界しかなかった。


「何処だ、此処は……」


 見渡す限り、一面に幾何学的模様。ちらちらと光の粒子のようなものが舞い降りるだけの世界。地平線が果てに見えるだけの粗末な世界が広がっていた。


 どこまで行ったら果てにたどり着けるのかさえも不明の、広大な空間。


 どこを見渡しても目に映る風景は変わらない。


 さっきまで【創世敬団ジェネシス】と呼ばれるドラゴンたちによって創られた〈錬成異空間〉の現実世界にそっくりに偽りの街いたはず。一体何をどうしたら、この何もない空間に立っているのだろうか。


 此処に到る過程や経緯、自分がこの殺風景な世界に突っ立たままでいたのか、を思考する。

 シルベットは、翼の忘れ物がある教室で待ち構える【創世敬団ジェネシス】を一網打尽にすべく、校舎に向かって〈クルワ〉を振りかぶろうとした。


 しかしその刹那、ぬばたまの月が浮かぶ天上に硝子を割れたような波紋を描き、放射状に亀裂が生じた。その亀裂から幾何学的模様の光りが溢れ出して、〈錬成異空間〉が破壊されたと視認した直後に、まばゆい光りが翼と共にシルベットは飲み込まれていった。


 ──その後はどうしたか?


 まばゆい光りに飲み込まれたその後は、何度も思い出そうと記憶を探っても、この幾何学的模様の空間に到る過程と経緯がぷっつりと途切れてしまってわからない。


「うう……思い出せん」


 やっと思い出せたのは、記憶が途切れる直前に気配を遥か後方──シルベットがいる校舎の隣にある校舎から三つほどの魔力が発動する気配だった。その三つの気配は、濃密で莫大な力の顕現であったことからシルベットは、恐らく【創世敬団ジェネシス】のドラゴンだろうと推測する。


 〈錬成異空間〉を行き来できるのは、【創世敬団ジェネシス】か、【異種共存連合ヴィレー】か【謀反者討伐隊トレトール・シャス】しかいない。つまり敵か味方の二択しかない。稀に霊感や魔力が強い人間が侵入してきてしまうことがあるが、人間にしては強い魔力を有していたことから除外し、自分たち以外の【異種共存連合ヴィレー】や【謀反者討伐隊トレトール・シャス】という線も捨てきれないが、自ら〈錬成異空間〉を破壊するだの愚挙など味方がするはずがないとシルベットは信じて、【創世敬団ジェネシス】と断定する。もしくは、三つの気配は味方が【創世敬団ジェネシス】と交戦中に起こったものだと考えたものがいいだろう。


 〈錬成異空間〉の空に亀裂を入れたのは、その三つの気配のどちらかが原因によるものだというシルベットの勘は、少なからず当たっている。


 エクレールと蓮歌が【創世敬団ジェネシス】の黒龍族の対峙中に起こった出来事であり、〈錬成異空間〉を破壊した決め手になったことには違いない。


 そこまで推測してから、護衛にあたらなければならない翼の姿がそばにいないことにシルベットはやっと気付く。


「そういえば、ツバサはどこにいったのだ?」


 周りを見渡してもの翼の姿はおろか、人影も見当たらなかった。


 翼は現在、シルベットの血液により半龍半人となっている。シルベットがいざという時の保険として血液を流し込んだおかげで、そう簡単に死滅することはない。


 しかし翼は人間界に生まれ、まだ人生の半分も生きてはいない人間の少年だ。シルベットのように魔術など扱ったことなど一度もなければ、【創世敬団ジェネシス】と戦った経験など一度もない。それ以前に、弄ぶように追いかけ回されて殺されかけた経験からドラゴンに対して、恐怖心を抱いている。


「ちょっとやそっと襲われても、五体満足ならすぐに治癒され、死滅することはない。精神の場合は、どうしょうもならない……」


 身体的な傷なら癒すことが出来るが、精神的な傷はいくら魔力や霊力を扱える亜人であれど困難である。


 いち早く翼が【創世敬団ジェネシス】のドラゴンの遭遇するよりも先に合流し、幾何学的模様の空間からの脱出することに即決した──


 その時だった。


 背筋がぞくりとしたのだ。


 遥か遠方より、周囲から濃密な魔力を大量に感じとった。それは、肌に絡みつくような濃密さと高濃度の鉄製に近い悪臭を漂わせて、幾千のもの何かこちらを値踏みするような厭らしい視線がシルベットを向けてくる。


 辺りを見渡しても魔力と悪臭を漂わせている者は見当たらない。


 それどころか、周囲の複数箇所から血液に似た鼻孔を強く刺激する臭いに加え、饐えた独特の臭いがするために特定の位置が掴められない。辺りから漂う悪臭は、空間内をあっという間に充満し、猛威を振るっている。


「……なるほど、複数の箇所から臭いを漂わせて嗅覚による接近を悟られないようにしているわけだな」


 加えて、体と所持品が大きな動作で動き回っても微かな物音を相手に聴認させないための〈無音〉、保護色に守られた昆虫と同じように相手に視認されないように接近できるたもの〈景色同化〉の魔術を二つを重ねがけていることにシルベットは、感心する。


「しかし、嗅覚の鋭敏な生き物でさえも臭いを嗅ぎ当てるのが困難な〈無臭〉の魔術ではなく、鉄くさい血液に似た臭いと加え、饐えた独特の刺激臭を辺りに撒き散らすのはいかなものか……」


 鼻が曲がりそうな臭いに顰めっ面を浮かべ、シルベットは〈高温感知〉の魔術を使った。


 これにより温度を視覚により感知でき、〈景色同化〉をしている相手の姿をサーモグラフィのような視覚により捉えることが出来る。


 亜人、特に龍人族は冷血動物と思われがちだが、体内に司る力の根源を秘めている関係か人間と変わらない体温がある。魔術発動した場合、力の根源が魔力と変換する際に高温となり、〈高温感知〉により視認しやすくなるのだ。


 魔術で探った結果、爬虫類の近似種のようなものを確認出来たのだが──


「なんということだ……」


 シルベットが〈高温感知〉で捉えた爬虫類の近似種──ドラゴンの力の発現を、空を埋めつかせんばかりにあったからだ。


 天上から降る魔力の粒子に紛れて、幾千以上の力の発言を確認。それは、清神翼を弄ばれるように追いかけ回したドラゴンを一太刀にて滅殺した後に顕現された軍勢とは比較さえも出来ないほどの大軍の襲来。総力戦と見ても遜色ない大軍の顕現に度胆が抜いてしまう。


 猛々しい野獣たちの咆哮を上げ、〈景色同化〉の術式を解き出現したのは、有翼の獣────【ドラゴン】の大軍であった。




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