第二章 四十一
日本の夏の夜空を模した細長い偽物の空間では幾つもの光が爆ぜる。それは地上まで振動し、鳴動する。それは少なからず本物の世界である人間界に影響を与えていた。
ゲリラ豪雨が四聖市を局地的に襲い、幾多の雷が堕としていた。自然災害といった現象により、影響を巻き起こしている。このまま長引けば、範囲は拡大して、日本全域に及んでしまう。それは、ハトラレ・アローラ的には避けたい。
しかし、これだけで済んでいるのは幸いである。震源地の異空間では何度も何度も様々な魔力の光が爆ぜて、幾多の爆発が起こっている。不容易に魔力に適性がない人間が入れば、あっという間に吹き飛ばされ、塵と化してしまう破壊力を持つ光が乱れ飛ぶ戦場。非戦闘の民族が決して立ち入ってはいけない。
その戦場の中を銀と黒した人影を先頭にして編隊を組む【部隊】がいた。
【第六三四部隊】と呼ばれる【謀反者討伐隊】では最強と謳われていた伝説の部隊だ。彼等は、ゴーシュと美神光葉を前衛として向かってくる敵を攻撃をして、道を開かせている。
目標は、天頂だ。そこには【創世敬団】グラ陣営の幹部たちがいる。その中で、今回の戦場に置いて敵の兵隊を指揮しているアガレスさえ倒すか捕らえば、戦争はひと段落つくだろう。
指揮者の代打がいた場合も考えて、幹部全てを一網打尽にするのが一番好ましいが、それはグラ陣営を大立ち回りをしながら、敵を無傷のままに捉えて、異空間に移送していき、既に敵は五にも満たない数へと減らした一人の英雄がしてくれるだろう。
水波女蒼天は、ゴーシュと美神光葉の後ろから部隊の指揮を取る。当面は、蒼天の網から命からがら逃れた敵を捕らえながらも、アガレスを捕らえようとする水波女蒼蓮の邪魔をさせないように、別の空域で戦いを行っている無名の神──ルイン・ラルゴルス・リユニオンの同行を探ることだ。
さっきから水波女蒼蓮の網を抜け出してきた敵がほんの少しずつ増えてきている。かなりの大立ち回りを繰り広げながらだから疲れてきているのだろうか。聖獣といえど力を消費すれば疲労は襲ってくる。
天頂にいる父親の表情は確認できないが、もしものことが有り得ると考えて、水波女蒼天は、ゴーシュと赤羽綺羅を援軍として向かわせることに決めた。
「ゴーシュ・リンドブリム。赤羽綺羅。父う──いや、水波女蒼蓮が捕らえる網から少しずつ逃れる敵の数が増えている。もしかすると、力を消費して疲れているのかもしれない。二人は水波女蒼蓮を近接と遠距離に分けて援軍に向かい、美神光葉とメア・リメンター・バジリスクはルイン・ラルゴルス・リユニオンが邪魔に入れないように見張りを白蓮は逃げないように此処にいろ」
「りょーかい」
「わかった」
「はい、わかりました」
「ええ、心得ました」
「オレの時だけ立ち位置が雑じゃねぇ……」
各々が返事をする中で白蓮だけ不満げに声を出すと、水波女蒼天は口を開く。
「また逃がさないためだよ。いつも毎回戦う時に、白蓮は逃げているだろ。本来なら、軍として敵前逃亡は規律違反で死刑というところをこれまで白龍族の皇子だからと見逃されてきたが、その度に連帯責任として迷惑をかけているのは誰だと思う? 【部隊】の皆だ。連帯責任として、受けるはずだった罰さえも当の本人である白蓮はそそくさと逃げる。なんて奴だ。第一に、白蓮は別に前衛にも立っていないだろ!」
「うん、御免。悪かったよ。今は皇子の位もないから特別していでいいからさ。この腕の拘束を取ってくれないかな……?」
「断る」
白蓮の右腕や腰には拘束がつけられており、水波女蒼天から半径五百メートルは離れられないように術式で行動範囲を制限されていた。
これまで戦場に立つ度に逃げていた白蓮である。いくら逃げないと啖呵を切ったからといって、信頼できないのが白蓮というふしだら皇子だ。水波女蒼天は自分から離れられないように拘束をかけて、戦状と白蓮を見張る。
──ルイン・ラルゴルス・リユニオンとグラ陣営、どちらも油断ならない相手。
──そして、負けられない相手だ。
「我ながら支離滅裂だったね……」
天頂に向かいながら赤羽綺羅はゴーシュに話しかける。それにゴーシュは頷く。
「そうだね」
「人間の少年を相手に感情任せ。義妹が関わると、ろくなことをしないね君は。あれで発破をかけたつもりか?」
「いいや。別にボクはツバサを戦争に駆り立てているわけじゃないからね。第一に、反戦国家生まれの人間が戦場に出てきてもやるべきことは限られている。無理に出てこられても迷惑なだけさ」
「あの物言いだと、誤解されても仕方ないけど……」
「ファーブニルのオルム・ドレキらが彼を狙って人間界に来るからね。ゼノンを奪われないためにも、大切な友人たちを護るためにもツバサは動くしかない。ゼノンの継承者として、ルイン・ラルゴルス・リユニオンのような無名の神が開戦した戦争ではなく、ツバサとして大切なものを護るために考えないとね。そのためにも、記憶と感情はその動力源になるかもしれない」
「交渉的には、感情は邪魔だと思うけどね」
「まあーそうだね。でも、ゼノンは思いの強さだけ強くなるからね。いざという時には、護りたいという感情は大切になってくるのさ」
「へぇーそうなんだ」
「ところで綺羅?」
「なんだい」
「キミはどちらの味方だい?」
「……そうだね。キミたちの味方だよ、“今はね”」
赤羽綺羅の返事が僅かに開けていたこと、“今はね”を強調したことをゴーシュは見逃さなかった。ゴーシュは、少し左下方にいる【部隊員】に目を鋭くさせて、しばらく観察してから、微笑んだ。
「……そうかい。だったら、この戦争が終わるまでは味方でいることを願うよ」
「そのつもりだよ」
「せっかく久しぶりに集まったんだから、途中で裏切らないことだけはやめてくれ」
ゴーシュの言葉に、赤羽綺羅は言葉を返さない。右上方にいる彼の背中をただ黙って見据えている。
ゴーシュは左下後方からその視線を感じ取り、青天だった空に一抹の積乱雲が生まれようとしていることを予感していた。
──厭な予感しかしないな……。
出来れば、杞憂であって欲しいと願いながら、義妹や義妹の初めての友人が無事であるように願った。
決着は近い。それは【創世敬団】の敗北が確実である。悔しげに歪むアガレス。全ての大軍を捕らえて、天頂に辿り着いた水波女蒼蓮はほくそ笑む。
「もう終わりか」
「く……」
「終わりならば、貴様らはまとめて捕らえるぞ」
「そう易々と捕らえられると思うか……」
自ら進み出て来たのは、人間態の外見上では三十代半ばの男性だった。
上半身は異常的に発達した筋肉により膨らみ、お腹回りからぎゅっと引き締まっている。体型はゴリラや人間界のアメリカの漫画に出てくる野獣ヒーローに似た印象を受ける彼は、逆三角形の三白眼。瞳の色は蒼眼。灰白色にひと房だけが黒がある短髪。野性味溢れる顔は猛獣そのものである。
外見から大体の種族を、白虎族と割り出した水波女蒼蓮は、立ち塞がるように現れた黒の武道着は上半身だけ露にしている筋肉隆骨の戦士を警戒の目を向けた。
勇ましい戦士は、天頂にいるレヴァイアサン──ロタンに左目だけ一瞥してから、拳をガツガツと鳴らして、威嚇する獣のように蒼蓮に牙を剥く。
「水波女蒼蓮か」
「そうだ。今度は貴様が相手か」
「不満か?」
「いいや。どんな相手でも俺は受け立つぞ」
「ならばいい。こちらとしては、本命である白夜の前に肩慣らしだ」
メリケンサックを打ち鳴らし、火花を散らしてから構える戦士。白夜と同じく肉弾戦系の装備を確認し、水波女蒼蓮は大きな息を吐く。
「俺よりも白夜が本命とはな。同じ聖獣だが、青龍としては複雑な気分だ。だが貴様の如何にも格闘向けの装備を見れば、納得がしてしまうな。白夜には、よく筋肉が発達した輩に絡まれるからな」
「一度はやられたリベンジというものだ」
「面識があるとはな。何度も諦めずに挑戦することはいいことだ。しかし、わざわざ【創世敬団】に入隊してまですることではないぞ。白夜に挑戦する機会は【創世敬団】に入らずともにあるのだからな」
「何を勘違いしている。オレは手ぬるいスポーツで倒したわけではない。白夜及び聖獣と呼ばれる上級種族を殺したいだけだ」
「物騒な世の中だ。ハトラレ・アローラもいつまでも平和じゃないということかな」
「平和惚けしている輩の目を覚ますにはいいだろう」
「ほう。それは一気に目が覚めるな。だがな、一つ貴様の考えを正そう。オレたちは別に平和惚けをしていない。ハトラレ・アローラが平和なのも、貴様のような輩から日夜、戦っている。他にもあらゆる世界線にこうやって戦っていたりもするので、決して平和惚け等はしていないことを注意して俺らに挑め」
「では、平和惚けしていないことを証明してもらおうか水波女蒼蓮っ」
格闘系の戦士は拳を握りしめ、前屈みになって突撃の構えると、蒼蓮は応じるように堰月刀と構えた。
「そうさせてもらおう」
「聖獣として恥じない応じ方だな」
「望んではいないとは思うが、お世辞では手加減はしないことを言っておくよ」
「その通り、手加減は無用だ。もし手加減などすれば、オレのプライドはズタボロだ」
「そうか。戦士としてはいい心掛けだ。味方ならば尚良かったが、仕方ない。俺のことは知っていると思うが、儀礼として名乗ろう。青龍族の英雄にして皇──水波女蒼蓮だ」
「オレは、白虎族の戦士──ガイアだ」
すさまじい闘気が空中に拡がる。名乗り上げて向かい合う二人の戦意は、大気を震わせて、空間を席巻していく。聖獣であり、あらゆる世界線で名が知られる水波女蒼蓮は英雄の名に恥じない凄まじい力を堰月刀に注ぎ込む。同じく聖獣である白虎族であるガイアは、白夜にもひけをとらない力を拳に集中させている。
これから一騎打ちに臨もうとする二人を止めるものはもういない。緊張感が彼等を中心に拡がる。皆が音を発することをせずに身護った。
下方で神戦をしているスサノウとルイン・ラルゴルス・リユニオンだけは戦うことをやめない。カキンカキンと激しい剣檄の音が聞こえてくる。
重苦しく張りつめた二人の耳には神戦を行う神たちの剣檄の音は遠く聞こえていき、目の前の相手に集中する。ふと、ガキンと誰かが立てた音が彼等の聴覚に届いた。それが合図となって水波女蒼蓮とガイアの刀と拳の戦いが始まった。
「はぁ!」
水波女蒼蓮の胸を目掛けて放たれた拳。空気を切り裂き、蒼の英雄の胸──心臓へ襲いかかる。
青龍は心臓を壊しても死することはない。だからといって、青龍は不死鳥である朱雀と違って不死ではないことから限りなく寿命や弱点は存在する。それは、ハトラレ・アローラの亜人が共通する核となる司る力だ。それを破壊すれば、少なからず戦闘不能に陥らせることは、可能といえるだろう。
聖獣が司る力を溜めておく場所は、躯の中央──心臓である。生物にとって生命を維持するために重要な器官であり、もっとも力を躯全体に行き渡らせるには手っ取り早い場所といえる。ガイアはもっとも力を集め、行き渡らせるとされる胸の中央──心臓を破壊しょうと拳を繰り出す。
手加減はなく、心臓に目掛けて拳を振るって来たガイアに対して、水波女蒼蓮は情けないものを見るかのように一瞥してから、堰月刀を振り回す。すると、衝撃波が発生するほどの竜巻が沸き起こり、ガイアを吹き飛ばした。
爆風の余波は地上まで襲いかかった。それを体感した地上を脱出している最中の【謀反者討伐隊】や彼等に運ばれていた【創世敬団】らは絶句する。
天頂に、幾つもの竜巻が現れて、暴れ回る度に躯が宙に浮いてしまうくらいの周囲に暴風が吹き荒ぶ。
「ガイアといったな。せっかく一対一の決闘を申し込んできたのだから、少しは腕に自信があると思っていたが、ガッカリだ。最初から心臓を狙うとは、戦士としては三流もいいところだな」
〈錬成異空間〉の障壁内に映し出された星空が歪み、空の雲行きが怪しくなる。どこからか雷鳴が聞こえてくるが構わず、竜巻の群れに中心にいた水波女蒼蓮は不機嫌さを露にする。
「貴様は一騎討ちの意味がわからんのか。それとも俺の早とちりか。あんな大口を叩いた上に、一騎討ちで手加減無しと宣言し、挑んできたのだ。少し腕に自信があると勝手に思い込んだ俺の勘違いか。実は、腕は確かではなく、心臓を叩けば、簡単に倒せると思い込んでいた勘違い野郎で、一騎討ちを楽しむ余裕なんてなかったのか。心臓さえ潰せば簡単だと思って挑んできたというのならば、甘く見られたものだな。実に面白くない輩だ。その鍛え上げられた筋肉は偽物か。貴様は一生、白夜どころか俺にも勝てないと思えガイア!」
一気にまくし立てられ、名前を告げられたガイアの脊椎を稲光が貫いた。言葉に籠った高圧電力の如きものが、彼の全身を痺れさせる。
呑み込まれるような深い色合いを宿した碧の瞳が、真正面からガイアを捉える。幻滅と怒気が混じりあったその目にガイアは、ゾッと、背筋と肝に悪寒が駆け抜けた。
「手練れというのは、山のように悠然とした落ち着きがあるものだ。白夜とかはそんな感じだな。決して、そのように焦ってはいないものだ。それとも俺との一騎討ちよりも大切なものがあるのかな。俺との一騎討ちよりもな」
容赦なく、天空を引き裂くような水波女蒼蓮の言葉がガイアへ突き立てられる。
語調は先のと比較すれば静謐だ。しかし抑制が利いているからこそ、内在する感情を伝える力は大きくなる。それ以前に言霊に籠められた大きな感情が、ガイアの内面に楔の如くに打ち込まれ、そこから全身を震わせていた。
ガイアは言葉を継ぐことができない。怒り狂う蒼の戦士に何一つも返せない。いつもなら一つや二つ返しているところだが、躯が金縛りにかかったように動けないでいる。
明らかに水波女蒼蓮よりもガイアの方が三、四回りほど躯が大きい。彼は聖獣の中では、白夜の次に筋肉が引き締まっている。腕力ならば、一気に締め上げれば、潰すことは容易いはずだ。
だが、こちらを見据える水波女蒼蓮の瞳にはそれでは容易ではない威厳があり、ガイアの動きを封じ込めている。
これは純粋な力の差ではない。聖獣たる威厳の力であることをガイアは悟った瞬間だった。
水波女蒼蓮はぞっとするような冷徹な眼差しを浴びて、ガイアは思わず平伏してしまいそうになるところを堪え、苦汁を嘗められたこれまでのことを思い出し、奮い立たせる。
聖獣である青龍──水波女蒼蓮で躓いていては、白夜にはいつまでも倒せないどころか届くことさえ出来ない。ガイアの目標は、白虎族の英雄である白夜を越えることだ。動けない躯を力一杯と動かし、彼を縛り上げていた何かを振り払う。
「……そ、そいつは、どうかな……」
それだけを言葉にして吐き出した。ガイアは殺意が纏う目を向けると、水波女蒼蓮は、瞳の底光りには全てを見透かしているかのような僅かな嘲笑を忍ばせる。
ガイアの表情から水波女蒼蓮は既に何か感じ取っていた。
「ほう。俺の言霊で動けるのか。よくぞ動いたな。そうでなくては面白くない。賞賛してやる。素直に答えてくれていないことだけは減点だがな……。まあ大体の察しはついているから俺には関係ないがな」
「……どういう意味だ?」
「隠し事が下手だなガイア。表情がわかりやすくって結構なことだ。どうせお前さんところの姫を逃がすための時間稼ぎだろ?」
水波女蒼蓮の問いに、ガイアは猛獣のような顔が歪んだ。最初は驚愕してから悔しげに歪んだその表情から察しがついた彼は二本の指を立てて口を開く。
「ガイアの目的を二つ当ててやる。一つ目は、ロタンやアガレスを逃がす気で俺に挑んだ。二つは目は、ついでに聖獣である俺の首を取って名を上げようとしたというわけだろう」
「……ど、どうかな?」
「動揺が口に出ているぞガイア。わかりやすい貴様で感謝するよ。これで“グラ陣営全員を捕らえることが出来た”」
「え……」
一瞬、水波女蒼蓮の言葉が理解できなかった。理解する前に、凄まじい力の奔流が下方で巻き起こる。
ふと、何事かと下方に目を向けると、逃がしたはずのロタンとアガレスが煌焔の炎と白夜の雷火で形成された檻に閉じ込められていた。
その瞬間、ガイアは水波女蒼蓮の言葉の意味を理解した。しんがりが失敗したことを。
水波女蒼蓮に目を向けると、彼は、蒼光の網をガイアの周囲に張り巡らせていた。
「チェックメイトだガイア。一騎討ちの云々は、取り調べ室で聞かせたあと、相手してやる」
ガイアの胸中には屈辱という名の針が刺し貫く。ぎぎぎ、と軋むほど奥歯を噛みしめて、水波女蒼蓮を睨みつけた。
──白夜の前にまず貴様から仕留めてやる……。
そう決意をした同時に、ガイアは異空間に移送された。




