第二章 四十
五年前の夏──
清神翼とシルベットが出逢った夜──。
水無月の屋敷に泊まることとなった清神翼は、龍臣とシルウィーンの馴れ初めを婚約した辺りまで聞き、それを自らが聞きたいと懇願したにも拘わらず、熟睡してしまったシルベットに龍臣の代わりとして語り聞かせた。
「龍臣さんとシルウィーンさんは晴れて婚約して、お互いの家族に挨拶回りしょうとしていたのだけど……シルウィーンさんが父親であるハイリゲン・リンドブリムさんのところに行くのを酷く渋ったらしい」
翼の話を聞いていたシルベットは、わくわくしながら尋ねる。
「それはなぜだ?」
「どうやら、前の夫であるミハエル・リンドブリムさんが亡くなった時にいろいろと諍いがあって、実家に帰れないみたいなんだ」
「なぜ、いさかいをおこしたのだ?」
「どうやらハイリゲン・リンドブリムさんとミハエル・リンドブリムさんとの折り合いが悪かったらしく、ミハエルさんが亡くなったのは、ハイリゲンさんと行った【創世敬団】という敵と抗戦中の時らしく、気に入らないから、どさくさに紛れて暗殺したんじゃないか、とハイリゲンさんを疑って口論したらしい。結局は、シルウィーンさんの思い違いで、ハイリゲンさんなりにミハエルさんに歩み寄ろうとしたんだけど……どう歩み寄ればわからなかったらしく、ミハエルさんと【創世敬団】の本拠地らしいところを偵察に出かけたらしいけど、敵が開発したキメラという化物が現れて、連れて行った部下を半分とミハエルさんを亡くしてしまったらしいんだよ」
「それをすなおにつえればよかったのではないか?」
「そうも行かなかったらしい」
「どういうことだ?」
「当時は二人とも素直な性格ではない上に、負けず嫌いだったらしく、なかなか腰を折って、話せるほど仲良くなかったみたい。一緒に連れて行こうとした息子のゴーシュ・リンドブリムは、父親に後継ぎとして、シルウィーンさんから引き離された挙げ句、ハイリゲンさんがシルウィーンさんに対して、反省し頭を床に付けて詫びを入れるまではリンドブリム家を出禁みたいなことを言ったみたいで関係はこれまで最悪に拗れているために、龍臣さんを紹介したくともできなかったみたい」
「なんと……そふはよけいなことを」
はあ……と、シルベットは息を吐きながら、首を左右に振りながら呆れた。
「そんなことをしては、そふもははもあやまりたくともあやまりにいけぬではないか」
「そうだね。だから、龍臣さんは義父になるハイリゲンさんと挨拶だけは済ませたいと考えていたもあって、それが仲良くなるきっかけになればいいなと考えていたらしいんだ」
シルベットはうんうんと頷いて、
「それはよい。このまま、おんしんふつうになって、おたがいがわからぬままよりはよい」
「どうにか人間界にいるハトラレ・アローラの関係者である如月龍造さんという人を探して、ハイリゲンさんに水無月龍臣さんが挨拶をしたいという旨を書いた手紙を送ろうとしたんだ」
「なるほど。そのきさらぎりゅうぞうとは、なにものなのだ?」
「如月龍造さんというのは、その時代の日本では少なかったハトラレ・アローラとの太いパイプを持つ人間みたいで、その人に頼めば、異世界ハトラレ・アローラにいるハイリゲンさんに手紙が届けられる可能性があると玉藻前さんに紹介されたらしい。シルウィーンさんに内緒で如月龍造さんに会いに行き、伝手として彼に護衛として就いていた伊呂波定恭さんという紹介された。その方に手紙を渡して、無事に手紙がハイリゲンさんに届いたんだけど…………」
清神翼は水無月龍臣に教えてもらったシルウィーンとの馴れ初めをシルベットに伝え聞かせた。いずれもとても興味深い、普通に生きていれば、経験できない冒険である。前のめりになって、食い入るように聞いていたり質問したりしたこともあり、シルベットにわかるように話せることが出来た。水無月龍臣が話してくれた殆どの内容に差異はない。
けれど。
ひとつだけ、シルベットに言わなかった話がある。
銀鱗のペンダントを渡された時に交わされた水無月龍臣との約束だ。
まず、二人だけの約束というのが一番の理由だ。約束が護らなければ呪われるとかという代物ではないが、何となくだが話さない方がいいと感じている。
水無月龍臣の持っているもう一つの銀鱗のペンダントについては、目を覚ました時にシルベットに渡していた。その際に、お揃いだとシルベットが満面の笑みで無邪気に喜んでいた。清神翼としても、彼女と友人になることは嫌ではない。むしろ、友人になれて良かったとさえ思っていた。シルベットとは、水無月龍臣の約束をしなくとも、友人になりたいと思っているのだから。
いろいろとあって、友人になれるきっかけが作りづらかったが、水無月龍臣がそのきっかけを作ってくれたことに感謝した。
水無月龍臣との約束は、銀鱗のペンダントをもらう代わりにシルベットと友人になったという印象を受けてしまいかねない。それによって、彼女に失望を抱かせてしまうだろう。正直、それは嫌だと感じた。彼女を悲しませたくはない。銀鱗のペンダントはシルベットと友人になった証と言えば、悪い印象はない。秘密を口にして、下手に失望させて、友人としての付き合いが悪くなるのは避けたい。清神翼は水無月龍臣との秘密を護り、シルベットと友達となった。
それからお盆休みはシルベットと毎日遊んで、いい思い出を作ったが──
記憶は消された。
◇
現在──
ルイン・ラルゴルス・リユニオンは光となって、清神家から跡形もなく消えた後、次々と蘇ってくる記憶に戸惑いを隠しきれなかった。
これまで思い出そうとしては靄がかかっていた記憶が昨日のことのように鮮明になってくる。〈ゼノン〉に思い出せないように記憶にかけていた術式をこの前に少しだけ解術したことにより、大きな混乱はなかったが、それでも動揺してしまう。
『相棒』
隣にいたゼノンが話しかける。
『オレは戦争はしたくないし、あの無名の神様の敷いたレールを走るのは御免だが、お前があのお嬢ちゃんを助けたいのなら惜しみなく協力する。オレは、お前らが出会った場所から居合わせた唯一の人物──いや、生剣だ。あの夏からお前と過ごしてきたオレだから言わせてもらう。ツバサが決めろ』
「ゼノン……」
『何、戦い方ならオレが教えてやるし、危険なことがあれば、避けれるように頭の中で指示できる。場合によっちゃ、オレが術式で〈結界〉が張って護れるんだからな』
「〈ゼノン〉。私が注いだ魔力が尽きるまでというところを言わなければ騙したことになりますよ」
話を聞いていた美神光葉が教えると、『そうだったそうだった』と鍔の龍の頭が頷いた。
『アレが無粋にもツバサに注ぎ込んだ魔力が尽きるまでは、オレは顕現できる。尽きたら、そこで試合終了だ。無理せずに、戻るしかない』
「もし戦うのならば、魔力の消費に注意した方がいいですよ。量に関しましても、人体に影響を与えず、ゼノンが顕現できる量しか流してませ────ん?」
美神光葉は、注意を促そうとした矢先に、何かに気づき、庭先に警戒の目を向けた。
コンコン。
庭先からノックする音がした。
美神光葉は、ゼノンと清神翼、そしてアリエルに目を向ける。
「やあ美神光葉。ボクだよボク」
男性の声がした。聞いたこともない声である。その声に反応したのは、美神光葉だ。
「その声は……」
美神光葉の端整な顔立ちに不快げに歪んだ。
「今急ぎだから勝手にお邪魔するね」
そう声が言うと、魔方陣が浮かび上がり、複数の男女が転送された。
「やあ美神光葉、いつぶりだろうか?」
くすんだ銀の短髪を掻き上げて庭から現れたのは、どことなくシルベットに面影が似ている青年である。雰囲気と性格は全く似ていない。清神翼はこの前、〈錬成異空間〉に閉じ込められた時に煌焔と戦っているところを、遠目ながらも見たことをあった。
──確かシルベットの義兄だったはず。
「会ってからは三日しか経ってませんし、話したのも〈念話〉でいうなら、そんな大した時間は経ってません。それよりもゴーシュ、何故あなたが此処にキツイ取り調べを受けていたのでは……」
「キツイかどうかはさておき、いろいろな人の計らいでね。まだ戻らないといけないけど、無事に出てこれたよ」
「ゴーシュ……あんなクソつまらないところにまた戻るのかよ……」
ゴーシュと美神光葉の会話を横からとてつもなく厭な顔をして現れた青年が横入りした。
きめ細かく、少し青みかかった白髪に、アイドルやイケメン俳優も顔負けの整った顔立ち。すらりとした体躯は服の上からも程よく筋肉がついていることが窺える。
「約束はしていないけど、このまま逃亡しても意味はないだろ」
「いや、ファーブニルのオルム・ドレキに目を付けられている以上は、逃げた方がいい。むしろ【世界維新】に合流した方がこれからのためになる」
「ふしだら皇子を加入させられないな……」
「それやめろよ。風評被害を喰らうだろ……」
「事実でしょうふしだら皇子? 」
美神光葉がゴーシュとの会話に割ってきたお返しとばかりに、すかさず横やりをさした。ふしだら皇子と呼ばれた美青年はあからさまに端整な顔立ちを歪ませる。
「美神光葉。特にお前、オレを愚弄しているだろ……」
「いえ。ホントに心の奥底からあなたのことを軽蔑してますが何か?」
「最初の“いえ”はわざとか? そうやって、オレ一瞬だけ安心させて突き落とす算段か」
「別に、最初から“ええ”と言ったら、聞きたくない聞きたくないと泣き言を口にして耳を塞ぐでしょう」
「やかましいわっ! そんなことしねぇよ!」
「どうですかね……」
「オレのことを一ミリも信用してないようだな……」
「ええ。信用はしてません。これまで【部隊】で戦った時、敵前逃亡して近辺の村か街で娼婦たちと楽しくやっていた男を信用に値しますか? 出来ませんよね……」
「男の中の男だと褒め称える」
「クズの中のクズだと罵るの間違いでは」
「いや。オレはいい女と一緒にいるな。オレにもいい思いさせろと────」
「クズ男ッ!」
「クズ男ッ!」
美神光葉ともう一つの声がした。清神翼が声がした方へ視線を何気に向けると、目がひん剥くほどに見開かれる。
そこにいたのは、左右非対象の目が特徴的な女性だ。地弦の催眠によってテーブルの上で伏せながら、すやすやと眠らされている天宮空に似ているが少しばかりか大人びており、漂う雰囲気は彼女とは違っている。蠱惑的でどこかもの哀しげで全体的に暗い。
雰囲気はどちらかと言えば、清神翼と鷹羽亮太郎が友達になる前──現在の家に引き取られる前の内気だった彼女に似ている。暗かった時の天宮空に似ている女性は、端整な眉間に皺を寄せて不快感を露にしている。
「白蓮は最低最悪のクズ男ですね」
「メアは史上最悪の【戦闘狂】だから、同類だろう」
「全然、違います!」
「かなり違います!」
「それは違うね」
「間違っているぞ白蓮」
白蓮の言葉を四人の声を否定する。ゴーシュとメアと呼ばれた天宮空に似ている女性の後ろから、もう一つの声が加わった。
さらりとした綺麗な蒼の短髪。白蓮と呼ばれた男性と違って、生真面目な印象を受ける別種の美男子の部類に入る顔立ちである。
「蒼天……お前、何でオレへの第一声がそれなのはどうなんだよ」
「白蓮は大罪人だからな。無視して当然。批判して当然だからな」
「オレなんかよりもゴーシュも大罪人だろ!」
「ゴーシュは白蓮と違って理由を話してくれたからな」
「ボクは逃げる前に、蒼天には話しているからね。止められたけど」
「当たり前だ。【創世敬団】の言いなりになって、〈ゼノン〉をファーブニルのオルム・ドレキに黙って獲るだけではなく、巫女や守護龍を惨殺するなど」
「惨殺はしてないよ」
「だとしても、結果的には次の継承者に渡って良かったものの、危ない橋は渡らないでもらいたい」
「今度からそうするよ」
「ゴーシュは義妹が関わると少し目の前が見えなくなるようだからね。そうなると、自分のことさえも考えず動こうとする。それが君の長所であり短所だ。今回は少しは話しを聞かせてもらえたけど────」
「うん、わかったよ。長い説教は事が済んだらにしてくれると嬉しい。何分、時間がない」
ゴーシュは蒼天の説教を遮った。それに、ばつが悪そうに顔を歪める蒼天。
「ゴーシュには、かなりいろいろ言いたいことが溜まっていてね。思わずちょっと噴出してしまったよ」
「ちょっと!? あれでちょっとって、どんくらい説教するつもりだよ……」
白蓮は驚き、哀れむような顔をゴーシュに向けた。いい気味だと嗤う彼に、蒼天と呼ばれた男性は言う。
「白蓮には、ゴーシュの倍は言いたいことがあるから覚悟しておけよ」
「マジかよ……」
戦いが終わった後の蒼天の説教を想像して項垂れる白蓮。
「旧友との再会の挨拶はこれでおしまいにして、美神光葉?」
「何ですか……」
「これから【第六三四部隊】の再結成だ。非公式で人数も足りないが、やってくれると嬉しい」
「断る権利は、ありますか?」
「ない」
ゴーシュは、魔方陣を横に展開し、手を突っ込み、筒状に丸まれた紙を美神光葉に渡した。彼女は黙って受け取って、丸まれた紙を開いて紙の中に書かれていることを読むと、大きな溜め息を吐いた。
「…………わかりました。従いましょう。私の正体を多くの者に知られてしまっている以上は、どちらにしても断れませんからね」
「ボクは最初からキミが間者には向かないと言っていたけどね。まあー仕方ない。自業自得さ」
「あなたに言われると腹が立ちますが、事実なので仕方ありませんね」
「そういうことさ」
美神光葉が白蓮たちに向かう入れ違いに、ゴーシュは清神家に入ってきた。律儀に靴まで脱いで。
ゴーシュはアリエルに一礼してから、清神翼とゼノンの前に立った。
「セイシンツバサ。我が愛しい義妹が世話になっているよ。まずは、そのことに関しては義兄として御礼を言おう。なに、我が義妹は可愛いだろ? 見惚れてしまうくらいに美しいだろ? まあ、仕方ないさ。ボクの自慢の妹だからね。誰が義妹に惚れようとそれは仕方ない。ボクは自由な恋愛を指示する者としては何の文句はないから安心してくれたまえ」
捲し立てるように言うゴーシュの表情は、薄っぺらい微笑みの皮を張りつかせていた。少しずつ口を開く度に、微笑みがバナナの皮のように剥がされて、ついにはドス黒い嫉妬の炎をもった義兄の顔が露になる。
「ただね。我が愛しいの義妹──シルベットが頑張っているのに、此処で待っているだけということが不憫でならない。まあー非戦闘民で護られる立場だから仕方ない。反戦国家生まれのキミが戦場に訪れてもやることは限られているからね」
『おい、ゴーシュ!』
ゼノンが何らか不穏な空気を感じ取って声を上げた。
「ゼノン。もうそろそろ、いいんじゃないかな。十分に休息はしたし、人間界でツバサと日常を過ごすことで休息も自由だったろ。このままじゃ、楽しく過ごしてきた世界が壊れてしまう恐れもある」
『ああ。オレとしては戦いたくねえし、戦争なんて血生臭いことしたくねえよ。だがな、本格的にヤバイことになってきている。それも考量して、ツバサに聞いているんだよ。オレの継承者はツバサとシルベットだからな』
「さらに、ゼノンに悪い報せだけどさ。御希望通りにファーブニルのオルム・ドレキに狙われないように、記憶に制限をかけたんだけど、名無しの神──ルイン・ラルゴルス・リユニオンの差し金である【創世敬団】が世界線戦の開戦というくだらない遊びのチラシをばら蒔いた。勿論、ハトラレ・アローラにもだよ。それには、開戦以外にもゼノンの居場所をご丁寧にも記されていたらしい。それをファーブニルのオルム・ドレキが見てしまったようでね。ファーブニルのオルム・ドレキにキミの居場所がばれた。これから人間界にキミを取り返しに来るようだよ」
『なっ、なんだと……!!』
「だから、ツバサに制限していたものを全部戻して、力を扱えるだけの能力を与えるかどうかを彼に選択をさせた方がいいんじゃないかな。ファーブニルのオルム・ドレキが来てからじゃ、今の腑抜けのツバサでは太刀打ちは出来ない」
『ああ。わかっている。ファーブニルのオルム・ドレキについては、いつか来るんじゃないかと思っていた。そこの黒龍のお嬢ちゃんが魔力が注いだことで、記憶が少しだけ戻っている今その選択を聞いてんだよ』
「そうか。でも、記憶だけじゃダメだよ」
ゴーシュは清神翼に向かって歩き出す。
『おい、ゴーシュ! 何をするつもりなんだ?』
ゼノンの声を無視して、ゴーシュは清神翼の額に人差し指を立てると、術式を発動する。
「ゼノンには悪いけど、事態は早急を要する。いくら甘水に浸かり過ぎたキミには、この事態を飲み込めないわけじゃないだろ。ツバサはキミの継承者だ。継承者が動かなければ、キミも動けない。記憶を少し戻したくらいで、動くと思うかい? 残念だけどボクは思わない。だから、ボクはツバサの全ての記憶と抜いていた感情を戻すことにする」
清神翼の脳裏に様々な光景が蘇っていく。
『お、おいっ、全ての記憶が戻ったら混乱して、余計に動けなくなる』
「十分に混乱しているよ。なーに、元に戻すだけだ。今までわからなかったところが理解して、それを受け入れれば、すぐにでも動けるさ。五年前の彼は少なくとも、人間でありながらもシルベットを護ってあげれるように強くなりたいと誓っているんだからね。そして、戦った。その敬意を讃えてボクの力を貸してあげよう」
氾濫した川の水流のように、あらゆる記憶と感情が雪崩れ込み、清神翼は五年前の夏のことを全て思い出し、少しずつある感情が沸き上がってくる。
「その記憶にある約束を思い出せ。そして、約束を果たしてみろ。思い出して大事な友人たちを護ってみせろ。糞ったれな名無しの神が言ったからといって引きこもる必要なんかない。大切な友人たちを護るためにも何をするかを考えろ。戦場で戦わなくとも大切なものを護れる存在になれセイシンツバサ。少なくともキミには出来る」




