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第二章 三十九




 空が震えた。森で羽休めしていた鳥たちが轟音に驚き一斉に夜中にも拘わらず、飛び立ち、しわがれた声で鳴き交わしながらその音から逃げていく。


 さっきまで夢の中でいた村人は何事かと家屋から飛び出し、瞳を辺りを見渡す。視線に入る家からは同様のように轟音に起こされた村人たちがいて、辺りを見回している。そして、誰かが「ひ!」と叫んで指を差した。村人たちはその村人が差し示した方向に、空に目を向けた。


 全天が黒に覆われていた。ごつごつした物体が、あたかも曇天の日の層雲のごとく空一面を覆い尽く、満月の夜を朔の夜に変じていた。空を斑に染めるのは、異形の化物の群れだ。鋼鉄のような鱗に覆われたそれは蜥蜴のような体に長くて広い両翼を持ち、全長はまちまちとしているが、平均でも小山くらいには相当する。


 直上を埋めつくす、大きな体を持ち、鋭い爪と牙を持っているそれはその時代には名は知れ渡るのはまだ先の生き物──ドラゴンだった。


 ドラゴンはこの惨めで小さな島は一瞬にして取り囲んでいた。誰かが悲鳴を上げた。子供たちが怯えて木材と粘土壁で出来た家屋へ逃げ隠れる。老人たちは落ちくぼんだ眼窩に畏れの色をありありと滲ませ、母親たちは一様に乳飲み子をしっかりと抱きかかえて地に伏し、我が子を守るような姿勢をとった。若い男衆らは互いに緊張した顔を見合わせて、斧や槍といった武器を手に、得体の知れない怪物──ドラゴンへ警戒の目を向けている。


 ドラゴンの内から一匹が前に進み出てきた。それだけで村人を脅えたように、びくんと肩を震わせる。進み出たドラゴンの体に闇色の光が貼りついた。体を覆い隠した闇に纏われて、ぐんぐんと小さくなっていき、およそ百九十センチメートルで止まり、繭から成虫が出てくるように闇から人の形をした男性が現れた。


 男性は、大地に降り立ち、一言村人に向かって告げる。


「これより人間狩りだ。殺されたくなく頭を垂れても無駄だ。儂らは慈悲なく貴様らを狩るだろう」


 瞬間、怒号のような声を上げて、ドラゴンは一声に村人に一目散に飛びかかる。


 村人たちは、ある者は武器を持ち戦ったがドラゴンの頑強たる鱗に呆気なく弾かれてしまい、丸呑みされて喰われる、ある者は逃げ惑うものの、先回りされて食わえる。ある者は家屋に隠れ、わが子を抱きながら護ろうとするが、屋根を引き離してきたドラゴンに喰われた。そこには、阿鼻叫喚の地獄絵図しかなかった。


 乱獲の合図を告げた人の型をした男性は嗤う。


「弱者は強者には勝てない。それはあらゆる世界に置いての摂理なのだ。弱者が強者に喰われ、糧となる運命なのだハハハハ────」


「そうなると、今度は貴様が私の糧になる番だな」


 凛とした声が男の嘲笑を遮った。


「ん? 何者だっ!」


 男は声がした方を振り向くと、一陣の風が駆け抜けた。一瞬の間を置いて聞こえたのは、断末魔のような複数の悲鳴だった。それは聞き覚えがある仲間の声である。


 男は今一度、振り向くと仲間であるドラゴンが血飛沫を上げて倒れた。それは一頭ではない。人間を襲っていたドラゴン全てが切り刻まれ、一斉に地に伏し、肉片と化していた。襲われていた人間は無傷で呆然とある方向に視線を向けていた。


 何事か状況を理解するために男は人間たちが視線を向ける方へと目を凝らして見ると、それは村の中心で、仁王立ちする何者かの姿を捉える。それは、背中には月に照らされて輝く一対の翼が生やされている明らかに人間ではない姿である。


 白銀の翼を持った者がゆっくりと振り向くと、それは女性だった。


 絹のようにきめ細かい腰まで届く銀髪。端整な顔立ちは勇ましさと愛らしさを併せ持ち、凛としている。美しい立ち姿で、剣先を男に向けて、口を開く。


「貴様の他は全て地に伏したぞ」


 次は貴様だが何か文句でもあるか? といった視線を向ける銀翼銀髪の少女。男はその少女に身に覚えがあった。彼はその名を忌々しげに口にする。


「銀龍族の王女……シルウィーン・リンドブリム」


「ほう。私を知っているようだな」


「ああ。知っているさ。狩猟家の間では有名だからな。人間を助ける龍としてな」


「人間を助ける龍なんて珍しくもないだろ」


「確かにな。だが、貴様は違う。銀龍族の殆どは、人間嫌いで降りたこともなかった。明らかにこちら側だったはず」


「……いろいろと間違いを正そう。銀龍族が人間界に降りてこないことを人間嫌いだからと決めつけるな。もし中には人間嫌いがいたとしても、全てだと勘違いをするな。加えて、人間嫌いだから貴様らと同類だと思わないことだ。貴様ごとき底辺と一緒にされては一族の一人として黙ってはいられない。それに別世界の人間らを蔑む資格など貴様にはないだろう。人間が自分よりも弱いから何でもしてもいいという貴様らのような考えを持つある意味、負け組は見ていたら腹が立つ。この世界で頂点に立ったつもりでいるようだがな、私から見れば腑抜けでしかない弱者だ」


「……き、貴様ッ!」


 捲し立てるかのようなシルウィーンの言葉に、男は牙を剥き出しにして怒りを露にする。彼女は構わず続ける。


「こんなところで粋がる暇があるなら、自分を磨いたらどうなんだ。回りくどく、術式で人間らの反応を面白がって、遊び飽きたら食べるとか性格が悪すぎる」


 シルウィーンは大きなため息を吐く。


「こちらからの譲歩だ。このまま人間たちにはこれ以上は手を出さず、回れ右でゲートを開き、ハトラレ・アローラに帰って自己申告で罪を認めるのなら見過ごしてやる」


「断る。何故、貴様のような銀龍の小娘に指図せねばならない。此処は人間界だ。ハトラレ・アローラではない。ハトラレ・アローラでは上位種族ではあるが、此処では違うのだからな」


「即答、感謝するよ。私の譲歩を受け入れなかったことを後悔するように、ただでは殺さない。ちゃんと、天に召す前に反省できるように少しずついたぶろう」


「ならば、一度に殺さなかったことを後悔させてやる!」


 男は闇色の光を滾らせる。


「つまり、それで私を負かすとでもいいたいのか」


 シルウィーンは剣を構えて、相手の出方を窺う。


「そうだ。こいつを喰らいなっ!」


 男は体に包み込んで闇色の光を掌に集めて、一気に放射した。


 延長線上にあった家屋を吹き飛ばし、人間とドラゴンの屍を塵と化した闇色の光線は真っ直ぐにシルウィーンに向かっていく。


「はあ……」


 シルウィーンは溜め息を吐いてから剣を振るった。


「え……」


 男は一体何が起こったのか理解できず、それだけを漏らす。


 シルウィーンが剣を振るった瞬間、真っ二つに引き裂かれ、闇色の光線は霧散した。


「……一体、何が……」


「まさか、そんなことで勝てると思ってないよな?」


 ドスの利いたシルウィーンの声に男の肩が跳ねた。答えてくれない彼に彼女は、微笑みを浮かべる。目が一切笑っていない微笑みである。


「答えてくれないというのなら、こちらにも考えがある。貴様らが人間たちにしてきたことを、きっちりと返させて頂くそれだけだ。拒否権はない。だって、さっき拒否権も断ったのだからな」


 すたすたと、男に歩いて近づくシルウィーン。


「最後にまた間違いを正そう。ハトラレ・アローラでは下位種族である貴様は、人間界に来たとしても、私よりも上になることはあり得ない。そんなの当たり前だ。人間界でいくら人間たちをおもちゃのように扱って優越感に浸ったとしても、私との力の差が変わるわけもないのだからな」


「く──」


「さて、貴様がこれまで人間界でした過ちは倍にして返そう。これまで奪った命の重みと比べたら、まだ足りないだろうがな。覚悟しろ」


 シルウィーンはそれから男が手を上げて降参しても、赤子の手を捻るように彼女は容赦なく撲る蹴る斬るといった業の応酬を与えた。時折、村人にどうしたいかを問い、徹底的に懲らしめた。


 男が思わず逃げ出そうとしてシルウィーンは〈結界〉に閉じ込めて、〈結界〉ごと振り回し、広場に叩きつける。内部では、シェイクのように振り回され、胃の内容物が吐き出され、酷い有り様である。彼女は村人たちに粗朶木を集めるように指示をする。持ってきた木の枝を彼の回りに入れ違いにうず高く組ませて、松明に火をつけさせて組ませた木の塔に放り投げさせた。一気に火は燃え広がり、男を炙る。龍人である男には少し火傷する程度のダメージを与えられていないのだが、彼女としては人間たちの少しでも恨み辛みを晴らさせるために行ったものである。


 焚き火が〈結界〉を覆い隠すほどに火力を上げて見えなくなったところで、シルウィーンは〈結界〉内下にゲートを出し、男を落として南方大陸ボルコナの収監施設に強制転送した。焚き火の火力が収まった時には、彼が灰となっているように見えるだろう。人間たちを騙すことになるが、彼は異世界で捕らわれの身となるから、人間界にはしばらく安全だろう。煌焔には後日報告することにして、シルウィーンは回りを見渡す。


 村はすすり泣くもの、ただ祈るもの、泣き喚く我が子をしっかり抱き寄せて動かないもの、怯えて震えるもの、恐怖のあまり発狂するもので溢れていた。なんかやっちゃったな、と彼女は、流石に残酷にやり過ぎたと後悔する。


 そんな彼女に、村の長と思わしき老翁が進み出て、膝まずくように眼前で腰を降ろした。


「この度は、助けて頂き、誠にありがとうございます」


「いえいえ。あれは異界に送りました。しかし、また甦り、襲いかかってくるかもしれません。そこでコレを……」


 シルウィーンは自分の鱗で作ったペンダントを村長らしき老翁に渡した。


「これは……」


「これは詠唱という祝詞を唱えれば、少ないですが護ってくれます。攻撃は出来ますが、一度しか使えませんので注意が必要です。銭は取りませんので、村の復興に力を注いでください」


 シルウィーンは、自分の魔力が込められたペンダントを今手元にある七個を老翁に渡した。


「ありがとうございます。感謝致します」


 老翁は両手を空へ掲げ、祈祷らしい言葉を詠じた。それを見てた村人たちが少しずつ集まってきて、膝が地に落ちて、伏し、シルウィーンに対する恭順を示す。


 なんか、いろいろとめんどくさくなってきたな……、とシルウィーンは頭を掻いた。


「どうしょうか……」


 シルウィーンはこの日から、この村では銀姫という神として崇められ、現在でも名を残すことになった。




      ◇




 朝起きれば昨日までの猛暑はなくなっていた。


 龍臣たちは滝を訪ねると、シルウィーンは少し疲れた顔を浮かべていた。龍臣が何かあったのかを問うと、彼女は少し怠そうにしながら、


「昨夜、暑さの原因であるあのドラゴンを懲らしめたのだが、助けた隣村で神と崇められた」


「えっ」


「えっ」


「えっ」


「えっ」


「えっ」


 いつの間にか知らぬ内に解決していたことに驚く五人。


「これで、しばらくはこちらには襲ってこないだろうが、いざという時のために、長い間、魔力が残るようにしたこちらを使ってくれ」


 シルウィーンは、龍臣たちに新たに銀の鱗で出来たペンダントを渡した。


「それじゃ、昨日もらったこれはどうすんだ?」


「予備で使ったり御守りにしても構わない。ただ、人と争うことや金儲けには使わないでくれ。あくまでも自分たちを護れるように渡したのだからな。それがお願いだ」


 真剣味帯びた顔でシルウィーンは願いをされて、龍臣たちは了承した。それを見て、にっかりと笑う。


「わかってくれて何よりだ。では、私は疲れたので寝る。貴様らはそこら辺で好きに遊んでいればいい」


 シルウィーンは龍臣たちが了承したことで安心したのと、昨夜のことで疲れたのか、滝から少し離れた大きな樹木の枝に移動して、横になった。そこから動かなくなった。どうやら寝たらしい。


 龍臣たちはなるべく睡眠中を邪魔したいように少し下流で遊ぶことにした。


 シルウィーンが目が覚ましたのは、太陽が天辺まで来た昼頃だった。寝ぼけ眼で目を擦り、水辺で楽しそうに遊ぶ龍臣たちが嬉しそうに見据える。


 如何に交ざりたそうにしているシルウィーンを龍臣が誘うと、「貴様が私をどうしても誘いたいのなら仕方ないな。行ってやろう」と言い訳を誰となくしたら、龍臣たちと水遊びをして盛り上がった。




      ◇




「その時に渡された御守りがコレだ」


 龍臣はその時に渡されたペンダントを二つ話を聞いていた清神翼に見せてくれた。


 掌に収まるほど小さな扇形の銀の鱗に紐を付けたペンダントである。太陽に照らされて白銀に輝く鱗は、霊感や魔力を持たない翼から見ても実に神秘的に映った。好奇心旺盛に眺め見る彼に水無月龍臣は微笑む。


「どうだ。素敵だろう」


「うん」


「そうだ。拙者はもう十分に護ってもらったから、一つ翼くんにやろう」


「えっいいの?」


「いいとも。拙者は、十分なくらいに護ってもらった。物事を成し遂げるための心の支えとしてだがな。シルウィーンが言うには、そのペンダントには魔力はまだ残っているらしい。拙者はまだ一つ残っているからな。それに、シルベットと仲良くしてくれた御礼がしたい」


「いいの? こんな大切なものもらって……」


「いいとも。その代わり約束をしてほしい」


「約束って……」


 水無月龍臣は約束を交わした。


「如何なる場合も、人間を傷つけてはならないことには使わないでくれるかい? 人間だけではなく、亜人にも」


「わかった。傷つけない」


「あとは、出来るだけ護ることに使ってくれるかい? さっきも話したが攻撃は不向きなようで、護ることに優れたものだ」


「うん。まもることに使う」


「あとは、ペンダントのことは拙者と翼くんだけの内緒だ」


「なんで?」


「知られれば僅なしかない魔力を使ってしまい、護らなければならない時に護ってくれなくなってしまうからね」


「わかった」


「あとは、シルベットと友になってくれるかな? この娘は、屋敷の敷地内で育ったために友人が一人もいない。友になってくれると嬉しい」


「わかった」


 清神翼は元気よく頷いた。


「良かった。シルベットも友人が出来て嬉しいはずだ」


 水無月龍臣は頭を優しく撫でながら、愛しそうに膝の上で寝ている我が子を眺める。優しげな彼の眼にに寂しげな色を感じとった清神翼は、出張や徹夜で家を空けなければならない両親と同じ目に似ている。


 そんな水無月龍臣に元気になってもらいたくって清神翼は声をかけた。


「ねぇ、話の続きはもうしないの?」


「ん」


「シルベットちゃんに聞かせたくなかったところは、まだでしょう。まだ龍臣さんが恥ずがるようなところはまだだからな」


「翼くんには叶わないな。流石は鷲夫くんの息子さんだ。よく話を聞いている」


 水無月龍臣は苦笑いを浮かべて、話の続きをはじめたのだった。




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