第二章 三十三
自由自在、優雅で流麗な飛翔。空の鳥でも、こんなふうに舞えない。細かい飛空能力は青龍族が随一だろう。あらゆる態勢からも立ち直りが早く、素早く迎撃している。かれこれ、青龍族の英雄にして皇帝──水波女蒼蓮だけで千と二百もの敵を地に堕としている。
だが、戦闘不能に陥るだけの傷を負わせているだけ、全てを殺しているわけではない。地上では、次々と堕ちていく敵を捕縛するために任務に追われている。この分の調子なら、地上はあっという間に捕縛した敵で埋めつくされていることだろう。
煌焔は、空域上を支配する【創世敬団】たちを一瞥する。
千八百はまだ残っている。その中で、ガイアやアガレスとグラ陣営の幹部の顔ぶれがあった。勿論、ロタン──レヴァイヤサンも。
彼女たちは遥か上空、〈錬成異空間〉の天辺にいる。どうやら順番的に、彼女たちが降りてくるのはまだ先のようだ。
地弦が人間界に降り立った時にキリアイ、煌焔たちが到着した際にはマッグらがいたことや、カグツチの拘置場にルシアスを脱獄させるためにウロボロスの二人を使ったことからグラ陣営の主導なのだろう。リリスは陣営は違うがルシアスの妻ということから考えたら居てもおかしくはない。
だが、何だろうか。ねっとりとした厭な予感が離れてはくれない。煌焔の心中に不安が過る。
「少し有利すぎるな……。明らかに、何か仕掛けて来そうなのに、策を投じる気配はない。そろそろ幹部級が攻めてきてもおかしくはないのだが──何を考えているんだロタン」
煌焔は、自分よりも遥か上空にいるロタンを見て、悲しげな顔を向ける。
すると、彼女と目があった。その瞳には、確かな助けを求める光りがあった。
千二百もの仲間が地に墜落した。見たところ、戦闘不能に陥らせているだけで生きている。容赦なく見えても、敵には手加減をする、心優しげな青龍族の王だ。業火の炎を操る朱雀である煌焔では、手加減はできなかっただろう。
「予想通りに百名ずつ倒されていきますな」
「ああ。蒼蓮が手加減してくれているお陰で死者はゼロだがな」
「我々としては、時が来るまでの間の時間稼ぎだ。ルシアス様の父君であるルイン様のご命令だからな。なにがしら、起こるのであろうな」
ガイア、アガレスが戦状を見ながら口々に言う。それを耳にして、ロタンは怪訝な表情を浮かべた。
ルイン・ラルゴルス・リユニオンがこれまで【謀反者討伐隊】のために何かしてくれたことは今まであっただろうか。ロタンを拘置場から脱獄させるために助力したことはあったが、それだけである。それ以外は、殆どは手を貸したことも助力したことは皆無に等しい。仰せを与えるだけ与えて、働かせて何かしら得があったこともない。神が後ろ楯としていながらも、依然としてハトラレ・アローラと人間界を断絶することはなく、一部関係を維持できているのがその証拠だろう。
ルシアスの父で神だからといって、盲目的に信用し過ぎではないか、とロタンは考える。それよりも部下の態度が少しばかりかおかしい。並行宇宙にある世界線にルイン・ラルゴルス・リユニオンの仰せ通りに世界線戦の開戦を広げて帰ってきてから、様子がいつもと違う。何処か、虚ろで正気がない。離れている間に何かあったとしか思えない。
だからといって、誰かに助けようとしても、上は〈錬成異空間〉の天辺で行き止まり、下は敵と信用出来ない神──ルイン・ラルゴルス・リユニオンがいる。
どこにも助けを求められない。どうするべきか思い悩んであると、遥か空域の下にいた煌焔と目があった。
ロタンは、裏切ってしまった親友に向けて、思わず助けを求めるかのように目を向けてしまう。彼女なら、もしかすると助けてくれるのでは、と考えたが、すぐに思い直して目線を逸らす。
散々と、酷いことをしまったのだ。今さら助けを求めるなんて虫がよすぎる。それにお互い、敵同士でその幹部だ。ロタンが【戦闘狂】に堕ちた時には、もう確定した運命である。彼女はもう後には戻れないほどまでに来ているのだ。何があっても、ルイン・ラルゴルス・リユニオンの申し付け通りに、彼が描いた通りの物語を進ませるしかないのだから。
──それで多くのグラ陣営の仲間が犠牲になることになったとしても──
◇
千六百もの敵を一人で撃墜した水波女蒼蓮は、地上での部下たちの様子にようやく気づいた。四聖市の住宅街地区、その半分にも満たない〈錬成異空間〉内の地上には、千六百の捕虜によって埋めつくされようとしていた。先ほどまで、美しくも気高い、それで激しい彼の戦国無双な戦いに歓声が湧き上がっていた十五名の謀反者討伐隊】が忙しなく、蒼蓮が撃ち落とした敵の救護と捕縛、戦闘に巻き込まれないように避難させている。
攻撃や見張りから身を隠せるものとして構築された家屋に〈結界〉を張り、一時的に運び込んでいるようだが、百単位で落ちてくる捕虜の数を十五名の部下だけでは捌き切れなくなっていた。但し、娘である水波女蓮歌は隣にいる如月朱嶺に話しかけていて、作業の邪魔をしている。後ほど、蓮歌には厳しく言い聞かせるとして、地上で何らかの非常事態が起こっているのだろうか。一旦、〈錬成異空間〉から出てルシアスとリリスの引き渡しに呼んでいた憲兵にでも事情を告げて応援を要請して、引き渡せばいいのだが。
ルシアスとリリスを見張っていた地弦が急遽加わっているのが見受けられる。
「捕虜の移送が間に合っていないようだし、何やら異変があったようだから、せっかく殺さずに捕まえても足枷にしかならんな。だからといって、殺すわけにもいかない。敵であっても、同じ世界線で生まれた仲間で元部下だからな」
三千いた【創世敬団】の大軍は、残り千四百ほどなのだが、しばらく地上に落とせなくなった蒼蓮は腕を組んで考えた。このまま百の単位で捕虜を増やすと、地弦や部下たちが混乱しかねない。捕虜を運び出せるまでの間、別な策で【創世敬団】の大軍を迎撃しなければならない。だからといって、殺すとなると、敵を殺さずにまず生かして捕虜にする自分の信念を曲げることになる。
水波女蒼蓮が考えている間にも、【創世敬団】が百もの編隊を組んで降りてきた。そのすぐ後ろには、既に百もの敵を控えている。敵を殺さずに全て生かして捕縛する彼を嘲笑うかのように。
そこで、ふと蒼蓮は思った。これは、聖獣たちへの消耗戦を狙ったものではない。後方で大量に捕縛した敵の捕虜を捌き切れなくなった彼が信念を曲げることが目的ということではないかと。
「……それは、殺さない俺への嫌がらせか……残念だが、早々貴様らの思い通りにはなると思うなよ。地上に落とせないのなら別の方法を使うまでだ」
水波女蒼蓮は、大軍を注視する。術式の発現を手早く済ませるために魔力を密かに溜め込み、何か悪巧みを思いついたように微笑んだ。
偃月刀を構えて突進。それと同時に清らかな蒼の司る力の微粒子たちが百の軍勢に向かって空を駆け巡る水脈のごとく、幾千万の蛍火のごとく、もつれあい、たなびき、絡まり合いながら渦巻き、軍勢の前で弾ける。
拡散された蒼の光りは百の軍勢を取り囲んでいた。深紅の天空を背景にして、濃密なまでの神聖な光りは、粒子と粒子が網目もなく繋がれていくと、水のようなものが表面張力に閉じ込めると巨大なシャボン玉のようになった。
シャボン玉の中にぎゅうぎゅう詰めに閉じ込められた軍隊は、攻めも逃げも出来なくなり戸惑う。そんな彼等に水波女蒼蓮はガハハと嗤う。
「この業は知らなかっただろう。それは当たり前だ。これまで使うことはなかったからな。そう慌てずに、安心したまえ。これは一網打尽にする業だが、死ぬことはない。ただ──」
きらきらとした光の粒子は取り囲んだ彼らを入れたまま収縮していく。
「──少しばかりか、小さくなって異空間に閉じ込められるだけだ」
水圧に潰されるように光りの粒子は軍隊を巻き込んで小さくなって消えた。それを終えたところを確認して水波女蒼蓮は、前の軍隊を見て戸惑う百の軍勢に向けて口を開く。
「俺は貴様らを決して殺さずに捕まえる。そのあとでも、ちゃんと話を聞いといてやるぞ」
水波女蒼蓮の行使した術式は転移の一種だ。千六百もの捕虜の管理でいっぱいの地上に落とさずに襲いかかる敵勢を一網打尽に捕らえるには適している業といえる。
敵を殺さずに生きて捕虜すると蒼蓮の信念を曲げさせるために仕組んだものではないが、【創世敬団】──いや、ルイン・ラルゴルス・リユニオンの策に僅かながら支障を与えるには十分といえた。
「蒼蓮の奴……地上の様子に気づきおったか……」
「水波女蒼蓮には、これまで通りに三千の軍隊を殺さずに地上に落としてもらわければならないというのに……でないと、開戦の狼煙を上げれないじゃないか」
「全くだ。せっかく〈錬成異空間〉の上に別な〈結界〉を張って捕虜された彼等を運び出せないようにしたのだからな」
アガレスとガイアは、不満を口にする。
アガレスたち──グラ陣営は、三千の大軍をわざわざ百ずつの編隊を組ませて、水波女蒼蓮を狙い打ちにするような策をルイン・ラルゴルス・リユニオンから仰せ使ってはいない。グラ陣営の三千という大軍の命や敵である【謀反者討伐隊】たちの命を〈呪力〉を発動させる糧にして、あらゆる悲願を叶える万能の石──賢者の石を錬成し、並行宇宙にある全ての世界戦に開戦の合図として血の花火を盛大に開かせるためだ。
賢者の石とは、大量の命を原材とした石であり、鉛などの卑金属を黄金に変えたり、生物の寿命が伸び、不老不死にしてみたり、究極の知識と力を得られるなど、あらゆる局面で効果を発揮する血のように赤い石である。
三千の【創世敬団】の軍勢対水波女蒼蓮の戦いを予知していたルイン・ラルゴルス・リユニオンは、グラ陣営の幹部らに三千の仲間の生け贄にして、賢者の石を作らせて世界線戦の開戦を知らせても気にとめないものに対しての宣誓布告をするために、三千もの大軍を投入させた。
敵を殺さずに捕らえるといったことを信念としていた水波女蒼蓮を相手にするために、わざわざ百に分けていたのは、彼が疲れて手加減を知らない煌焔や白夜が出張って来させないためである。運が良ければ地上に落として身動きが取れない何の能力もない下級種族を一掃できるだけではなく、地上で墜ちてきた捕虜の回収・救護している【謀反者討伐隊】や聖獣たちを一網打尽として生け贄にする──予定だった。
それが、水波女蒼蓮の異空間転移により早くも策が瓦解しょうとしている。賢者の石を作れるだけの十分な命が足りなくなってしまっていた。千六百では、並行宇宙に屍の花を転送するだけの力が足りない。
「このままでは、賢者の石は作れず、世界線戦の開戦の花火を盛大に打ち上げることは出来ない。ルイン様が用意した火蓋を切るための余興が台無しにしてしまいかねん。何とか水波女蒼蓮には、三千もの大軍を地上に落としてもらわなければならないというのに……」
ルイン・ラルゴルス・リユニオンが用意した開戦の演出をつつがなく演出する方法をアガレスは練りはじめる。
だが、ルイン・ラルゴルス・リユニオンの予知していた未来が少し違った感じで進み出しつつある。恐らくイレギュラーであったスサノウの降臨がもっともな理由だろう。
神は、神同士の予知はしづらい。予知したとしても、予知された神がそれを予知していれば回避されてしまう恐れは多い。それによって、神という存在は予知しても不規則に動くため、予知するだけ無駄だと、ルイン・ラルゴルス・リユニオンは言っていたことを思い出す。
神によって、何らかの作用を働いたかは亜人であるアガレスは知ることは出来ない。ただ、スサノウの降臨によって、最初に予知していたものとは違う道を行こうとしているのは確かだろう。水波女蒼蓮は地上の状況に気づき、百もの軍勢を次々と異空間に転移させてしまっている以上は、賢者の石は作れない。
見下ろせば、水波女蒼蓮は既に六百もの大軍を異空間に転移させ、鮮やかな光の航跡を曳きながら飛翔してくる。
「水波女蒼蓮……」
アガレスの口から彼の名が自然に洩れた。
水波女蒼蓮の読みは外れていたが、大軍を一網打尽にすることで意表をつくことにはなったことに感心と畏怖を込める。
「少々の修正が必要になってきたようだな……。ガイヤ、行けるか?」
「ああ」
「ならば──ん? あれは…………」
アガレスがガイヤに作戦を伝えようとした時に、いち早く異変を感じ取り、前方下に目をやると歯噛みをした。
彼の様子に気づき、ガイヤも前方下に向けて目を向けると──
魔方陣が展開していた。赤い光りで構成された魔方陣である。舞台から迫り上げるように魔方陣から召喚されたのは、六名の人影だった。
六名全て、見知った顔をしているのに気づき、アガレスは全身の肌が粟立せた。グラ陣営が空間を往来できないように〈錬成異空間〉外に〈結界〉を構築したにも拘わらず、無理矢理とこじ開けて転移した彼等に忌々しげに見下ろしながら口にする。その声音と表情には少しばかりか戸惑いの色が濃い。
「あれは、【第六三四部隊】か……」
アガレスが口にした【第六三四部隊】という言葉に、ガイヤとロタンは怪訝な表情を向ける。
「【第六三四部隊】……? それはアガレスが前に一度戦って敗北したという」
「ああ。その通りだ。以前、彼等と戦い、敗けた。彼等全員が上級種族で上流貴族のもあるが、能力値はずば抜けているからな。侮ったわけではないが、徹底的にやられてしまったことは忘れもしない……」
アガレスは昔に敗北したことを思い出したのか、悔しげに奥歯を噛み潰して、彼等を一瞥した。特にある者に対して見据える視線は憎悪に満ちている。それは恐らく前の敗北云々ではないことは、ロタンとガイアにもわかった。何故なら、その者は、決してそこには居てはいけない者だったからだ。




