第二章 三十二
──人間界が神の制御を外れたのはいつの日だったか。
数々の世界線は、生物の種子を身護り続け、育て上げた神界から親離れをするかの独自の発展を遂げ、神の思惑と違った方向制御できない時代へと突入する。
いつしか神を信じず、独自の世界観を描いていく世界をルイン・ラルゴルス・リユニオンは大嫌いであった。育てた親に恩義も忘れ、勝手気ままに行動する優占種が。
困った時だけ助けを求めて信仰する。そんな哀れな生物にルイン・ラルゴルス・リユニオンは、嫌悪感を感じていた。それで彼は一つの嫌がらせを思い付いた。維持でも優占種にルイン・ラルゴルス・リユニオンという神を信仰させるための茶番劇を。どうせなら自分好みの英雄譚を盛大にやらせようと。
英雄的行動を嗜好とするルイン・ラルゴルス・リユニオンは、この世界線戦を使って自らが好む英雄譚を作り上げる算段を企てた。下級種族が弱いながらも勇敢に戦うことを体現し、あらん限りの情熱を以て敵地に乗り込む、敵であるルシアスが討たれるか、勇者が討たれるかを実に愉しそうに見据える顔はお伽噺を聞いて胸を躍る少年のそれである。
自分が創造したこの壮大かつロマンティックな神話を熱狂とともに他の神にも伝えたが受け入れてもらえず、酔狂で馬鹿らしい夢物語に過ぎない等と罵倒された経緯を持つ。それでも夢物語を膨らませ続けた彼は、自分が考えた夢物語を笑った神界の者、神を無下にする生物たちを巻き込んで、復讐と夢を両立して叶えようとしていたのだが──
鋼鉄のような肉体は群雲をひきちぎり、鳴動とともに高度三千メートルを轟然と飛翔する。目標である彼に向かい、刀剣を豪快に振るう。余波で雲がこなごなに霧散させながら、放たれた一閃は、彼の持っていた巨大な槍によって防がれた。
神力を宿らせた斬撃をものともせず、耐える彼に日本の代表的とも言える男神は笑う。
「よくぞ耐えたな」
「こう見えても神だからね」
「ならば、もっと楽しもうではないか。やめたいとは言わせないぞ。これは貴様がやり出したことなのだから」
「ああ。そのつもりだ」
互いに手を抜かずに刃を振り払う。分厚い鋼鉄の装甲の躯から繰り出されるのは、大地を一撃で真っ二つにし、下手をしたら島の形を変えてしまう威力を持つ。凄まじい威力を持つ斬撃を受け止めるにも神であろうとかなりの体力を使う。
余りにもスサノオに近づきすぎると、その斬撃をまともに受けてしまい、数時間は身動きは取れなくなるだろう。ルイン・ラルゴルス・リユニオンは適度に距離を取りつつも、迎撃している。此処でまともに喰らえば、恐らくこれまで準備したことが無駄に終わってしまう危険がある。
だから、ルイン・ラルゴルス・リユニオンはスサノオに決定的な斬撃は放てず、自分が行使していた神域を半径五百メートルほどの円を描きながら、幾度か上昇と降下を繰り返しながら旋回していた。
実は、ルイン・ラルゴルス・リユニオンには余裕が全くない。
ルイン・ラルゴルス・リユニオンの神界での下級は低い。殆どの世界線で知られてはいない無名の神だ。対して、スサノオは、人間界(特に日本)を中心した世界線で名前を知られている武術を得意とした上級男神である。数々の英雄神話を持つ彼に、無名の神にすんなり勝てるほど甘くはない。だからといって、勝てないとわかっておきながら引くことはできなかった。
──まだ此処で起こさなければならないことが残っているんだ……。
ルイン・ラルゴルス・リユニオンは、それが起こるのを確認するためにスサノオと剣を交えている。
清らかで強い純度が高い神力の光りの帯が、シルベットとエクレールの直前を幾度となく通りすぎていく。依然と入り込む余地はない。
神域外では、【創世敬団】の亜人の大軍を相手に聖獣──青龍である水波女蒼蓮が空を舞踏会場にして繰り広げられている。激しくも美しい舞いは、入れ代わり立ち代わりと相手を代えて、紅蓮の華を咲かせている。こちらも〈結界〉に拒まれて、入れるところではない。見上げれば、三千もいた大軍は三分の一まで減ってはきている。
自らが構築していた〈錬成異空間〉の中で二人は、如何にどうするかを決めていた。
「金ピカ、それでどうする?」
「そうですわね。まずは、この邪魔な神域を広げるのを待ちましょう」
「ん? 広げる……どうやってだ?」
シルベットは首を傾げる。神域は、行使者しか拡げられない。神域の行使者は、ルイン・ラルゴルス・リユニオンである。彼が神域を拡げようとしたい限りは無理だろう。
「そうですわね……」
顎に手を置き、三拍するの間を考えると確認するかのようにシルベットに問うた。
「ところで銀ピカは、そろそろ目が慣れてきまして?」
「目が慣れるとは何だ──ああ……あれか」
エクレールの問いにシルベットは少しばかり怪訝に感じながらも、彼女の言いたいことに思い当たる。
「慣れて目で捉えるようになってきたな。もしかして、貴様もか?」
「ええ。わたくしも、ですわ」
エクレールは頷く。
「わたくしだけではなく、あなたまでということは癪ですが、わたくしもスサノオと神モドキの戦いを見ていましたら、次第に目で捉えられるようになってきましたわ」
「私もだ。金ピカもということが癪に障るが、私も神速に慣れてきたのか、スサノオと神モドキの戦いが少しずつ目で追えるようになってきたぞ。これはどういった理由なのだ?」
シルベットが問うと、エクレールはわからないと首を振る。
「わかりません」
シルベットとエクレールは、最初こそは神速で繰り広げられている二人の戦いを捉えられることはできなかったのだが、見ている内に次第に目で追えるようになっていた。その理由は、本人たちにはわからない。
「ただ、神域に閉じ込めて躯が神力に慣れてきたことにより、神速で移動する二人を目で捉えるようになってきたのでしょうね。恐らくですけれど」
「なるほど。私らで説明がつくとしたら、それくらいだな。詳しくは、スサノオにでも聞くとして──だったら、つまりあれを利用するのか」
「ええ」
エクレールは頷き、空域下を見据える。シルベットも彼女に倣い、下を見ると、スサノオとルイン・ラルゴルス・リユニオンが激しい戦いが行われている。
推進力と重力の働きを巧みに利用して、神速をもって肉薄。空中でステップを刻むように細かい左右の機動で直進しつつ、刀剣を降り下ろすスサノオ。対して、ルイン・ラルゴルス・リユニオンは突進してきたスサノオに巨大な槍を構えてガードしつつ、柔らかい円周を描く緩横転しながらも秩序正しく、精密機械のような動きで彼にぴたり、ぴたりと一定の距離を保っている。
依然と決着が付いていない戦状が見て取れるほどに、二人は神速で動く彼らの動きについて行けていた。
お互いに地上を目掛けて急降下しながらも、二人は刀剣と大槍の激闘は続く。地上ギリギリで一旦、離れて急上昇する。先に、遙か下方で何事もなかったように体勢を立て直したスサノオが再び、突進。ルイン・ラルゴルス・リユニオンは小刻みに左右の動きを見せてから、スサノオ相手にフェイントをかけるが、ものともせずに肉薄。大槍を振るって、再び二人の神は合いまみれる。
神速で攻防する彼らの戦いは──
「神モドキの防戦一方だ。スサノオの優勢といえるな」
「そうですわ。最初こそは互角に渡り合えているかと思えまして息を呑みましたが、目で捉えれば、スサノオが有利ですわ」
「そうだな。神モドキが防戦一方だ。スサノオの間合いを一定の距離を保ちながら逃げているとしか見えないな」
「ええ。そろそろ神域内で戦うことに手狭さを感じてきてもおかしくはありませんわね。そうなると、〈結界〉を拡げざるを得ないかと」
「だが、そうなると、神域外にいる仲間が戦いにくくなるのではないか」
「不利なのは、わたくしたち【謀反者討伐隊】ではなく、【創世敬団】ですわ。だって、こちらには四聖獣がいますのよ。見ましたでしょう? 水波女蒼蓮だけで一気に千もの敵を撃破しているところを」
「確かに見たな」
「通常の戦場ですと、数が多いに越したことはありません。ですが、大軍で攻めるにはこの〈錬成異空間〉は狭い。先ほどは、こちらは自由に動けない分、ルシアスとリリスに苦戦していたようですけれど」
「そうだな。助走を付けるには狭かったな……」
シルベットは、リリスの頑丈な鎧を破壊するために助走を付けられず、わざわざ〈重力〉を要した斬撃を与えていたことを思い出す。この〈錬成異空間〉は、横よりも縦の方が長いため、落下して〈重力〉を使った方が手っ取り早く助力を得られていた。
「見たところ【創世敬団】は個々の戦闘力はそこまでありません。強敵ではない限り、しばらくは攻撃力が高い聖獣を交替しながら戦った方が有利ですわ」
「うむ。だが、神域を拡大した場合は、こちらも不利になる可能性はないか?」
「それなら大丈夫ですわよ」
エクレールはニコリと嗤う。
「この〈錬成異空間〉の行使者は誰だと思いまして?」
「私らだな」
「ええ。つまりフィールドなんて、こちらが戦いやすいように変えればいいだけですわ。幸い、こちらは神域内ですから、空間を弄っても邪魔は入りませんからね」
ほ〜ほほほほ、と高笑いをするエクレール。彼女にセコいなとシルベットは呆れながらも、敵もこれまで幾度も〈錬成異空間〉内を変えていた歴史を思い出し、自業自得だなと考えて、エクレールの考えに乗ることにした。
「で、どう変えるんだ?」
「ええ。それはですわね──」
エクレールから作戦内容が耳打ちで伝えられた。
それを聞いて、シルベットは一言だけ口にする。
「貴様はやはりセコい……」
「喧しいですわ……」
◇
神やそれに等しき力を保有する存在というものは、これほどまでに複雑で美しい航跡を描くことができるのか。スサノオやルイン・ラルゴルス・リユニオン、水波女蒼蓮はこれほど柔らかく、激しく、美しく、空を舞い、眼前の敵に向かって戦っている。気づいたら時を忘れて、地上と空で彼等の曲線と直線が絡み合う乱舞を眺めている【謀反者討伐隊】、【創世敬団】の兵士が任務を忘れて魅入っていた。
特に、敵を墜とす度に地上では味方から羨望と尊敬、捕虜として捕まった敵からは畏怖の眼差しで見据えられ、拍手喝采と落胆が入り交じている。もっとも目で追えられる水波女蒼蓮ではあるが。
依然として、スサノオとルイン・ラルゴルス・リユニオンの神同士の戦いを捉えることは出来ない亜人たちは、人間が微小ですばしっこい虫に等しい。戦いを捉えられるのは、〈錬成異空間〉内では、聖獣たちだけだろう。だが、その中に青龍族の水波女蓮歌は入ってはいない。
「ねぇ、どうなっていますぅ?」
「人間の私に聞かれても……。蓮歌さんは見えないんですか?」
「全く見えませんよ。パパも」
にこやかな微笑みを浮かべる蓮歌。流石に、水波女蒼蓮の戦いはやっとであるが捉えられている如月朱嶺は絶句した。
水波女蓮歌の動体視力が人間である如月朱嶺よりも悪いことに不安が募る。そんな彼女に構わず、蓮歌は美しい眉間を歪ませて不快感を露に口を尖らせる。
「それよりも何なんですかぁアレは……」
「何がですか?」
「エクちゃんとシルちゃんです……」
蓮歌に二人の名前を出されて、如月朱嶺は上空を見上げた。スサノオとルイン・ラルゴルス・リユニオンの空域よりもやや上でシルベットとエクレールが浮揚したままでいた。彼女たちは、耳打ちをしている。悪巧みでも思いついたように表情をしているのが見てとれた。
二人は現在、ルイン・ラルゴルス・リユニオンが張ったと思わしき神域の中にいる。周囲には神が構築した見えない障壁があり、閉じ込められている。恐らくそこから抜け出すための算段をたてているのだろうか。如月朱嶺の心中に一抹の不安が過る。
「彼女たちはどうかしました?」
「くっつき過ぎです……」
「……確かに、カレーを作る前と後では仲が良さそうですが、蓮歌さんが心配するほどではないですよ。見たところ、相も変わらずに諍いを起こしているところも見受けられますから」
「……そ、それでも心配なんですよぉ! どうにかなったら、考えたら」
「どうにもなりませんよ……。シルベットもエクレールも同性に興味はないタイプですから」
「それはそれで心配……アカネちゃん、なんか冷たい目で蓮歌のことを見ないでください……」
「…………あ、いえ。申し訳ありません。少々、こんな緊迫した状況で何を考えているのかとも思いましたけど、こうもめんどくさいとは……。少しばかりかエクレールの気持ちがわかりました…………」
「……ひ、ひどいですよおっ!」
「ひどくないですよ……。蓮歌さんが考えているよりも、シルベットさんとエクレールさんは親密になることはありませんから」
如月朱嶺は呆れ顔を浮かべて蓮歌を一瞥する。
視力を術式で強化させて、上空を見上げてシルベットとエクレールの様子を確認したが時折口論しているように顔を付き合わせているだけで、蓮歌が危惧するほど親密になっているようには見えない。【部隊】のために、少しは仲良くしてもらいたいのは山々だが、常に諍いが絶えない二人がそう簡単に関係が改善するとは考えられないのだが。
蓮歌は動体視力どころか、視力が悪いんじゃないだろうか、と心配になってくる如月朱嶺。そんな彼女が向ける視線に蓮歌は、哀れむような目で見ないでぇ……と浮かべながら、シルベットとエクレールが懇意関係になる妄想を口走る。
「だってぇ、最初は不仲だったら大体は親密関係になるんじゃないですかあ?」
「ありませんよ。そんな漫画やドラマみたいなこと、二人は神域を抜け出すための算段を取っているだけです」
「いいえ。あれは、親密になった二人が──」
「ないです」
「いいえ。絶対にないとは言い切れません。そうやって、あわよくば──」
「ないです」
「でも……」
「ないですから!」
蓮歌の言葉を遮り、否定する如月朱嶺。
「そんな極端に仲が深まりそうもない二人がくっつくといった妄想はやめて任務に戻ってくださいよ……」
「妄想……。妄想じゃないですよぉ! もしもの可能性を…………」
「だから、ないですってば……」
それから蓮歌と如月朱嶺はシルベットとエクレールが親密関係の可能性の有無を何度か繰り返していたら、「いい加減にしろ」とドレイクに怒鳴られた。
恐る恐ると振り返ると、水波女蒼蓮が撃ち落とした【創世敬団】の捕虜を三、四人を背負っていた。
ドレイクの後ろには、水波女蒼蓮が撃ち落とした大軍があちらこちらと降り注いでいた。生きている限りは捕虜として救護しなければならないため、安全なところまで回収する必要がある。【謀反者討伐隊】は戦闘不能に陥った彼等を捕虜として捕らえて、救護班がいる少し離れた少し敷地が広い家屋に運び込んでいたのだが……。
「落ちてくる捕虜が増えすぎて、回収班や救護班だけでは捌けなくなってきている。無駄口を叩いている暇があるのなら、こっちを手伝わんかっ!」
「は、はい!」
「はい……」
如月朱嶺は少し戸惑いながらも、水波女蓮歌は不服そうに返事をした。




