第一章 八
シルベットと翼が入った校舎から、二つほど離れた校舎の屋上で、エクレールは双眼鏡から目を離した。
「何をのんびりと護衛相手の人間と握手して、『友情ごっこ』みたいなことをしてますの? 周辺の人間が巻き込まれないように異空間を展開して、そこに敵や目標を欺く為の偽りの街を錬成せずに、【創世敬団】たちを誘導しないで、どうしますのよ。これではいざ戦いが始まった場合、被害が出ますわ」
貴族育ちの端正な顔を顰める。
彼等の前に先ほど清神翼を引き込んだ異空間──〈錬成異空間〉とほぼ同じ術式が発動するのを捉えた。
【謀反者討伐隊】と【異種共存連合】は、人間界の生物たちになるべく被害をこれ以上与えないように、目標に気づかれないように誘い込み、速やかに殲滅する役割を持つその術式は、【創世敬団】とっては獲物──主に人間を【謀反者討伐隊】に悟られないように乱獲するために檻であり、罠である。
シルベットは、〈錬成異空間〉の誘導を怠ったり、呑気に人間の少年と親しくしていることでエクレールは気が気ではない。【謀反者討伐隊】は連帯責任が主だ。任務失敗や任務遂行最中の行動は【部隊】全体でとらされることになる。ちゃんと、シルベットが任務遂行してくれなければ、自分までも一緒に連帯責任として大罰を受ける羽目になってしまう。
当事者でなければ、シルベットの失敗や規則違反を大笑いで莫迦にしてあげたいところだが、そうもいかない。
「これはまずいですわ。これはまずいですわ。これはまずいですわ……」
頭を抱えて、右へ左へと行ったり来たりと落ち着かない。
「少しは落ち着いたらどうですかあ?」
闇夜に紛れてエクレールの背後に立つ影がエクレールに気軽な感じて話しかける。
エクレールは、すぐ後ろまで接近してくる影を声だけで訊き、相手の正体に気づく。
歩いてくる影は、少女だ。間延びした声にエクレールはうんざりしたように息を吐き、振り返らずに答える。
「何かしら? 水と緑の大陸──東方大陸ミズハメを支配する青龍族皇帝の姫巫女様」
「支配、だなんてえ、物騒な言い方はやめたらあ? 金龍族の皇女さん」
夜も近い夕陽に照らされ、蒼髪を靡かせながら現れたのは──
一人の可愛らしい少女だった。
光の粒子で縫製されたかと見まごうような煌びやかな衣を纏った、淑やかそうな少女である。シュシュで一つに纏められれた長い蒼い髪に、朗らかな表情に飾られた美しい貌。抜群のプロポーションを持ちながら、それを誇示することもなく、膝下スカートをきっちりと着込んでいる。
少女は女神のように穏やかな微笑みを浮かべた。
エクレールは、少女のことを良く知っている。
水波女蓮歌。
東方大陸ミズハメの土地を納めている青龍族皇帝の第一皇女にして姫巫女にして、今期シルベットと同じく人間世界行きを決めた、水を操るにかけては右に出る青龍族の中にはいないとされている才女。
美しい人型もさることながら、本来の姿である龍と変化した姿は、東洋の龍特有の瑞々しい長細い胴には翼がない。それでも天空を舞を踊るように優雅に泳ぐ姿は誰の視線も集めてしまうほど、一興の価値はあるとされている。
しかしエクレールは、そうとは思わない。
二人は、お互い両親が大陸の守護者であり代表者である。人間界で例えるなら、総理や大統領にあたる彼女たちの親は、宴会などの催し事に招待されることあって、それに連れていかれることもあった。
加えて、彼女たちの両親同士が腹心という間柄のために、お互いの屋敷・城を頻繁に行き来することもあり、二人は幼なじみである。
そのため、姫巫女として舞い踊る蓮歌を見ても、特段に美しいとも可愛いとも思わない。それどころか、第一皇女にもかかわらず姫巫女になった蓮歌を、『第一皇女だというのに、姫巫女に位をわざわざ下げてまで舞い踊りたいだなんて、わたくしにはわかりませんわね』と軽蔑していた。金龍族の第一皇女として、自尊心が高く、誇りを持つエクレールには、姫巫女になった蓮歌の気持ちなど理解出来ないでいた。
「わたくしが質問しています。質問を質問で返さないで下さる? たかが姫巫女が、そんな初歩的なことも出来ないのかしら」
「口の聞き方に関して、エクちゃんに言われたくないよぉ。任命式の時には、お互い【異種共存連合】と【謀反者討伐隊】の幹部に口答えした仲でしょうぉ。仲良くしょうよお」
そう言って、馴れ馴れしく蓮歌はエクレールを背中から抱きしめた。
エクレールはしがみつく、蓮歌を払いのける。
「ええい、馴れ馴れしくしないでくださる? 水のニオイが鼻について、たまりませんわ!」
「青龍族は、緑と水などの自然を司るのだから、仕方がないと思いますけどお」
「それ以上近づいて来たら、わたくしの電撃を食らわせますわよ!」
再び接近してきた蓮歌をエクレールは交わして、威嚇するようにエクレールは、身体にパチパチと、音を立てながら青白い火花散らす。
怒りをあらわにして、全身をスタンガン冗談をさせたエクレールを見て、蓮歌はひっ、と小さな悲鳴を漏らしながら怯える。
「わ、私は、他の龍族よりも電撃の類いには弱いんですからぁ、止めてよエクちゃんっ。そんな青白い火花を全身纏ったエクちゃんに触れたら、どうなるかわかりますよねえ?」
「人間界のどの国かは忘れましたが、豚の丸焦げというものがありますわ。そのように、さしてあげますわよ、ふふふ」
不敵な微笑みを浮かべて、怯える蓮歌ににじり寄るエクレール。
「な、なんですかあ? その何か企んでいる微笑みは?」
「豚の丸焦げ風に真っ黒になった、たかが姫巫女を想像をしたら、凄く気分が良くなりまして、ふふふ」
「おぞましい……。なんて、おぞましい想像をしているのエクちゃん」
蓮歌は顔色を真っ青に染めて、後ずさる。
「その鮮やかな蒼を真っ黒に染めて欲しくなかったら、さっきからの『ちゃん』呼びを取り消して、なぜあなたが此処にいるのかを答えなさい」
「はいっ。取り消しますし、お答えしますので、その火花を飛ばすのをやめてくださいっ」
蓮歌は頭を下げた。
エクレールの全身纏った青白い火花か、それともおちょくられて憤怒した形相かのどちらも怖かった要因となり、意図も簡単に口を開いた。
「実は私──水波女蓮歌は……エクちゃ────いえ、エクレールさんと銀龍族の半龍半人の水無月・シルベットの【部隊】に入隊することになりましたあ。そしてえ、一緒に清神翼の護衛することになっちゃいましてえ。それで合流しに来ましたあ、よろしくお願いしますぅ」
「え……」
明るく理由を話して挨拶する蓮歌の言葉が、エクレールは上手く飲み込めない。
「ど、どういうこと、ですの?」
「あらまあ。【創世敬団】たちに聞こえないように、小声で話したから耳に入らなかったのかなぁ? 清神翼の護衛に私――水波女蓮歌も参加することになりましたっ。既に護衛の命にあたっている水無月・シルベットとエクレール・ブリアン・ルドオルに合流して【部隊】を組め、ということで此処に来ましたぁ!」
「…………」
聞き間違いとかではなかった。再度確認しても、変わりはしない。それに何度も確認しては、先を行くシルベットたちを見失ってしまう。
──このたかが姫巫女と【部隊】を組めと?
冗談ではない。エクレールは舌打ちをした。規則違反中のシルベットで、人生で一番の危機を迎えているというのに、第一皇女としての立場を忘れ、姫巫女に位下がりした蓮歌の面倒を見ることは出来ない。
「護衛対象──清神翼の護衛は二人で充分です。いえ、一人で充分です。二人もいりません。人間の護衛なんて簡単過ぎる任務なのですから、あなたの手は必要ありません。そう人事移動部に伝えてください」
「いやですよお」
蓮歌を【部隊】を入れること捲し立てるように断りを入れたエクレールだが、蓮歌は笑顔で拒否する。
「なんでですか! 一人で充分と言っているのです。銀ピカよりも動きに鈍いあなたがいては、足手まといですわ」
「それでも【部隊】には最低限の人数があることは学び舎では習っているから、エクちゃんでもわかっているでしょうお」
「く……」
【部隊】とは、原則五、六名。少なくとも三名以上は必要とされている。それは、【謀反者討伐隊】の任務遂行するために必要な最低限必要人数だ。
にもかかわらず、エクレールの【部隊】はエクレールとシルベットだけで必要最低限人数に満たしてはいない。このままでは、任務に支障が出てしまいかねないだろうと考えた上層部が人数の増加したのだろうとエクレールは考えていたろう。
しかし、エクレールはシルベットだけではなく、蓮歌とも【部隊】として組まなければならないことに、不満を感じていた。
確かに【創世敬団】という組織は常に群れで行動し、作戦を建てて、大群で襲ってくる。単独行動では部が悪い為に、【部隊】を組むように義務付けられている。
「あなたは、わたくしたち以外の【部隊】と組まなかったのですか?」
「いませんけどお。スカウトもされませんでしたし」
「え?」
蓮歌は至って普通に笑顔で答えている。しかし、口にしたことはありえない。【異種共存連合】又は【謀反者討伐隊】が人間界に旅立つ前に、【部隊】を組まされいるはずである。シルベットとエクレールの場合は、式典の時に問題を起こし、半ば無理矢理に指名されてしまい、組まされている。その他の面々は、式典後にスカウトなどで【部隊】が決まっていくはず。【部隊】に入らなければ、登録不可になり人間界に来れない。
しかし、【部隊】を組まされる前に蓮歌が人間界に来ている。
「では何故、あなたは此処にいるのですか? どの【部隊】に入らなかったら、登録不可で来れなかったはずですわよね」
「それは私が誰とも組みたくもなかったのと、式典の一見で愚図の集まりが私のことを避けていたから登録不可になって行かれなくなっちゃってぇ。だからあ、お兄様に頼んで人数が空いていたエクレールちゃ……さんとシルベットの【部隊】に登録したから来れたんですよお」
「まさかのコネですか……。そよりも、今また『ちゃん』付けをしょうとしませんでしたか?」
エクレールがジト目で睨め付くと、蓮歌は笑顔だった顔を真っ青に染める。
「いえいえ、決してそのようなことはしていませんよお」
「ふぅ〜ん」
胸にある豊かな双丘の前で手を振る蓮歌を、エクレールは刺す殺すような尖んがった冷ややかな目で見据える。
「まあ――いいわ。事情はわかったことですし」
「それじゃ──」
「却下ですわ」
蓮歌の言葉を早々に遮る。
「どうしてぇ、エクちゃんっ!」
「いくら青龍族皇子の指示であろうと、わたくしはあなたを【部隊】として認めるわけには行きません。あと、『ちゃん』はやめなさいっ」
目に涙を浮かべて今に泣きそうな蒼髪の少女──水波女蓮歌に、エクレールはきっぱりと言い捨てる。
「なぜなら、わたくしはあなたのことは、銀ピカよりも大嫌いですのよ!」
踵を返して、蓮歌に背を向ける。
「わたくしたちは任務で忙しいですの。だから早く帰ってくださる。ここにいると、邪魔で仕方がありません」
「エクちゃ────エクレール……さん、何で? 私よりもあの半龍半人で、身分をわきまえも出来ていないシルベットの方が好きなの?」
「何言っているのですか……?」
エクレールは振り向かずに答える。
「私はあなたよりも銀ピカの方がマシだと言っていますの。姫巫女として位を下げたあなた──水波女蓮歌も、原子核を司る銀龍族の姫君──水無月シルベットも、わたくしはどちらも好きではありません。どの世界においても、雷撃を司る金龍族の王女であるわたくし──エクレール・ブリアン・ルドオルが最強でなければなりません。その為に邪魔なもの──障害になるものは、誰であろうと、何であろうと、徹底的に排除しますわ。そのため、銀ピカよりも下位なあなたはいりませんわ」
嫌悪感を抱いた瞳を蓮歌に横目で向け、
「死にたくなかったら、邪魔しないでくださいませ」
拒絶して、エクレールは校舎へと入った。
◇
つい十八時間ほど前のこと。
異世界ハトラレ・アローラ。
中央大陸ナベル。
ゴールデン・ガーデンから遥か二千キロ離れたセントラル・シティにある【謀反者討伐隊】のギルドにて。
聖なる蒼髪の少女────水波女蓮歌は、擦れ違う者を皆が老若男女問わず振り返ってしまう端正な美しい顔立ちを、眉間にしわを寄せて不機嫌そうにしていた。
巣立ちを過ぎたのにもかかわらずに、口の悪さが災いして、どの【部隊】から声をかけてもらえずに登録不可になってしまい、未だに配属先の【部隊】が見つからないま、エクレールたちから置いてきぼりを喰らっていた。
「なんなんですかあ……。たかが、式典で話しが長いファーブニルのオルム・ドレキに一泡吹かせた私を見て、何をびびっているのかしら。根性がない龍共ですかぁ」
目を合わせようとすると、視線を逸らす者たちに聞こえるように言葉を紡ぐ。苛立ちを飲んでも、テーブルを八つ当たりしても気は晴れない蓮歌は嘆息して、目の前にあった透明な水を飲み干す。頭に血が上って発熱した身体を冷やすように。しかし、巣立ちの日から五日も此処で、待ちぼうけを喰らっている苛立ちは冷めることはなかった。
巣立ちをしてしまった以上、家には帰ることも出来ない蓮歌はギルドに宿泊しながら、どこかの【部隊】に空きがないかを探してくれるという兄である、青龍族皇子────水波女蒼蓮の連絡を待っている。
「そう言って五日待たせるなんて、蒼蓮お兄様は何をグズグズとしているんでしょうねえ」
蓮歌は徐に袖口から写真を取り出した。
巣立ちした蒼蓮が最初の里帰りの時に人間世界地球にある日本で買ってきた旧式のインスタントカメラで撮られた一枚だ。
写真には、三人。人間の年齢だと五歳くらいの少女が二人に、十七歳くらいの少年が一人が写っている。
少女と少年は柔らかく美しい蒼髪をしている。あどけなさが残る幼い頃の水波女蓮歌とその兄────水波女蒼蓮。もう一人はふわりと宙に舞う金髪に、碧眼。色素の薄い肌に纏うは金色を強調した衣服、仏頂面をした少女。調度、東方大陸ミズハメに家族旅行で来ていた金龍族の王女────エクレール・ブリアン・ルドオル。今と比べれば、あどけなさもあるが王女の気品が漂う佇まいで、少し緊張気味の蓮歌の隣に立っている。
「式典で、エクちゃんとゆっくりと話せると思ったのに……」
鬱陶しげに眉根を寄せ、舌打ちをこぼしながら、お得意の罵詈を周りを気にせず吐き散らす。
「あの小物で無駄話長いファーブニルのオルム・ドレキや、半龍半人のくせに威張りん坊の水無月シルベットのせいで、なかなかお話出来るチャンスが巡って来なかったことが残念過ぎてならないですわあ……」
「東方大陸ミズハメの土地を統括する青龍族の舞姫とは思えない口の悪さだな」
「誰ですかあ? 今私は頗る機嫌が悪いん────えっ?」
振り返ると、そこにいたのは、一人の青年が、少し呆れた笑顔を向けていた。
さらりとした髪が綺麗な蒼の短髪、美男子の部類に入る顔立ち。線が細く、少女のようにも見える。その声はよく響き、優れた弦楽器のように澄んでいた。
人の好さそうな微笑みを浮かべ、会釈する。
「蓮歌、待たせたな」
「遅いですわ、蒼蓮お兄様」
水波女家の次期党首にして、東方大陸ミズハメの次期王位継承者────水波女蒼蓮。
【謀反者討伐隊】の人間世界の地球で、日本の東北地方支部の支部長にして、【異種共存連合】の外交官を預かっている。
「まあまあ、そんなことは言わずに。そこ座っても良いよね?」
蒼蓮が笑顔で目の前の席を示す。相手をなごませる──言い換えれば、油断を誘う笑顔だ。無害そうな、それゆえに毒となる柔和さ。流石は外交官で、日々人間と交渉をしている身だ。話し合いをしていることになれている。蓮歌は話し合いで、余計なことを約束させられないように、警戒をゆるめず、しかし断る理由もないので、フンと鼻をならして促した。
席に座った蒼蓮はにっこりと親しげに笑って、
「五日間も待たせてしまってすまないね」
「待たせすぎですよお。待たせてすぎて、このギルドを粉々に破壊しないと気が済まないほど苛立ちが止まらないんですよお。とりあえず蒼蓮お兄様の端正な美顔に鉄を切断するくらいの水射をかけたいくらいこのイライラをすっきりしたいですからあー」
「とりあえず実兄に鉄を切断するほどの水射をかけよう、と思うのはよそうかな……」
蒼蓮は実妹の言葉に若干ひきつつ、苦笑する。
「そうですわねえ。蒼蓮お兄様が持って来た話が良い話だったなら、弱めてもいいですわあ」
「良くっても、やめないんだね……」
青龍族の舞姫のそぐわない発言に、青龍族王位継承者は頭を抱える。巣立ちしても尚も、他者に混ざらないどころか、真面目な話や大事な話を鬱陶しそうな蓮歌の様子に、先が思いやられる。
「蓮歌。君は仮にも青龍族の舞姫であるのだから、そぐわない態度やファーブニルのオルム・ドレキに放ったような罵詈雑言はよした方がいい。そうしなければ、相手に揚げ足を取られかけないことにもなる。それにこれから【部隊】を組む者とも仲良く出来なくなる。そうなってしまえば、任務に差し支えてしまうよ。ワンマンで出来るほど、任務は簡単じゃないし、【創世敬団】を侮ってはいけない。これは【謀反者討伐隊】の日本・東北支部長としての忠告だ」
「いきなり忠告だなんて。まあ、そんなことは【謀反者討伐隊】の規定に載っていたので、十分にわかってますよぉ」
蓮歌は怪訝そうに眉根を寄せる。
「言葉だけのわかってますではダメだ。これからは頭で理解しなければ、ただでは済まなくなることだってあるんだ!」
ぴん、と空気が張り詰める。
蒼蓮はいつもの優しい蓮歌の兄とは違う真剣で、どこか苦虫を噛みつぶしたかのような見たこともない表情を浮かべて、怒気が少しはらんでいる声音。その緊張感はギルド全体に伝播し、周囲の者たちのざわめきが一瞬、やんだ。
「あ、いや、すまない……蓮歌。最近、【創世敬団】が妙な動きをしていてね。らしくもなく、気が立ってしまったよ」
ややあって、先に緊張を解いたのは蒼蓮だった。
「ただ忘れないでほしいんだ。【創世敬団】はたった一人でかかって敵うほど甘くはない。だから、これから蓮歌には約束してもらいたい」
「……何を、ですか?」
「これから僕が蓮歌を人間世界に行けるように登録しといた【部隊】の案内書を渡すよ。その【部隊】に合流したいなら、絶対に必ず単独行動はしないと約束してくれ」
「わかりました、約束してあげますよお……」
「返事が軽い気もするが、まあよかったよ」
蓮歌の返事を受けて、蒼蓮は屈託のない笑顔を見せる。
「もしも約束を守れないようだったら、蓮歌を人間世界に絶対に行かせないようにして、【謀反者討伐隊】中央大陸ナベル支部の案内係に定職させようと思っていたところだよ」
「…………」
「そんな苦い顔をしないで。でも約束を破ったら、強制送還させるからを気をつけるように、大丈夫さ。約束を守りさえすれば、自由だからね」
「それは自由じゃないでしょー。むしろ私の行動が制限されるんですからぁ。どちらかと言えば不自由の方よ……」
蓮歌が不満いっぱいの鋭い目で睨みつけてくる。
「そう言わないでおくれ。人間や龍族との接し方や口の聞き方、なるべく単独をせずに団体行動を義務付けることを約束するなら、後は向こうの生活に合わせてくれればそれでいいんだからさ」
蒼蓮の約束を聞いた蓮歌は面倒そうに吐息した。
「わかりましたよー。守ればいいんでしょ、守ればー。ふん……」
言って──蓮歌はそっぽを向く。
「じゃあ、さっさと私と組む【部隊】は誰なのかを教えてくださいな」
「わかった」
蒼蓮は首肯して、言葉を続けた。
「ただ今――人間界地球の日本で、人間である清神翼を【創世敬団】から守護する任務を遂行中の水無月シルベットとエクレール・ブリアン・ルドオルの【部隊】だ」
「え……」
蓮歌はパチパチと瞼を瞬かせて。
「まさかのエクちゃんとあの銀龍の姫の【部隊】ですか……?」
「そうだけど。不服かい?」
「そんなことはありませんよお。エクちゃんと【部隊】を組めるんですからぁ。ただ、あの……半龍半人で禁忌とか持っている水無月シルベットは気に喰わないですけどぉ!」
蓮歌が吐き捨てるように言う。
「それだけが嫌っです! 駄ぁ目です! だいいちに呪わしい力を持っている上に、力の制御がままならない恐れがある半龍半人と組みたくありませんよー。それに乳臭い人間の少年の護衛なんて、みみっちい任務もありえないです!」
蓮歌がつーんと顔を背ける。
「わがままは言わないでおくれ。式典で【謀反者討伐隊】の幹部であるファーブニルのオルム・ドレキに噛み付いた蓮歌が悪いんだから」
と。蓮歌が、ち、と苛立たしげに舌打ちを零したが、蒼蓮は構わず言葉を続ける。
「どの【部隊】も、ファーブニルのオルム・ドレキに目の敵にされるのを恐れて、蓮歌を登録拒否にしてあったからね。拒否権もないテンクレプが問題児二人に急遽作られたシルベットとエクレールの【部隊】にしか登録出来なかったんだ」
嘆息して、ふと、蒼蓮の声が厳しくなる。
「蓮歌は、もうわがまま言える立場じゃないんだ。それをわかってくれ」
しばしの間。
やがて、蓮歌は蒼蓮の逼迫感した一言を振り払うように、毅然として顔を上げた。
「あの欲望で龍の姿に変えた小人風情がぁ。ハトラレ・アローラの宝刀の一本も【創世敬団】から死守出来なかったくせにぃ、貴族である私に嫌がらせですかぁ……つくづく、呆れた男ですねぇ」
誇りを込め、力強く言い放つ。
「私は水波女蓮歌よ。東方大陸ミズハメの統括する青龍族の王の娘にして舞姫――気高き青龍の英雄である蒼天の家系に生まれたのよ。こんな嫌がらせに屈する私じゃないのよ。お父さんやお母さんに頼んで、あの嫌がらせでしか自分の価値なんて見いだせない男なんて、亡きものにしてやる」
「いや。今の蓮歌には、そこまでの権限はないし、力を備わっているわけじゃないんだから。そんなわがままを今までのように通らないよ」
「……ッ!」
蓮歌が息を詰まらせ、表情を歪める。
蓮歌は今まで自由奔放に、自分のわがままが通る環境の中で過ごしてきた。言うことを聞かない者をいらないと追い出して、気に入らないことは投げ出して過ごしていたが為に、今のこの状況が上手く飲み込めずにいた。
「でも────」
「さっきも言ったはずだよ。【謀反者討伐隊】の第一部隊隊長であるファーブニルのオルム・ドレキに罵詈雑言付きの口答えをしたんだ。どんな貴族であろうと、【謀反者討伐隊】や【異種共存連合】では身分で判断はしない皆平等主義だ。巣立ちをして、入隊したばかりの蓮歌は末端の兵隊にあたるんだ。文句を言いたかったら、【部隊】で任務を遂行して得点を稼ぐことだ」
ここまで言っても頭では理解は出来ているが、事態が飲み込めていないのにかかわらず、わがままを言っている蓮歌を見て、蒼蓮はやれやれと首を振って、肩をすくめた。
「巣立ちをした龍族は、いつだって、何かを始めるのも一番下からスタートなんだよ」
優雅な所作で、胸ポケットから二枚の紙を差し出して、蒼蓮は席を立った。
蓮歌は受け取り、一枚目の紙に目を通した。シルベットとエクレールに蓮歌が加えられた入隊完了が印されていた。もう一枚の今の任務についての案内書だった。
「ちなみに蓮歌もシルベットとエクレールと同じく拒否権なんてものないからね。無駄なことはやめといた方がいいよ」
「それはどういうこと意味ですか?」
「そのままの意味だよ。じゃあね、これから大変だと思うけど頑張ってね」
しばしの間。
戸惑う蓮歌を確かめるように眺めて、ニッコリと屈託のない微笑みを浮かべて、蒼蓮は手を振りながら去っていった。
◇
学校の屋上に取り残された蓮歌は、紺色をした【謀反者討伐隊】の紋章入りの鞄を開けて、何やら探していた。
「あった」
そう言って、鞄の中から取り出したのは、【謀反者討伐隊】から支給された真新しい紺色をした携帯だった。
取り扱い説明書も取り出して、『電話をかける』という基本動作方法が書かれた項目を読む。
「この……受話器が左方に少し上がっているボタンを押して、画面がある上方に辺りに耳を傾けて、出るのを待てばいいのね」
読みながら不慣れな手つきで、電話帳から既に登録済の兄――水波女蒼蓮の番号を呼び出して、電話をかける。
蓮歌がチームメイトに加わることを、事前にエクレールたちに連絡を怠ったことに対して不満と、幼なじみのエクレールに冷たくあしらわれた挙げ句、放っとかれた腹いせを吐き出したいという、自分勝手な言い分を通す為だ。
ぷるぷると呼び出し音が鳴る。
数秒経ってから、
『もしもし。何だい? 蓮歌』
と、返答がかえって来た。
「もしもし蒼蓮お兄様、話しが違いますよぉ。エクレールちゃんに事前連絡を行っていないだなんて、どれほど初歩的なミスをしているのですか! これでは私が無許可で来た空気が読めない女みたいじゃないですか! 死にたいのですかあ? 蒼蓮お兄様は私にそんなに殺されたいんですかあ? 変態ですかあ?」
エクレールに冷たくされたことの腹いせにまくし立てる。
『決まってそんなに経ってないのもあるからね。それに────ハトラレ・アローラにある【謀反者討伐隊】本部にある龍事異動部から人間界・日本支部の龍事異動部までは、ゲートをくぐり抜けてから正式な絡通知だからね。多少の遅れはあるよ』
蒼蓮は冷静に答える。
普段通りに、蓮歌の罵倒をオーブラートに包んで丁重に返す。
慌てもせず、心配も慰めの言葉もかけない蒼蓮に蓮歌はもどかしく、苛立ちが更に募った。
「多少の遅れ? そんなの私の知ったことではありません。さっさと、連絡してもらえなかったおかげでエクレールちゃんに冷たくあしらわえてしまった怒りはどこに言えばいいのかしら?」
『苦情受け付けているところへ言えばいいんじゃないかな。僕は部署が違うから。相談に乗れるけど、してあげれることは限られているんだからね。じゃあ、そういうことだから──エクレールちゃんたちと仲良くね』
「あ、ちょっと、待ちなさいっ!!
蒼蓮は蓮歌との通話を切る。耳には、虚しく受話器からプープーと電子音が鳴り響いていた。
「……どいつもこいつも私のことを冷たく扱ってぇ」
今までちやほやされてきた蒼髪の女神は、巣立ち以降、誰もが優しくされなくなっていたことにもどかしさを感じていた。それが、さっきの蒼蓮の拒否とも取れる行動がもどかしい気持ちに発破をかけて、腹立たしさで満ちあふれてきた。
何かに八つ当たりをしなければ、気分は晴れない状態。
「何かないかしらぁ? 私が八つ当たりしても、誰もが迷惑をかけないものは……」
二つ隣り離れた校舎にいるシルベットと護衛対処である人間の少年────清神翼。その一頭と一人のところへ、警戒しながら渡り廊下を進むエクレールの姿を確認して、ふと、その延長線に位置する黒い影を発見する。
「あれは……」
闇がぽっかりと現れたかのような異空間。微かながら、【創世敬団】が持つ血生臭さが風に乗り、鼻孔へと届く。
「明らかに【創世敬団】が創ったブービートラップとかいうものですねえ……」
明らかに罠とバレバレだ。こんな見え透いたトラップに引っかかる【謀反者討伐隊】はいない、と蓮歌がそう思った矢先。
シルベットと翼が【創世敬団】の〈錬成異空間〉の闇に飲み込まれた。
「は?」
【創世敬団】の討伐部隊──【謀反者討伐隊】として、有り得ないことに蓮歌は一瞬、目を瞬かせる。
「あの世間知らずで生意気な口を叩くだけが取り柄がない七光りは何をしているんですかあ! どう見ても、罠でしょう! 罠以外に考えられないんですかぁ! 馬鹿なんですか! いくら何でも無防備過ぎるでしょう!」
【創世敬団】の罠に嵌まるなんて前代未聞であり、護衛として致命的だ。
これで【創世敬団】を打ち倒さずに、無事に生きて帰還したとしても、上層部に酷い叱責を喰らう恐れがある。特に【謀反者討伐隊】の第一部隊隊長のファーブニルのオルム・ドレキは、式典で問題を起こし、台なしにしたシルベット、エクレール、蓮歌を目の敵にしているらしい。復讐として何らかの処罰を連帯責任といって三人に下すだろう
。
これは他人事ではない。
「あの半人前っ……! 後で、お仕置きしてあげるんだからぁ!」
蓮歌は聖なる蒼髪を靡かせて、跳躍する。
青龍族には、銀龍族や赤龍族特有の翼などない。金龍族や白龍族、黄龍族のように浮遊力に長けている。特に青龍族は空を優雅に泳ぐように、水面をはねて飛ぶことができる。特に巣立ちする前から舞姫として、祭りのさいに空を舞っていた蓮歌は、細かい飛行技術が備わっている。
水切りをように空を駆けて、【創世敬団】に見つからないように音を立てずに、二つ隣りの校舎に降り立つなど造作もないこと。
蓮歌は屋上から屋上へと移動し、シルベットと同じく扉を蹴り飛ばす。
「このお礼は、何倍も返して頂きますよ」