問題編
「だからさ。美味い話なんてのは、大抵裏があるもんさ」
目の前の男が、管を巻いた。
「そんなもんはほぼほぼ無いと思ってた方がいい。世の中、大概は不味い話ばっかりさ。しかし見方を変えると……」
焦点の合わない目が、フラフラと虚空を彷徨う。相当酔っ払っているのが分かった。ビルは適当に相槌を打ちながら、ぼんやりと古い友人の話を聞き流していた。空気が澱んでいる。蒸せ返るような酒の匂いが、部屋のあちらこちらに充満していた。
ビルも酔っていた。
本当なら、酒など飲んでいる場合ではなかった。しかし後ろめたさがあればあるほど、酔いも早く回るようだった。
「見方を変えると」
目の前の友人・ヘンリーが続けた。
「誰かにとっちゃ不味い話も、また別の誰かにとっちゃ美味い話であったりする訳さ。病気が流行りゃ医者が儲かる。戦争が始まりゃ兵器が売れる。そうだろう? 勘違いすんなよ、俺だって疫病や戦争を肯定してる訳じゃない。だけど事実、その通りじゃないか……そこで、だ」
一旦言葉を区切ると、ヘンリーは声を潜めてこう言った。潰れた蛙みたいな声だった。
「美味い話があるんだ」
「何……?」
「強盗をしないか?」
ビルは咥えていた煙草を灰皿に押し付け、画面越しに、ヘンリーの顔をじっと見つめた。朱の差した顔だが、その目は笑っていなかった。どうやら本気で言っているようだ。ビルは困惑した。
「強盗?」
「ああ。4丁目の角に、郵便局があったろう。覚えてるか?」
喋りながら、ヘンリーは吃逆を繰り返した。
「街外れで人も滅多に来ねえ。あそこの婆さん、いつも昼は1人で店番してるんだ」
ヘンリーの計画はこうだった。
街外れの郵便局を襲う。
そこは山の麓にポツンと残された、小さな郵便局だった。ビルやヘンリーが物心つく前からある。局長の爺さんと、数名ぽっちのバイトで切り盛りしていた。動画や買い物、会議だってオンラインで済ませられる時代である。今時はメールやらSNSやらの発展で、郵便局を利用する客も減っているようだった。
「まず俺が、監視カメラをぶっ壊す」
ヘンリーがモニターの向こうでニヤリと嗤った。この飲み会だって、ネットカフェを利用したオンライン上の飲み会だった。ビルがぼんやりと画面を眺めているところを、ヘンリーがログインし声をかけて来たのだった。便利になったものだ。ビルは苦笑した。その便利さ故に、今まさに出会うはずの2人が出会い、こっそりと犯罪の計画が話し合われている。
「その後何食わぬ顔で、カメラの修理をこっちから切り出すんだ。俺なら修理できるとか嘘ブッこいてさ。それで全部回収しておく」
本来ならカメラが壊れた時点で業者を呼ぶだろうが、その老夫婦は故障に気づきもしないだろう。何故なら、壊したのはまさにちょうど今、故障を指摘したヘンリー自身なのだから。壊れていないものを無理やり壊し、修理を申し出る。
「で、カメラは回収。その後でアンタが強盗に入り、婆さんから金を竦める。簡単だろ?」
ビルは無言のままだった。酔いが少し冷めてきた。口で言うだけなら簡単だ。しかし実際にやるとなると、また別問題だ。
「聞いていいか?」
「どうぞ」
2人は同時にジョッキを流し込んだ。胃袋がカッと熱くなった。
「まず、どうして俺にそんな話を?」
「俺は婆さんともしょっちゅう顔を合わせてるし、仮にマスクしたって、声や仕草でバレないとも限らねえ。その点アンタなら、5年振りだろ? 地元に帰ってくるの。土地勘があって、かつ住民からも顔が知られてない奴。アンタが一番適任だと思ったんだよ」
ビルはじっとヘンリーを見つめた。その通りだった。都会で事業に失敗し、こっそり地元に帰ってきたのが数日前。誰にも会うつもりはなかった。親に顔を合わせるのも後ろめたくて、ネットカフェを転々としていた。何処に行く当てもなくフラフラしている所、偶然ウェブ上で、ヘンリーに声をかけられたのだった。
そう……本当なら、ビルは酒など飲んでいる場合ではなかった。いたずらに膨れ上がるばかりの借金……しかし後ろめたさがあればあるほど、酔いも早く回るようだった。
「どうして俺が、金に困ってると?」
「アンタが自分で言ったんだぜ。さっき」
「そうだったっけ?」
「そうだよ」
血液に乗って全身を駆け巡るアルコールが、ビルの頭を痺れさせた。
「お前も困ってるのか?」
「オイオイ。変なこと言うな。多かれ、少なかれ、金に困ってない奴なんているか?」
「それも……そうだな」
ヘンリーもまた、ムショから帰ってきたばかりだと零した。
それからしばらく2人とも無言だった。ビルは瞼を閉じ、残してきた家族を思った。向こうに戻るのにも金が要る。地元に帰るまでに、ビルはほとんど使い果たしてしまったのだった。そして数分後、目を開けると、彼はかつての悪友に静かに告げた。
「……やるよ」
「そう来なくちゃ」
ヘンリーは嬉しそうに相好を崩した。
それからビルとヘンリーは画面越しに、2人で乾杯した。手元に残っていたピッツァを、ビルは無理やり胃の中に押し込んだ。味はしない。冷えたピッツァは、お世辞にも美味しいとは言えなかった。