僕が僕であるために
僕はある夜に出会った。
公園のベンチに体育座りで泣いていた。
そっと声を掛けた。
あれは、いくつの頃だったろう。
ああ、確かこの子が小学2年生の時に出会ったんだ。
夜の10時ごろに俺は高層マンション前の公園のベンチに一人座る子供を見つけた。
見た時は幽霊かと思った。
近寄っても消えない。
声を掛けてみた。
「こんな時間にどうかしたの?」
体育すわりで足の中に隠した顔を上げると涙でぐちゃぐちゃだった。
「お母さんとお父さんがケンカをしているの」
「そう。それは辛いね。隣に座っても良いかな?」
「うん・・・」
それから僕らは色々と話した。沢山話した。
身体が冷えてしまいそうなくらい時間が経った頃、僕は提案した。
「ねえ。もしかしたら、もうケンカが終わっているんじゃないかな?」
彼は、うん。と頷きマンションに入っていった。
戻ってこなかったので、きっとケンカが終わったんだろうと安心して僕も帰った。
そんな事が何度かあった。
出会ってから数年後、彼はお母さんと一緒に引っ越した。
引っ越した先は古いアパートだった。
そこに引っ越してからも、彼は時々、少し離れた広場のベンチに夜に座っていた。
「どうしたの?」
「お母さんが、彼氏が来ているから出ていなさいって」
「そう」
そして、僕らはまた話した。彼のクラスメートの事。好きな子の事。嫌いな奴の事。
得意な授業。ちょっと苦手な授業の事。
「勉強は嫌い?」
訊ねた。
「好きじゃないけれど、必要だから頑張っている」
「必要って?」
「僕、早く独り立ちしたいんだ。高校が奨学金制度の所を探している。お母さんにお金を掛けずに高校に行きたいんだ」
「そうだね。学力は大事だ。推薦ももらえるし、未来に幅が出る」
「やっぱりそう思う?」
「うん。勉強が出来れば将来安泰じゃないけれど、仕事を選ぶ幅が増えるよ。ただ、奨学金は返却が必要なのもあるから、学校を選ばないとね」
「そうだね。社会人になってから、今の経済で借金を返していくのは大変だよね」
「うん。親に頼れないなら、新聞奨学生とかもあるよ。偏差値の高い大学での4年間の奨学生は大変すぎるけれど、例えば技術系とかの専門学校ならば、なんとか両立できるんじゃないかな」
「技術系か。うん。それが良いかな。今はまだ思いつかないけれど、社会に出てすぐに戦力になれるって良いよね」
「高校からもあったはずだよ」
「本当?」
「うん。商業高校とかね。学校に通いながら国家資格を取れるよ」
「ああ、それが良いな!」
「でも、まずはしっかりした学力と、それに体力もないとね。新聞奨学生は体力勝負だよ」
「判った。なら、英語のリスニングしながら朝にジョギングをしようかな」
「それいいね。学校の友達に何人かあたれば、英語の教材を持っている奴が居るよ」
「うん。明日にでも聞いてみるよ!」
「誰か気の良い奴が貸してくれると良いね」
そんな会話をした。
今はちょっと嫌な時期だけれど、これが続くわけじゃない。
そう僕は彼を励ました。
時々、家から追い出された時は、広場のベンチで彼と将来を具体的に相談し合った。
一年ごとに、彼の将来の計画は具体的になっていった。
「医療系なら放射線技師とかどうかな。でも学費が高いんだよね」
「歯科技工士とかは絶対に無くならない仕事だよね」
「高校で会計士や簿記の資格取れるんだって」とか。
小学6年生になったら、もう商業高校や専門学校とかのパンフレットを集めていた。
僕は、その頃になると彼の将来に心配はなくなっていた。
彼はこんなに前向きに考えている。
朝のジョギングは、マラソンになっていた。
彼は身体も大きくなり、成績もクラスでトップだという。
そして彼が中学生になってしばらくした頃に、朝の早い時間に出会った。
彼は、中学生から、新聞の朝刊だけ配るようになっていた。
前かごにも後ろにも高く積まれた自転車を、力強く漕いでいる。
とても中学一年生には見えない。
彼は、僕に気付いて手を振った。
僕も手を振り返した。
ああ。彼は自分の力で歩き出した。もう大丈夫だ。そう確信した。
あれ?
僕は重い自転車に乗っていた。
自転車の前かごには、新聞が束になって折られて積まれて、その両脇には筒のように立てて丸めた新聞が高く伸びていた。後ろの荷台にも新聞がゴム紐で束ねられている。
そう。僕が毎朝、自転車に乗せているのだ。
え?
振り返るが、そこに誰か居た形跡はない。
ああ、そうか。
彼は僕だったんだ。僕は彼だったんだ。
彼は安心して僕の中に吸い込まれて体中に広がって消えた。
僕は、僕に助けられていたんだ。
寂しい時も悔しい時も、彼はいつだって大事な時に僕の話を聞いてくれた。
あの、少しだけ大人っぽい子は僕だったんだ。
自転車のハンドルを力強く握って漕ぎだした。
少しだけ流れた涙の意味は解らなかった。
そうか。
僕は彼より少し年上の頼れるお兄ちゃんのような存在だったんだ。
将来を決めた彼に、僕はもう必要じゃなくなった。
だから一緒になったんだ。
僕は、彼の幻のお兄ちゃんだったんだな。
大丈夫。いつだって僕は君の傍に心の中に居るよ。