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(6)

 黙ってしまったルーディアナに、フィシオは再度問いかける。

「ルー。俺のこと、嫌いになってしまった?」

 その声が僅かに震えていることに気付いた彼女は、慌てて口を開く。

「い、いえ、そういうわけでは……。わたくしは、フィシオ様が心から愛した方と幸せになっていただきたいのです。どうか、わたくしの祖父が押し付けた約束など、お気になさらずに」

 改めて逞しい胸を手の平で押し返すと、フィシオはクスッと小さく笑った。

「そっか、嫌われたわけじゃないんだ……。それなら、許嫁を解消する必要はないよね」

 先ほどとは打って変わり、彼の声が穏やかで柔らかいものになる。それは、ルーディアナが大好きな声だった。

 だが、今は聞き惚れている場合ではない。彼女は思わず頬が緩みそうになる自分に急いで渇を入れ、グッと顔を上げた。

「それは、フィシオ様の意志ではございませんもの」

 伯爵令嬢にふさわしく、ルーディアナがきっぱりと言い切った。

 ところが、フィシオの顔からは笑みが消えることはない、

「たしかに、はじめはそうだったけどね。でも、今では、それに感謝している」

 向けられる優しい笑みに、ルーディアナはこっそり胸をときめかせる。

 それを顔に出さないように注意して、彼女は静かに口を開いた。

「感謝、とは?」

 すっかり逃げ出そうとしなくなったルーディアナの様子に、フィシオは嬉しさを隠すこともなく満面の笑みを浮かべて答える。

「だから、ルーの許嫁になれてよかったって話だよ。ああ、この後の誕生会の席で、婚姻を結ぶ発表があるだろうから、もうすぐ夫になるのか」

 心の底から喜んでいる彼に、ルーディアナがふたたび問いかける

「ですが、フィシオ様はわたくしではない方と、心を通わせていらっしゃいますよね?」

 それを聞いた彼が、盛大に首を傾げた。

「なにを言ってるんだ? 俺はずっと、ルーだけを想ってきたんだよ。ほんの一欠片ひとかけらだって、ルー以外の人を心に住まわせたことはなかったんだからね」

 不思議そうな表情を浮かべながらも、彼の視線はまっすぐである。

 嘘や誤魔化しは、いっさい感じられなかった。

 だからこそ、ルーディアナは困惑する。

「そ、そんなはすは……、でしたら、先ほどの女性は、どういったご関係が?」

「先ほどの?」

「ええ、そうですわ。宿屋の階段下でお話されていた方のことです。わたくしと違って、とても愛らしい女性でしたわ」

 ルーディアナの言葉に、フィシオの眉がグッと中央による。

「……愛らしい? あれが?」

 怪訝な顔の彼に、ルーディアナの困惑が深まった。

 愛する女性のことを『あれ』と呼ぶなど、普通なら考えられない。

 フィシオは貴族ではなく、ルーディアナに対して親しみのある砕けた口調ではあるものの、不躾な言い方をする者ではないのだ。

 しかも、ルーディアナが口にした「愛らしい」という言葉に、思い切り顔をしかめている。


――あの方が、フィシオ様の想い人ではなかったの?


 許嫁であるルーディアナの誕生を祝う席に遅刻することを伝えてまでも会いに来たというのに、これはいったいどういうことだろうか。

 ますます混乱する彼女に、フィシオが力なく答える。

「ルーが見た人は、俺の従妹いとこだよ。好きな人でもないし、結婚したいとも思っていない」

 その言葉に、深い緑の色を持つ瞳が、驚愕に揺れた。


――い、従妹? フィシオ様の想い人ではなく? でも、なぜ?


 ルーディアナの頭は混乱し、息が止まりそうだ。

 彼が会っていたのが従妹だというなら、どうしてそれを教えてくれなかったのだろうか。

 理由があって身内に会いに行くと言うのなら、けして咎めたりしない。

 彼女としては、今日の今日までフィシオがそのことを黙っていたことに理解が及ばなかった。


――もしかして、わたくしはその従妹に紹介できるような立派な女性ではないから?


「そうじゃない、俺はルーほど立派で可愛くて素敵な女性は知らない。むしろ、その逆だって」

「……え?」

 口を薄く開けて呆けるルーディアナに、フィシオが優しく微笑みかける。

「心の声が漏れていたよ」

「ま、まぁっ」

 ルーディアナは目を大きく見開き、次いで顔を赤らめた。

「とんだ失礼を……」

 出てしまった言葉を引っ込めることはできないが、彼女はいたたまれなさからとっさに自分の口元をソッと手で隠す。

 すると、フィシオは彼女に優しい微笑みを向ける。

「失礼なことなど、なにもないよ。可愛いルーが見られて、俺は嬉しいだけだ」

 どんな時でもフィシオは優しい。すかさず投げかけられた慰めの言葉に、ルーディアナは少し落ち着きを取り戻した。

 フィシオは彼女の口元を覆っているほっそりした手をやんわりと握り締め、さらに目を細める。

「ルーはいつだって伯爵家の一員として恥ずかしくない振る舞いをしているけど、俺の前では気を許してくれるよね。今みたいに、思わず独り言を零してしまうとか」

「わ、わたくし、そのようなことをこれまでに何度も?」

「うん、数えきれないくらいね。でも、指摘したら、ルーのことだから気を張って独り言を漏らさないようにするだろうし。だから、ずっと言わなかったんだ。こんな可愛いルーを見られるのは、俺だけの特権だから」

 そこで、フィシオの表情が引き締まる。

「でも、一年前から、俺の前では独り言を漏らさなくなったね。それは、さっき言った婚約の解消に関係してる?」

 動揺しているルーディアナはうまく言葉が紡げず、ただ小さく頷いた。

 その反応に、フィシオの表情が僅かに曇る。

「そっかぁ。ルーを苦しめていたのは、俺自身だったのか……。でも、確実に婚姻を結ぶまでは、アイツを隠しておきたかったしなぁ……」

「フィシオ様?」

 ルーディアナが呼びかけると、彼は小さく笑った。

「話を戻すね。去年と今年のルーの誕生日祝いの席に遅刻することになった理由は、あの従妹に会っていたからなんだ。それは、俺がアイツに好意を抱いているということではなく、ルーに近付けたくなかったからだよ」

「近付けたくないとは、どのような理由がございますの?」

 ルーディアナは首を傾げると、彼はまた小さく笑う。

「アイツは父方の従妹で、家は男爵だ。一年前、王城で開催される舞踏会に参加して、そこでルーに助けられたんだよ」

 その舞踏会は、貴族位を持つ十三歳以上の者なら何度でも参加できるというものだ。

 しかし、王城で開催されるということもあって、身に着けるものにはそれなりに金をかける必要があった。

 しかも、一度纏った衣装を次の年も纏うのは、家の落ちぶれを示すことにもなる。

 財政にそれほど余裕のない子爵や男爵の令息令嬢は、顔繋ぎのために一度参加するだけでもなかなか厳しいという。

 イーファーソン伯爵家令嬢のルーディアナは、その美貌と、宰相の孫であること、また潤沢な資産を持っていること、さらには王族から直々に招待されるということもあり、毎年参加している。


――昨年の舞踏会は、わたくしが十五歳になる二十日前に開催されたはず。


 フィシオの話を聞いて、ルーディアナは記憶を手繰り始めた。




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