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(3)

 ある晩、ルーディアナは夢を見ていた。

 いや、夢というよりも、過去の経験を改めて目にしているというものだ。


 それは、ルーディアナが十五歳となる誕生日前日のこと。

 突然訪ねてきたフィシオが、祝いの席に少し遅れると切り出した。

 毎年、彼はルーディアナの誕生日を最優先事項としていた。当然、遅刻をしたこともなかった。

 その彼が、思いもよらないことを口にしたのである。

「……どうしても、外せない用事ができて」

 なんとも歯切れの悪い言い方をする彼は、ルーディアナと目を合わせようとしない。

 そんな彼の様子に、ルーディアナは思うところがあった。


――外せない用事とは、大切な方との約束?


 それ以外に考えられなかった。

 ルーディアナの誕生日に仕事を入れることは、これまでに一度もなかった。

 それは、彼の祖父であるジャブルの取り計らいでもある。

 店での仕事はもちろん、遠方への買い付けや商談も、この日ばかりはフィシオを外しているのだ。

 そして、彼自身がこの日に友人との予定を入れることもなかった。

 

 だから、婚約者の誕生日よりも優先するのは、心の底から愛する人との用事に違いないと考えたのである。


――いったい、どなたを想っていらっしゃるの?


 ルーディアナは猛烈な戸惑いに倒れそうになったものの、そこは伯爵令嬢としての矜持でもって耐えた。

「分かりましたわ」

 千々に乱れて張り裂けそうになっている心を、ルーディアナは必死に微笑みで隠す。

「大事な用があるのでしたら、仕方がありませんわね。ところで、お茶でもいかが? 先日、フィシオ様が旅先から送ってくださった茶葉が、わたくし、とても気に入りましたの」

 そんな彼女の誘いに、フィシオはバツが悪そうに首を横に振った。

「じ、実は……、この後、すぐに出かけなくてはいけなくて……」 

 またしても歯切れの悪い物言いに、千切れたルーディアナの心が、ハラハラと舞い散っていく。

「それは、残念ですこと。では、お気を付けて。わたくし、用を思い出しましたの。これで失礼させていただきますわ」

 優雅に頭を下げた彼女は、クルリと背を向けて足早に歩き出した。

 フィシオがいつも褒めてくれる深緑色の瞳が涙で揺れていることを、彼には知られたくなくて。




 ふと、まぶしさを感じ、ルーディアナは静かに目を開ける。

「もう、朝なのね……」

 ほっそりとした指で目元を拭うと、そこはしっとりと濡れていた。

「また、あの夢を見たからだわ」

 彼女は弱々しく呟き、深く息を吐く。


 昨年の誕生日、フィシオには真に愛する人がいるかもしれないと気付いた。

 本来なら、彼に問いかけ、説明を求めるべきだっただろう。

 だが、ルーディアナにはできなかった。

 フィシオの口から、自分以外の誰かに想いを寄せていることを聞きたくなかったのだ。


 だからこそ、幼稚極まりない手段だと分かっていても、強引に彼を突っぱねることにしたのだ。

 

 そのことが、自分の心に相当な苦しみを与えていると分かっている。

 結果、誕生日の祝いの席に遅れると聞かされた日から、毎日のようにフィシオが自分のもとから駆け去り、遠くで待つ誰かに笑顔を向ける夢を見続けた。

 最近になって、ようやくその夢を見ることがほとんどなくなっていたというのに、ここにきてまた夢を見てしまったのは、誕生日が近付いているからだろう。


「遅れるなどと回りくどい言い訳せずに、いっそのこと、その方のところへ行かれたらいいのに……」


 そうしたら、自分は彼のことを諦められるかもしれないのに。

 いつの日か、その方と彼の結婚を喜べるかもしれないのに。


――でも、本当にそんなことができるの?


 思わず自分に問いかけてみると、即座に「否」と返ってきた。胸を突き刺す痛みと共に。


「それでも、わたくしはフィシオ様の自由と幸せを願うべきだわ」

 天井を睨みつけ、ルーディアナは静かに呟いた。

 



 いよいよ、ルーディアナが十六歳となった。

 この日の午後から、彼女の誕生日を祝う席が伯爵家で開かれる。

 朝食を済ませて一休みした後、ルーディアナの身支度が始まることになっていた。

 ところが、彼女はどうしても買いたい物があるからと家族を説き伏せ、祝いの席には間に合うように戻ると約束し、護衛を一人連れて家を出た。

 馬車に乗りこんだルーディアナは、御者に行き先を告げる。

 そこは、王都にある宿屋で、昨夜からフィシオが出向いている場所だった。 

 ルーディアナは、今年も同様にフィシオが遅刻、もしくは欠席を言い出すのではないかと気になっていた。

 だから彼女は腕利きの探偵にこっそりとフィシオの様子を探らせており、とある宿で誰かと落ち合うという情報を手に入れていた。

 また、昨日の夕食の席で、家族からフィシオが祝いの席に遅刻するかもしれないとも聞いていた。

 なぜ、自分の誕生日にそのような約束を入れるのか分からない。疑われたくないなら、別の日に約束をすれば済む話だ。

 しかし、その疑問を解決させるのは、あまり意味をなさないだろう。


 重要なのは、フィシオがこの先、どうしたいのか、だ。


 だからこそ、ルーディアナは自分の心に決着をつけるため、決定的な場面を目撃するべきだと考えたのである。

 フィシオが自分以外の女性と一緒にいるところを目にしたら、ルーディアナもさすがにあきらめざるを得ない。

 そして、彼に面と向かってきっちりと言ってやれる。「本気で愛した人を、生涯大事にするべきだ」、と。

 仮にフィシオのそばに女性がいなかったとしても、それなりに深い理由が彼にあるのだろう。

 だとしたら、「自分の心のまま、生きるように」とも言ってやれる。


――できたら、笑顔で言えるといいのだけれど。


 馬車に揺られながら、ルーディアナは心の中でポツリと呟く。

 しかし、すでに泣きそうになっているのだ。

 フィシオとの別れを、笑顔で迎えられる自信はなかった。

 それでも、もう避けては通れない。

 正式に彼との結婚が宣言される前に、なんとしてでも――たとえ、ボロボロと泣き崩れることになったとしても――、彼への恋心と決別してみせる。

 ルーディアナは、ほっそりとした手をギュッと握り締めた。


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