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(2)

 十八歳となったフィシオはルーディアナよりも頭一つ半背が高く、また肩幅も広くて、全身には適度な筋肉が付いている。

 忙しく全国を飛び回るうちに、護身も兼ねて体を鍛え、今のフィシオは騎士並みの立派な体躯となっていた。

 その彼が肩を落として去っていく様子を、ルーディアナは泣きそうになりながら見送っている。

 これまで通り、砕けた口調で話すことも愛称で呼ぶことも、拒否はできなかった。

 きっぱりと退けるべきなのに、どうしてもできなかったのだ。


――フィシオ様への想いを捨てるなんて、そう簡単にはできそうにないわ……。


 ルーディアナは滲む涙を指先でソッと拭い、心の中で呟く。

 自分で決めたこととはいえ、こんなにも苦しいものだと思っていなかった。

 想いを寄せるフィシオに冷たく当たることで、自分の心臓に刃物を突き立てられたような痛みが襲いかかっているのだ。


 忙しいのに、どうにか時間を作って会いに来てくれたこと。

 疲れているのに、わざわざ訪ねて来てくれたこと。


 嬉しくてたまらないのに、それを一言だって伝えられない苦しさが、ルーディアナの心臓をギリギリと痛み付ける。

 しかし、ここでやめるわけにはいかない。

 

 好きだからこそ、フィシオに自由を与えたかった。

 恩義を気にすることなく、将来を見据えてほしかった。

 それができるのは、婚約者である自分しかいないのだ。

 

「しっかりなさい、ルーディアナ。あなたは、由緒正しいイーファーソン伯爵家の娘なのよ。もっと己を厳しく律しなくては」

 ルーディアナは自身にきつく言い聞かせると、手早く涙を拭った。




 それからも、ルーディアナは自分の誕生日の祝いの席に遅れたことに納得いかないという理由で、フィシオに冷たく当たり続ける。

 自分に対する愛情が薄いからこそ、遅刻したのだろうと。

 ならば、本気の愛情を向けられる相手を探せと。

 彼が伯爵家に訪れるたび、ルーディアナは繰り返し伝えた。

 それなのに、フィシオはいっこうに足を遠ざけることをしない。

 むしろ、以前よりも彼女に会いに来る頻度が上がっていた。

「ルー、ごめん」

 まずは謝罪を口にしたフィシオは、手土産を持参することがもはや習慣となっていた。

 誠意を見せるというのか、それとも、少しでもルーディアナを懐柔して許しを得ようというのか。

 なんにせよ、彼は来訪するたびに目新しい品を彼女に差し出す。

 さすがは、各地を飛び回っている商人見習いだ。

 王都から出たことがないルーディアナにとって、見たことも聞いたこともない珍しい品を土産として持ってくる。

 宝石のようにキラキラしていて、色鮮やかな花びらが閉じ込められた飴。

 陽の光に当たるたび、虹のような不思議な色合いを浮かべるリボン。

 うっとりするほど素敵な香りを放ち、ある地方特産の蜂蜜をたっぷり練り込んだ石鹸。

 職人が丹精込めて仕上げたと一目で分かる、上品で繊細な銀製の櫛。

 精巧に作られた瓶もさることながら、華やかな気持ちにさせてくれる香水。

 王都であってさえも出回っていないということは、それだけこれら商品の希少価値が高いということだ。

 その品々を自分のために持って来てくれたフィシオに、ルーディアナの心は嬉しさと申し訳なさでいっぱいになった。


 しかしながら、その感情を微塵でも悟られてはいけない。


 彼女はフィシオに見られないように注意して、手の平に爪が食い込むほどギリギリと拳を強く握る。

「このような品は、けっこうです。どうぞ、お持ち帰りくださいませ」

 いつものように四阿で本を読んでいた彼女に元に訪れたフィシオへ、これまたいつものように素っ気なく言い放った。

 ルーディアナが彼を遠ざけるようになってから、既に十一ヶ月が過ぎている。

 つまり、来月には十六歳の誕生日が巡ってくるということだ。


――お願いですから、早く、わたくしを嫌いになって……。


 ルーディアナは心で大粒の涙を流しながら、今日も土産を受け取ることなく、彼をすげなく追い返したのだった。




 いよいよルーディアナの誕生日が二週間後に迫り、彼女は追い詰められていた。

「……どうしてなの?」

 彼女は夜空を見上げ、一人きりの部屋で小さく呟く。

 自分のように勝手な者は、さっさと見切りを付けられるだろう。

 数回すげなく追い返したら、フィシオのほうから自然とルーディアナを遠ざけると思っていた。

 ところが、あれほど冷たく当たっているというのに、フィシオは相変わらずルーディアナを訪ねてくるのだ。

 それほどまでに、伯爵家に恩義を感じているということなのか。


 だとしたら、なおさら結婚できない。

 彼はいつだって鳥のように、遠くまで羽ばたくべき人なのだ。

 ルーディアナが知らないものを見て、知らない話を聞き、輝かしい笑みを浮かべているべき人なのだ。


「生涯、伯爵家に縛られる人生など、フィシオ様には似合わないわ」

 夜空に浮かぶ月を睨み付け、ルーディアナは下唇を噛み締める。 

 ルーディアナの家族は優しく誠実な彼に味方しているため、許嫁の関係を解消するには自分でどうにかするしかない。

 彼女がフィシオに対する態度を変えた当初、祖父や両親がその理由を尋ねたことがあった。

 ルーディアナはフィシオが祝いの席に遅れたのは自分を軽んじているからであり、それがどうしても気に入らないと説明した。

 十五歳にもなって、ましてや伯爵家の令嬢として教育を受けてきた彼女にしては、あまりにも稚拙な言い訳である。

 当然のことながら、彼女の家族はフィシオを擁護した。

 遅れたと言っても、一時間程度のもの。目くじらを立てて、責め立てるようなものではないだろう、と。

 しかしながら、ルーディアナには彼女なりの譲れない理由があり、けして家族の話を聞き入れなかったのである。


 悲しい決意を胸に秘めたルーディアナは、ふたたび月を睨み付けた。


 


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