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 本日、十五歳の誕生日を迎えたルーディアナは、屋敷の窓から夜空に浮かぶ三日月を見上げてため息を零した。

「あと一年以内に、なんとかしなくては……」

 その美貌を知らぬ者はいないと噂されている彼女は、非常に寂し気な表情を浮かべている。

 それもそのはず、彼女はフィシオとの婚約を解消しようと考えているからだ。

 来年は結婚可能となる十六歳を迎えるルーディアナ。

 それを機に、先に成人しているフィシオとの結婚を祖父と父が正式に宣言するだろう。

 幼い頃からフィシオの婚約者として振舞うことをそれとはなしに促され続けたルーディアナは、家族が――特に祖父が――必ず実行するであろうと疑っていない。


 しかし、それでは困るのだ。


「わたくしの両親よりも発言権を持つおじい様が結婚を許してしまったら、フィシオ様はもう、逃れることができないわ」

 呟く彼女の声は、僅かに震えていた。


 ルーディアナ自身は、フィシオとの結婚に否はない。

 むしろ、歓迎していた。

 だが、彼を想うからこそ、結婚を受け入れられずにいるのだ。


 初めて出逢った瞬間に、彼が持つ優しい雰囲気に惹かれた。

 その時は「素敵なお兄さん」という程度の印象だったが、ルーディアナが十歳になったある日、彼に対する想いが一気に深まる出来事があった。

 ジャブルに連れられてやってきたフィシオと屋敷の庭を散策していた時のこと、どこからか大きな野良犬が侵入してきたのである。

 相当腹を空かせていたのか、ギラギラと目を血走らせ、牙をむき出しにして二人を威嚇していた。

 運が悪いことに、周囲には大人の姿はない。

 当然のことながら、ルーディアナは足がすくんでしまい、恐怖のあまり声も出せなかった。

 そんな彼女の前に、フィシオがかばうようにして一歩踏み出る。

 次の瞬間、野良犬が、フィシオに突進してきた。

 しかし彼は慌てることなく、ギリギリまで野良犬の動きを見極め、そして鼻先に強烈な蹴りを入れたのである。

「ギャン!」

 痛々しい悲鳴を上げ、野良犬はあっという間に逃げ去っていった。

 安堵したルーディアナがその場にへたり込みそうになったところ、寸でのところでフィシオが彼女の手を取る。

「大丈夫?」

 問い掛けられ、ルーディアナはコクコクと頷き返した。

 声が出なかったのは、恐怖だけが原因ではない。

 身を挺して自分を守ってくれた彼のかっこよさに胸が苦しくなって、なにも言えなかったのだ。


 それからは会うたびにフィシオのいいところが見えてきて、どんどん好きになっていった。


 しかし、ルーディアナはふと気付いた。

 フィシオとの関係は、互いの祖父によって結ばれたものであることに。

 六年前、ジャブルは跡継ぎである息子夫婦を事故で失い、事業が傾いた時に援助の手を差し伸べた伯爵家に逆らえないということに。

 この婚約関係には、フィシオの意思は皆無に等しいということに。


 なにより、ルーディアナは、いまだ、彼から決定的な愛の言葉をもらっていないことに。


 彼は優しく、また恩義に厚いので、けして自分からはこの関係を解消しようとは口にしないだろう。


「これは、わたくしから言い出さなくては」

 彼が好きだからこそ、祖父の言葉に縛られてほしくない。

 晴れた空のように、瞳を明るく輝かせ続けてほしい。

 穏やかな微笑みを、曇らせないでほしい。

 もっと、早くに言い出すべきであったと、ルーディアナは後悔する。

 しかし、彼への恋心が邪魔をして、今日まで決心がつかなかったのだ。

「もう、時間がないわ」

 彼女は再度月を見上げ、心を決める。

 来年の誕生日に向け、結婚の準備が少しずつ始まるのだ。

 だからこそ、一日でも早く、動き出す必要があった。

 とはいえ、単に言葉で婚約解消を切り出すだけでは、思うような結果にはならないだろう。

 フィシオを、そして祖父や両親を納得させる理由が必要だ。

 一番手っ取り早く、また周囲に分かりやすい方法を探るルーディアナは、あることを思い付いた。


 自分がフィシオを嫌いになる、という方法を。


 単純すぎるかもしれないが、それが一番有効的だ。

 祖父たちは孫同士の結婚に乗り気ではあるものの、だからといって、ルーディアナとフィシオの意思を置き去りにするようなことはなかったからだ。

「……ええ、そうね。これがいいわ。必ず、成功させなくては」

 小さな声で呟くと同時に、ルーディアナの頬には一滴の涙が伝い落ちた。




 それからというもの、ルーディアナは心を鬼にしてフィシオにつらく当たる。


 彼女が十五歳の誕生日を迎えてから十日後。

 庭園の南端にある四阿あずまやで読書をしていたルーディアナのもとに、フィシオは忙しい仕事の合間を縫ってやってくる。

 彼は亡き両親の代わりに祖父の跡を継ぎ、商人の道を歩んでいた。

 今は経験を積むためと、顔繋ぎを広めるため、まさに飛び回るような忙しさで国内のあちこちを巡っている。

 そのせいで、以前のようにルーディアナと頻繁に会うことができなくなっていた。

 フィシオは春の女神のように美しく育った彼女に会えることを励みに日々頑張っているのだが、彼と顔を合わせた途端、その美貌が僅かに歪んだ。

「申し訳ございませんが、わたくし、しばらくフィシオ様にお会いしたくないのです」

 ルーディアナは深緑色の瞳に冷たい光を浮かべて、素っ気なく言い放つ。

「……え?」

 当然のことながら、フィシオは戸惑った。

 以前まで、そのような物言いも、そのような表情も、一度だって向けられたことがなかったからだ。

「……ルー?」

 目を見開いたフィシオは、ポツリと彼女の愛称を口にする。

 そんな彼に、ルーディアナは形のいい眉を憎々しげに寄せた。

「大事な祝いの席に遅れるなど、許嫁として恥ずかしいとはお思いになりませんか?」

 先日、この屋敷で盛大に執り行われたルーディアナの誕生祝いの席に、フィシオは一時間遅刻してきたのだ。

 これまで、一度たりとも遅刻はなかったのに。 

 ルーディアナに指摘された途端、フィシオは青ざめる。

「それは、理由があって……」

 言いよどむ彼に、ルーディアナは再度問いかけた。

「ですから、その理由とはなんですの?」

 あの日、彼は謝罪と祝いの言葉を繰り返したものの、最後まで遅刻の理由を口にしなかったのだ。

 フィシオはなにも言わず、視線をスッと伏せる。

 そんな彼を半眼で見遣る彼女は、長々と息を吐いた。

「わたくしをお祝いするよりも、大切な用事があったのですね」

 それを聞いて、フィシオの顔がいっそう青くなる。

「いや、違う!」

 一歩踏み出た彼に、ルーディアナはスッと冷たい瞳を向ける。

「では、どのような理由で? ただ『用事があった』と言われましても、わたくしは納得いきませんわ」

「だから、それは……」

 またしても明言しない彼に、彼女は改めて長々と息を吐いた。 

「どうぞ、お帰りくださいませ」

 本に視線を落としたことで、会話は終了と言いたいのだろう。

 何度呼びかけてもいっこうに顔を上げないルーディアナに対し、フィシオは静かに頭を下げる。

「……今日はこれで帰る。また、来るよ」

 力のない口調で告げた彼は、逞しい肩をガクリと落として去っていった。



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