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ep.11 夕焼け


 時刻は午後四時を過ぎていた。

 俺たちは勝沼ぶどう郷駅から、甲府を目指していた。来た時の特急かいじではなく青とベージュのカラーが特徴的な鈍行列車に乗っていた。

 甲府駅には三十分ほどでたどり着くらしい。


 在来線には珍しいボックス席に座り、ぼんやりと外を眺める。

 勝沼から離れるにつれ標高も下がっていき、ぶどう畑も減っていく。そのうち住宅街が広がり始め、その景色は退屈でありふれたものになっていった。


 向かいに座る敦と兼保も同じように外を見ていたが、その瞳はほんのりと充血していた。

 ゴトンゴトン、という走行音だけがはっきりと聴こえる。

 車内は閑散としていて、俺たちのほかには高校生が数人乗っているだけだった。

 絵梨花も高校生の頃、毎日この景色を見て学校まで通っていたんだろうか。


 プシュー、と扉のひらく音が聞こえた。

——酒折、酒折に到着です——


「酒折だってよ」

「じゃあ、次が甲府だな」

 扉がしまると、電車はまた音を立てて動き始めた。


 景色は勝沼にいた頃とは一変し、ビルやマンションが立ち並ぶ市街地になっていた。

 ただやはり遠くには緑の山々が連なっていた。盆地だからだろうか、四方を山に囲まれている。


 この甲府という街に、絵梨花の約束の人がいる。本当にたどり着けるなんて思ってもいなかった。

 絵梨花の願いを叶えるなんて無理だと思っていた。でも、結局ここまで来た。


 もうすぐ、絵梨花の想いを伝えられる——

 電車はホームへと流れこみ、甲府駅にゆっくりと停車した。



※  ※  ※



 北口で降りて五分ほど、真新しい綺麗なロータリーや大きな県立図書館を抜けて歩いた先にそれはあった。

「甲州ゼミナール 甲府校舎」と書かれた看板が道沿いに立っており、レンガ調の三階建ての校舎があった。

 その入口は、先ほど見た絵梨花の絵とまったく同じだった。


「ここに間違いないな……」

 俺はそう呟くとゴクリと生唾を飲んだ。緊張で手が震える。もうすぐ絵梨花の好きだった人が目の前に現れる——


 ガラス戸に手を掛けようとしたその時、敦に止められた。

「待てって」

「なんだよ急に」

「いきなり訪ねて、なんて言って吉田先生に会うんだ」

「どういうことだ」

 俺は敦の言っていることが理解できなかった。


「学生証を見せれば絵梨花の友達ってわかるだろ」

 俺がそう言うと、敦はしかめ面で「ちがうっつーの」と首を横に振った。

「このご時世、いきなりやって来た得体の知れない奴らに吉田先生がいるかどうか教えてくれると思うか」

「いやー、渋い顔されて追い返されるかもなぁ」と兼保は苦笑いした。


「そうなんだよ。多分普通に何も教えてくれないぞ。塾の先生にも個人情報がある」

 敦が開き直ったかのように堂々と言うので、俺は混乱した。

「じゃあどうするっていうんだよ。ここまで来たのに諦めるのか」

 敦はにやりと得意げに笑ってみせた。

「そこで俺でしょう。まあ上手くやるから、二人はあとについて来い」

 敦はそれだけ言うと自信満々に入り口のガラス戸をあけ中に入っていく。

 言われるがまま、俺と兼保は敦のあとについていった。

 受付の女性に会釈をすると敦は口八丁の真価を見せた。


「私こちらでバイトを申し込んでいる大学生なんですが、本日吉田先生と面接のお約束をしてまして……吉田先生はいらっしゃいますか」

 なるほど、さすが敦だ。これなら怪しまれずに吉田先生を呼んでもらえるかもしれない。


「吉田ですか……?」

 そう言うと、受付の女性は難しい顔をしてパソコンを操作し始めた。

「吉田とお約束があるんですよね?」

「はい、そうです」

 敦は変わらず自信満々に答える。しかし受付の女性は「いや……」と言って怪訝な表情でこちらを見た。


「吉田ですが、半年前に弊社を退職しておりまして……こちらの校舎にも在籍しておりません」

 それを聞いて、敦はただ「あー……」と呆然とするだけだった。


 俺は耳を疑いたくなった。吉田先生はここにはいない。ここまで来て、寸前のところで届かないというのか。あと少しで絵梨花の想いを叶えられたというのに……


「どこにいかれたかって、わかりませんよね」

 敦が苦しまぎれに尋ねてみるも、「弊社ではわかりかねます」の一点張りだった。当たり前だろう。辞めた人間がどこにいったかまで把握しているはずもない。


 俺たちは仕方なく甲信ゼミナールをあとにした。



 帰り道、言いようのない無力感に襲われた。絵梨花のために始めたことだったのに、結局は何もできなかった。

 吉田先生という人まで絞りこんでたどり着いたのに、ここから先はもう探しようがないことが、俺の心をひりひりと焼き焦がすようだった。

 俺たちはもはや特急電車を待つような気力さえもなく、一番最初にホームに来た鈍行列車に乗り込んだ。


 窓からは皮肉にも鮮やかなオレンジ色の夕日が差し込んできた。その美しい夕焼けが、何もできなかった俺たちを慰めているようにも見えて、なんとも歯がゆい気持ちになった。

 俺たちがいくら落ち込もうとも、陽は何事もなかったかのように傾き、街全体を橙色に染め上げていく。

 絵梨花がいなくなっても陽は昇って沈み、当たり前のように毎日は続いていく。これからもずっと——


 そんな現実を突きつけられているような気分だった。


「俺、思ったんだけどさ」

 ふと、敦が口をひらいた。


「会えなくても良かったんじゃないかな」

 思いがけない一言が飛び出したので、俺は動揺した。

「どうして?」


 敦は外を見つめたまま、物憂げな横顔で語る。

「保坂さんは両親からも連絡がいっただろうし、絵梨花の死を知ってたけどさ。吉田先生って知ってるのかな」

 夕日で照らされた敦の顔は橙色に映えていた。

「もし知らなかったらどうする? もしまだ絵梨花が生きているって思ってたら、俺たちはどうしたんだ?」

 きゅうっと、心臓が締め付けられるような苦しさを覚えた。俺はただ絵梨花の想いを伝えれば、それで絵梨花も相手も報われると思っていた。


 でも、もしかしたら——


「伝えるのか? 吉田先生に。絵梨花はあなたのことがずっと好きだったんです。もういませんけど——って」

 ゴトン、と大きな音をたてて電車が縦揺れした。

「それってものすごく残酷なことじゃないのか? ……かといって言わないわけにもいかない」

 車内の人影は少なく、敦の声だけが虚しくこだましていた。

「ま、深く考えなくていいんだけどさ。もう会えないだろうしな」

 敦はそう言うと、事もなげにふうっと息を吐いた。


 電車は再び勝沼ぶどう郷に差し掛かっていた。車窓から見えたぶどうの丘の景色は、夕日に照らされてきらきらと輝いていた。その景色はただただ美しかった。

 この夕焼けのなかで、絵梨花も駆け回っていたんだろうな。


 俺は一体、どうするのが正解だったんだろう。絵梨花の約束を、想いを、幸せを、叶えるために山梨まできた。

 結局約束の人には会えなかったわけだが、それでもよかったのだろうか。もし会えたとして……すべてを伝えてよかったのだろうか。

 頭のなかはぐちゃぐちゃにからまり、ただ眼前に広がる美しいぶどう畑を見ていることしかできなかった。


 そういえば。ぶとうの丘に来たっていうのに、全然ぶどうを食べなかったな——。


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