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されど彼はゆく  作者: こうみ
第三章
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第二話

 三人は住み家に帰還した。明るく陽気な一声からささやかな祝賀がはじまるのが常である。けれど肝心の開口一番はなく、広々とした一階に重い空気が流れていた。

 落ち着きを取り戻した青月はソファに座り、顔を俯かせていた。対峙する形で摩鬼人が前に立って、少し離れたところで劉鬼が丸椅子に座る。

「……ごめん。俺のせいだ」

「責任云々の話は俺たちに必要ない。仕事の話をしろ」

「そうだね。でも、あいつがだれなのか俺にはわからない。見覚えがないよ」

 残留する痛みに堪える。目を強く閉じ、続けた。

「俺の品名を知っていたから、たぶん、あそこに居た連中のひとりだと思う。だけど、貴賓室のことは公にされていないし、品名を知るのは商品同士か、オークションに参加していた奴らだけ。あとは会長かな、摩鬼人に殺されてもういないけどね」

 青月は立って、冷たい水をコップに注ぎ、一気に飲み干した。

 聞き慣れない単語に首を傾げる劉鬼をよそに、摩鬼人が問う。

「『ミハル』ではないのか」

 首を横に振って返答した。

「そうか。――あの襲撃は、お前と標的側が接触するために行ったかもしれんな」

「はっはは、……」

 乾いた笑声。喉がまだ渇いているせいだろう。もう一度水を含んで、青月は風呂場へ向かった。

 脱衣所で服を脱いでいく。鏡を避けてそれを背にする。

 シャワーで熱い湯をあたまから被った。滴る水は、いくつもの鬱血痕やひっかき傷、切り傷が残る肩、背、腕、手、胸、足を伝っていく。

 日に焼けていないような白い肉体。対照的に青黒い艶のある髪。余計な筋肉はない美しい身体つきである。消えない数々の痕さえなければ、そのすがたに恍惚とするだろう。否、あるいは傷だらけのそれに美を唱え、喜ぶ者もいるかもしれない。

 髪を掻き上げ、顔を洗う。シャワーを止めて、湯に浸かる。

「……ミハル、か」

 ぷかぷかと浮かぶおもちゃのアヒルを眺めながら、記憶の糸を辿った。

 飛鳥会のトップが放つ胴間声。物心ついたときから耳にしてきた。貴賓室とは名ばかりのオークション会場も、記憶にある。……しかし、ミハルという人物を思い出せない。逃がした男がそうだというのか?

「……だれなんだ、あいつは」



「親父、品名とかオークションとか、なんのことっすか」

「我が息子は知らなかったか。飛鳥会はみかじめ料とは別に、人身売買で資金を得ていた時期があった。ただの売買じゃねえぞ、幼い少年を女に見立てて売り捌くのさ。女装させたり、女らしい仕草をさせたりするんだ。SMバーで見るような卑猥な格好もさせられていたらしいが、とにかく異常な姿かたちで商品――連れてこられた幼い少年たち――は売られていた。そのなかに、青月はいたのさ」

「……反吐が出る。俺だったら舌を噛んで死んでやる」

「反吐をもっと出させる話をしよう。飛鳥会のトップは歪んだ性癖の持ち主でな、好みの少年が居た場合、じっくり丁寧に育てていた。大人になればもっと高値で、という考えだったらしいが、詳しくはわからん。わかりたくもねえが」

「……それってつまり、会長サマの好みの年齢になるまで、商品のままってことか?」

「そういうことだよ、亜条くん」

 ラフな格好をした青月は立ち聞きをやめ、リビングに入る。そして劉鬼の疑問に返答した。

「会長のお気に入りは十人くらいだったかな。なにも知らず連れてこられて、選別されてから貴賓室行きか、即オークションかを決められた。貴賓室はお気に入りたちが生活する場所でね、俺もそこに居たよ。あそこにいる間は、必ず商品名で呼ばれる。それが自分たちの名前になる。本名をもじって女の品名にする。そして、売られるその日まで俺たちお気に入りの品々は監禁される。出られないあそこは、地獄だったよ」

 天を仰いで、記憶から消えない名を呟く。

「レイカ。それが俺の品名だった。本名はもう忘れたけどね」

 自嘲ぎみに言う。すると、摩鬼人が珍しく感情の籠った声音で返してきた。

「お前の本名は、青月黎だ」

 ぽかんとなった。煙草を咥え、火を点ける彼を見、くすりと笑む。

「そうだね。ありがとう、摩鬼人」

 青月はぐっと伸びをした。

「さあて、辛気臭いのはおわり、おわり! ボトル二本開けるよ!」

「おう」

「げっ、マジっすか」

「マジだよ。ほらほら、グラス並べて。今日は飲みまくるよ」

 三人分のグラスがテーブルに並ぶ。ボトルを傾け空のそれへ注いでいく。アルコールに弱い劉鬼は三杯と少しを飲んでソファに倒れ伏した。一方、酒にめっぽう強い青月と摩鬼人はあれよあれよとボトルの中身を減らしていく。

 身体が火照ってきた。日焼けを忘れた青月の頬が赤くなる。ぼんやりしていると、愛する男が手招きをした。彼の隣に座り、もたれかかった。

「なに、誘い?」

「支障はないんだろうな」

「ああ……仕事のこと。もういいよ、次は必ず撃つから」

「どうだか」

「珍しいなあ、きみが人を心配するなんて。明日は大嵐? それとも天変地異?」

「話を逸らすな」

「撃てるよ。さっきは驚いただけなんだ。鍵をかけた箱からいきなりいろんなものが飛び出してきたから、どうしたらいいかわからなかったんだよ。きみにはみっともないところを見せちゃったね」

「……ごまかすな」

「え?」

「まださっきのことを引きずっているだろうが。隠しきれてねえよ、青月」

 ばれていた。やはりこの男には、なにも隠すことはできないようだ。酔ってなんでもいいから吐き出して、そしてすっきりするつもりだった。背中を這いずるようにある悪寒を払おうとした。これがなかなかどうして払えない。せめて摩鬼人にはばれないよう、作りに作った笑顔で酒を楽しんでいたけれど、見抜かれてしまった。否、彼ははじめからわかっていたかもしれない。

「いつからなんだい、俺が無理をしているってわかったのは」

「さてな。妙に話しまくるすがたに違和感があった。それに、……蹲るほど苦しいものからすぐ立ち直れるやつなんざ、いないだろう」

 胸から込み上げてくる感情を堪えるため、下唇を噛む。また乾いた笑い声を吐く。

「らしくないよ、摩鬼人。きみは冷酷非情な殺し屋だろう? 過去のことでびくつく相棒の心配なんてしなくていいさ。なんなら今ここで殺してよ。切り捨てられるだろう? きみを殺せなかったわけだし、今回の仕事にだって支障が出るだろうしさ」

 やけくそに放った言葉を、彼がどういう色で聞いたのか、顔を目にするのが怖くてそちらを振り向くことはしなかった。摩鬼人は一言、

「そうか。支障は出るんだな」

 とだけ告げた。

 青月はソファに寝転んだ。風呂に入ると言っていなくなった彼の温もりを頬に感じとる。一本と半分を開けたボトルをぼんやり見つめた。

 亜条摩鬼人は、死にたがりだ。ゆえに、強くなってしまった。ゆえに、だれも彼を殺められずにいる。青月もそのひとりである。毒物を中心に薬の扱いに長けた青月は、毒を以て死にたがりを殺めようとした。頼まれたときの目を、今でも鮮明に憶えている。無に等しい感情を含まない瞳の奥に潜む、覚悟。死にたがりとは思えない意思の強さは、こちらの身が竦むほどだった。

 ――だから、青月黎は彼の傍にいると決めた。

 毒殺に失敗したあと、懇願した。きみの傍に居させてほしい。きみを愛したい。

 そうしなければ、彼がどこかへ行ってしまうような気がした。死をもとめて、死地を探してこの世を彷徨うだろう。させるものか。繋ぎとめてやらねば。でないと、彼は軽々とこと切れる。そんなもの、彼には相応しくない。身が竦むほどの覚悟をした亜条摩鬼人が、そんな死にざまでいいわけがない――。

「……逆」

 死にたがりと自称している摩鬼人は、生きたいのではないだろうか?

 死を語ることで、自分は今生を謳歌していると、思い込ませるために?

「まさか」

 青月は仰向けになった。シーリングファンがくるくる回っている。

 自分と愛する者を重ねかけて、やめる。人間として生きたがる自分と、死にたがる彼は同じではない。

 亜条摩鬼人は今、あの劉鬼から命を奪わせようと傍に置いている。

 ――ならなぜ、繋ぎとめている青月を切り捨てないのだろうか。

「あー、やめやめ。考えすぎはよくないね。詮索はなしっと」

 上半身を起こし、ボトルとグラスを片付けた。それから酔いつぶれた劉鬼を叩いて起こし、部屋へ戻らせる。ふらつく青年が壁や段差にぶつかりながら行くそのさまに笑いを堪える。

 いつしか、背中を這いずり回っていた悪寒が、なくなっていることに気付いた。

 手や針が触れる幻の感触もなかった。

 今度こそあの男を撃つ。なにがなんでも、引き金を引く。

 そう心に決めた青月であった。


    ×


 翌日。青月たちは襲撃のあった事務所へ赴く。しかし、警察と野次馬とマスコミとで混雑しており、建物には近づけない。裏口にも警察がいると判断し、青月は事務所から離れたビルの陰に車を停車させた。車窓から入口付近の様子を眺めて、ため息を漏らす。

「どうしようか、摩鬼人。あれじゃなかに入れないし、死体も調べられないよ」

 摩鬼人は一点を見つめ、おもむろにスマートフォンを手にする。相手と短いやりとりを済ませて、とある刑事の名前を言った。

「黒井を呼んだ。すぐ来る」

 黒井鷹祢。警視庁捜査一課に所属する。今でこそ刑事ではあるが、もとは殺し屋として生きていた過去を持つ。足を洗ったとは本人談。

 裏で培った人脈や情報を利用し、数々の事件を解決している。そのなかで青月たちと知り合い、現在は互いに情報をやりとりする関係なのだ。

 雑踏からひとり、こちらへ向かってくる人影があった。長身痩躯、短髪で目つきはいかつい。後部座席のドアを開け、車に乗ってくる。

「おめえらが関わっているなら話が早えな。あそこを襲ったクソ野郎どもはなんだ」

「飛鳥会の残党だ。率いているのは『ミハル』という人物らしい」

「らしい、だぁ?」

 苛立ちを顔に浮かばせた黒井に対し、摩鬼人は表情筋を動かさず言葉を返す。

「俺たちも昨日、あの事務所に行ったばかりなんだ。全貌、目的、動機までわかっちゃいねえよ」

「ちっ。一から調べるハメになるのかよ」

「お前のほうから情報をよこせ、黒井。死体の状態は?」

「ほとんど銃殺だ。組員とそうじゃないやつが逝っていたぞ。組員じゃねえやつは」

「お察しの通り、俺たちがやったよ」

 と、青月が言った。すると黒井の鋭い眼光が飛んでくる。

「こっちの仕事を増やすんじゃねえよ、ったく」

 青月はけらけらと笑う。

「ほとんど銃殺と言ったが、そうじゃない死体もあったのか」

「あった。が、ひとり、ふたりだ。毒殺と鑑識は言っていたぞ」

 毒殺。それに反応を見せたのは青月だった。

「……ふうん」

「そういや青月、お前が昨日逝かせた野郎も毒で殺していたな」

「あれ、もう見つかったんだ。大道寺が毒で始末しとけっていうからそうしたんだよ。幹部の運転手がなにをしたかは知らないよ」

「幹部の亡き骸はどうした?」

「組が処分するって話だったよ。もう海の底かコンクリートのなかだと思うけど」

 黒井は身を乗り出して前の席に顔を出した。

「それとこれとが関係しているみたいなことは言っていたか?」

「別に。俺はただ〝あいつには出ていってもらうから、運転手もよろしく〟っていうからそうしただけ」

 薄々この刑事がなにを言いたいかを悟った。あえて口にはしない。

「『ミハル』とその幹部が繋がっていた、とは思わないのか?」

「俺たちの仕事は探偵じゃねえ、殺しだ。詳しいことはそっちでやれ」

 と、摩鬼人が言った。

 舌打ちをした黒井は車を降りて雑踏のなかへ消えていく。

 ずっとだんまりを決めていた劉鬼が欠伸をする。

「やっと消えてくれたっすね、あの刑事」

「我が息子よ」

「なんすか、親父」

 摩鬼人の人差し指がぴんとまっすぐに立つ。

「刑事サマが現場へ行った。そして、次に向かう場所は?」

「そりゃ、現場で調査した次は聞き込みだろ。――ってまさか」

「ああ、なるほどね」

 人差し指がとある方向を指す。

 左門が住む大道寺邸だ。

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