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されど彼はゆく  作者: こうみ
第一章
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第三話

 大道寺左門はロマンチストでありリアリストである。甘い空想を愛し、辛い現実を愛してやまない男だ。物語のような出来事が実在したとして、空想を裏切るような出来事が起こったとして、なんて面白いんだろう――物心ついたときからそう思ってきた。それだけならばよかった。

 彼はカタギではない。某所一円と隣県まで勢力を持つ大道寺組の長だ。人望は厚く、同志たちから絶大な信頼を得ている。来る者は決して拒まない方針ゆえ、組員の数は多い。

 新しく入った同志は驚く。左門の物腰やわらかな性格と奥に潜む威厳に魅了される。そして、彼の思考がまともではないと知る。これでどうして長が務まるのか、だれもかれもさっぱりだった。

 ただ面白いだけではいけなかった。自分が主役ではいけなかった。空想が実現していくさまを、現実が裏切っていくさまを眺めたい。思う通りに描きたい。幼き頃の夢を想い続け、叶えることは難しい。だが、彼は叶えてしまう。

 およそロマンからかけ離れた世界にて、己の夢想を現実にする。

 大道寺左門は今、幸福の真っ只中で生きていた。

 和風な豪邸。広々とした和室に通された紺野幸臣、青月、劉鬼の三人は姿勢を正して上座に注目した。座には不機嫌な様子の組長が居る。扇をこめかみにあてた。

「幸臣くんが組に残りつつ、子供を遠くへ行かせたかった。俺はそれを叶えるチャンスを与えた。そして見事に成功させた。こうして俺のところへ戻ってきたのはとても嬉しいよ。俺が想像した通りだ。……だけど、あんたはひとつ、予想外のことをしたな」

 射殺さんばかりの視線が幸臣をこわばらせる。冷や汗が手の甲に落ちた。

「おっと、そんなに怖い顔しなくていいよ。別にあんたを責めているわけじゃない。すべて俺が考えたことだ」

「す、すべて? 一体どこから……まさか、あそこに同志が来たのも」

 扇がくるくる空に丸を描く。

「俺はあんたから話を聞いたとき、こう考えた。〝もしも、二兎を得たらなんてロマンチックな展開だろう。資金も奪い、子供を救って、組に帰ってくる。子を助ける親の素晴らしき行動力! どうにかして実現させてやりたい〟とね。だが、こうも考えたのさ。〝組を裏切る行為を見逃してはならない。現実は非情だ。救いたい想いあれど、それがなにかを捨てる結果になる〟」

 左門は上座から立って、幸臣の眼前に迫る。にへらと笑う。

「同志を殺してまで組に戻りたい意思、子供を救いたい想いはすごいね。だが、同志を殺してまで戻れるほど甘い世界だと思っているようだな」

 張りつめる空気が一室を支配する。青月と劉鬼は息を呑む。

 左門の左手が幸臣のあたまを掴んだ。力が込められて筋が浮き出る。

「お前はなにも失敗していないぞ。資金を奪ってガキに渡して逃がした。そしてお前は亜条たちを護衛にして無事、戻ってきた。とてもロマンチックだよ。だが、同志を殺しておいておめおめ俺の前に出てきやがったな」

「あ、あんたが……あんたが同志を送ってこなけりゃ、すべてうまく言っていた!」

 幸臣が左門の手を払って距離をとった。

「この話に乗った俺も馬鹿だが、あんたはもっとおかしい! さっきから聞いていれば、どっちなんだよ。甘い夢を見せたいのか、辛い現実を見せたいのか、はっきりしてくれ!」

 左門はまたしてもにへらと笑んだ。

「両方だよ」

 紺野幸臣の思考が停止した。

 二発の銃弾が男を貫く。

 ずるり、ずるり。肉塊と飛び散った血痕を、若い組員たちが処理する。

 左門は襖を閉めて、上座に座り直す。開口一番、感謝を口にした。

「いやあ、ありがとうね。ここまでご苦労様でした」

 姿勢を崩した青月と劉鬼からため息が漏れた。

「おかしなことに付き合せないでください、大道寺のおっさん」

「控えていた組員に標的を殺させるなんて、聞いていないんだけど。詳しい話をしてくれないなら、摩鬼人を連れてこないからね」

 青月の冷ややかで身体の芯を凍らすような語気でも、左門の表情に変わりはない。にへら、と作りか本物か見分けのつかない笑顔がある。

「ちゃんとわけを話すよ。少し長くなるけど、いいかな」

 下座にいるふたりは早くしろとばかりに鋭く睨んだ。

 左門は語る。淡々と。

「一か月前からうちの間で情報漏れがあると報告があったんだ。調査した結果、幸臣くんの愛した女が、敵対する組の工作員だった。うちは大きいからね、わずかなほころびから瓦解する可能性も充分ある。同志たちを情報で操られても困るんで、さっさと始末した。幸臣くんには抗争に巻き込まれて亡くなったと教えたよ」

「リアリストらしい。現実を優先して考えているっすね」劉鬼が言った。

「そーんなときだ、意気消沈した幸臣くんが子供を遠くへやりたいと言ってきた。長として同志の願いを叶えたかった。だから一連のことを思いついたのだよ。でも、貴重な同志を五人も失った。寂しいよ」

「白々しい。送りつけた組員は工作員を始末した連中なんだろう」青月が言う。

「そうだよ。幸臣くんは無事、子供を救って、復讐まで果たした。一石二鳥さ」

 青月が眉間を寄せた。

「それでよかったじゃないか。なぜ、殺したんだ」

 扇が青月に向けられる。

「工作員の女が、どうやって情報を集めていたと思う?」

「……まさか」

「そういうことだ。組の情報、人数、勢力、状況、俺のこと、組員でなければ知らないような内容を女は知っていた。ではだれが教えていたのか。そう、紺野幸臣だ。あいつは情報を自分が気づかないまま、流していた。だから、処理したの」

 後ろの襖から足音が消えていく。掃除は終わったらしい。


     ×


 受付の係員がはっとする。いつからか大人料金の入館券があった。

「どうぞ、ごゆっくり」

 入館した証のはんこを押して顔をあげる。そこにはだれもいなかった。

 動揺する係員をよそに、亜条は人探しを開始する。

 彼の存在を表す言葉はふたつ。これは性格とも言える。

 ひとつは〝静寂〟だ。獣がエサを狙うさい、しんと息を潜めるときのように、彼は静かである。標的ではない者には気配をなくして、居たことを悟られないようにする。気を抜けば見失う。青月や劉鬼でも静けさを纏った彼を感知することは不可能だ。

 もうひとつは〝獰猛〟だ。文字通り、狙った標的は息の根が止まるまで逃さない。敵となった者をただでは済まさない。静寂とは正反対に、いざスイッチが入れば圧倒的な存在感を放つ。――けれど、獰猛な一面が現れるのはあまりない。

 もとより口数が少なく、活発なわけでもない。ゆえに〝静寂〟が普段の彼だ。係員の眼前を、居ることを悟られずに近づき、去ることもできる。

 それらに加えて拳銃の扱いは一流、観察力と洞察力も優れている。その腕と頭脳、性格を買われて今、大道寺組の下で殺し屋をしている。

 街にいる情報屋から得た話では、幼子はここにいるという。子供にしてはひとりで美術館のチラシを持っていたから目についた。チラシの内容は亜条が駅前で見かけた宣伝広告と同じとも言っていた。

 来館者は多くない。ほどなくして発見する。数ある女性絵画から『ユディト』を見上げていた。落とした入館券に目もくれず集中している。券を拾って、少年に渡した。

「ずいぶん珍しい絵を観ているんだな、少年よ」

「はい。見たことがなかったから。おじさんはこの絵を知っていますか?」

 少年の緊張を和らげるため、優しい声音で語りかける。

 そのあと、リュックの中身を渡すよう低い声で脅す。撃つ気はないが、拳銃を向ける。小さな身体が小刻みに震えた。悲鳴をあげるか、と警戒したが、少年は素直にリュックを差し出した。

 ジッパーを開け、中身を漁る。どこにも札束がない。可愛らしい財布も確認してみた。やはり万単位の紙幣はなかった。ここにくるまでに使ったのか、幸臣が嘘をついたのか。

「ひとつ聞こう、少年よ。あんたの父親、どこに金を隠した?」

「し、知らない」

「なら質問を変えよう。たくさん金を持っていたが、それをどうした?」

「……殺すの、僕を」

「殺さない。話すだけでいい」

 声音を使い分けて、人の心をゆすぶる。

 ゆすぶられた少年は俯き、か細い声を出す。

「いっぱい、燃やしていた。途中まで僕のリュックに入れていたのに、全部……」

「ほう。それは本当か?」

「嘘じゃない! おとうさん、きっとなにかあったんだ。そうだよね!?」

 館内を占める独特な静けさを、少年の必死な声が破いた。

 この子はなにも知らされていない。組の資金を燃やしたわけも教えられていない。深く問い詰める意味がなくなった。亜条はベンチから立ち上がる。

「待って。おじさん、教えて。おとうさんになにかあったの!?」

 袖を引っ張られる。すがるつぶらな瞳を、感情を失った眼が見下ろす。

「あんたが知ることじゃない。旅を続けるんだな」

 少年は瞬いた。

 亜条のすがたを見失った。

 ぽつんと残された和冬雅彦は涙を堪えて、ひとり旅の一歩を踏み出す。



 夕刻。仕事の報告をしに、十年ぶりの大道寺邸へ。青月に車で待つよう言い残して、敷居を跨いだ。若い組員が扉を開ける。左門が待っていた。

「上がれよ、摩鬼人」

 再会した男はにへらと笑う。

 ちょっぴり髭が伸びて、顔は少し老けた。それ以外は最後に会ったときと変わらない。壊れたように口元を緩める特徴的な笑い方は不気味さを増した気がする。

 開放された和室に入れば、畳と庭からの花の香りが漂っていた。心地よいにおいのなかから硝煙と血を嗅ぎ分けた亜条だったが、気にせず座る。左門は部屋の外、廊下に落ち着く。すぐさまこわもての組員がさかづきふたつと徳利を運んできた。

「ムショ暮らしはどうだった、楽しかった?」

「お前と与太話をしに来たんじゃねえ。組の資金が燃えたぞ」

「わーお、自然発火? ファンタスティックだな」

「紺野幸臣がすべて燃やした。それとガキは逃がした。標的ではなかったからな」

 徳利が傾く。酒がなみなみ注がれる。

「組の資金が無くなったってのに、冷静だな」

「俺がうちの金を簡単に渡すと思うか?」

「じゃあどこから出たやつなんだ? 犬が掘ってくれたやつか」

「うちに入り込んでいた工作員が所持していた金だよ」

 さかづきが傾いた。左門は喉を潤す。

「なるほどな。紺野幸臣はお前のところへ戻った、工作員だった妻を殺した連中に復讐を果たした――一石二鳥。しかし、もらった金はそもそも大道寺組のではなかった、ガキを救うこともできなかった――二兎追う者は一兎も得ず。お前が与えたチャンスという名の一石であいつは二匹の鳥を得たが、それは兎だった」

 左門が身体を捻ってこちらを向く。

「ご名答。それ考えるの大変だったよ~。あたまは鈍っていないね、摩鬼人」

 内ポケットから煙草を取り出し、口に咥えて点火。紫煙を吐く。

 夕日が沈む。そよ風が室内まで流れてきた。

「なぜ、紺野幸臣を狙わせたんだ」

「ほらあいつ、あんたに命令していただろ。〝殺すな〟って」

「わざわざそれを解くためにやらせたと?」

「そういうこと。亜条摩鬼人! ムショから解放され、命令からも解放され、はれて自由の身になった! って喜んでよ~」

「阿呆ぬかせ。この年でそんな喜び方するかよ。話は済んだ、帰らせてもらう」

 亜条が廊下に出たとき、背後からドスの利いた低い声がする。

「これで貴様がいつでもだれにでも殺されるようになったんだぜ、喜べ」

 言葉を返す代わりに、左門を一瞥する。そして立ち去った。

 待たせていた青月が手を振る。

「なんだか不機嫌だね」

 助手席に座ってそう言われた。窓に映る自分の顔を眺めたが、わからない。

 車が発進する。

「あの男に手を出されていないよね」

「触られていねえよ」

 青月は胸を撫で下ろす。

「よかった」

「今日の晩飯はなんだ」

「きみの出所祝いも兼ねて、摩鬼人の好きなものをフルコースで作ったよ」

「そうか、ありがとよ」

「どういたしまして」


     ×


 彼は死ねなかった。それはもう思い出せない過去のこと。

 彼は殺せなかった。引き金を引いていい人ではなかった。

 彼は愛してしまった。愛する人の願いを阻むためだった。

 ある少年の死生観がズレたところから、はじまっているかもしれない。

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