第八話
大道寺左門は港にいた。優雅に鼻歌を歌っている。
彼の邸の門をくぐるとき、部下である唯永がここだと言った。止める気はなく、なにをするのかも問われなかった。
鼻歌が終わる。それに伴って、彼に銃を向けた。
けらけら笑いながら、大道寺は両手をあげて、亜条と対峙する。
「せっかちだねえ。もう少しゆっくりしようぜ、景色もいいし」
天気は曇り。波もおだやかではない。
「さて、俺は何番目なのかな。ニコルは? 青月は? 劉鬼はどうした?」
「……殺した。お前は三番目だ」
「へえ。じゃあまだ、ひとりは残っているのね。俺の予想だと……劉鬼かな」
よく動く口だ。
話すことはなにもなかった。
黙って、さっきのようにするだけ。
大道寺とも長い付き合いをしてきたが、今日が最後になるだろう。
引き金に指を添えた。
「だからさ、せっかちだよ、短気だよ。もうちょっと周りを見ようか、亜条摩鬼人」
ぞろぞろと人影が集まってきた。
数は増えても、やることは変わらない。
いつものように。
いつものようにするだけだ。
×
広い邸にはだれもいない。しんとしている。
自分の荒い息づかいしか耳に入ってこない。
一室を仕切る襖を次々と開けていった。
最後の一枚を開放したとき、見慣れた男が刀を傍に置いて正座していた。
「騒がしい。とっとと失せろ」
「ああ、失せるぜ。その前に、あんたの長と親父はどこに」
「港だ」
言い切る前に、唯永は短く答えた。
「……ありがとう」
背を向けて、もと来た道を戻った。
後ろから鋭利な刃物の斬る音がしたけれど、聞こえなかったことにした。
雲行きが怪しくなって、空が灰色のヴェールに包まれた。
風に逆らって、海の見えるところまで進んだ。
道中、そこかしこで倒れている組員を目にする。見なかったことにした。
酷使した足を引きずり、港の岸壁まで来た。
ここにも組員たちが倒れていた。そのなかから、大道寺左門を探す。
いないことを期待したものの、すぐに裏切られた。
酷い有り様だった。あの人と激しく争ったことを、身体ひとつだけで物語っている。
「……変な笑い方」
にへら、最期まで独特な笑みを浮かべていた。
両足の痛みを我慢して、その場を去った。
港にあの人はもういない。
いたのはまちがいない。
「最後は俺か」
やっと、巡ってきた。
あの真夏から、十数年待たされた。
季節ではないはずなのに、蝉の声がする。
「殺されにいくのか。はは……」
ふしぎだった。
怖くない。
怖いのは、あの人を殺すことだ。
あれだけ生きたがる彼の命を、奪える自信がなかった。
港を出た。街中を歩く。
息があがって、足が震えて、立ち止まってしまった。
身体に鞭打って、住み家へ向かう。
あの人が待っている。
律儀に、来るのを待ってくれている。
「……はあ、はあ」
走りすぎたせいか、腹や脇腹までも痛みだす。
それでも止まらない。
行かなければならないからだ。
そうして、住み慣れた家に辿り着く。
息も絶え絶えだった。
帰ってこられる唯一の場所のはずだが、今日は違う。
身体がこわばって、なかに入ろうとしない。
固まる手をむりやり動かしてドアを開けた。
なかへ歩を進める。
居た。
服も、髪も、身体も、ぼろぼろだ。
「よく来た、我が息子よ」
改めて向かい合う。蛇に睨まれた蛙の如く、ぴたりと動けなくなった。
すると、男が歩み寄ってきた。
おもわず目を瞑る。撃たれると思った矢先、なにかを握らされた。
瞼をあげてそれを見る。彼の愛用する一丁の拳銃があった。
問い詰めようとすれば、男は劉鬼から離れた。
「最後は、お前の手で終わらせてくれ」
拳銃を投げ捨ててしまいたい。しかし、手は固まったままだ。
撃てるのか。使い慣れた銃を、素人のように両手で持つ。
震える手。重い塊。目の前には大切な人。
引き金を引けば、きっと後悔する。
これは仕事ではない。
〝殺人〟だ。
罪を犯そうとしている。
まるで、あの日の再来。
蝉の鳴く真夏日が戻ってきたかのようだ。
あの頃と変わっていない自分にほっとする。
どんな形でも、誘拐犯と被害者でも、血の繋がりがなくとも。
彼は、亜条摩鬼人は、正真正銘〝父親〟である。
だから殺せない。撃てない。
「――俺は、あなたを殺せません」
視界がゆらぐ。涙が頬を伝う。
「そうか。わかった」
……失望しただろうか。
「なら」
……殺されるだろうか。
「俺が消えよう」
ゆっくり、彼が再び近づいてくる。
このまま通りすぎてほしかった。
なにも残さずに、跡形もなく。
けれど、父親はそうしなかった。
「――ありがとう、劉鬼。さよならだ」
目じり溜まる涙を拭きとる無骨な指先。
あたまをやさしく撫でる手。
あたたかな声音の感謝と別れの言葉。
はじめて呼ばれた、自分の名前。
「――父さん、さようなら」
もう二度と会えない。
彼は見つけられない。
たとえ出会えたとしても、そのときはきっと、別人だ。
それでもまたどこかで会える気がしたから。
「また会いましょう」
――どこからか蝉の声がする。
――また、夏がくる。
×
二ヶ月後。
気温はあがるばかり。体温を超える暑さに人々は辟易していた。涼しい日陰でさえ暑くさせる陽射しは容赦なく照りつける。弱まるどころか日に日に強くなっている。そのため、テレビでは毎日、暑さ対策をしよう、水分をしっかりとろう、と流れていた。
劉鬼は同じ内容ばかりの番組に飽きて、テレビを切った。
丸椅子に座り、キャンバスに筆を走らせる。ここしばらくはかどっていて、創作意欲はまだまだある。下手をすれば食事や睡眠を忘れるぐらいだ。
かつて三人で暮らしていた住み家は今や、ひとりで住むアトリエとなった。一日のほとんどを絵に囲まれて過ごす。趣味だったこともあり、環境を整えて今も続けている。
このなかから離れたい気持ちはない、といえば嘘になる。さまざまな事柄が残留する場所で新たな人生を歩むのは、憚られた。けれど、過去がどうであれ、住んでいたのはまちがいない。居心地も悪くない。ゆえに、劉鬼は離れなかった。
仕事の上司であった男もいなくなり、仲間もいなくなった。
裏稼業からはすでに足を洗っている。武器もすべて捨てた。残ったのは、趣味である絵だけだ。
「よし」
一枚の絵が完成する。はしっこにサインを記して、筆とパレットを片づける。
後ろ姿の男。赤黒い髪と大きな背中。顔をわずかにこちらへ向けている。どんな表情をしているかは、作者のみぞ知る。
「なかなかの出来栄えでしょう、親父」
ひとり呟いて、にこりと微笑んだ。
「俺、個展を開こうと思うんだ。だからそのときは、俺の絵を観にきてほしい」
気のせいだろうか。
だれかの声がした。
――「観に行こう、期待している」
劉鬼は外を見やり、快晴の空をじっと眺める。
蝉が鳴く真夏の日。二十と一回目の夏。
人生を一周したかのようである。
けれど、もうあんな日は訪れない。
あの人は生きる道を行った。
生かされる道からようやく抜け出せたのだ。
かつての仲間だったニコル・グリップを殺した。
彼を愛していた青月黎を殺した。
仇たる大道寺左門を葬った。
そうして、血の繋がらない息子を、殺し損ねた。
「されど、彼はゆく。なんてな」
生かされるのではない。
生きるがため。
亜条劉鬼を生かした男はゆく。
その身、その命、その魂が尽きるまで、どこまでも――。




