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されど彼はゆく  作者: こうみ
第四章
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第八話

 大道寺左門は港にいた。優雅に鼻歌を歌っている。

 彼の邸の門をくぐるとき、部下である唯永がここだと言った。止める気はなく、なにをするのかも問われなかった。

 鼻歌が終わる。それに伴って、彼に銃を向けた。

 けらけら笑いながら、大道寺は両手をあげて、亜条と対峙する。

「せっかちだねえ。もう少しゆっくりしようぜ、景色もいいし」

 天気は曇り。波もおだやかではない。

「さて、俺は何番目なのかな。ニコルは? 青月は? 劉鬼はどうした?」

「……殺した。お前は三番目だ」

「へえ。じゃあまだ、ひとりは残っているのね。俺の予想だと……劉鬼かな」

 よく動く口だ。

 話すことはなにもなかった。

 黙って、さっきのようにするだけ。

 大道寺とも長い付き合いをしてきたが、今日が最後になるだろう。

 引き金に指を添えた。

「だからさ、せっかちだよ、短気だよ。もうちょっと周りを見ようか、亜条摩鬼人」

 ぞろぞろと人影が集まってきた。

 数は増えても、やることは変わらない。

 いつものように。

 いつものようにするだけだ。


     ×


 広い邸にはだれもいない。しんとしている。

 自分の荒い息づかいしか耳に入ってこない。

 一室を仕切る襖を次々と開けていった。

 最後の一枚を開放したとき、見慣れた男が刀を傍に置いて正座していた。

「騒がしい。とっとと失せろ」

「ああ、失せるぜ。その前に、あんたの長と親父はどこに」

「港だ」

 言い切る前に、唯永は短く答えた。

「……ありがとう」

 背を向けて、もと来た道を戻った。

 後ろから鋭利な刃物の斬る音がしたけれど、聞こえなかったことにした。



 雲行きが怪しくなって、空が灰色のヴェールに包まれた。

 風に逆らって、海の見えるところまで進んだ。

 道中、そこかしこで倒れている組員を目にする。見なかったことにした。

 酷使した足を引きずり、港の岸壁まで来た。

 ここにも組員たちが倒れていた。そのなかから、大道寺左門を探す。

 いないことを期待したものの、すぐに裏切られた。

 酷い有り様だった。あの人と激しく争ったことを、身体ひとつだけで物語っている。

「……変な笑い方」

 にへら、最期まで独特な笑みを浮かべていた。

 両足の痛みを我慢して、その場を去った。

 港にあの人はもういない。

 いたのはまちがいない。

「最後は俺か」

 やっと、巡ってきた。

 あの真夏から、十数年待たされた。

 季節ではないはずなのに、蝉の声がする。

「殺されにいくのか。はは……」

 ふしぎだった。

 怖くない。

 怖いのは、あの人を殺すことだ。

 あれだけ生きたがる彼の命を、奪える自信がなかった。

 港を出た。街中を歩く。

 息があがって、足が震えて、立ち止まってしまった。

 身体に鞭打って、住み家へ向かう。

 あの人が待っている。

 律儀に、来るのを待ってくれている。

「……はあ、はあ」

 走りすぎたせいか、腹や脇腹までも痛みだす。

 それでも止まらない。

 行かなければならないからだ。

 そうして、住み慣れた家に辿り着く。

 息も絶え絶えだった。

 帰ってこられる唯一の場所のはずだが、今日は違う。

 身体がこわばって、なかに入ろうとしない。

 固まる手をむりやり動かしてドアを開けた。

 なかへ歩を進める。

 居た。

 服も、髪も、身体も、ぼろぼろだ。

「よく来た、我が息子よ」

 改めて向かい合う。蛇に睨まれた蛙の如く、ぴたりと動けなくなった。

 すると、男が歩み寄ってきた。

 おもわず目を瞑る。撃たれると思った矢先、なにかを握らされた。

 瞼をあげてそれを見る。彼の愛用する一丁の拳銃があった。

 問い詰めようとすれば、男は劉鬼から離れた。

「最後は、お前の手で終わらせてくれ」

 拳銃を投げ捨ててしまいたい。しかし、手は固まったままだ。

 撃てるのか。使い慣れた銃を、素人のように両手で持つ。

 震える手。重い塊。目の前には大切な人。

 引き金を引けば、きっと後悔する。

 これは仕事ではない。

 〝殺人〟だ。

 罪を犯そうとしている。

 まるで、あの日の再来。

 蝉の鳴く真夏日が戻ってきたかのようだ。

 あの頃と変わっていない自分にほっとする。

 どんな形でも、誘拐犯と被害者でも、血の繋がりがなくとも。

 彼は、亜条摩鬼人は、正真正銘〝父親〟である。

 だから殺せない。撃てない。

「――俺は、あなたを殺せません」

 視界がゆらぐ。涙が頬を伝う。

「そうか。わかった」

 ……失望しただろうか。

「なら」

 ……殺されるだろうか。

「俺が消えよう」

 ゆっくり、彼が再び近づいてくる。

 このまま通りすぎてほしかった。

 なにも残さずに、跡形もなく。

 けれど、父親はそうしなかった。

「――ありがとう、劉鬼。さよならだ」

 目じり溜まる涙を拭きとる無骨な指先。

 あたまをやさしく撫でる手。

 あたたかな声音の感謝と別れの言葉。

 はじめて呼ばれた、自分の名前。

「――父さん、さようなら」

 もう二度と会えない。

 彼は見つけられない。

 たとえ出会えたとしても、そのときはきっと、別人だ。

 それでもまたどこかで会える気がしたから。

「また会いましょう」



 ――どこからか蝉の声がする。

 ――また、夏がくる。


     ×


 二ヶ月後。

 気温はあがるばかり。体温を超える暑さに人々は辟易していた。涼しい日陰でさえ暑くさせる陽射しは容赦なく照りつける。弱まるどころか日に日に強くなっている。そのため、テレビでは毎日、暑さ対策をしよう、水分をしっかりとろう、と流れていた。

 劉鬼は同じ内容ばかりの番組に飽きて、テレビを切った。

 丸椅子に座り、キャンバスに筆を走らせる。ここしばらくはかどっていて、創作意欲はまだまだある。下手をすれば食事や睡眠を忘れるぐらいだ。

 かつて三人で暮らしていた住み家は今や、ひとりで住むアトリエとなった。一日のほとんどを絵に囲まれて過ごす。趣味だったこともあり、環境を整えて今も続けている。

 このなかから離れたい気持ちはない、といえば嘘になる。さまざまな事柄が残留する場所で新たな人生を歩むのは、憚られた。けれど、過去がどうであれ、住んでいたのはまちがいない。居心地も悪くない。ゆえに、劉鬼は離れなかった。

 仕事の上司であった男もいなくなり、仲間もいなくなった。

 裏稼業からはすでに足を洗っている。武器もすべて捨てた。残ったのは、趣味である絵だけだ。

「よし」

 一枚の絵が完成する。はしっこにサインを記して、筆とパレットを片づける。

 後ろ姿の男。赤黒い髪と大きな背中。顔をわずかにこちらへ向けている。どんな表情をしているかは、作者のみぞ知る。

「なかなかの出来栄えでしょう、親父」

 ひとり呟いて、にこりと微笑んだ。

「俺、個展を開こうと思うんだ。だからそのときは、俺の絵を観にきてほしい」

 気のせいだろうか。

 だれかの声がした。


 ――「観に行こう、期待している」


 劉鬼は外を見やり、快晴の空をじっと眺める。

 蝉が鳴く真夏の日。二十と一回目の夏。

 人生を一周したかのようである。

 けれど、もうあんな日は訪れない。

 あの人は生きる道を行った。

 生かされる道からようやく抜け出せたのだ。

 かつての仲間だったニコル・グリップを殺した。

 彼を愛していた青月黎を殺した。

 仇たる大道寺左門を葬った。

 そうして、血の繋がらない息子を、殺し損ねた。

「されど、彼はゆく。なんてな」

 生かされるのではない。

 生きるがため。

 亜条劉鬼を生かした男はゆく。

 その身、その命、その魂が尽きるまで、どこまでも――。

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