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されど彼はゆく  作者: こうみ
第四章
23/24

第七話

 十九××年。雨の降る夜。

 すべてがスローモーションだった。銃声とともに目を見張った。撃たれたわけでもないのに、死を感じた。まるで自分が殺されたような錯覚に陥った。

 眼前の肉塊は少年を釘付けにする。五感や全神経がその一点に注がれる。

 嗅覚は機能する。硝煙と血のにおいを捉えた。

 味覚は機能する。開いたままの口に水滴が入る。

 触覚は機能する。拘束する男の手に力が込められた。

 聴覚は機能する。銃声を捉えた。血飛沫の音を捉えた。標的がなにか言っている。

 視覚は機能しない。これは夢。なにかのまちがい。あり得ない。嘘だ、嘘だ、嘘だ。

「……――」

 怒り狂えない、嘆き悲しめない。なにをどうすればいいか、わからない。

 足は竦んで動かせず、手は震えて使いものにならなくなった。呼吸がだんだん浅くなり、息が乱れる。鼓動がうるさくなる。

 時が止まったかのようだ。少年と男のあいだだけ、世界から切り離されたようだ。

 走って、アレをゆさぶって、起こさないと。まだ、任務中だから。

 でも、できない。わかっているから。アレはもう、あの人ではない。単なる死体だ。血をどろどろ流して、自らを撃って自殺した、ただの死体。断じて、アンジェス・マキースンその人とは違う。アンジェスは、自殺を選んだりしない。敵の前で、そんな真似をするわけがない。断じて、アレをアンジェス・マキースンの死だとは認めない。

「いいねえ、ああいうの。かっこいい、惚れ惚れする。台無しにはしたくねえなあ」

 標的はにへら、と独特な笑みを浮かべる。

「お前はどうする、坊主。俺がこのまま、あの世で再会させてやってもいいぜ?」

 殺される。だが、少年にはもう抗う力は残っていなかった。

「ん~、でもそれじゃ、あいつの条件を無視した俺が悪者になっちゃうから、そうだな」

 こいつはなにを言っているのだろう。ひとりでしゃべっている。

「坊主、お前を俺の組に入れてやろう。ただし、名前は変えてもらうぜ」

 少年は標的のほうを振り向いた。

「野郎は坊主に〝生きろ〟って遺言を残した。そして俺には、自分が死ぬ代わりにお前を殺さないでくれ、坊主の命は自分よりも高い価値がある、と言った。んで、思いついた」

「……」

「アンジェス・マキースンの死に栄誉と喝采を。俺はあいつの出した条件をすべて呑む。貴様の若い命を生かしてやるとも。しかしね、さっきも言った通り、俺の仲間になること、名前を変えることのふたつが条件だぜ。さあ、決めろ」

 この男は、敵を仲間にしようとしている。そうして逃げるつもりなのか。

 少年はもう一度、アレを見る。ぴくりともしない。

 ……どうしたらいい、アンジェス。

 ……アンジェス。アンジェス。

 ぞくり、と少年の背筋が凍った。

 ……いくら呼んでも、返事がない。

 ……死んだ。これが、死ぬこと。

「アンジェス、俺は、いやだ。死にたくない。殺されたくない」

 だから。

「どんな形でも、生きてやる。敵の仲間になろうが、裏切ろうが、生きていられるなら、それでいい!」

 だから、許してください。

「いいぜ、あんたのところへ行ってやるよ、ミスター左門」

 あなたからもらった名前を捨てます。

 ですが、あなたに救われた命は無駄にしません。

 この身体と魂尽きるまで、どんな形でも、生きていきます。

 決して、あなたのように死にません。


     ×


 某所、地下駐車場。

 車のボンネットの上に腰をおろし、そこに銃を置いた。これから話す彼に、敵意がないと示すためだ。運転席から降りてきた彼も、同じようにした。

「俺の部隊は本国へ帰した。もうあそこの組とやり合うことはないだろう」

 亜条は煙草に火を点けた。紫煙を吐く。

「お前と大道寺は、グルだったんじゃないのか」

「ほう。なぜ、そう思う?」

「いろいろと考えた。港での争いは、表面上は互いの役割を果たすためのものだが、本当はそうじゃない。俺を生き返らせるか、死なせたままにするか、それが目的だった。あの争いは俺を引っ張り出させるための手段だろ。あたまのいいお前が、わざわざ大道寺組を相手にするはずがねえ。そして大道寺も、たかだが傘下のひとつがやられたぐらいで自ら出てくる人間じゃない」

「……それで?」

「そもそも論だ。どうしてこんなことが起こったのかが謎だ。お前が俺に大道寺をやれと言った。大道寺はお前をやれと、俺に言ってきた。殺し屋として、仕える主の周りを飛ぶハエをつぶすだけならいいさ。だが、今回は違う。ただ殺すだけの仕事じゃない」

 ニコルは目を瞑り、腕を組んで耳を傾けていた。

「すべてシナリオ通り、用意された舞台だ。どっちが提案したかはともなく、大道寺とお前が手を組んで作った騒動。組だとか合衆国だとか関係ない。お前たち個人が起こしたものなんだろ、ニコル」

 ぱち、ぱち、ぱち。短い拍手が響き渡る。

「よくぞ見抜いた。そうさ、これは組織とは無関係、俺たちが勝手にしたことだ。しかし勘違いするな、互いに仕事は果たしている。本来の目的のほうは失敗だったがな」

「失敗とは、どういう意味だ。俺を自殺させられなかった――アンジェスと同じ道に行かせられなかったことか」

 ニコルはかぶりを振る。

「そうじゃない。俺の失敗は〝アンジェロ・マキースン〟を蘇らせることができなかった。あっちの場合は、逆だろうな。お前は、〝亜条摩鬼人〟のまま、変わらなかった。ふふ、捕らえたあの青年のおかげか」

 ボンネットから離れて、ニコルは亜条の前に移動した。

「親父、か。お前を父親として呼ぶ者がいるとは、想像しなかったよ」

 亜条は視線を下に向ける。

「父親じゃねえ。親らしいことなんざ、ひとつもしていない」

「あの青年は、お前が攫った子供らしいが、どうして育てたんだ?」

「……殺す気がなかったんだろ」

「ふむ。まるでお前とアンジェスみたいだな」

 言われると思った。亜条はそう心中で呟いた。

 大道寺左門とニコル・グリップが協力していた。それがわかれば、充分。

 ……やろう。

 ……ゆこう。

 ……生かされる道ではなく、己が命で生きる道を。

 愛用の銃に手を伸ばす。そして――


     ×


 朝食を終えた劉鬼は、イーゼルにキャンバスを置いて絵を描く準備をした。パレットと筆を構えて白紙とにらめっこする。けれど、思考は絵ではなく別の方向へ進んだ。まだ帰還しない男のことがあたまから離れなかった。そのうち帰ってくる、と言った青月の顔にも、不安の色が見え隠れしていた。

 どこへ行ったのだろう。探しに出たいが、心当たりはまったくない。行きそうな場所もさっぱりだ。静寂に溶け込むほど気配を消せる男の居所を、どうやって掴めばいいのやら。

 住み家はしんと静かになる。かち、かち、かち、と時計の音だけが巡った。

 はかどらない。今日はやめよう。劉鬼はパレットと筆を片づける。キャンバスとイーゼルもしまおうとしたとき、上の階から青月に声をかけられた。

「いい知らせと悪い知らせがあるんだけど」

「……両方いっぺんに教えてください」

「ニコル・グリップの居場所がわかったよ」

 良くも悪くもあるニュースだ。

「じゃあそこに、親父もいるかもしれませんね」

 平静を装った口調で話したけれど、内心はそうではなかった。

 いやな予感が形になりかけている。運命めいたものが、少しずつ近づいてくる。

 心臓がどきどきして、胸を押さえた。それから絵の道具一式をそのままに、身支度を始める。銃を持っていくか悩んだ末、置いていくことにした。

 青月の車に乗り、街中を疾走する。

 流れていく景色をぼんやり眺めながら、しばらく見ていなかった亜条摩鬼人の顔を思い浮かべた。いつも無の色を張りつけて、感情を表に出さない人。強くて、人間離れした一面がある人。誘拐した少年をここまで育てた、おかしな人。異常なまでに生と死に敏感な人――。彼を一番に理解しているのはおそらく、彼を生かしたアンジェス・マキースンという男だろう。しかし、すでにこの世にはいない。

「……もしかして、止まったまま」

 一番の理解者である存在を亡くした彼の歯車が、それからずっと動いていないとしたら、今の彼はなにで動いているのだろう。

 なにをするだろうか。

 あの過去を再現された港で同じ道を辿れなかった男は、これからどうしていくのか。

 答えはわかる。はっきりする。

 雑居ビルの地下駐車場の入口に到着する。車から降りて、上を見上げた。

「上じゃなくて、地下だよ」

 青月が駐車場の入口を指さす。

 息を殺してなかに踏み入る。足音を立てないよう、進む。

 柱に身を沈めた。話し声がする。ニコル・グリップと、あれは――


 獣だ。獣がいる。


 全身が戦慄した。頬から冷や汗が伝う。

 あの人に憑依した悪魔か、あの人の皮を被った獣か。

 人影がふたつあるはずだが、片方の影が人の形をしていない。そんな風に見えた。

 大きな爪で獲物を捕らえて、食おうとしている。

 その光景に目を奪われた。

 ふしぎと恐怖を感じなかった。

 動物が狩りをして腹を満たし、そして生きていく。

 眼前のことも、同じだ。

 だれかを殺めて、足下に屍を積み重ねて、道を作り、生きていく。

 それがあの人の生き方。

 〝アンジェロ・マキースン〟でも〝亜条摩鬼人〟でもなくて、

 あの人の身に宿る魂の生き方だ。

 屍の山に立てるのは、あの人のみ。

 仲間や敵なんて、一時の夢なのかもしれない。

 男にとって大事なのは、不老不死でもなんでもない肉体だけれど、

 生きていくことなんだ。歩いていくことなんだ。

「……亜条さん」

 彼の周りには屍がある。殺した数だけ、たくさん。

 だから、いつも真っ赤だ。

 顔も、手も、足も、染まっている。

 普通では見えない。幻視を持つからわかる。

 赤は赤。どれだけの数の血を浴びても、赤色。

 また、赤に赤を塗り足すつもりだ。

 気づけば手を伸ばしていた。

 亜条摩鬼人が、こちらを振り向いた。


    ×


 ほんの数秒間だ。

 空の薬莢がコンクリートに落下するまでのあいだである。

 弾は標的の額めがけ放たれた。だが、狙った場所ではなく堅い壁に穴を開ける。

 ニコルは寸前で身体を仰け反らして回避した。その隙を突いて、亜条は彼の首筋を掴みにかかった。勢いのまま、ニコルを倒す。馬乗りになって、銃口を額にあてがう。

「俺を殺すのか」

「ああ。なんとしてでも」

「……そうか。悲しいな」

「抵抗、しないのか」

「してほしいなら、するぞ」

 互いの瞳に、ふたりが映る。

「なんのために、俺を殺す?」

「生きるためだ」

「……よい人生を」

 引き金を引く。返り血が頬に付着する。

 得物を肉塊から離して、立ち上がった。

 ソレをぼんやり見下ろす。思うことはない。感じることはない。今までのように、殺めただけなのだ。かつての仲間だとしても、積み上がる肉塊のひとつになってしまったなら、肉の塊以上なにものでもない。

 だれかを殺して、踏み台にし、生きていく。

 それしか方法を知らない。

 殺したからには、歩いていくしかないのだ。

 道としてある肉塊の上を。

 正しくないのかもしれない。

 けれど、銃を持って、殺めて、歩いていくのが、己の生き方だ。

 アンジェス・マキースンは生きろと言った。

 生きるのだ。

 生きたいのだ。

 男は血の繋がらない息子のほうへ、視線を向けた。

「亜条さん」

 青年はか細い声で言った。

 たくさん話さなければいけないような気がした。

 しかし、目を合わせた途端、すべてが吹き飛んだ。

 言葉なき会話を紡ぐ。

 なにをするのか。

 なにをされるのか。

 言葉がなくとも理解できた。

 ゆっくり銃を構えて、青年を標的とする。

 その一直線上に、もうひとりの仲間が現れた。

 武器を持とうとしない青年を庇ってのことか、その前に立った。

「彼を相手する前に、俺と遊んでよ、摩鬼人」

 彼とも、無言の会話をした。

 そして、亜条は〝静寂〟を纏う。気配を消して、青月の前からいなくなる。

 だれも見えない。見つけられない。

 どこを探しても無駄だ。

 静けさは目に映らない代物である。

「――くっ」

 青月はその場から離れた。じっとしていては彼のよい的だ。

 その駆け出した足、細く女性的な脚に、一発。もう片方の脚にも一発。

 小石につまずいたように転んだ。

 それでも立ち上がろうとする彼を、亜条は許さない。

 得物を持つほうの肩をめがけ、三発目。

「はあ……はあ、うぅ」

 激痛に呻く青月を仰向けにする。急所である心臓とあたまが露わになった。

 艶やかな黒い髪、眉目秀麗、身体も美しい。

「なんだ、もうおしまい?」

「長話をするつもりはねえよ」

「じゃあせめて、これだけは言わせて」

 あいしている。

 青月黎は、愛する男に心の蔵を貫かれて、こと切れた。

 またひとつ、増えた。

 あとは、ふたつ。

 生きるために、殺さなければいけない存在は、ふたり。

 ひとつは、ひとりは、目の前にいる。

「……」

 丸腰で呆然と立ち尽くす青年。

 このまま撃てば、済む。

 否、否。今ではない。

「俺を、追いかけてこい」

 亜条摩鬼人はそう言って、地下駐車場を去った。

 ひとり残された劉鬼は、彼がいなくなってから我に返る。

「はやく、行かねえと」

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