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されど彼はゆく  作者: こうみ
第四章
22/24

第六話

 その日の夜。ひんやりとした夜風に当たりながら、亜条は住み家に戻った。

 なかの明かりは消えている。壁にある時計が示す時刻は、午後十一時すぎ。あたまを冷やすのにかなりかかってしまった。

 だれも起きていないのか、しんとしている。自室へ足を運びかけて、止まる。書斎兼武器庫の扉がわずかに開いており、細い光が漏れている。

「おかえり。遅かったね」

 扉の向こうには、青月がひとり、武器の手入れをしていた。扉を閉めて、亜条は窓際の椅子に腰かける。

「あいつは」

「もう寝たよ。きみの帰りをずっと待っていたけどね」

「なにか、言っていなかったか」

「知りたがっていたよ、昨日のきみを」

 窓ガラスに写る己と目を合わす。

「そうか。まあ、そうだろうな」

 背もたれに体重をかけた。長年の相棒を一瞥する。テーブルにはきれいに並ぶ銃弾と、ばらばらになった銃一丁。青月は慣れた手つきで部品を組み立てていく。

「俺の銃も、手入れを頼む」

「わかった」

 立ち上がり、壁にかけてあった愛用銃を手渡す。窓際の椅子には座らず、ソファに落ち着いた。青月は亜条の銃を矯めつ眇めつして見る。それから分解し、部品をていねいに置いていった。

「今までどこでなにをしていたの」

「街をぶらついていた」

 昨日の雨で濡れた部分を、青月のしなやかな手先が拭き取っていく。

「……てっきり、だれかと会っているんじゃないかって、思ったんだけど」

「そんな気分じゃなかった。ひとりでぼうっとしていたさ」

 天井を仰ぎ、今朝の自分を思い返して、苦笑した。

「今朝の俺は、どうかしていたな」

「見ものだったけどね。愛する人の意外な一面ってやつ」

 磨かれた部品たちは、ひとつひとつ組み合わさっていく。

「お前の目にも、あいつの言うような俺に見えたのか」

 青月の手が止まった。

「……そうだよ。俺も、船の上から見ていて、おかしいとは思った。亜条くんには詮索するなって言ったばかりだけど、訊いてもいいかな?」

 どうぞ、と言う代わりに手を青月に向けた。

「ありがとう。あのとき、どうしてあんな風に?」

 亜条はゆっくり記憶の糸を辿った。途中から曖昧になる。うっすらとしか思い浮かべられない。まるで別のだれかの記憶を映画のように観賞している感覚になった。

「思い出したんだ。昨日と同じことが昔にもあった。それが原因でニコルを撃てなかった」

「昔? 俺や亜条くんと会うより前のこと?」

「ああ。捨てたはずだった。なのに、よりにもよって標的の前で思い出しちまった」

「……過去は、捨てられないよ。いつもひょんなことで蘇る代物さ。奥底にしまっておいても、ある日突然、飛び出してくるからね」

 青月は部品の組み立てを再開する。

「お前が言うと違うな」

「ふふ。経験者は語る、なんてね」

 亜条の愛用銃がもとの形に戻った。

「うん、きれいになった。どこも破損していないし、問題ないよ」

 銃を受け取り、立って構える。窓に銃口を向けて具合をたしかめる。すると、ガラスに写る己がぐにゃりと歪んでニコル・グリップが、次にあの青年が現れた。動揺のあまり引き金を引く。しかし弾は入っていないため、カチンと音がするだけだった。

「大丈夫? 顔色悪いよ」

「なんでもねえ」

 銃を壁にかける。おそるおそる窓を見れば、そこには無の色をした自分の顔があった。

 じっと眺めていると、背後から白い手が首に絡まる。青月の艶やかな髪からシャンプーのよい香りがする。

「ねえ、摩鬼人」

 愛を吐露するかのように、甘いとろけた囁き声で言う。

「ひとつだけいいかな」

「なんだ」

「勝手に殺されるのはいいよ。でも、勝手に死なないでくれ」

 絡む手を解き、今度は亜条のほうから青月を抱きしめた。

「俺もひとつだけいいか」

「ふふ、なにかな」

「俺を殺せと言ったら、そうしてくれるか?」

「もちろん」

 相棒は迷いもためらいもなく頷いた。そして両手を背に回し、抱き返す。

 しばしのあいだ、無音の静寂にて、ふたりは互いの熱を感じ合った。青月の身体つきが女性的であったり、淡い月光によって独特な雰囲気が作られたりと、男女の一夜を絵に描いたような光景である。

「どうやって俺を殺すんだ」

「確実に、正確に。望むなら、安楽死にしてあげる」

「即死でかまわん。毒でも銃でも、なんでもいいぞ」

「摩鬼人には痛い思いをして逝ってほしくないから、毒にするよ。その日がきたらの話だけどね。今すぐとかはなしだよ」

「……その日がきたときは、だれがなんと言おうと、そうしてくれ」

 青月がみじろぐ。肩に顔を埋めた。

「まるでもうすぐみたいな言い方だね」

「もうすぐ、か。そうかもしれねえなあ」

 おやすみの挨拶をしたのち、名残惜しそうに青月は退室した。

 ひとりになった亜条は立ったまま、物思いに耽る。

 まだ、分水嶺の前だ。選びかけた道から劉鬼の一声で引き戻された。再び、立ち止まって選択しなければならない。ふたつに別れた道は、いわば生か死か、そのどちらかだ。天国や地獄とは少し異なる。この生命が在り続けるか、それとも、こと切れるかのみである。

 一つ目の分水嶺は、アンジェスとの出会いだ。彼に拾われて、生の道を歩いた。

 二つ目は、その男の死だ。目の前で自殺した日だ。敵に捕まったばかな青年を助けるために、自ら命を絶った。生きろとだけ言い残して。そしてばかな青年だけが、生きた。生の道を歩いた。

 三つ目は、〝アンジェロ・マキースン〟を殺し、〝亜条摩鬼人〟となったときだ。あたまのネジが外れた男の飼い犬になり、今までのことを忘却の彼方へ葬った。ただ、自分を救った恩人の言葉は忘れなかった。己の死がくるまで生きると、決めた。

 四つ目は、そう、とある少年を誘拐した日だ。青月という頼れる相棒とともに、彼を攫った。ほかにも幾人かかどわかしてみたけれど、みな期待外れだった。なかなか来ない己の死を、他人に任せたのがいけなかったのかもしれない。少年も同じ、自分を父親と呼びはじめてしまい、挙句殺せないと言った。ストックホルム症候群だった。

 それから誘拐を自白し、刑務所へ入った。最後に残った少年は生かしておいて、残りを始末した。少年を青月に預け、しばらくのあいだ刑務所のなかで過ごした。なぜ、少年を、劉鬼を始末せず、仲間にしたのか。理由という理由はなかった。ただ、運命めいたなにかを感じたからだ。いずれ、本当に、亜条摩鬼人を殺す、そう期待を残してのことだったかもしれない。生の道を歩ませたから――劉鬼を殺せなかったのだろう。

 そして、最後の分水嶺は、現在いまだ。これからの行動によって、亜条摩鬼人の生死がはっきりする。生きろと、恩人である男の言葉を裏切るのか、否か。ふたつのうちどちらかの道を、選ばなければいけない。

「俺は……生かされてきたのか。そうか……一度も、生きていなかったんだな」

 乾いた笑い声が、一室の闇に溶ける。

 それから自室に戻り、とある人物へ電話をかけた。

「ニコルか。いつ会える? ……明後日だな。わかった」


     ×


 劉鬼は夢を見た。

 ぽつんと薄暗い道に立っていた。

 道はふたつに別れていて、ひとつは明るく、もうひとつは暗闇だった。

 だれかが居る。どちらかに行こうとしている。

 ……親父。亜条さんだ。

 大きな背中。ずっと見てきた後ろ姿。

 それがどんどん、濃霧に包まれて、最後には見えなくなった。

 手を伸ばして、霧をかき分ける。あの人がどっちへ行くのか、たしかめたい。

 けれど、濃い霧は劉鬼の行く手を阻んだ……。

 濃霧はしだいに形を成して、劉鬼に再び夢を見せた。

 亜条と幼い少年が向かい合っている。少年のほうは銃を持ち、亜条を狙っている。

 ……あの夏の日だ。殺せと言われた、恐ろしい日。

 ……まったくの他人、誘拐犯でもある亜条さんを、父親と錯覚した日。

 ストックホルム症候群というものらしいけれど、劉鬼にはそう思えなかった。脅迫も拷問めいたこともされていない。捕まり、住み家の物置部屋に閉じ込められただけだ。食事を与えてくれた、睡眠もさせてくれた。なにも悪いことはされていない。真夏の暑いとき、ふたりに住み家へ連れて行かれただけだ。遊びに来ないか、そんな調子で。

 まさか、殺せと言われるとは思わなかった。

 ……あとで青月さんが言っていた。親父は死にたがっていたと。

 ……殺せるわけがない。育ててくれた人を、生かしてくれた人を。

 少年が泣き崩れたところで、景色が遠ざかっていく。


     ×


 目覚まし時計を止めて、ベッドから上半身を起こす。欠伸をして、階下へ。

 夢見が悪かったせいか身体がだるい。すっきりしようと洗面所で顔を洗った。髪を梳いてリビングに行くと、青月がひとりパソコンを弄っていた。亜条のすがたはない。

 おはようございますと言いながら、コーヒーを淹れる。

「ああ、おはよう」

 パン二枚をトースターに入れてから、コップを片手に青月のパソコンを覗く。画面には新聞の記事。劉鬼の苦手とする英語がずらりと並んでいる。

「読めねえ……」

「かいつまんで訳すよ」

 青月は淡々と読み上げた。内容はこうだ。


【合衆国は日本のヤクザ一掃のため、情報を集めることにした。CIAは精鋭チームを結成して挑み、ついにアジトを発見する。しかし、そこでヤクザたちと衝突する。チームは少人数で応戦。結果、ひとりの死者、ひとりの行方不明を出してしまう。ヤクザたちはアジトを暴かれたことでアメリカから撤退したものの、精鋭チームは解散を余儀なくされる】


 劉鬼はコーヒーを飲んだ。

「日本のヤクザが大道寺組ってわけか。死んだのは、だれなんだ」

「うーん、記事には詳しく載っていないね。チームのメンバーも極秘扱いだったみたい」

「じゃあ、わかるのはそれだけか」

 すると、青月が含み笑いをした。

「うわ、不気味」

「幽霊みたいに言わないでくれ。――諦めるのははやいよ。情報屋をちょっぴり脅して吐かせたら、おもしろいことがわかったんだ」

 ここ数日、青月はよく出かけていた。どうやら情報屋と会っていたらしい。ちなみに、喧嘩をして以来、亜条と劉鬼は顔を合わせていない。まだ彼は住み家に帰っていない。どこにいるのだろうか。

「ひとりの死者というのは、精鋭チームのリーダーだった男、アンジェス・マキースン。そして行方不明になったのは、チームのなかで一番若い少年だった。名前を、アンジェロ・マキースン。少年は日本へ連れ去られて、死んだとされている」

「……同じ名前」

「名前? ああ、そういえばそうだね。一文字違うだけで、あとは一緒だし。ふふ、まるできみと摩鬼人みたいじゃないか」

 青月が劉鬼の思っていたことを代わりに言った。

 ふたりはどういう関係だったのだろう。ただのチームメンバー? それとも、親子かそれに近い繋がりがあったのだろうか。

 もやもやしはじめた。洗い流すように、コーヒーを一気に飲み干す。

「……亜条くん、名前以外に気づくことはないかい?」

 声のトーンを低くして、青月は真摯な面持ちで問うてきた。

 劉鬼は思考する。気づくこと。名前以外。アンジェス。アンジェロ。連れ去られた。日本のヤクザ。ヤクザは大道寺組で――

「まさか」

 驚愕と困惑。複雑な顔つきになる。そして、脳裏に彼の顔が浮かんだ。かぶりを振ってそんなことがあるわけない、と否定する。たまたまだろうか。運命だろうか。神の気まぐれなのか。信じられない。あの人は一度も、そんな話をしなかった。けれど、彼が彼であるなら話は繋がる。繋がってしまう。とても自然的に。

「信じられないよね。俺もわかったときはあり得ないって思った。だからこうして、過去の記事を漁っていたんだ」

 パソコンを閉じて、青月はキッチンのほうへ移った。

「親父はずっと……隠していたのか」

「隠していたというより、忘れたかったんじゃないかな」

「忘れる? この記事のことを?」

 トースターから二枚のパンがこんがり焼けて出てくる。青月はそれを皿に盛り、一枚にはハチミツを、一枚にはジャムを塗った。

「そう。だから、きみにも俺にも、話さなかったんだよ」

 劉鬼の前に朝食のパン二枚が盛られた皿が運ばれた。ハチミツのほうを頬張る。

「……もしかして、港で様子が変だったのは、忘れたいことを思い出しちまったから?」

「なに、今日は冴えているじゃないか、亜条くん」

「え、当たり?」

「うん。摩鬼人が言ってくれたよ。あのときニコル・グリップを撃てなかったのは、昔と同じ状況だったのが原因だって」

「同じ、ねえ」

 パンを一口かじる。ハチミツの甘い味が口いっぱいに広がった。

 同じならば、大道寺組とCIAの精鋭チームが衝突したのも港ということになる。亜条摩鬼人が自ら命を絶とうとした行動から、あの位置に立っていたのはアンジェス・マキースン。銃を持って、敵に捕まった青年を助けようと試みた。捕まった青年は、アンジェロ・マキースンで、自分と同じ状況だった。ミスをおかして、敵に拘束されたのかもしれない。

 ハチミツの甘みが、劉鬼の思考回路を滑らかにする。

 では、アンジェス・マキースンはどのように亡くなった? 敵に撃たれたのではない。この考えが正しければ、その男は自殺した。自らを葬ることで、青年の命を助けた。だが、青年はヤクザに、大道寺組に連れ去られてしまった。生きてはいるけれど、名前を変えて別人として在る。おそらく、アンジェスの望んだ形ではないだろう。

 一枚のパンをすべて食べきり、もう一枚を口に運びかけて、ふと疑問を抱いた。

 大道寺左門は、すべてを知っているのだろうか?

 否、知らなければ、亜条から拳をもらわない。知っていて、港での一件を描いた。

 亜条摩鬼人に、アンジェス・マキースンと同じ道を辿らせようとした。間違いない。そのために、ニコル・グリップと亜条摩鬼人が遭遇するよう仕向けた。大道寺組と合衆国の部隊の争いは、描いた絵図の通り事を運ぶための手段だった。

 なぜここまでする? 大道寺左門は一体、亜条摩鬼人になにを求めている?

「……なんか、いやな予感がする」

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