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されど彼はゆく  作者: こうみ
第四章
21/24

第五話

 亜条はコンテナの迷路を抜け、海の見えるところへ出た。

 待っていたとばかり、ニコルがすがたを現す。数人の兵士たちが後に続いた。

 兵士の銃口の先を見やる。気絶した劉鬼が居た。あたまから血を流している。どうやら船の占拠は失敗したらしい。船からあがる煙はその証だろう。青月はどこに? まだ船のなかか、それとも――。

「安心しろ、こいつは死んじゃいない。気を失っているだけだ」

 ニコルは英語で言った。

「仲間なんだろう。いや、お前が誘拐した子供というべきか」

 彼と会話する気にはなれなかった。彼との会話を紡ぐたび、〝アンジェロ・マキースン〟が蘇る恐怖に怯えてしまう。亜条摩鬼人が消えていく恐ろしさと、自ら殺めたあの青年が生き返る怖さ。それをかつての仲間に、まざまざと感じさせられる。Boyと呼ばれれば、あの頃に戻ったような錯覚に襲われた。

 ――あの頃の記憶は、とうの昔に捨ててきた。

 ――しかし些細なことで呼び起こされる。

 ――ずっと封じていたもの、生きていた日々が。

 ――アンジェロ・マキースン、お前はまだ生きていたいのか。

 ――もう起きるな。もう、お前はいないのだから。

 ――あとは、この命を……。

 ゆっくり息を吸い、吐く。神経を研ぎ澄まし、雑念を消す。

 標的はただひとり、ニコル・グリップ。彼を撃つ。それだけで済む。

 亜条はまっすぐ彼に銃口を向ける。鋭利な眼差しとともに。

「俺を撃つのか」

「ああ」

「そうか。ならそれよりはやく、こいつを撃とう。そしてもうひとりの仲間を始末する」

 ニコルも銃を手にし、劉鬼のあたまにあてがう。

「なあboy、この状況を見て思い出すことはないか」

「……おかしなことを聞くんじゃねえ」

「多少は異なるが見事に再現されている。そう思わないか、boy」

 なにを再現されているというのか。心当たりなどひとつもない。

   ……雨。港。埠頭。

 ひとつも、ありはしない。

   ……人質。銃。捕まる。

 ありはしないのに。なぜ。

   ……自殺するだれか。

 なぜ、眼前にアンジェロ・マキースンのすがたが見えるのか。

   ……泣き叫ぶ。慟哭する。

 否、否。亜条は慌ててかぶりを振った。けれど、劉鬼とあの少年が重なる。

   ……――「アンジェェェエエエスゥゥ!!」

 遠い彼方から聞こえた声。それがすべてを男のあたまに連れてくる。

 男は呆然と立ち尽くす。膝をつきそうになるも、かろうじて堪えた。銃を離さず、まっすぐ標的を定める。

 おかしい。ニコル・グリップではないだれかが見える。

 おかしい。あの青年がここにいる。

 おかしい。ならば今、立っている己は一体だれなんだ?

 息があがる。呼吸がどんどん浅くなっていく。雨がうっとうしい。

「その様子だと、思い出したみたいだな。そうさ、アンジェスが自殺したあのときを、ミスター左門は見事に再現しやがった。どこかで見物しているだろうよ。あのときの流れでいくと、俺は大道寺、このガキはお前、お前が、アンジェスだ」

「だまれえええ!!」

 撃とう。撃とう。忌々しい記憶を封じるためにも、ニコル・グリップを撃つ。だのに、手が、指が重い。まるでそうではないと拒絶するかのように、動かない。

 どうして。いつものように、冷徹に、残酷に、命乞いを聞かず引き金を引くだけでいいはずだ。なにをためらっている。なぜ、撃てない?

 この銃口を、あたまにあてがえばいいのか。そうして、自らを撃てばいいのか。

    ……アンジェスがそうしたように。

 すべてをおさめるために、大道寺の思い通りにしろというのか。

    ……青年を守るために、アンジェスは笑って、死んだ。

 男は歯ぎしりする。

    ……同じ道を歩んでいいだろうか。許してくれるだろうか。

 そのときだった。

「おや、じ……」

 か細い一声で、男を惑わしていた幻覚が消失した。

「勝手に……死ぬんじゃねええええ!!」

 ひとりの青年の叫びが、港中にこだまする。

 その叫びが、男の呪縛を解き放った。港の状況を一変させた。

 亜条摩鬼人ははっと我に返る。この世で彼を親父と呼ぶ人間は、ひとりしかいない。

「感謝するぜ、我が息子よ」

 強張っていた身体が軽くなった。いつものように、存在を消す。

 一方ニコルは、気絶していたはずの劉鬼の目覚めに驚き、亜条から気を逸らしていた。しまったと気づいたときにはもう、彼はどこにもいなかった。

 果たして、亜条はどこにいるのか?

 すると、どこからともなく銃声がした。銃弾はニコルの後ろにいた、劉鬼を捕えていた兵士ふたりを射ぬく。ほぼ同時に、亜条は残りの兵士を葬った。

「お前……」

「悪いな。ここにアンジェロ・マキースンはいない。いるのは、亜条摩鬼人ただひとり」

 劉鬼を脇に抱えて、銃口をニコルへ向ける。

「退いてくれ、ニコル。断れば、俺の仲間が撃つ」

 ニコルは船を見やる。船の上、黒い塊を持った男がひとり。青月だ。

「そのようだな。長居は無用。船も奪われた。ここは黙って帰らせてもらう」

 ふたりは銃をしまった。

 港での争いに、終止符が打たれるのだった。


     ×


 翌日である。

「おーきーろ」

 ベッドから蹴り落とされて、劉鬼は朝を迎えた。

「青月さん、マジでその起こし方やめてください。目覚めに悪い」

「きみがさっさと起きないからだろ。摩鬼人が朝食作ったっていうのに、台無しにするつもりかい? 顔を洗って、髪梳いて」

「あんたは俺のお母さんかよ」

 時計を見て、今が午前十時だと知る。階下へいき、洗面所で顔を洗う。ふと、鏡に写る自分と目が合う。額と頬に傷。打撲痕もある。そこに触れると、じんと痛んだ。

 日は昇ったけれど、あれからまだ一日も経っていない。昨日ではある。それでも、今日のように思えた。

 タオルで顔を拭く。昨夜のことが脳裏をよぎった。

 桧森が機関室という狭い空間で、粉末を使った爆破――粉じん爆破をしようとしていた。劉鬼は爆破の衝撃で気を失った。ただ、それは桧森を巻き込んでのことだ。ふたりともども機関室の外へ吹っ飛ばされた。そのあとどうなったかは、憶えていない。気づけば、ニコルという大男の後ろで拘束されていた。そして、彼のすがたを目にする。

 髪を梳く。

 あの人はニコルと話していた。意識が朦朧としていたから内容まではわからない。わからないが、あの人の心を乱すものだと思った。だから咄嗟に、叫んだ。

「……メシ、食うか」

 朝食をもぐもぐ頬張る。いつもながら美味なもの。デザートもあった。

 部屋を見回し、亜条を探す。ソファで新聞を読んでいた。日本の新聞だ。大きな見出しに『抗争』の文字がある。もう記事になっているようだ。

 どれだけ詳しいことが表に出るだろうか。劉鬼は思う。あの抗争は一体、なにが目的だったのだろう。すべてを知る大道寺は昨日、強烈な一発を亜条からもらっていた。あれだけ感情を露わにした彼を見るのははじめてだった。怒りか、苛立ちか、その手は震えていた。きっと亜条がらみのなにかを、大道寺はしようとしていたに違いない。

 いや、だから、なんのために。

「おい」

 ぽすん、と丸めた新聞であたまを叩かれる。

「さっさと食え。皿が片づかん」

「うっす」

 デザートを一口、二口で食べきる。空になった皿を亜条に渡した。彼はそれをていねいに洗う。その後ろすがたをまじまじと眺めた。

「当番を代わるっていうの、本当だったんだ」

「信じてなかったのか」

「半信半疑」

「ふん。嘘はつかん。明日も俺がやる」

「……あのさ、親父」

「なんだ」

「昨日のこと、訊いていいか」

 亜条の皿洗いの手がとまった。こちらを一瞥し、再び手を動かした。

「なにが知りたい」

「俺が捕まったとき、親父はどうするつもりだったんですか。いつものあんたなら、あっという間にニコルを始末していたはずだろ。だけど、昨日は違った。普通じゃなかった。亡霊かなんかに憑かれたみたいだった」

 蛇口を捻る音がした。皿は洗い終わったらしい。だが、亜条は背を向けたままだ。

「買い被りすぎだ。ニコルは強い。そんじょそこらのチンピラじゃねえ。それに」

 はぐらかされる。劉鬼は勢いよく立ち上がる。椅子が倒れた。

「今日のお前のほうが、よっぽど普通じゃないぞ」

「話を逸らさないでくれよ、親父。あんとき、あんた、撃てたのか」

「さあな」

「本当に撃とうとしていたのか!? ニコルを!」

 亜条がゆっくり、振り向いた。背筋の凍る目をしている。

「どういう意味だ」

 低い声にいすくめられる。劉鬼は踏ん張って、言い返した。

「あんたは、本当は、自分を撃とうとしていたんじゃないのか」

「なぜ、そう思う」

「笑っていた。安堵したような、やっとかって感じで」

「ほう。気を失っていたのは演技だったのか」

「ちょうどそこで目が覚めたんだよ。気がついたら、あんたの笑みが見えた。危険なにおいのする笑い方だった。自殺するんじゃないかって焦ったさ」

 亜条は腕を組んだ。冷たい瞳はそのままに。

「自殺? 自らを殺すと? なんのために」

 劉鬼はかぶりを振る。

「わからねえよ。でも、そんな気がしたんだ。あのあと、親父が大道寺を殴ったのを見てから引っかかっているんだ。もしかしたら、港での抗争は大道寺が計画したことで、それはあんたの過去に関わっているんじゃないかって。俺は親父の過去を知らないし、ニコルってやつとの関係もわからねえ。でも……ひとつだけ断言できる。亜条さんはあのとき、自分を撃とうとしていた。違いますか」

 最後のほうは語気を強くして言った。しかし、亜条は期待外れの、これ以上の会話を拒む言葉を返す。

「椅子、戻しておけよ」

 劉鬼の堪忍袋の緒が切れる。亜条に掴みかかり、睨んだ。

「らしくねえぞ、親父」

 亜条も劉鬼を鋭利な眼光で見下ろす。

「ならば訊こう。お前がそれを知ってどうする。ただ答えを得るだけだろ」

「ああ、そうだよ。答えがほしいんだ。場合によっちゃあんたを殴る」

 よろしくない空気がふたりのあいだに漂いはじめた。

 すると。

「はーい、そこまで。ふたりとも、喧嘩をするなら外でやって」

 青月がふたりを引き離す。あいだに割って入った。

「それとも、喋れないようにしてあげようか」

 劉鬼は舌打ちをし、椅子をもとに戻す。そしてソファに寝転がった。

 亜条は無言のまま、外へ出ていった。

「やれやれ。朝から喧嘩なんて、やめてほしいね」

 もやもやする気持ちを吐き出すように、大きなため息をつく劉鬼。クッションに顔を埋めて、もう一回。その様子を見ていた青月は、劉鬼の背中に腰をおろした。

「青月さん……重い」

「退いてほしかったら、喧嘩の理由を言うんだね」

 劉鬼はもぞもぞ動き、青月の下から抜け出す。

「上で聞いていたくせに」

「きみが椅子を倒した辺りからだけどね」

「……ほぼ全部ですよ、それ」

 青月は頬杖をつく。

「摩鬼人が自殺するとかなんとか言っていたみたいだけど?」

「港での、亜条さんがおかしかったから、たしかめただけだって」

「なるほどねえ。まあ、気持ちはわからなくもないけど、昨日今日だよ。摩鬼人が答えてくれると思うかい」

「……青月さんは、気にならなかったんですか」

「変だとは思ったよ。いつもの摩鬼人らしくなかった」

 やはり、亜条摩鬼人を溺愛する男が言うのだから、本当だ。あのときの彼は、彼らしくなかった。たとえ人質がいたとしても、静かに、残酷に、行動を起こす。それがいつもの亜条だ。しかし、港では違った。ただただ佇み、固まっていた。金縛りにでも遭ったかのように動かなかった。まさか、血の繋がらない息子――劉鬼の死を恐れていたのだろうか。否、と劉鬼はすばやくその考えを捨てた。あり得ない。感情を失った男が、そんなことを考えるわけがない。もっと、別の理由だ。そう、たとえば、過去――。

「遠くから見ていてもわかった。銃を持つ手が下がっていたし、まともな感じじゃなかったね。なにがあったかは知らないけど、ニコルと話している最中に、摩鬼人を惑わすことを言われたんじゃないかな」

「はあ……なんで俺は気絶なんかしたんだよ。くそ! くそ!」

 整えたばかりの髪をかきむしる。それからクッションに拳を叩きつけた。

「イライラしてもしかたないよ。ていうか、なんでそんなに気になるんだい?」

 劉鬼は、あたまにこびりついて離れない港での亜条のすがたを、じっと見つめながら言った。あんな顔をした彼を――

「見たことがなかった。だから気になるんだよ」

 雨でよかったと思う。夜でよかった。もしも晴れた日中であれば、はっきり目にしたかもしれない。表情はどんなものかわからないが、口元は緩んでいた。いやな予感が現実になりかけている。劉鬼は焦った。あんな緊迫したなかで笑うなんておかしい。あれは、有利になったからだとか、勝てる確信があったからだとか、そんなことで出た笑みではない。亜条摩鬼人は仕事中、決して笑わない。だというのに、あのときは笑っていた。

「亜条さんが銃を持っていて笑うなんて、今までなかった」

「摩鬼人が笑う、か。それはたしかに、気になるね」

 思案顔になる青月。

「うーん、きみの見間違い……」

「んなわけねえよ」

「だよね。でも、それとこれとがどう繋がるか、わからないなあ」

「それとこれって、笑っていたことと、自分で自分を撃とうとしていたことか?」

「そう。大道寺ならなにか知っていそうだね、一発殴られていたし」

 大道寺ならば知っているだろう。亜条摩鬼人の過去も、詳しく。

「亜条くん」

「な、なんすか」

 青月の細く白い人差し指が、劉鬼の口を塞ぐ。

「深入りしないことを、おすすめするよ」

「言うと思った」

「人のことを詮索するなんて、よくないよ。だれだって、知られたくない秘密のひとつやふたつはあるんだから。ましてや、過去ともなると、ねえ」

 ずいと顔が近寄ってきた。後ろへ下がって逃げる。

「わかった。もう、親父に問わない、です」

 おもわず敬語になってしまう。笑んではいるものの、青月は般若の形相で怒っている。

 劉鬼は諦めた。もやもやしてすっきりしないが、答えが向こうから来るのを待つことにした。いつになるか、わからないけれど。

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