第四話
銃声と悲鳴と、鼻につく硝煙のにおい。ふたつの組織による争いはおさまるどころか過熱していく。風に流された雲が月と星を覆い隠し、港から光を奪った。灯る明かりはただひとつ、彼らが散らす火花のみ。
戦場と化した港へ亜条、青月、劉鬼の三人が到着する。
車から下りた亜条はさっそく、辺りを観察した。ニコルと大道寺のすがたが見当たらない。奥のほうへ移動したのだろうか。視認できる人影は少ないため、人数や状況の把握は難しかった。停泊している船のほうも同じ。明かりはたしかめられたが、人がいるか否かまではわからない。
青月から武器を受け取る。そして、ふたりに言った。
「俺がニコルと大道寺を止める。お前たちは船を占拠しろ。そうすればニコルの部隊は拠点を失う。しばらくは動けなくなるはずだ。青月は占拠でき次第、場所を確保して狙撃の準備をしてくれ。劉鬼は青月の背中を守れ」
「了解」
「了解――と言いたいんだけど」
「なんだ、我が息子よ」
「いや、別にたいしたことじゃない。……親父ひとりでいいのかよ」
「なに、摩鬼人がやられるとでも思っているのかい、亜条くん」
「なんか、いやな予感がするんだ。ま、予感だから当たるわけねえけど」
亜条はじっと血の繋がらない息子を見つめた。
心配しているようだ。不安と安心の交じった表情である。――もしかすると、あのときの己も、こんな顔をしていたのかもしれない。あの男をひとりで行かせたくなかったから、行かせても彼なら大丈夫だと思っていたから。
無骨な手をぽん、と劉鬼のあたまに乗せた。
「えっ……」
いきなりのことに驚く劉鬼。亜条は、慣れない手つきで彼のあたまを撫でた。
「無事に戻ったら、当番をしばらく代わってやるよ」
「は、はあ?」
「ほら、さっさと終わらせるぞ。行け」
「お、おう」
青月と劉鬼は船へ向かう。
ふたりに背を向け、亜条は逆方向へ進む。すると、つま先になにかが当たった。それを拾う。大道寺の愛用する拳銃だった。弾数はかなり減っている。ここにあるならば、今あの男は武器を持たない丸腰ではないか? 素手でかなうほどニコル・グリップは弱くない。
上司の銃をホルスターにしまい、コンテナが作る迷路のような道をゆく。ともかく、この争いを終わらせなければいけない。そのためにも、大道寺左門とニコル・グリップを黙らせる。いずれここに警察が乱入してくるだろう。それまでに、どうにかしてこの無駄な争いを止める。
しばらくして、闇のなかに煌めく一筋の線を捉えた。刃だ。
「あそこか」
刃の持ち主は大道寺左門だ。亜条は銀色の光のところまで走った。阻もうとするニコルの兵士たちを葬りつつ走る。
だが突如、光を見失った。同時に、亜条の頭上を――コンテナの上をニコル・グリップが駆けていく。走る足の向きを変えようとしたとき、暗がりから大道寺が現れた。
大道寺左門は殺気立っていた。険しい顔に、鋭利なまなざし。纏う気迫はこちらがいすくめられそうになるほどだった。いつもの飄々とした彼は、いない。
手には血塗られた脇差がひと振り。ニコルを負傷させたらしい。
「なにを、するつもりだ」
「シマを荒らした連中に、天誅を」
「それはお前の目的を達成するための手段だろう。言え、目的はなんだ」
雷鳴が轟く。ややあって、雨が降ってきた。
ネジが外れたように、大道寺が肩を震わせる。
「ハッハハハ。なんでもお見通しか。そうさ、この争いは手段でしかない。亜条摩鬼人、アンジェロ・マキースン、貴様の生き死にを賭けて大量のチップをレイズし合っているのだよ。安心したまえ。俺の口から言わずとも、もう少しで俺の目的が露わになるさ。それまではあの金髪デカ男と鬼ごっこだ」
男は下唇を噛んだ。柔らかな唇が裂けて、血がにじむ。
「人の命を弄んでそんなにおもしろいか」
「……おもしろくないよ。俺は何千人もの部下を抱える身だ。人の命を弄んだり、駒のように扱ったりしない。するのは、あたまのなかだけだ。俺が人を動かすのは、人をいろんな目にあわせるのは、その先に必ず、絶対、結果と変化があると確信したときだ」
「結果と、変化?」
「そう。結果と変化だ。なにも結果は得られなくとも、変化があればよし。なにも変化はなくとも、結果があればよし。成功しようが失敗しようが、結果は出る。変化もする。しかしだ。時間を費やして、思案して、情報を得て、そして行動したというのに、結果も変化も得られないのはよろしくない。非常によろしくない。わかるか? すべてを台無しにされるのが、とても腹立たしい」
「もしも、すべてを台無しにするやつが現れたら、どうするんだ」
「まずは、死んでもらう」
脇差が構えられた。亜条も拳銃を握る手に力が入る。
刹那――刃は主の手中からまっすぐに飛んでいき、亜条の背後に居た敵を貫く。
瞬間――弾は音立てて放たれていき、影にひそんでいた大道寺を狙う敵を撃つ。
どちらもニコルの率いる部隊の隊員だった。
喉を脇差の尖端で切り裂かれている。この隊員がいなければ、己がこうなっていたかもしれない。おびただしい血を流してこと切れていただろう。冷たいコンクリートに伏すときはどんな気分なのか。最期はなにを胸中で思うのか。この終わり方で満足しているのか。死人に口なし、男のあたまに浮かぶさまざまな疑問に答える口はない。
死体を見下ろす瞳に宿った異常な関心の輝き。裂かれた喉は、彼の目を惹き付ける。
「もしや、うらやましいなんて、思ってんじゃねえよな」
大道寺は脇差を抜いて、血を払う。
「そうさ、下手すりゃ死んでいたのはお前だ。仇に殺される、うん、非情な現実だ」
ひとり納得顔になった大道寺。亜条はぼんやり死体から目を離せずにいる。
「なんだったら今から俺とお前で殺し合いをするか? そうすれば、ただの肉塊になれるぜ。お前の待ち望んでいた死が、巡ってくる。それも、恩師の仇であるこの俺が与えてやるんだ、どうだ、ロマンチックだろ。リアルだろ」
眼前の濡れそぼつ刃。まぶしい。抗わずにこのまま立っていれば、大道寺が一思いに心臓を刺すだろう。だが、もう彼から殺気を感じなかった。本気ではないのだ。
亜条は脇差を払いのける。ホルスターから大道寺の拳銃を取り出し、本人に返した。そして船のほうへ向かう。
「次はニコル・グリップか? あいつは俺よりも厄介だぜ」
「戦う気が失せたなら、とっとと部下たちを退かせろ」
言って、亜条は走り去った。
ひとり残された大道寺は彼を見送り、雨宿りできるところへ移った。
髪をかきあげ、ずぶ濡れの服にため息をつく。それから、襟にひそませた小型マイクへ話しかけた。
「準備はできているか? ……よろしい、さすが俺の部下だ。仕事がはやいね。あ、そうそう服が濡れたからあとで洗濯もお願いね~。……予定通り、やってくれ」
この男ほど、声のトーンをころころ変えて話す者はいないだろう。情緒不安定でも、多重人格者でもないけれど、彼は声音を使い分ける。そうして、人の心を転がしたり、己の内側を隠したり、またさらけ出したりする。それゆえに部下たちは言う、〝長の考えを理解することができない〟と。だから長は言い返した、〝身内にまで考えを暴かれていては人を騙すことは不可能〟だと。
今日も、大道寺は有言実行を果たす。
亜条摩鬼人という身内に暴かれていない考えを、行動に移した。
にへら、と笑んで天を仰ぐ。
「さあて、クライマックスだ」
×
ニコル・グリップはコンテナの影に移動し、部下と合流した。
「状況はどうなっている」
中肉中背の青年が答えた。
「はい。大道寺組は退却しているとのこと。隊員のほとんどは負傷、または……死亡しています。それから、船からの連絡が二十分前に途絶えました。襲撃かと思われます」
頷いたニコルは間髪いれず、指示を送る。
「まだ戦闘を続けている班を退かせ、船の奪還へ向かうよう伝えてくれ」
「了解しました!」
通信係がはきはきした声で各班に指示を伝達する。
傍らでニコルは肩を抑えた。利き腕ではないにしろ、負傷は負傷。商売道具に傷がついたようなものだ。忌々しげに出血する傷口をねめつける。部下が治療しようとするが、それを手で制して断った。
肩の痛みよりも、彼を悩ませる種がひとつ。大道寺左門とあいまみえたときからある違和感だった。もともと描かれた絵の上をなぞるような、同じことをしているような、そんな感覚である。だが、思い返しても心当たりが見つからない。
日本人を標的とした任務はこれまでいくつもこなしてきた。そのなかで、現在とそっくりな状況があっただろうか。天候と場所と状況が同じ任務があっただろうか。
ふいに、悩みの種が消える。違和感の正体を掴む。
あった。過去、一度だけあった。
雨、港、埠頭、船、日本人。それぞれの言葉がつながる。
「そうだ。まちがいない」
顔を強張らせる。あたまのなかで、現在と過去の映像を重ねた。
――そう。まちがいない。多少異なっていてもそれは些末なこと。
――ほぼすべて、あのときを再現している。
――なぜ、気づかなかった? 敵の術中にまんまとはまってしまったのか?
ニコルはたまらず、ひとり笑いはじめた。部下たちが驚き、顔を見合わせる。
「あの男、ただのジャップマンではなかったということか」
どこからどこまで、どうやって再現しているのか。膝を突き合わせて夜を明かしたい。
酒の肴にはちょうどいい。
「So cool! ミスター左門」
×
二十分前――
船内に忍び込んだ劉鬼と青月のふたりは、目を見張った。
ニコルの兵士たちが血を流して床に伏している。ひとりとして息をしていない。絶命は一目瞭然だった。
劉鬼は辺りを警戒しながら、ひとつひとつ肉塊を見ていく。軍服ではなく私服に近い格好の上から武装している兵士たち。突然の襲撃に対応しきれなかったのか、得物を手にしていない者もいた。身体から垂れる血は生々しく、彼らが襲われてからまだあまり時間が経っていないようだ。
まともな話ができる生存者を探したものの、徒労に終わった。
「だーれも生きちゃいない。どうしますか、青月さん」
「安全で確実な狙撃のために、こいつらをやったやつを探そう。まだ船内にいるかもしれない。きみは下を頼むよ。俺は上を行く」
「了解っす」
劉鬼は青月と別れて、船の下層へ移った。下も同じ光景だった。だれも微動だにせず冷たい鉄の床に倒れている。生存者はなし。手がかりになりそうなものもなし。
奥に進む。機関室と書かれたプレートを発見する。ゆっくりドアを開け、なかに入る。息を殺し、機械の影に隠れた。機械はちゃんと動いている。破壊はされていないらしい。
わずかに顔を出し、機関室を見渡す。
いる。だれかがいる。
「……」
唾を飲む。機械を挟んだ向こう側に、いる。
こつん……。こつん……。
足音が重なる。もう少し。あと一歩――
劉鬼は飛び出た。影の正体が見えた。
銃口が互いを捉える。引き金を同時に引く。
劉鬼の弾は影の頬をかする。影の弾は劉鬼のバンダナキャップを弾いた。
一瞬の緊張が巡り、静寂になる。
「お前、得物は使わないんじゃなかったのかよ」
影――桧森刃は笑んだ。
「そこに落ちていたのを使ったんですよ」
「そうかよ。上の外国人たちはお前がやったのか」
「ええ、まあ。ひとりではありませんがね」
「ほかにもだれかいるのか、この船のなかに」
「さて。それはどうでしょう」
じりじりと時が流れていく。互いに視線を外さず、相手の動向を探る。
劉鬼は思考する。狭く、船の心臓と呼べる機械が密集する一室。出入り口は一か所。ここを出るべきか、否か――。否、桧森刃を逃がすわけにはいかない。ここで決着をつける。
しばしの沈黙。ふと、なにか小さな音がした。
さらさら。きめ細やかなものが流れるような。さらさら。
小さくて聞き取りにくい。どこから聞こえてくるのか。さらさら。
水? 違う。もっと、もっと細かくて音がしないようなものが、たくさん――。
「まさか!?」
劉鬼が音の正体に気づいた瞬間、桧森は隠し持っていた粉末をばらまいた。
視界が真っ白になる。粉末を払いのけ、桧森を探すが、そこにはもういなかった。
代わりに、火のついたマッチ棒がある。
舌打ちをし、急いで粉末の霧から脱出する。だが、一か所だけの出入り口に桧森が立っていた。
劉鬼は止まりかけた足を走らせ、桧森に向かって突進する。
驚いた桧森。彼の手を掴んだ劉鬼。
それが彼らの気絶する直前までの記憶だった。
マッチ棒の火は、狭い空間に充満した粉末に引火する。
そして、機関室は爆発した。




