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されど彼はゆく  作者: こうみ
第一章
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第二話

 青月は双眼鏡越しに周辺の状況を確かめる。

「だれもいない。入っても大丈夫そうだよ」

「標的はひとりってわけか。はやく終わったらなんか美味いもん作ってくださいよ」

「摩鬼人が作らなかったらね」

 亜条一行は、かつて組の事務所として在った空き家に来ていた。ここに標的がいるという確かな情報を得たからだ。

 中はがらんどう。剥き出しのコンクリートが形を残す。隠れられるところは少ないが、どれだけ探しても相手を発見できない。もうここにはいないのだろうか。

 ふと、亜条の嗅覚が焦げ臭いにおいを捉えた。青月と劉鬼に下を任せ、階上へ移動する。においは上からしていた。

 錆びた階段に人が行き来したような跡がある。大きいサイズと小さいサイズ。大きいほうはおそらく標的だ。小さいほうは子供だろうか。なぜこんなところにいる?

 二階は一階と異なって家具やおもちゃがあったり、壁にクレヨンの落書きがあったりした。住む家というより、隠れ家ようだ。日付を確認できるカレンダーや新聞などはなく、どれくらい滞在していたかはわからない。

 二階にある物はまだ新しい。そんなに長く使われていないようだ。

 亜条はにおいの元を発見した。テーブルの上、灰皿のなかにある燃えカス。それを指でつまむ。あたたかい。燃えたばかりだろう。なにが灰になったか確かめようがないほど、真っ黒だった。

 燃えカスを粉々にする。そして、後ろにある気配へ声をかけた。

「金を燃やしたのか。それにしてはカスが少ないな」

 背中に銃口をあてがわれた。

 標的――紺野幸臣は語気を強めて言った。

「亜条摩鬼人、命令だ。〝俺を殺すな。組長のところまで護衛しろ〟」

 亜条が首を捻って視線を幸臣に向ける。

「どっかで同じような台詞を聞いた覚えがあるな」

「いいから従え。そうすれば資金の在り処を吐こう。はやく!」

 亜条は正面へ視線を戻し、両手をあげる。

 静寂のなか、標的の呼吸音を聴く。浅い。まだ浅い。こちらを警戒している。息を深く吸う一瞬を待とう。片足に力を込めて、こちらの敵意を消して、そのときを狙うのだ。

 標的は撃たない。己の命を危うくしてまで金を守る意思がないからだ。さっきの〝俺を殺すな〟がそれを表す。撃っても、こちらを戦闘不能にするか、得物を持たせないようにするかだ。亜条にとってそれはかすり傷も同然であるが、身体の傷を増やしたいとは思わなかった。ゆえに、標的が安堵する一瞬を待つ。

 幸臣の呼吸がだんだんゆっくりになっていく。緊張が解けている。もう少し、安堵まであと少し――。

 かちゃり。とても小さな音がした。幸臣が拳銃を握る手を緩めた。

 亜条が動いた。片足を軸に勢いをつけ、標的の拳銃を蹴り飛ばす。

 驚いた幸臣は防御を忘れて、彼の蹴撃を受ける。クレヨンの落書きがある壁まで吹き飛んだ。

 苦悶する標的に歩み寄り、屈む。戦意は失っているが、目には鋭い眼光が宿っていた。

「命令に、従わないつもりか」

「殺しはしない。しかし、それとこれとは話が別だ。資金はどこにある?」

 幸臣は黙った。答えないつもりらしい。ならば、こちらから重い口を開けさせる。

 一枚の写真を彼に見せた。幸臣は驚愕し、どこか納得したような色になる。

「そうか……組長は俺を、戻す気なんてなかったんだ」

「なぜ、戻れると思うんだ? お前は組の資金に手を出した。組員を殺した。おそらくあいつからやってもいいなんて甘い言葉に乗せられたんだろうが、まあ、現実は非情だぞ」

 膝を伸ばして男から離れようとしたとき、脚を掴まれた。

「その写真の子供が、金を持っている。今はどこにいるかわからないがな」

「ほう、覚悟を決めたって顔だな。しかし、ならばあの燃えカスはなんだ。なにを燃やしたんだ? 札束が燃えたにしては……少ない」

 幸臣が立ち上がり、渇いた笑みを張りつける。

「たいしたものじゃない。あんたの気が変わらないうちに、俺を組長のところへ連れていけ」

 頷きはしない。代わりに蹴り飛ばした拳銃を拾いあげた。顎で下へ来るよう促す。

 階下では青月と劉鬼が待機していた。ふたりとも不服そうだ。

「こいつを組長のところまで連れていく。あとのことはあいつが決めるだろう」

「親父がそう言うなら、そうするけどよ」

「なーんかすっきりしない。資金はどこにもないし、ガキも行方知れず。骨折り損だよ」

「金とガキは俺が探す。お前たちはこいつに従え」

 劉鬼がジト目で幸臣を見つめる。見つめられたほうも、正視する。

「あんたが噂の劉鬼か。亜条がム所に入った原因が攫ったガキだと聞いている。あんたはさっき、亜条を親父と呼んでいただろ」

「ノーコメント」

 それ以上の会話を拒むように、劉鬼はそそくさと空き家を出ていった。青月も続く。

 幸臣は子供と過ごした空き家を振り向かず、車に乗る。そしてふと、気付いた。

 どこにも亜条のすがたがない。忽然と消えている。


     ×


「どう行けばいいですか」

 近所にある交番で行き方を訊く。メモを渡された若い警官は、まじまじと少年を見た。

「ひとりかい? お母さんやお父さんはいないの?」

 少年がかぶりを振った。

 メモに書かれた住所はここからとても遠かった。某県を抜けて隣の県へ向かう。電車を乗り継ぐ必要があるけれど、果たして少年ひとりで目的地に到着するだろうか。駅を降りてから、この住所の家に辿りつけるだろうか。

 若い警官は不安げな色をする。

 お盆も、学生の長期休みもまだ先だ。親の実家に帰るにしては、おかしい。

 もしかすると、友達の家かもしれない。引っ越した友達のところへ行く。きっとそうだ。

 真っ白な紙と地図を広げる。覗き込む少年に微笑みかけた。

「待っててね。行き方を書いてあげる。電車は乗ったことある?」

「あります。でも、むずかしい駅の名前は読めません」

「わかった。ふりがなを振ってあげるね」

 わかりやすく地図を描く。乗り換える駅と降りる駅の名前にふりがなを振る。

 説明しようとしたとき、少年はチラシを眺めていた。美術館で特別な展示があるという内容だ。美術に疎い若い警官にはモナリザしかわからなかった。真剣に絵を見る少年に声をかけた。

「その美術館、きみが行く駅のすぐ近くだよ。行ってみたらどうだい?」

「そうします。時間はいっぱいありますから、絵を観に行きます」

 少年がぺこりとあたまを下げた。

 てくてく歩いていく背を見えなくなるまで見守る。角を曲がるところで少年が手を振ったのでこちらもそうする。

「あの子、家出にしては落ち着いていたな。迷子でもなさそうだったし、一体なにがあったんだ……。まあ、僕にできるのは無事に着いてくれって祈るぐらいか」

 若い警官はなかに戻った。パイプ椅子に座って、雑務を再開した。



 小学生くらいの少年がきょろきょろしていた。どこかへ行きたいようだ。

 横断歩道の信号が青になっても渡らず、少年の傍に立った。手にしているチラシを覗き見る。教科書に載っていた絵があった。

「ねえ、美術館に行きたいの?」

「はい。どの道を歩けばいいんですか」

「えっと……ああ、ここか。案内するよ」

「ありがとうございます」

 とてもていねいに話す少年。こっちがどきどきしてしまう。

「きみ、名前はなんて言うの?」

「はい。和冬雅彦です。平和の和、冬、雅、彦星様の彦でワトウマサヒコ。お姉さんのお名前はなんですか」

「色島千。赤色青色黄色の色に島、一十百千の千でシキシマセン。よろしくね」

「よろしくお願いします」

 美術に興味があり、敬語を使って話す少年を育てた親はどんな人だろう。きっと優しいはず。今はいないみたい。会ってみたかった。自分の両親と見比べたかった。

 手を繋いで歩く。少年が立ち止まった。

「千お姉さん、手、怪我しているんですか」

「……転んだだけ。行きましょう」

 ほどなくして美術館に着いた。人気はまばらだった。

 少年はお辞儀をして館内に入っていく。そのうち見えなくなった。

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