第三話
某所、車内にて。
窓をノックする音に顔をあげ、ニコルは相手をねめつける。車窓を開け、スーツ姿の男から携帯電話を受け取った。耳に運んでいくと、パーティでもするかのような口調で相手が出る。日本語ではなく英語で会話が紡がれた。
『どうも~。やっとあんたと連絡がとれた。そっちもアンジェロくんを手玉にできなかったみたいだねえ』
「だまれ、ジャップ。直接出向かねえ野郎とは話す気がしねえな」
『まあまあ。ところで、うちの事務所、一個つぶしたでしょう? 困るなあ、幹部をひとり失うはめになって、本家から呼び出しくらったよ』
「貴様の愚痴を聞かされるために、俺は呼ばれたのか。切るぞ」
『んー、じゃあ本題に入ろうか』
すると、相手の口調が芯に響くような声音に変わった。
『貴様はなにが目的で俺の犬を奪おうとしているんだ?』
ニコルは鼻を鳴らす。
「幹部がひとり減ったことより、そっちがお前にとって重要らしいな、ミスター左門」
『あそことは揉めていたからな、消えてくれて清々している。しかし、解せんのはそれをきっかけに使われたことだ。おかげで亜条がこっちからも離れるハメになった』
「ハッハッハ。振られやがったか。いい気味だぜ」
『それで、貴様の目的はなんだ? 人の物を奪って、情報でももらおうっていうのか』
「俺は、お前が許せないんだよ」
『ほう』
「俺たちのboyをどうして殺した? 別人として生かしているとは、驚きだぜ。自分がいつ復讐されてもおかしくないとは考えなかったのか?」
『考えた。そして、思いついたのさ』
「なに?」
『復讐相手の傍に置いておいたらどうなっていくのか、試してみたくなったのさ!』
「……ジャップが」
『いやいやいやあ、ハラハラドキドキしたねえ。いつ寝首を掻かれるか、ひやひやしていたんだよ。でもさ、あいつはいつの間にか己を殺していった。挙句、肉体的死を求めるようになっちまった。だーから、俺は与えることにした』
「それが、俺を狙わせることだったのか。俺があいつを殺すとでも?」
『殺さないだろうね。あいつも、あんたを殺さないね』
「じゃあなんのために、こんなゴタゴタを起こした?」
『あれ、気付かない? ま、いいけど』
「……どういうことだ」
『あとでわかるよ。それじゃあね』
通話は一方的に切られた。スーツの男が手を差し伸べてくるので、携帯電話を返した。
車を発進させる。ひそんでいた建物の影から大通りへ進む。
ニコルは隣に置いたパソコンの画面を、忌々しげに見やった。画面には大道寺左門のありとあらゆる情報の載ったデータがある。すり減るほど見返した情報をもとにプロファイリングを繰り返し行った。印象としては狂人。思考の読めない厄介な男。行動もめちゃくちゃで理解に苦しむ。まるで神の如く、人を操る。チェス盤の外側から駒を操作し、物事を進めていく人間だ。否、悪魔だろう。
そんな者に、アンジェロ・マキースンは首輪をつけられ、良いように利用されている。飼い犬にいつ噛まれるかという、スリリングな材料として。
「お前を殺してやるぞ、ミスター左門」
ぞっとするほどの笑顔が、画面に反射する。
×
なんにでも、人にも、動物にも、宇宙でさえも、生まれた瞬間がある。それをはじまりとしたとき、彼にその記憶は存在しない。両親の顔を知らない。家族を知らない。己がどうやって生きながらえてきたのかも、さっぱりだった。
日本から海を越えた先にある大陸アメリカ合衆国のスラム街に居て、片時も手放さず一丁の拳銃を持っていたことだけは憶えている。それが、彼のもっとも古い記憶であった。
亡霊のようにさまよって、飲み食いのために人を殺めていた。生きている心地を感じた日はなかった。殺し以外なにもせず、街の片隅で蹲っていた。無法地帯ゆえに助けてくれる人間も存在しなかった。
だから、奪った物と一丁の拳銃だけが頼りだった。
この世に神や救世主がいないと諦めていた、あの男と出会うまでは。
――名前はあるのか、boy。
――殺してください。お願いします。
まともな会話をしたのは、それがはじめてだった。
×
「これ、ガキの落書きみたいだね」
「ペンキとかじゃなさそうっすね。うわ、血だ、まだ乾いてねえし」
青月と劉鬼の声ではっとする。回想をやめて、眼前を見上げた。
襲撃された事務所へ警官の目を盗んで忍び込む。なかはひどいありさまだった。壁や床に弾痕や血痕がいくつもあり、銃撃戦の激しさを物語っている。おそらく生き残った者はいないだろう。遺体と証拠となりそうなものはすでに、警察が回収してしまった。そのため、武装集団の正体を掴む手がかりになるものは発見できなかった。
唯一残っていたのは、壁一面に大きく書かれた挑発的な言葉。
〝COME ON!!〟
血が垂れて不気味さがあった。人の血を使ったようだ。
三人はその場を去って、止めてあった車のなかに戻る。
「これからどうします? 親父」
「まずはニコルが率いる部隊の拠点を探す。敵の情報がほしい。襲撃がこれきりなわけがないからな。……それにしても、大道寺がなにも言ってこないのはなんでだ」
「あのおっさんのことだから、もう俺たちがこうしているのもわかっているはずだろ。気にしなくていいと思うぜ」
「亜条くんに賛成。全部筒抜けていると思うよ」
「……そう、だな」
亜条は腕を組み、思案顔になった。すべて筒抜けなのは納得できる。しかし、黙っているのはどうして? 襲撃があったなら、組員なり自分たちなり、動かすはず。なにか企んでいるのだろうか。
かぶりを振り、大道寺のことはひとまず考えないことにした。
青月がパソコンを開き、一円の地図を表示する。
「この辺りで武器を持った連中が隠れられそうな場所は、限られていると思う。空き家だとか廃墟が少ないうえに、警察の目もある。ましてや外国人ともなると、目立つからね。拠点にできそうなところは、少ないと考えていい」
後部座席から劉鬼が画面を覗く。
「逆に少ないと、見つけにくいだろ。ひとりかふたり捕まえて、吐かせたほうがいいんじゃないっすか」
「向こうはプロだよ、亜条くん。部隊ともなれば、かなりの数さ。そこからどうやってひとりふたりを捕えるつもりなんだい」
「んー、わかんない」
「はあ。そうだろうと思った」
部隊。大人数。隠れる。武装集団。武器を持っている。目立つ。外国人。人目のないところ。自由に出入りができる。――亜条はひとつひとつに糸を通すように、思考を巡らす。そしてたどり着いた答えを呟いた。
「埠頭……港だ」
「港? そここそ、普段人がいないところに人いたら、目立つんじゃ」
「調べてくれ、青月」
「了解」
ほどなくして一か所の港が地図上に示された。近くにはセメント工場がある。
劉鬼が首を傾げた。
「なんで港」
「我が息子よ、よく考えてみろ。大勢の人間が武器を持って、日本に来られるルートは限定される。陸か海だ。空は駄目だ。空港では武器を所持したまま自由に出入りできない。陸も同じだ。陸続きの国ならともかく、ここは海に囲まれた島国だからな、陸路を使った方法で入るのは不可能。となると、だ」
「なるほど、島国で武器を運べたり大人数が違和感なく移動できたりできるのは、船! 船があるのは港! そこを拠点にしているかもしれないってことか」
「今からでも行くかい?」
パソコンを閉じた青月は、目を輝かせてハンドルを握った。
亜条は首を縦に振る。
エンジン音が夜道に響き渡り、風を切って目的地へ向かう。
×
時はやや遡って、宵の口。
大道寺左門は普段着の着物すがたではなく、ピシッとスーツで身を包んでいた。手には扇に代わって拳銃が握られている。彼の居る一室はものものしい雰囲気だった。
そこへ慌ただしく桧森刃が駈け込んでくる。上座の前に膝をついた。
「調べに行かせた組員からの報告です。連中は港に潜伏しているとのこと。ただ、ニコル・グリップのすがたは確認できなかったそうです」
「わかった。ご苦労さん」
組の長は立ち上がり、隣の間に待機していた唯永とほか数十名の組員に向かって、語気を強くして一言を放った。
「行くぞ」
亜条たちがニコル・グリップ率いる部隊の潜伏先が港だと閃くよりはやく、大道寺組一同は埠頭を怪しんでいた。そして幾人かの人を送り、調べた結果が桧森の報告である。
地平線に太陽が沈み、暗闇が訪れる時刻。一同は埠頭に到着した。
大道寺は組員たちを物陰にひそませて、ひとり、見晴らしのよい位置に立つ。
一隻の船が鎮座していた。おんぼろの錆びついた船だ。人影はなく、なかにだれかが居る気配もしない。静寂だけが船内を支配していた。辺りも同様、静かである。部隊が配置につくような物音も聞こえない。心地よい風と波の音がする。
拳銃を握り、船へ歩み寄った。刹那――足元に銃弾が放たれた。
歩を止め、銃声の方角を見る。船からではなかった。背後、コンテナの上。
「貴様が大道寺左門か」
大音声に問われた。
「ナイストゥーミーユー! そうだとも、この俺が大道寺左門だ!」
彼も声を張って答えた。
わずかなにらみ合い。初手は同時。互いの部下へ合図を送った。
埠頭に無数の銃声が反響しはじめる。数は五分五分。力の差もほとんどない。
部下たちが激しくやり合うなか、トップ同士はじっと動かないままだった。
「さあ、俺たちもじっとしていないで、やろうぜ。役者が揃うまでのちょっとしたヒマつぶしをよ」
「……祖国へ持ち帰り、銃殺刑にしてやる」
ニコルはコンテナの上からすがたを消す。大道寺はそのあとを追った。
各所で鳴り響く音をBGMに、ふたりは互いの得物を振るう。
互角。拮抗。並べられたコンテナに弾痕が刻まれていく。
開けたところへ出る。すがたを阻むものがなくなり、好機が巡ってきた。
急所めがけ引き金が引かれた。ふたつの弾はぎりぎりのところですれ違い、標的から外れる。ふたりの攻めは止まらない。弾に続いて地を蹴り、身体をぶつけた。
片や銃を持つ手を脇で抑えつけられた。
片や腕を強引に曲げられて的から銃口が逸らされる。
「鉄火場、久しぶりだけど、やっぱりいいねえ」
「SHUT UP」
ニコルの蹴り。それを大道寺は首を仰け反らせて交わす。そして、銃を持つ手が自由になるとともに、敵から距離をとった。
「ふう、いいねえ」
敵が間合いを詰めてくる。銃口であたまを狙おうとするが、引き金を引くよりはやく阻まれた。拳で拳銃は空高く突き上げられてしまう。弾もおかしな方向へ飛ぶ。
隙が生まれた。そこへニコルの蹴りが叩き込まれた。
大道寺はコンテナまで吹き飛ばされる。背中に痛みを感じ、顔を歪めた。
「俺はお前みたいな男は嫌いだ。なにも読めないやつほど、弱い」
コンテナから剥がれるように下りる大道寺。けらけらと笑い声をあげた。
「だから相手にしたくないと? そのわりに、本気でやってくれるじゃない」
口のなかから血を吐き捨てた。
「銃を拾いに行け。それまでは、待ってやる」
「とか言って、拾った瞬間撃つんだろ? 怖いねえ」
言いながら彼は、懐から脇差を取り出した。
「得物が銃だけとは思わないことだな」
「そんな金属の塊で勝てるほど、安く見られているようだな、俺は」
剣呑な空気が漂う埠頭。
空には、厚い雲が垂れこめていた。




