第二話
「それは悲しいな、boy」
振り向けば、長身の大男ニコルが居た。雑踏のなかでも異彩を放つ。
「返事を聞かせてもらおう。ついでに、昔話でもするか。場所を変えるぞ」
ニコルが横を通りすぎていく。亜条はしぶしぶ、後を追った。
彼と再会した喫茶店に再び訪れる。席も同じ、二階の窓際だ。
テーブルにふたり分のコーヒーが並ぶ。
しばしぎこちない沈黙が流れる。亜条はじっと外へ目を向けていた。
先に口火を切ったのはニコルだった。喉をコーヒーで潤し、英語で話す。
「久しぶりに会ったんだ、boy。話くらいはしようぜ」
Boyと呼ばれた男は微動だにせず、だんまりを決め込む。
「やれやれ。昔も口数は多いほうじゃなかったが、ますます静かになっちまったな。だが、お前が話す気はなくとも、俺は話す。適当に聞き流しといてくれ」
「……」
「俺がお前を知ったのは、もうずいぶん前だ。街でたまたま見かけたのがはじまり。雑踏のなかで獲物を狩る寸前の獣が纏う静けさを持つニッポン人を見かけた。気を抜けば見失うほど気配を消している、ただ者ではないと俺の直感が叫んだ。そして調べていくうちに、あのニッポン人はboyなんじゃないかと疑った。面影だけで判断していいのか迷ったが、今日こうして会って、確信に変わったよ。俺たちのboyが生きていた、あの日、死んだと思っていたboyがこうして生きている。嬉しかったぞ、みんなに報せたいくらいに」
「……」
「嬉しかった。しかし、納得いかないことがある。お前が、俺たちのリーダーを殺したジャップマンのペットになっていやがるじゃねえか。こりゃどういうことだ」
「……」
「黙っていないで、少しは話せよ。安心しろ、ここで話すことは口外しない。昔話に花を咲かせようじゃないか、boy」
男は重い口を開けた。ぬるくなったコーヒーを口に含む。
「俺の墓は、あっちにあるのか」
「ジョークがすぎるぞ。そんなものあるわけねえよ」
「そうか。あっちでも、俺は生きていることになっているんだな」
「ニッポンじゃ、死にたがりの殺し屋だとかで有名らしいな」
「だれも、俺を殺さない。大道寺も、俺の仲間も、俺に得物を向ける連中も。大道寺はわざと俺を生かしている。俺の仲間は、殺せと言ったのにそうしなかった。得物を向ける連中はいつも、気づけば膝をついている。だれも、俺を死にたがり呼ばわりするくせに、殺そうとしない。俺も、殺されない。身体が勝手に動く。そして次の標的を探す」
「死にたがりほど、生きたがっている者はいないと思うが」
「なんだと」
「人間、だれだって死に頼りたくなるときがある。それはなぜか、この世で己自身の問題を解決するのに一番手っ取り早いからだと、俺は思う。恐怖、逃避、悲しみ、そんな負の感情を追い払うには、死が方法として簡単だ。プツンとなにもかもなくなるんだからな」
ニコルはマリンブルーの瞳に男を映す。
「人間は賢い。簡単な解決方法が恐ろしいとわかっている。だから、いずれ死にたいという欲望を克服し、前へ進んでいく。――しかし、お前は違うだろう、boy」
「……違う、とは」
「俺もただ調べただけじゃねえ。お前の今までをすべて洗いざらい調査した。そうすることで見えてきた。お前が死にたいのではなく、殺されたがっているのだと」
「……それが、プロファイリングの結果か」
「ああ。なあboy、まさかまだ、アンジェスの死を受け止めていないんじゃないのか」
アンジェス。死。それらを耳にしたとき、あたまに過去の映像が流れはじめる。音も声もしない。顔はみな黒塗りだ。
またしても亜条摩鬼人のものではない記憶が再生される。
これは、アンジェロ・マキースンという少年のものである。海を越えた異国での日々を記録した記憶だ。
……だれかが倒れている。悲鳴がする。
…………死んでいる。男がひとり、死んだ。
………………本当に? そんなわけが、ない。
……………………――ああ、違う。アンジェロ・マキースンはもういない。
こんなことを思い出して、なんになるというのか。
無言でいると、ニコルがさらに言った。
「あのとき、お前の目の前でアンジェスは自殺した。ジャップどもに殺されるお前を助けるために、そうしたんだよ。だからお前は、なにも悪くない」
……雨、銃声、男、死んだ。撃った。
…………撃たれるのは、自分だったはずなのに。
………………アンジェロ・マキースンに、銃弾を放てばよかったのに。
……………………あの人は、そうしなかった。
男はあたまを振り、再生される記録の断片を葬った。
「もうやめてくれ。お前の知るboyはいないんだ。生きていないんだよ」
「お前が殺されたがっているのは、あのとき死ぬはずだった自分がこうして今も、生かされているからなんじゃないのか」
男の顔つきが変化した。鋭利な眼光、牙を剥き出しにした獣の如く。
禍々しく濁った赤い瞳からの視線に、ニコルはびくともしなかった。コーヒーを飲み、男を見つめた。
「怖い顔をするな。――さて、昔話はここまでだ。返事を聞かせてもらおうか」
間髪入れず、亜条摩鬼人が返答した。
「イエスでもノーでもない。俺はお前からの依頼を聞かなかった」
白人の大男は肩を竦めた。残念そうな口調で言う。
「なら、しかたがない。大道寺のほうはどうするんだ」
「同じことだ」
「……そうか。それがお前の返事なんだな、わかったよ」
ニコルは席を立って、階段を下りていった。
ひとりになった亜条は、やや興奮ぎみの己を落ち着かせようと努める。
喫茶店を出た頃には午後を回っていた。少しの空腹感はあるものの、飲食店にはよらずそのまま住み家へ帰った。すると、テレビから流れるニュースが耳に届く。
『――たった今、入った速報です。武装した集団が、指定暴力団大道寺組傘下の事務所を襲撃したとのことです。詳しいことはまだわかっておりません――』
女性キャスターがせわしなく告げていた。映像は流れていない。
ニュースが切り替わったところで、リモコンを持った劉鬼がこちらを見やった。
「もしかしてこれ、親父の様子がおかしいのと、関係あったりする?」
「……」
ようやく落ち着かせた己が再度、冷静さを失いかける。歯ぎしりをして、喉まで来ている感情を押し殺す。
この襲撃は、まちがいなくニコルによるものだ。彼からの依頼を断ったことへの報復。逃げ道を塞ぐためのもの。引き返せない、引き返させない、そう伝えてきた。
ニコル・グリップはどうやら、アンジェロ・マキースンを復活させたいようだ。蘇ると信じている。飼い殺しにされているかつての仲間を知って、大道寺左門への怒りが生まれた。そして、仲間を取り戻すために動き出した。これはその第一歩。
テレビの電源が切れる。青月が消したようだ。
「いろいろと訊きたいんだけど、いいかな?」
「かまわないぜ。もう、黙って終わるものじゃなくなったからな」
三人はテーブルを囲んだ。青月がはじめに問う。
「摩鬼人は一体、だれと会っていたんだい?」
「昔馴染みの男だ。名前はニコル・グリップ。表では米駐日大使館の職員だが、裏じゃスパイ活動をしている白人の合衆国民だ。俺がアメリカに居た頃の仲間だった。まだお前たちと会う前、大道寺に飼われるより前のことだ。もうずいぶん昔さ」
「なるほど。きみがアメリカに居たときの知り合いが、どうしてここに?」
「詳しくは知らないが、たまたま俺を街中で見かけたそうだ。そこから俺の素性、状況を知って、会いに来たらしい」
劉鬼が身を乗り出してきた。
「さっきの組の事務所襲撃ニュースとそいつは、関係しているんすか」
「おそらく、ニコルが率いる部隊が襲撃したんだろう」
「はあ? この街の均衡を崩すつもりかよ。あたまイカれているぜ」
「なんのためか、きみは心当たりがあるの? 摩鬼人」
「……俺が目当てだ。あいつは、俺を焚きつけるために襲撃したんだ」
青月と劉鬼は目を丸くした。
「焚きつける? どういうことだい」と、青月。
「親父が目当てって、スパイらしくなにか情報を引き出そうとしているとか? 大道寺組のこととか、その辺を」と、劉鬼。
ややあって、亜条はゆっくり話しはじめた。
「昨日、ニコル・グリップから会わないかと、連絡をもらった。断る理由もなかったんであいつの居るところへ行った。近くの喫茶店だ。そこで、USBメモリを受け取った。中身のファイルを見れば、一週間以内に大道寺左門を殺せと書いてあった。そのあと、大道寺左門からも、ニコル・グリップをやれと言われた」
「それって、きみがどっちを選ぶかで、状況が変わってくるね」
「ああ。だが、俺は断った。ニコルの依頼も、大道寺の指示も、聞かなかったことにしたんだ。その結果が、さっきのニュースだ」
劉鬼は口笛を吹いた。
「アメリカ人ってやっぱり、やることなすこと大胆っすね」
「摩鬼人が返事をしなかったから、無理矢理にでも動くよう、大道寺の事務所を襲ったわけか。これだと、大道寺からの指示も無視できなくなったね」
亜条はタバコを咥えて、ソファにもたれかかった。
「板挟みとはこのことだな」
青月が心配そうな色をする。
「どうするんだい、摩鬼人」
「……」
このまま、じっとしていても解決しない。ニコル曰く、死に頼りたくなる。このまま消えてしまえば、終わる。死後のことも、すべて画面の向こう側で流れていく映像として見られる。けれど、そうはいかなくなった。
現実は非情。分水嶺を前に座ることを許さず、立って、選べという。
ああ、すべて、すべて投げ捨ててしまいたい。目を瞑って開けたとき、全部がまっさらな更地であればいいのに。
ぼんやり天井を仰ぐ。出口のない迷路をさまよっている気分だった。
青月と劉鬼ふたりは顔を見合わせた。
「ねえ、これはひとつの提案なんだけどさ」
「なんだ、青月」
「ニコルも大道寺も関係なく、きみ自身の判断で動けばいいんじゃないかな」
「俺自身の?」
「そうっすよ」劉鬼が言った。「このさい、なーんにも考えず、親父が今、したいようにすればいいんじゃないですか」
「……俺ひとりならともかく、お前らも巻き添えをくらうぞ。それでもいいのか」
ふたりが迷いなく頷いた。双眸に宿る眼差しは真剣なもの、来るなと言ってもついてくる同志のそれだ。このふたりはどんなことがあっても、共にゆくつもりなのだ。頼もしいけれど、標的は大物である。ただでは終わらない。
亜条はやれやれとため息をつく。
「わかった。……俺も、お前らの顔を見て決心がついたぜ」
もうごちゃごちゃ考えて悩むのはよそう。
大道寺もニコルも、過去も、知ったことか。己の意思だけで行こう。




