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されど彼はゆく  作者: こうみ
第三章
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第七話

 檻から強引に出された青月は床に仰向けになった。その上に御堂が乗っかり、ずいと顔を近づけてくる。

「俺をレイプでもする気? そんなことをしても意味ないよ」

「男を抱く趣味はない」

 彼の顔と入れかわって、鋭利な刃物が突きつけられた。刃先はゆっくり、青月の顔の輪郭をなぞり、喉元、胸と移った。

「なあ、レイ。お前がここを出てから、俺はどうなったと思う?」

 刃物は青月の上着にあてがわれる。

「会長も、組員たちも、大道寺左門も、お前もいなくなったあの日。俺はひたすら叫んでいた。だれか、だれかいないか、ここから出してほしいってな。けど、だれも来なかった。警察すら来なかったぜ。俺は自力でここから出なくちゃいけないと決心した。まずは檻の鍵を探すところからはじめたよ。鍵はどこにあったと思う?」

「……ここには、貴賓室にはないはずだよ」

「そう。ああ、それは憶えていたんだな、レイ」

 上着がびりびりと破けた。青月の胸が露わになる。

「絶望したよ。鍵がなくっちゃ檻は開かない。出られない。本当に死ぬんじゃないかって感じた。でもな、レイ。あのときは、なんの日だった?」

「……俺とお前が、買われる日だったかな」

「その通り。だから、ないはずのものがここにあったんだよ。会長は鍵を持っていた。俺はその鍵を手に入れようと必死に、あの檻から手を伸ばした。千切れるぐらいに」

 御堂が指さす檻を、青月は正視する。幼い身体が手を伸ばしても、届く範囲は狭いだろう。この男はそれでも、希望である鍵を手中におさめようとした。そして、手に入れた。

「檻から出たあとは、お前を探すことだけにすべての時間を割いた。約束を果たすためにはまず、お前と会わないといけなかった」


    ……待っていろ、レイ! 必ず――……


 また、頭痛とともに声が聞こえた。


    ……必ず、お前を迎えにいくからな!……


「俺を、迎えに、くるため――」

 青月は戸惑う。反して、御堂は歓喜の声をあげた。

「レイ! お前、思い出したんだな、俺たちの約束!」

 約束。やくそく。ヤクソク。なんの、約束をした? ――わからない。

「わか、らない。約束、なんのことだ」

 御堂が肩を竦めた。かぶりを振って、ため息を漏らす。

「なんだ、まだ全部じゃないんだな。いいよ、ゆっくり思い出していこう。そうすれば、俺のことも、約束のことも、わかるから」


    ……ここから出たら、なにがしたい?……


 穏やかではある。


    ……そうか。それじゃあ、作ろう、俺たちふたりで……


 川の流れの如く、蘇る記憶。

 だが、青月の脳は、理性は、破裂しかかっていた。

 身に覚えのないものがどんどん、どんどん通りすぎていく。とめてくれ。だれか。

「あっ……あ」

 呼吸がうまくいかない。息が吸えない。

「レイ?」


    ……レイカ……


 声が、こだまする。名前を呼ぶ声が、耳に入る。

 おかしい。さっきまで、こんな、乱れることなんて、なかった。

 どうして、どうして。だれなんだ、お前は。

 黒く塗りつぶされた顔の幼い子がいる。精悍な顔立ちの男がいる。

 だれなんだ、このふたりは。――いや、違う。

 ミハル。ミハルだ。御堂ハルキだ。

「ミハル――約束、なんだ、わからないのに、関係ないはずなのに」

 この、ざわめくものはなんだ。懐かしいわけが、ないのに。

「関係ない、か。そうだな、確かに俺が一方的に言ったことだ、お前にはあんまり、関係のないことかもしれない。でも、それを求めたのはお前自身だった。レイ、きみが求めたものなんだよ。そのために俺は、今までを費やしてきた」


    ……――が、いい。ここじゃない、どこか――……


    ……わかった。約束する。俺が、お前の――……


 現実と過去の会話が交差していく。判別がつかなくなるほど、会話が交じる。

 青月は冷静さを失いかけていた。小刻みに震え、御堂ハルキを視界から追いやる。

 破けた隙間から御堂の手が侵入した。

「なのによ、やっとの思いで見つけたお前はどうだ。あの亜条摩鬼人なんて死にたがりの化け物と一緒に、笑っているじゃねえか。俺のことなんか忘れて、あんなやつと一緒にいやがって!」

 鋭利な刃先が横に振られた。青月の腹から血が滲み出た。

「なんでだよ。なんであのときのことを全部、忘れちまうんだよ、お前は。俺は片時も忘れたことはない。むしろ、あの気色悪い日々を糧にして生きてきた。お前との約束を、ずっと憶えていたんだぜ」

 今度は太腿。浅いが、肉を貫いた。

「だっていうのに、お前は、幸せそうに、死にたがりに擦り寄っていた。見ていて腹立たしかったよ」

 柄に力が入り、刺さったまま太腿が抉られる。

 青月は声を振り絞って言った。

「だから、摩鬼人を殺すのか?」

「ああ。俺の目的はふたつ。大道寺左門への復讐とお前との約束を果たすことだ。亜条摩鬼人は生半可なやつじゃ殺せない。だから、お前を選んだ」

「……」

「風の噂で聞いたぜ。お前、昔亜条を殺そうとしたんだってな? 本人に頼まれてよ」

「そんなこともしたっけね。ずいぶん前の話を持ちだすね、きみ」

「なあ、もう一度チャンスが巡ってきた、とは思わないか?」

「チャンス? なんの?」

「亜条摩鬼人を殺すチャンスだ。俺とお前との約束を果たすのに、あいつは邪魔なんだ」

 確かに、と青月は心中で呟いた。ここで亜条摩鬼人を殺せば、彼の望みを叶えられる。

 だが。それでは御堂ハルキの思うままではないか。そんなことで、愛する亜条摩鬼人を殺してたまるものか。それに、亜条摩鬼人は――

「摩鬼人は、俺が殺すよりも先に俺を殺すよ、そんな状況になったらね」

「なんだと」

「あんまり期待しないほうがいいよ」

「……ああ、そう」

 腹の傷口にスタンガンをあてがわれる。

 激痛とともに、青月は気を失った。


     ×


 ミハルはずっと考えていた。この頑丈な檻のなかから出るのは、まず、なにをしなくてはいけないのか。鍵を開けようにも、肝心のそれはでっぷり太ったあいつがいつも持っているから手に入れられない。ほかに、方法はないだろうか。

 錠前を壊すのも手だ。しかし、こんな幼い手でそんなことができるだろうか。無理だ。こっちの骨が壊れてしまう。

 ならば、逃げ出せるチャンスを待つしかない。自由になれるのは、買い手に商品が行き渡るときだけだ。買い手を殺し、逃げるしかない。

 でも、逃げる前に、友達を助けたい。レイカとの約束を破りたくない。自分たちを商品にした男も殺そう。覚悟はある。ナイフだとか、鈍器だとか、そういうものであれば、大人にだって勝てるはず、否、勝ってみせなくては。

 ミハルは決心した。買い手もあいつも、殺す。この手が汚れてもいい。レイカの約束を果たすためなら、どれだけ汚れてもいい。

 さて、彼が望む好機は、すぐ訪れた。買い手は大道寺左門と名乗った。

 レイカはあいつのお気に入り。売らせる気はない。ずっとこの貴賓室に閉じ込めておくつもりだ。そうはさせるものか。

 いくばくか会話が交わされる。すると、飛鳥会長の制止を無視して、大道寺左門はレイカという商品の前に屈んだ。

 ――そいつは駄目だ。泣いてばかりいて、しかもクスリが効かんのだ。

 ――おもしろい体質だ。ますます買いてえよ。なあ、値段はいくらだ?

 ――だから売らんといっとろう。ええかげんにせえ。

 にへら。奇妙な笑い方だった。にこりとも、にやりとも違う。ヘンな笑顔だ。

 ――そうか。なら交渉決裂だ。おい、これ、壊せ。

 後ろに居た人が拳銃を取り出した。レイカを殺す気なのか?

 銃弾は、錠前を破壊した。檻の扉が開くようになって、大道寺左門が扉に手をかけた。す ると、飛鳥のジジイが大道寺左門に殴りかかった。拳はひらりと交わされる。

 ――摩鬼人、こいつも始末しとけ。

 摩鬼人。そう呼ばれた人が表情ひとつ変えず、発砲する。瞬く間に、飛鳥会のリーダーはこと切れた。

 なにが起こったのか、あたまが理解するのに数秒を有した。大道寺左門がレイカを買うと言った。けれど飛鳥のジジイは駄目だと拒否した。なのに、錠前を摩鬼人とかいう男に壊させて、レイカを連れ出そうする。ついでとばかり、摩鬼人へ飛鳥のジジイを始末するよう命令。実行した摩鬼人によって、飛鳥のジジイは死んだ。

 ミハルはほっとする。飛鳥のジジイを殺す手間が省けた。これで自分も自由になれる。あとは大道寺左門と摩鬼人のふたりを倒さなければ――あれ、ちょっと、待て。錠前が破壊されたのは、レイカのだけだ。自分のそれはがっちり扉を閉めている。これは一体、どういうことだ? どういう状況なんだ? ここから、出られるんだよな……?

 ミハルはとてつもない不安を感じた。隣の檻では、摩鬼人がレイカの手を握って、外へ行こうとしている。では――俺はどうなる? 待ってくれ。俺が、外に出て、それから、買い手を殺して、飛鳥のジジイを殺して、レイカを助けるはず、だった。でも、今のこの状況は考えていたものとまったく異なる。……出して、ここから、出してくれ。

 否、とミハルはかぶりを振った。レイカを助けることに変わりない。少しだけ想像と違っただけだ。飛鳥のジジイはもう生きていない。あとは、あの大道寺左門と摩鬼人を殺すのみ! 覚悟はできている。

「待っていろ、レイ! 必ず、迎えにいくからな!」

 彼の声に反応して振り向いたのはレイカではなかった。大道寺左門だ。にへら、とおかしな笑みを浮かべて言い放った。

「ロマンチックな出会いを、俺が作ってやる。それまで、大人しくしているんだな」

 ぽつんとひとりだけ、ミハルだけが残された。

 そうして、時は流れていく。御堂ハルキがどのようにして頑丈な檻から脱出したのか、それは彼のみぞ知る。得物か、素手か、はたまただれかの助けか、わからない。ともかく彼は諦めなかった。友達との約束だけを希望として、糧として、自由を得たのである。

 御堂ハルキは探した、かつての友の行方を。十年以上は経っているので見た目が変わっているかもしれない。そも、生きていないかもしれない。さまざまな思いを抱えて、彼は探した。

 そして、見つけた。

「レイ……なんで」

 友達の傍にいるあの男は、見間違えるはずがない、亜条摩鬼人だ。なぜ、あの男と一緒にあんな、笑っているんだ? ――なんて、幸せそうな顔をしているんだろう。

 御堂ハルキは、現実を受け止めきれなかった。

 かつての友は、あの日々を忘れたかのように活き活きしている。

 嬉しく思う反面、複雑な思いがあった。

「約束は、どうなるんだ」

 御堂ハルキはあたまを抱えた。

「お前が、貴賓室みたいなところは嫌だから、もっと楽しいところがいいと言ったじゃないか。俺が作ってやるって、約束したじゃないか。……なんで、なんで今、大道寺左門の鬼なんかと幸せそうに暮らしているんだよ。俺との約束はどうしちまったんだよ。きれいで毎日が幸せなところがいいって言っていたのに……。まるでそこが、亜条摩鬼人の隣がそうみたいな顔をしやがって」

 途方に暮れる。必死に自由を得て、ようやく約束を果たせると思いきや、友達はその約束を憶えていないようだった。因縁の相手の傍で、談笑している。

 行き場のない感情を吐き出せないまま、彼は街をさまよった。喧嘩にあけくれて、日々を過ごした。そんなある日、ヤクザの縄張りである店で酔いつぶれていたとき、声をかけられる。何事かと思えば、開口一番に鈍器のような拳で殴られた。どうやら、喧嘩をした相手のなかにヤクザがいたらしい。その仕返しをくらったようだ。

 シマで暴れているチンピラへの報復は、一発や二発では済まない。繰り返し、拳が振るわれた。

 御堂のあたまはすべてがすべて、どうでもよくなっていた。約束を憶えていない友、因縁の鬼、復讐すべき男、果たすべき約束。もう、諦めてしまおうか。

 ふと気づけば拳の嵐がやんでいる。コンクリートの上を滑って、アタッシュケースが目の前にきた。開けると、みっちり隙間なく札束が入っていた。

「飛鳥会の構成員を呼び集めろ。そいつを資金にして、大道寺左門のシマを奪え」

 上下黒のスーツ姿の男が言った。とんでもないことを任された気がした。

 断ったら? と訊く。お前の寿命がここでなくなるだけだ、と返ってくる。

 天使のみちびきか、悪魔のささやきか。――否、そんなことはどうでもいい。

 これはチャンスだ。御堂の目に生気が宿る。彼の意志が固まる。

「いいだろう。その話、乗ってやるよ」

 手始めに、大道寺左門の邸から近い事務所を襲った。幸い、若い衆だけだったので襲撃はたやすかった。呆気ない、いや、たやすく攻められるようにしてあったのだろうか。否、どうでもいい。約束さえ果たせればいいのだ。

 事務所を去ろうとした瞬間、仲間のひとりが、亜条摩鬼人たちがここへくると報せてきた。驚き、喜びが湧いて口角があがる。

 そうして、間近で対面した。檻のなかでしくしく泣いていた面影はいっさいなかった。強い。街をさまよって、喧嘩にあけくれている間に、友は強くなっていた。

 御堂ハルキは、かつて貴賓室として使われていた部屋で回想した。気絶する青月を横目にたばこを一本、咥える。火を点け、紫煙を吐く。

「どうして、お前は忘れられたんだよ。俺は、ずっと、商品だった頃の記憶に、苦しめられたっていうのに。いや、お前も同じだったりするのか? なあ。レイ、俺たちさ、昔みたいに友達には戻れねえのかな。俺は、戻りてえよ。ひとりは、もうごめんだ」

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