第六話
大道寺邸の縁側にて。家主たる左門は、両手を枕代わりに寝転がっていた。あたたかく眠気を誘うような陽射しを浴びながら、唯永の報告に耳を傾ける。
敷居の向こう、畳に正座する唯永は淡々と告げた。
「御堂ハルキの行方はいまだ不明ですが、残党たちは順次処分を行なっていますのでまもなく、この一件にもカタがつくでしょう」
「順調なのね、なんだかおもしろくないなあ」
仰向けから庭のほうへ寝返りをうつ。ちょうど、竹に水が溜まるところだ。
「そうはおっしゃいますが、すべてあなたの思惑どおりなのでしょう?」
かこん。ししおどしの音が響く。
「なして?」
「あくまで私の想像です。青月黎に処分させた運転手と上司たる幹部は御堂ハルキらに資金を与えていましたが、そうしろと命令なさったのは、あなたではないですか?」
「なしてそう思う?」
「長が珍しく本邸付き以外の人間をここへ呼んだからでしょうか。処分されたふたりはもともと飛鳥会に所属していた組員です。時を同じくして、我々の縄張りを荒らす連中たちがいました。おそらくあなたは、その情報を得るため、幹部から話を聞いた」
雲が流れて、太陽が隠れた。
「同席していませんでしたので、幹部がなんと言ったかわかりかねますが、あなたがおもしろがるようなことを話したのではありませんか」
唯永は表情わからぬ長の背をじっと見据えた。
まだ雲から太陽は出てこない。あたたかな陽射しは届かず、縁側がかげる。
左門は起き上がり、敷居を跨ぐ。上座に腰をおろして、脇息を引き寄せた。それに肘をつき、扇を弄ぶ。そして、にへら、と独特な笑みを浮かべた。
「やーっぱり、わかっちゃったー?」
呆れ顔の唯永をよそに、彼はさらに言った。
「いやねえ、はじめは俺のシマを荒らす連中を追い払うだけで済む話だったわけ。でも、詳しく聞いていくうちに、どうやらそいつらは組織的な集まりじゃないってわかったのよ。ただのチンピラが火遊びをしている程度だろうって思ったんだけど、処分した幹部が言っていたんだ。〝やり方が素人らしくねえ、クスリの売り方や金の奪い方が玄人だ。どこかの組の連中に違いありません〟とな。うちの店のみかじめ料を横取りしたバカもいたらしいぞ」
「火遊びではなく本格的だったのですね。となれば、我々がつぶしてきた組や会派に所属していた者でしょうか」
「桧森に詳しく調査してもらったよ。俺が一番につぶした飛鳥会、その生き残りだった。もと組員であればそりゃ、素人のそれとはやり方が違ってくる。プロだからな」
「その顔ぶれのなかに、御堂ハルキがいたと」
「そういうこと。俺も見るまではすっかり忘れていたけどね。あのタヌキジジイが俺に買わせようとしていたやつ。あれから何年も経っているから顔つきとか変わっていたなあ」
「あなたは御堂ハルキに幹部を通じて資金を与えた。そして、飛鳥会の再興といった残党たちが束になるような目的も与えた」
「うん、そうだよ。バラバラになっていたんじゃ処分し損ねるから、ぎゅっと塊にしたのよね」
「その塊を一掃する役を、亜条摩鬼人、青月黎、亜条劉鬼の三人に任せたのですか」
「なにかご不満?」
「いえ……御堂ハルキと青月黎の関わりを知っておられるのか、疑問に思いました」
左門はけたけたと笑い声をあげた。
「もちろん、知っているよ! でなけりゃ任せたりしねえって」
「……お人が悪い」
ぽかんとする左門。
「人が悪いって……別に俺は、処分を任せただけだぞ?」
「ではなぜ、任せたのですか」
「なぜって――〝こいつら同じ商品だったな。よし、どうなるか見てみよう〟って思ったんだよ。それに、あいつらは仕事がはやいし、適任だろ?」
「確かに、亜条たちは仕事がはやい、適任です。しかし、過去に関わりがある者同士がぶつかれば、はやく終わるものも終わらなくなると、お考えにはならなかったのですか」
頬杖をつき、左門は言った。
「仕事のはやさは気にしちゃいない。うまくいかないことも折り込み済みだ。どんな形であれ仕事を全うしてくれればいい。終わりよければすべてよし、だ」
それに、とやや声の音を低くして言う。
「いつまでも過去のことでガタガタ震えているような奴は、うちにはいらねえよ」
ずしり、重く心の蔵に刺さるような声だ。
人は、幸せな過去だけを刻んで生きていない。辛い日々をも刻む。そのなかでもっとも思い出したくないもの、トラウマとなったものは、時が流れるとともに心の片隅にしまわれる。それが生きる人間の記憶というものだ。
なにかの拍子、ふとしたことで、しまわれていた辛い過去が呼び起こされるだろう。
だが、この大道寺左門は、あえて、そのふとした拍子をよそおい、青月黎が心の片隅にしまっていた忌々しい記憶を引っ張り出した。御堂ハルキと出会わせることで、過去のすべてを蘇らせたのだ。ふたりの関係、ふたりの過去を知りながら、この一件を任せた。ただ仕事をさせるのではなく、しなくてはいけない状況下に青月黎を置いた。
唯永は改めて、仕える組長の恐ろしさを実感した。
青月黎は今、試されている。否、そんなやさしい言葉では形容しきれない。
兎にも角にも、すべては大道寺左門の思いつきからはじまったこと。そうとは知らされずに、掌で転がる二品の商品――
「ひとつ、よろしいですか」
「ん? なあに?」
「もしも青月黎が、御堂ハルキを始末できなかった場合はどうするのです」
「そうさな――殺しは摩鬼人がやるだろうし、死体のほうは」
かこん。ししおどしの音が巡った。
「きれいには捨てるな、ミンチにでもしとけ」
×
瞼をあげた。頬が冷たい。うなじが痺れている。身体は動けるが、手足が拘束されているようだ。それでもなんとか上体を起こす。
辺りを見渡す。眼前の鉄格子を見、檻のなかに監禁されているのだとわかった。
一室は広い。物という物がほとんどないせいだろう。ベッドがひとつ、棚がひとつ、それから机がひとつあるだけだ。机には、なにかがたくさんある。
薄暗い一室で確認できたのはそれぐらいだ。
「あーあ、しくじった。摩鬼人に失望されちゃうなあ」
己の原点たる地へ歩を進めていたときである。
繁華街から、大通りから離れていく。ここまで後をつけてくる人の気配はなく、阻む者もいなかった。道をゆくは、自分と亡霊だ。
幼い亡霊は、てくてく、てくてく、先へ行く。まるで案内人の如く。
青月はそれについていくことにした。
後ろ姿でもはっきり言える。あれは、あの子は、商品だった頃の自分だ。なにがどうなって姿を見せたのだろうか。異世界にでも案内されるのだろうか。脳がおかしくなって、亡霊なんかが目に映っているのだろうか。――否、今はどうでもいい。ただ、ついていこう。はじまりの場所へ向かうには、絶好の案内人である。
案内人はどんどん進んでいった。時折こちらを振り向き、足を止める。そしてまた、先をゆく。青月は小さな背中を追った。
角を曲がったところで、亡霊は消えた。いなくなった。
青月は息を呑む。ようやく辿りついたのだ、はじまりの地に。
今は立ち入り禁止になっている廃屋は、物寂しい。草木はぼうぼうと伸びていて、建物は朽ち果てている。人が住んでいた面影はない。
愛用の銃を構えて、青月は建物のなかへ。
しんと静まり返っている。物音ひとつ聞こえない。
警戒心を強め、さらに奥へ。
すると、あたまに激痛が走った。過去の断片が脳裏をよぎる。
痛みに堪えて瞑っていた目を開けた。また、あの案内人がいる。
廊下の角を指さしていた。――あっちは、書斎のはず。
貴賓室を探さなければいけない。しかし宛がないため、案内人の指さすほうに足を向けた。
鉛のように重い足を引きずり、蘇る当時の屋敷を今と重ね合わせる。
――廊下、左側にある扉。一度だけ、見た光景。
扉を開けた。光のない一室だ。ここのどこかに、あれがあるはず――
そのときである。
……レイカ、久しぶり……
夢か、現か。判別できないうちに、スタンガンによって気絶させられた。
そうして、今に至る。
「あの声……俺が撃ち損ねた標的か」
「その通り」
一室の出入り口から御堂ハルキが現れた。
「これでゆっくり、話ができる。なあレイ、俺のこと、思い出したか?」
御堂は檻に歩み寄り、屈む。彼の顔が見やすくなった。
精悍な顔立ち、肌ざわりがよさそうな皮膚、中肉中背で無駄な肉はない。それが、かつて商品として扱われていた男の現在のすがただった。
「さあね。きみのことなんて知らないよ。飛鳥会長の商品だったことなら、わかるよ」
「……変わったな、お前」
「なにが言いたいんだ」
「昔はよ、しくしく、しくしく泣いていたじゃないか。売られるときも、貴賓室にいるときもそうだった。そんで、それを慰めていたのが俺だった。人ってのは、変われるもんなんだなあ。今じゃよ」
鉄格子が勢いよく蹴られた。
「こんな余裕ぶっこいたいけ好かない野郎になっちまった」
睨み合う。御堂のほうが引いた。
「本当に、思い出せないのか、俺のことを」
青月はため息をつく。
「そのうち思い出すんじゃないかな。期待しないほうがいいけどね」
「なら言い方を変える。どこまで、お前は憶えているんだ?」
「……俺とお前が商品だったことだけだよ。それ以外のことは、さっぱりだ。断片的にしかわからない。わかりたくもないけれど」
御堂の目が見開く。驚いているようだ。
「そうか……それだけか」
御堂は立ち上がり、寂しげな色を浮かべる。そして、にやりと笑った。
「わかったよ、レイ。なら――俺がすべて思い出させてやるよ」
×
夕刻。亜条摩鬼人は青月へ電話をかけていた。
「繋がらないっすか?」
「ああ」
通信を切り、スマートフォンをソファへ置く。どこへ行ったのか、思考を巡らした。
「まさか、ひとりで標的のところへ行ったとか」
「あり得る。だが、その場所がどこなのか、見当がつかん」
「貴賓室ってところなんじゃ」
「……その可能性しかないな。我が息子よ、武器を準備しろ。絵はあとだ」
「りょーかい」
劉鬼は筆をおろす。キャンバスには、両手に首が乗った絵が描かれていた。




