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されど彼はゆく  作者: こうみ
第三章
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第五話

 だれかとだれかが話している。胴間声とドスの利いた声が聞こえた。

 やっと買ってくれる人が見つかった。けれどまだ安心できない。自分か、――か、どっちを選ぶのだろう。どうせまた、お気に入りだから残り物になるかも。そうなったらもう、ここからは出られない。

 ここはおかしなところだ。きれいなお部屋に、きれいな汚れひとつない家具たち。でもひとつだけきれいじゃないものがあった。これだ、商品である自分たちが入るかご、檻だ。

 蹲って、耳を塞いだ。すると、だれかが歩み寄ってくる気配がした。影をたどって顔をあげた。

 だれかがなにかを言った。知らない人だ。

 檻から出られた。あたたかい手に引っ張られて、はじめてここ以外の外へ行く。

 後ろから――の声がする。……待っていろ、レイカ! 必ず――……

 耳をつんざく音に――の言葉をかき消される。



 銃声……ではなく、ノックする音で青月は目覚めた。

「いつまで寝てんすか。もう朝っすよ」

 劉鬼の朝の報せに生返事をする。ゆっくり深呼吸をして、ベッドから起き上がった。姿見の前で服を着替えて、一階へおりる。欠伸しながら朝食が並ぶテーブルへ。摩鬼人と劉鬼はもう食べ終わったらしい。椅子に座り、珈琲を飲んだ。

 脳裏にさっきの悪夢が蘇った。あたまが冴えてきたせいだ。

 あそこはまちがいなく貴賓室だ。今は使われていない、はずだ。もしも御堂ハルキ率いる飛鳥会残党が拠点とするならば、絶好の場所だろう。人目につかず、存在するか否かさえあやふやなところだ。隠れ蓑には最適である。

 ――そう考えてしまうということは、やはり『ミハル』と関わりがある? さっきの夢に居たもうひとりはまさか、御堂ハルキなのか?

 このさい認めよう。では、関係があるとして、動機はなんだ?

 つんつん目玉焼きをつつきながら、青月はさらに思考した。

 御堂ハルキの目的、動機がわからない。恨み? 憎しみから? ただそれだけなら、わざわざ飛鳥会の残り物を集める必要なし。ならば、なぜ?

「どうした、青月」

 外国の新聞を読む摩鬼人が視線をそのままに、言った。

「うん、ちょっとね」

 すべてをはっきりさせるには、今回の仕事を完遂するためには、己の記憶が手がかりになるだろう。だが肝心のそれが抜け落ちている。このままではいけない。このままでは、愛する男の役に立てない。

 行こう、己の原点へ。あの屋敷へ。

 青月は朝食を手早く済ませた。身支度を整えて住み家を後にする。

 まずは情報を集めよう。街の影にひそむ情報屋たちをあたった。飛鳥会長が住んでいた屋敷の住所、御堂ハルキおよび残党らの動向を聞いて回る。後者についてはすぐに情報を得られたものの、前者はそうもいかなかった。

 飛鳥会はとうの昔に大道寺組に潰された組織だ。それは数十年も前の話である。若い情報屋にネタをもとめてもわからないだろう。憶えている者がいるかさえ、怪しい。

 御堂ハルキおよび残党らは、どうやら亜条摩鬼人を排除しようと試みているという。どんなやり方をするのかと問えば、

「あんたを利用するらしいぜ。嘘じゃねえ。今はそのネタで盛り上がっているんだよ」

 と、返答があった。

 青月の心中、憤怒を越えて狂気的な殺意を宿らせた。

 そのネタが真実かどうかを確かめるため、とある人物を訪ねた。ハイエナの如く街中をうろちょろし、事が起きそうな場所にひっそり出入りする青年だ。以前、色島行永と臓器取引を行なっていた男のアジトに居た彼である。名前はないが、あだ名としてハイエナと呼ばれている。情報屋稼業をする身としてはまだ若いほうだが、ネタには真実味があるものばかり。

 ハイエナが今回出入りしていたのは、スナックバー『しらぎく』だった。

 その店前で青月は佇んだ。

「……御堂ハルキが俺と同じ商品だったなら、ここに行きつくよね」

 店は閉店している。時間を改めようと踵を返したとき、声をかけられた。

「お入りなさいよ、黎」

 下の名前で呼ばれた。けれど悪寒はなく、むしろ懐かしさを感じる。振り向いてその声の主を正視する。

「――ママ」

 スナックバー『しらぎく』のオーナーことママ、獅子蛇門矢。褐色肌にグラマラスな容姿と、厚い唇。髪はミディアムショートヘア。やや露出のある黒い服で身を包む男であり女である。つまり、オカマなのだ。青月がまだ大道寺組専属の殺し屋ではなかった頃、商品だった彼を人間になるまで育ててくれた、恩人である。

 店内に入り、カウンター席に腰をおろした青月。なかを見渡した。

「変わらないね、ここも」

「ふふ、懐かしいでしょう」

「まあ、ね」

 グラスになみなみ注がれるウィスキー。

「ありがとう」

 ウィスキーを飲み、青月は喉を潤した。

「遅かれ早かれあなたがここへくる気がしたのよ。だからずっと、待っていたわ」

 語気が真摯な音になった。青月も顔つきを変える。

「御堂ハルキのことを、教えてほしい」

 ママは遠い目をして、言った。

「ちょうど今月に入ってからかしら。急にハルキが店に来たの。黎はいないか、黎はどうしているんだって、しつこく訊いてきた。ただ再会したいだけ、とは思えなかったからはっきり答えなかったわよ。大道寺組の一員として仕事をしている、そう伝えた。そしたらね、あの子……」

 ママはじっと青月を見据えて続けた。

「ひどく驚いて、とても悔しそうな顔をしたわ。たぶんまだ、あなたが商品扱いされていると思い込んでいるのね。ハルキからしてみれば、大道寺左門は黎を買った悪者だから」

 後頭部が痛みはじめるとともに、記憶が再生される。


    ……おじさんね、あんたを選ぶよ……


 これは、今朝の悪夢の続きか?


    ……あんた、毒に詳しいらしいね。薬も効かないようだし……


 そうか。青月はようやく過去の一部分を思い出した。


    ……おじさんは、変わり者なんだ。ロマンとリアルが好きなんだ……


 これは、この声は若かりし頃の大道寺左門だ。


    ……白馬の王子様っているだろう……


    ……そいつに会わせてやるよ。馬には乗ってこないけどな……


 頭痛を堪えて、青月は追想する。


    ……でも、ふたつも連れていけない。だってお姫様はひとりだし……


    ……あとあとおもしろくなると思うし、うん、あんたを買ったよ……


 なぜこちらを選んだのか。こういうことになるとわかっていたから、そうしたかったからなのか? そんな何十年越しのシナリオをあのときから考えていたのなら、常人の為せる技ではない。

「シナリオ……そうか、これは俺が主役なんかじゃない。御堂ハルキが主役なんだ」

 ママは青月の言葉の意味を悟った。

「そうかもしれないわね。左門組長のあたまはだれにも理解できないけど、いずれあなたとハルキがぶつかるよう、仕組んでいたのは読めるわ。売り物的な価値で言えば、ハルキのほうが上だったはず。けれどあえて、そっちを捨てた。そしてあなたを救った。ハルキはたぶん、〝先に自由になれるのは自分だ〟と希望を抱いていた。そして黎を助けようといろいろするつもりだった。でも、左門組長はそれを知ってか知らずか、そうはさせなかった」

 青月は頷いた。

「俺を買って、飛鳥会をつぶして、御堂ハルキをひとりにした。飛鳥会の本部が襲撃されたあと、あいつがどうなったか、ママはわかる?」

「さあ、どうだったかしら。左門組長もなにも言っていなかったような――あっ」

「なにか言ったんだね? 大道寺が」

「確か、〝もう一品は、檻のなかでどっちを見るか、楽しみだぜ〟って、おかしなことを言っていたわ」

 檻のなかでどっちを見るか。

「ふたりの囚人が鉄格子から外を眺めた。ひとりは泥を、ひとりは星を見た」

 大道寺の言葉を訳するとなると、それしか浮かばない。

「それって、有名な言葉よね」

「もしかしたら大道寺は、俺か御堂ハルキ、どっちが泥を見て、どっちが星を見るかを、言いたかったんだと思う」

「なるほど、なるほど。で、あなたは今、泥と星、どっちを見ているの?」

 青月はウィスキーに映る己の顔を見つめる。

「泥、かな」

 さらに言う。

「殺し屋なんて稼業をやっているんだ、星を眺められるほどヒマじゃないし、俺はロマンチストじゃないよ。星を眺めても、希望だとは思わない」

「あら、どうして?」

「結局星を眺めたり、泥を眺めたりしても、人間は正面を向いて歩く生き物だ。檻のなかに居ても同じだよ。目の前で行われている物事をじっと眺める。それがよいことか、悪いことか、やりとりする人間がよい人か悪い人か、判断しても意味はないよ」

「なぜ?」

「上を見ても、下を見ても、正面を見ても、人間のすべてを目にする。よいことも悪いことも見てしまう。つまりね」

 肩を竦め、続けた。

「どこにいようが、だれを見ようが、なにを眺めようが、みんな星も泥も見ているってことだよ、ママ」

 ぽかんとしたのち、笑い声をあげたママ。

「そうね。人はどっちも眺めたがる欲張りさんだものね、うっふふ」

 でも、と笑みを消す。

「ハルキはどっちを見たのかしらね。あなたが泥なら、星?」

「大道寺のシナリオ通りなら、星かもしれないね」

 青月は席を立った。そしてカウンターの端で身を丸めていた情報屋をねめつける。

「ママ、ごめん。もう仕事の話に戻るよ。仕事が終わったらまたくるから」

「がんばってね」

 ママこと獅子蛇門矢は店の奥へ去っていった。

 それを確かめたのち、青月が情報屋の首根っこを掴んだ。

「盗み聞きとは相変わらずだね、きみは」

「そ……そんなつもりは」

「もういい。要件はわかっているはずだ」

「御堂ハルキと飛鳥会残党のことでしょう?」

「俺を利用するっていうのは、どういうことだ。それでお前たちの界隈はにぎやかになっているそうじゃないか」

「ま、まあそれなりに。その話は本当ですよ。大道寺左門を引きずり出すためにはまず、裏世界のビッグネーム、亜条摩鬼人を殺さないといけないんで、それをあなたにさせる目論見ですって。……あの、首、絞まってきて」

 喉元を親指で抑えつけ、さらに詰問する青月。

「どうやってやるつもりなんだ? 現に俺はここにいるし、摩鬼人を殺すわけがないだろうが。そもそも、摩鬼人が俺に殺されるような男だとでも思っているのか」

 語気が強まるにつれて、手にも力が入っていく。

「ぐ、んん……し、知りません。さ、さすがに、そ、それは、御堂ハルキに、訊かねえとわかんねえ……です。く、くるし」

「もうひとつ問うぞ。今、御堂ハルキはどこにいる? あいつらの活動拠点は?」

 情報屋の顔色が悪くなり、首根っこを掴む手を叩いてきたので放した。

「げっほ、ごほ。はあ、はあ……飛鳥会長の屋敷があったところですよ。あそこはもう廃屋ですが、人の出入りがありましたからね。御堂ハルキも見ました」

「嘘じゃないのか。その根拠は」

「私めが直接そこへ入りました。そこで、攫われた組員たちの亡き骸を確認してきましたよ。誓って、嘘ではありません」

「……わかった。はいこれ、報酬」

「え? ――いでっ」

「ただのビタミン剤に精力剤を混ぜたやつだよ」

 札束ではなく、出てきたのは一本の注射器。問答無用で情報屋の腕に刺し、液体を注入していく。情報屋は苦悶の声をあげる。

 青月は店を出て、目的地へ急いだ。

 己の原点へ向かう足取りは、少しだけ重かった。それでも走った。

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