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されど彼はゆく  作者: こうみ
第三章
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第四話

「なあ、『ミハル』の本名はなんて言うんだ?」

 唯永はちらりと青月を見、返答する。

「御堂ハルキ。御する寺の本堂、カタカナではるきと書いて、みどうはるき」

 みどうはるき。みどうはるき。呟きながら記憶の糸を辿る青月。けれど、目当ての人物を思い出せなかった。あともう少しというところで痛みに阻まれる。男であり、飛鳥会長のお気に入りの商品だったことは間違いない。しかし、御堂ハルキと自分がどういう関係にあるのか、さっぱりだった。

 今まで処分してきた標的のなかに、御堂ハルキの関係者がいたから?

 否。そうではない。もっと意味深長なわけがあるはず。


    ……自白剤、痛い。痛い……


    ……最後まで、言わないつもりだ……


    ……女。吐け。強情なやつめ……


    ……待ってろよ、レイカ! 必ず――……


    ……本名。忘れた。知らない。言ってはいけない……


    ……売られる、安い、高い、売れ残る……


    ……鉄の柵。――檻?


 肩を叩かれて、現実に引き戻される。摩鬼人がじっとこちらを見ていた。

「ごめん、またぼうっとしちゃった。どうしたんだろうね、変だね」

「なにか思い出したか」

 かぶりを振る。

「なにも。御堂ハルキについてはまったく心当たりがないんだ。でも、俺が檻の外に居たことを、思い出せた」

「檻のなか、ではなく?」と、唯永。

「そう。檻の外だよ。貴賓室から外へ出るときは、必ず檻のなかに入るんだ。足枷をつけられてね。そして買い手に行き渡る。――そういう流れだった」

 続きは摩鬼人が引き継ぐ。

「俺があのとき会長を処分した場所ときは、売買の最中だったと記憶している。そこで青月を見つけ、大道寺のところへ連れてきた」

「ほかの商品たちはどうしたのです?」

「さてな。すみっこで縮こまっていたこいつ以外は憶えていねえよ」

「そうですか。しかし滑稽ですね、檻のなかにいた者が助からず、外にいた者が助かったというのは。普通は逆でしょうに」

 襖の向こうから劉鬼の笑い声が聞こえた。

「確かに、言われてみればそうっすね。ハッピーなストーリーだったら、お姫さまを檻から出して一緒に遠くへ! それが一番しっくりくるぜ」



 時刻は日没の間近。邸の門をくぐり、青月たちは帰路につく。

 車のロックを解除してドアに手をかけると、摩鬼人がそれを制した。

「代われ」

 青月は黙って運転をゆずる。助手席へ移った。

 よろしくない空気を悟った劉鬼は後部座席へ乗り、住み家に到着するまで無言を貫く。

 道中、車内はしんとしていた。外からの騒音や雑踏のざわめき、車のエンジン音だけが在った。だれもラジオをつけようとせず、口を開こうともしない。

 遠い目。心ここに在らず。車窓からの景色を眺める青月をたとえるならばそのふたつでこと足りる。

「……」

 あたまに触れてみる。頭痛はない。悪寒も、幻の感触もなかった。

 なぜだろう。なぜ、数十年経った現在いま、あのときのことで苦しむのか。

 御堂ハルキとは一体だれだ。どういう関係があるのか。

 知りたい。否、知らなければならない。過去の記憶に再び蓋をして、鍵をかけるためにも……。――そうじゃない。

 蓋をするのではない。過去という蜘蛛を殺し、因縁という糸を断ち切る。

 ただ忘れる、ただ蓋をする、ただ鍵をかける、――だけでよかったものを。

 ぎちり。青月は親指の爪を音立てて噛み、苛立ちを露わにする。

 彼の殺気を感じた劉鬼はくわばら、くわばらと小声で呟いた。

 摩鬼人は一瞬だけ気にとめるが、なにも声をかけず車を走らせたのだった。

 住み家に帰って自室にこもる。衣服を着崩してベッドに寝転び、枕に顔を埋めて物思いに耽った。

 今のままではいけない。見えない標的に心を乱している。毒の扱いに長けた己が毒に侵されている。過去、それがうっとうしいほどこびりつく。飛鳥会はもう存在しないはず。商品として売られないはず。だというのに、この感情はなんだ。形容しきれないこの荒ぶるものはなんだ。殺意? 否、高揚? 昂ぶっている? 違う、これは――怯え?

 青月は仰向けになり、天井に手をかざす。ぐっと拳を作った。

 怯えている。飛鳥会の再興、御堂ハルキとの対峙を恐れている。

 恐れる理由がわからない。怖いのではない、なにか、罪のようなものが、恐れの背後によこたわっている。罪を犯した? 御堂ハルキに、自分はなにをした?

 拳をベッドに叩きつける。

 ああ、ああ、腹立たしい。虫があっちこっち飛んで、振り払っても、振り払っても、またこっちにくる。はやく終わらせなければ、この仕事を、完遂せねば。

 階下から声がした。劉鬼が買い出しへ行くらしかった。そのあと、静かな足取りが近づいてきた。摩鬼人だ。

 彼は窓際に立ち、たばこを一本咥えた。火を点け、紫煙を吐く。

 上半身を起こし、彼の背を見上げたとき、問われる。

「御堂ハルキを、撃てるのか」

 言葉に詰まったけれど、

「撃てるよ、もちろん」

 嘘をついた。

 すると、彼が振り向いた。

 人間離れした鋭利な眼光と威圧に、青月の呼吸が停止する。まるで巨大な怪物の手に掴まれたかのごとく身体がこわばった。震えさえできない。

 夕やけのひかりが逆光となって、亜条摩鬼人は黒く塗りつぶされた影の塊だった。そのヒトの形をした影が破られる。奥からぎらぎら赤い瞳が現れて、こちらをとらえた――

 それからどれほど経ったか。青月がようやく息を吸ったのは、夕日が沈んだ頃である。いつのまにか摩鬼人は隣に腰をおろしていた。

「……どうした。答えろ」

 嘘だと見透かされていた。だから、彼は怒った。表情に出さず。

「……。撃てないかどうか、怪しいよ。失敗するだろうね」

 本音を告げる。

「そうか」

 さっきとは裏腹に、あっけない返事だった。

 たばこを一本もらう。気分をすっきりさせるためだ。

「火、ちょうだい」

「おう」

 灰と灰がじりじり絡む。青月のほうに火がともった。

 大きく吸い、煙を出す。ふわり、と摩鬼人の顔にかかった。

「あ、ごめん」

「かまわねえよ」

 荒れていた青月の心はおだやかになり、いつもの彼らしく笑みを浮かべる。

「心配かけた?」

「さてな。できないやつには、させねえつもりだった」

「……俺を今の仕事から外すつもりだったの?」

 しばしの沈黙。摩鬼人は灰皿に燃えかすを捨てる。

「どうだろうな。もう忘れちまった」

 摩鬼人は立ち上がり、部屋から退室しようとした。

 そこを呼び止め、青月は言う。

「俺を捨てないでくれて、ありがとう」

 返ってきた言葉は、

「そうか」

 とても短いものだった。

 青月の心を満たすには充分である。ほころんで、彼からもらった火のともるたばこを味わう。そして、愛する男のことで思考を巡らす。

 亜条摩鬼人は、失敗や責任といった仕事上のトラブルにおける話はしない。好まない。彼がしたい話は仕事が完遂できるか、それともできないのかだけである。できるといっても、できないといっても、彼は褒めたり、責めたりしない。それがわかればいいのだ。大道寺左門曰く、感情が欠落しているから怒鳴ったり褒めちぎったりできないのだ、とのこと。

 そんな彼が嫌うものは、嘘だ。表情に出ないためなかなか気づきにくいけれど、亜条摩鬼人を知る者なら感じられる。嘘をつけば、まとう空気が一変する。眠っていた化け物がゆっくり目を覚まし、餌を喰わんとする――そう形容できるものに、変わる。

 撃てるかと訊かれて、できないのに撃てると答えた青月が見た幻覚がそれだ。亜条摩鬼人の性格ともいえる、静寂と獰猛のうち、後者がかいま見えたのだ。

「久しぶりに見たよ、獰猛なきみを」

 獰猛なあの男をとめられる者はいるだろうか。

 感情が欠落している分、ためらわない。だからさっきも、青月は死にかけた。殺されかけた。――はずだ。

「さっき殺さなかった、事実を告げる猶予を与えたってことはさ、ねえ」

 たばこをじっと見つめる。

「まさかまだ、俺がきみを殺すって期待してもらっているのかな」


    ×


 宵の刻。某所のどこか。

 壁や床といったあらゆるところにナイフと写真があった。ナイフは写る美顔の男を刺している。一本では飽き足らなかったのか、何本も突き立ててある。

 『ミハル』こと御堂ハルキはナイフの柄を指間でつまみ、ダーツと同じ構えをする。鋭利な尖端は一枚の写真めがけ飛ぶ。とん、と静かな音を立てて、写真の真ん中を突く。ちょうど被写体の鼻である。

「そろそろ、思い出したよね、レイ」

 御堂は先に投げたナイフを引き抜いた。

「ゆっくり、おしゃべりがしたい。久しぶりの再会だもんね」

 部屋の隅にある檻へもたれかかる。愛おしげに柵を撫でた。

「僕はきみが羨ましいよ。神様が平等であってほしかったなあ」

 ナイフの金属の部分に、御堂の顔が映った。

 口角があがっている。けれど、目は笑っていなかった。

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