第三話
「申し訳ありませんが、ただいま長は留守にしています。お帰りください」
到着早々、黒井たち警察の面々が門前払いをされている光景に出くわした。
青月は摩鬼人にどうする、と視線を送る。すると、彼は邸内の裏手へ移動する。警察たちの横を悠々と通っていき、そのまま角を曲がった。いつもの如く気配をなくして、人目をかいくぐったのだ。しばらく待っていると、こっちへこいと手招きされる。青月と劉鬼は、黒井たちが去ったあとそっちに足を向けた。
はじめて邸の裏手にくる青月はあたりを見渡す。
純和風な庭、池とその上に小さな橋、水中を優雅に二匹の鯉が泳いでいる。花や木、石たちの作る美しい小さな世界は、邸に住む男と不釣り合いのように見えた。
辺りを眺めていると、ひとりの青年がこちらに気付いた。眼鏡がきらりと光る。
「だれですか? あなたたちは」
「見ない顔だな。新入りか」
「こちらの質問にお答えください。侵入者であれば、排除します」
細身で武闘派には見えない青年が構えた。そこへ、左門の部下唯永が現れる。
「待て、桧森。この方々は侵入者ではない」
中肉中背の三白眼、短い髪を後ろへ撫でつけている男、唯永右近。大道寺左門の右腕として組織に属している。
「亜条、さっきサツどもにも言ったが、長は留守だ。居留守ではないぞ」
「なぜだ? まさか、昨日の襲撃で幹部どもを集めたわけじゃあるまい。あんなもの、くすぐったい程度だろ」
「くすぐったいまま、放置しておくわけにはいきませんので。元飛鳥会の連中だけを招集して、今後のことについて話を進めています」
淡々と紡がれる言葉を聞いた劉鬼は手をあげた。
「それってつまり、残党たちと抗争をやろうってやつじゃあないですよね」
「さて、そこまではわかりかねます。ところで、あなたがたは本邸になんの御用ですか」
「残党とそいつらを指揮する『ミハル』の情報がほしい。なにかないのか」と、摩鬼人。
唯永は頷いた。
「わかりました、なかへどうぞ」
畳のかぐわしい香りが漂う客間に案内された青月たち。だれもなかに入れないよう見張り番を任された桧森と、長話が苦手な劉鬼は客間の外へ。
かこん。ししおどしの音がして、それから唯永は口火を切った。
「長の判断は、『ミハル』と飛鳥会残党たちは我々大道寺組への復讐を企んでいるわけではなく、新たな組織を発足させるつもりだ、とのことです。詳しい全貌は未だはっきりしませんが、――」
あたまにじんと重い痛みを感じた青月。眉間を寄せて、あたまを抱える。
身体が熱い。胸がどきどきする。
……一緒に……
だれかの声がした。摩鬼人ではない。劉鬼でもない。
……出ていこう……
出ていく? どこへ?
……こんなところじゃないきれいな場所に……
呼吸がしにくくなる。
腕に針が刺さる感覚がする。さわり、さわり、手に触れられる感覚がする。掻き毟りたくなる衝動を必死に堪える。両手で自身を抱き込み、身を縮めた。
……僕たちで作ろう、新しい居場所を。
影に隠れて顔がわからない。声も薄っすらとしか聞こえない。
けれど、どこかで聞き覚えがある。どこだ、どこで話していた。
……パァン。パァン。
音だ。銃を撃つそれだ。でも、だれが、どこで――
「青月」
はっと我に返った。息を整え、乱れた髪を耳にかける。
「ごめん、ぼうっとしていた」
摩鬼人に笑んで、心配ないよ、と伝えた。
唯永がいぶかしげにこちらを睨む。
「ぼうっとしていたようには、見えませんでしたが。なにか引っかかることでも?」
「別になんでもないさ。ただ、あたまが痛くなっただけ」
「……それなら、いいのですが」
なんでもない、そう、なんでもないはずだ。しかし、昨日といい今日といい、この頭痛とともに流れる映像は、静止画は一体、どこを映しているのだろう。声音からして、十代くらいか。貴賓室には若い年齢が多かった。そのうちのだれかと、話していた? 貴賓室から脱出しようとしていた、とも考えられる。――俺と一緒に、出ていくつもりだったのか。
「話の続きをしてもよろしいですか」
「構わないよ」
「では、改めて。――もしも新たな組織が発足される場合、我ら大道寺組はまず様子見をする方針です。もちろん、傘下に入ってもらうことが前提ですがね」
「抗争にはしない、それは確実と見ていいんだな」
「そうです。ご心配なさらず、抗争になれば嫌でもあなたがたに働いてもらいます」
青月は唾を飲み、喉を潤してから口を開いた。
「『ミハル』たちの後ろ盾はわかっているのかい」
「青月、あなたが先日殺した運転手の上司でした」
驚きはしない。代わりに首を傾げた。
「でしたって、過去形だね。違ったのかい」
「違っていたというよりも、異なっていたのです」
「つまり、後ろ盾ではなかったが、『ミハル』たちとは繋がっていたんだな」
「そうです、亜条。資金だけを与えていたそうですが、組織の発足については無関係だったのです。どうやら、発足に関することはリーダーである『ミハル』が言い出したことでしょうね」
痛みがおさまらないあたまで思考を巡らす青月。
発足。作る。新しい場所……
だれと、そんなことを話していた?
摩鬼人と出会う前だとしても、一体……
『ミハル』――だれなんだ、お前は。
×
時はわずかに遡って、唯永が口火を切ったときである。
いっぽうその頃、柱にもたれかかり、長話の終わりを待つ劉鬼。ししおどしをぼんやり眺めながら、隣に正座する桧森へ声をかけた。
「あんたと俺、初対面だよな」
「そうなりますね。先ほどは自己紹介できませんでしたから、改めて」
桧森は姿勢を正す。
「二週間前、本邸付きになりました桧森刃と申します」
「俺は劉鬼。噂で知っていると思うが、亜条さんの息子な」
「存じております。殺し屋業界では、病気の殺し屋だと、言われているそうですね」
そのあだ名を嫌う劉鬼は肩を竦めた。
「だれが言い始めたんだかねえ。俺が病気に見えるか? お前は」
まじまじと彼を観察する桧森。
「どうでしょうね。しかし、攫った男を親と見てしまうあたり、そうではないですか。どういういきさつがあるにせよ、ストックホルム症候群に代わりありません」
ただ、とさらに桧森は言う。
「あなたと亜条摩鬼人は、初対面の僕の印象ですが、本当の親子のようでした。顔や目つきといった見た目の話ではなくて、なんというか……ずっと一緒に居た、そう思わせるオーラがあります」
「ずっとって言われてもよ、俺の場合は十何年だぜ。青月さんに比べりゃ、少ない」
「青月――あのお方は、どういうお人ですか」
「どうって、見たまんまだよ。男のくせに女っ気があるし、ときどき化粧品買うし、親父のことが大好きで、愛していて、離れない人だよ」
「ほう、ゲイ、なのですか」
「んー、それ本人の前で言うと殺されるぞ」
「し、失礼しました! ご忠告、ありがとうございます」
「じゃあ俺からもひとつ質問」
「はい、なんなりと」
「本邸付きってさっき言ったよな? あれはどういう意味なんだ」
眼鏡をかけ直し、返答する桧森。
「わが大道寺組は、大きく二種類に分けることができます。まず、組を発足したさい一員だった幹部および傘下の組織を、本邸付きと呼びます。つまり、長にはじめから仕えていた人たちのことです」
「へえ。もう一種類は?」
「呼び名はありませんけれど、本邸付きではない人たちのことです。簡単に申しますと、長が勢力拡大時に仲間として契りを交わした組、そこに属するメンバーです」
「なるほどなあ。けどよ、それって派閥ができたり、裏切られたりしないのか」
「今のところ、そのような話は出てきていませんね。今回の一件と元幹部が繋がってさえいなければ、ですけど」
劉鬼は柱から背中を離し、胡坐をかく。
「なあ、飛鳥会って具体的にどんな組織だったんだ? みかじめ料以外に人身売買で金儲けしていたらしいじゃねえか」
桧森の表情が暗くなった。
「……先輩方から聞かされた話になりますが、よろしいですか」
「かまわねえぜ」
「では――、飛鳥会の勢力は上の中だったそうです。発言力もあり、長がこの組を発足させてあそこを潰さなければ、このあたり一体を支配していただろうと聞いています。会長は力と金を持つ絶対的な存在だったとか。我々の世界では逆らう者が出るわけがない、そう言われていました。そして、もうひとつ言われていたのが、資金ルートです」
語気を強め、淡々と続けられた。
「みかじめ料だけではない、別の資金源があるかもしれない、そう噂されていたそうです。もちろん、長の耳にも入っていました」
「その噂が真実になったきっかけはなんだ?」
「それがだれもわからないそうです。ある日長が唐突に、〝調べるなら徹底的にやろうじゃないか。乗りこんで噂が本当かどうかはっきりさせるぞ〟――そう言ったみたいで」
劉鬼は呆れ顔になる。
「ああ、うん、想像つくぜ、それ」
「確かその頃にはもう、亜条摩鬼人さんは組に属していましたね」
「……そのとき、青月さんはいたか?」
「いえ、いなかったはずです。青月さんが正式に組へ入会したのは、飛鳥会本部への突入から一年か二年あとでした」
劉鬼は頬杖をつく。
「つまり、大道寺さんの命令で突入した組の人間と親父が、飛鳥会の本部を潰した。そのとき人身売買が行われていた場所を発見し、見事白日の下に晒したわけか」
そのとき、商品だった青月が亜条摩鬼人に救われた。手を差し伸べ、人間として外へ連れ出した。オークション会場だったところにどれだけの商品がいたのか定かではないけれど、青月以外にもいたはずである。しかして、亜条摩鬼人が選んだのは青月ただひとり。
劉鬼はイメージを膨らませた。ほかにも商品扱いされたモノたちがいたとして、青月が救われていく光景を目の当たりにしたとして、恨めしく思うモノもいたのではないか? 青月に対して嫉妬や憎しみ、恨みを持ったりしてもおかしくない。
救われるものあれば、捨てられるものもあり、それが世の常である。
すべてをすべて、希望へ導けるのはだれもいない。
神でさえ、片方を捨て、片方のみを選ぶのだから。
青月は選ばれた。『ミハル』は捨てられた。神に、亜条摩鬼人に。
劉鬼は他人事とは思えなかった。彼もまた、亜条摩鬼人に選ばれたひとりだ。誘拐された子供たちのなかから、殺されなかったひとりだ。ゆえに、まだ見ぬ『ミハル』に共感してしまう。同情はしない。きっと、どうして自分が、とあたまを悩ませて生きてきただろう。その結果が、負の感情へ成長したのかもしれない。今回の件を思いついたかもしれない。
かこん。ししおどしの音が、枯山水庭園を巡る。
「ところで、桧森は二週間前に本邸付きになったっていうが、もともと大道寺組の人間じゃなかったのか?」
「僕が本邸付きになったのは、あなたがたが始末した紺野幸臣の居た席に座ることができたからなんです。長が、若いのも入れておこうと思ったから、という理由で僕を本邸付きにしてくださったんです」
「若いって、俺と年が近いよな」
「二十三ですよ、僕」
「ふうん。人、殺ったことあんのか?」
「得物ではまだ……素手では経験があります。格闘技が得意なので」
「拳銃は持たねえのか」
「ああいうものはどうも、始末した感触が直接伝わってこないので、持ってはいますが、護身用ですね」
「変わったやつ」
「よく言われます」
かこん。ししおどしがまた、音を巡らせる。
劉鬼は欠伸をして、桧森を一瞥した。
「なあ」
「なんですか」
「『ミハル』って名前、どう思う」
「女性的なニュアンスかと。飛鳥会長は、商品の、少年たちの名前をもじって女の子を思わせる商品名をつけていたそうですから」
「なるほどなあ。本名はわかっているのか?」
「いえ、僕は存じていません。唯永さんに訊いてみては?」
劉鬼は襖越しに問いを投げた。




