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王との謁見が決まったのはそれからすぐのことだった。
当日は事前に用意していた白いドレスを身に着けた。白ベールも白い靴も新調したものだ。王との謁見ということもあり、頭から足先まで綺麗に磨きあげ、上等のものを身に着けた。こうなってやっと、自分が敗戦国から戦勝国への贈り物だったということを思い出した。丁重にもてなしてもらっていたのですっかり錯覚してしまっていた。
私は宰相の後ろについて、謁見の間に入った。
赤い絨毯をゆっくりと歩いていき、静止を言い渡された場所で立ち止まった。腰を折って頭を下げる。この礼は先ほど宰相より教えてもらったものであり、初めての姿勢に足や腰が悲鳴を上げている。長時間はもちそうになく小刻みに震えていると、小さな笑い声が耳に届いた。
「ああ、笑って申し訳ない。客人よ、楽な姿勢を取りなさい」
低いその声は決して大きくはないのにしっかりと響いた。力あるものの声であることがわかる、そんな声だった。私はその言葉に甘え「失礼します」と断りをいれてから両膝を立てる姿勢に変えた。いつも祈りを行う時にしていた姿勢で、私にとっては最も楽であると同時に敬意を持っている相手に対してとるものでもある。
私が筋肉痛になるのを免れたところで、宰相は王に、改めて我が国の王からの書状を読み上げ始めた。
内容は、属国として我が国の宝である聖女を贈る、というものだ。
「彼国では聖女と言うのは白い肌と髪、赤い瞳を持つ者を指すのだそうです。そして聖女はその生涯をかけて国のために神に祈りを捧げるのだと記されております」
「成程。信心深いあの国らしい話だな…」
宰相の説明に、王は溜息交じりに呟く。
「ええ。さらに、会話や接触についても、許されるのは王や神官長のみと記されております」
「なんてことだ。それでは生活が不便だろう」
「全くですな。しかし会話をしなくても意思の疎通が取れないということはありませんし、自身で大抵のことができると侍女からも報告があります」
「ふむ……」
数日前には到着していたというのに私についての話を今この場で行うという事は、それほど王は忙しいのだろうか。なんだか居たたまれない思いをしながら会話が終わるのを待つ。
「先ほど、瞳が赤いと言っていたな。我が国でも白い髪や赤い瞳は珍しいものだ。見せてはもらえないだろうか」
王と宰相で話していると思っていたので、話しかけられたと気づくのが遅れてしまった。反応を示さなかったことで、王は不思議そうな声を発する。
「どうした。王であれば会話ができるのだろう」
「はい。申し訳ございません」
今度はちゃんと言葉を返すことができてほっとする。落ち着いて言葉を選ぶ。
「まずは到着から本日より手厚くお迎えいただきましたこと、心より感謝申し上げます。そしてベールを身に着けてこの場におりますことを陳謝いたします。しかしこのように瞳を隠しているのには理由がございます」
「ほお……。その理由と言うのはなんだ」
「私がこの瞳に映すことを許されているのは神のみでございます。他の者を映すとその者は呪いを受けると言われております。そのため常にこの厚いベールにて瞳を隠しております。このことから、他でもない貴方様に瞳をさらすことなどできようもございません」
「成程。因みにこれまでにその瞳で映した者はいるのかな」
「ひとり...おります」
思い出すのはあの悍ましい神官長だ。これまでで瞳に映した唯一の存在。
「その者はどうなった?」
「様子がおかしくなって......。でもすぐに私の護衛に殺されましたので、呪いの内容はわかりません」
私の言葉に、宰相は我が国からの書状を今一度確認したようだ。
「なんてことだ、彼国からはそのような報告を受けておりません。然るに、この者を送り込んで我が王を呪おうとの腹でございましょう」
非常に憤慨した様子の宰相の言葉に、私は確かにそういった意味合いもあるかもしれないと納得した。例えそうで無くても、その事実を隠していたのは事実だ。これまでの数日の恩を仇で返すようなもの。私は何らかの処分を受けることになるだろう。私は王の采配を待って、下げていた頭をさらに低くした。
宰相は怒りを隠そうとしていないが、王はそれに対し何も発さず暫く黙っていた。そしてまた低い声が響く。
「宰相よ、まあ落ち着け。様子を見るに、少なくとも客人はそのためにここに来たという認識ではないようだ。それならば、彼国にその意図があろうとなかろうと客人には関係の無いことだ」
「しかし……」
「そんなことよりも提案がある。お前たち、少しの間客人より後方にいってはもらえないか」
私が意思を持って王を呪うために来たのでは無いことを信じてもらえているという驚きと共に、続いた王の発言に、もしやと考える。それは宰相たちも同様のようで、一拍置いてから急に空気がざわついた。
「いいえ、いいえ。それはできません。今回は本当に、それはできないことですよ」
宰相の焦った言葉に王は意に介さない様子だ。
「しかしなぁ。客人の話を信じるのであれば人払いをせねばなるまい」
「信じればこそ、貴方のその発言は受け入れがたいものだということがおわかりのはずですよね」
宰相が必死に止めているが、王は飄々として折れる様子がない。
「しかしお前にはまだまだ宰相として国のために働いてもらわねばならないし、お前たち程腕が立ち信頼できる近衛もおらぬし......」
どうやらこの王は、この場にいる一人一人の配下に対してそれぞれが呪われてはならない理由を言っているらしい。
「その点、私は替えがきく。丁度そろそろ引退してもいい頃だと思っていたところだ。それに、赤い瞳を見たいのは私なのだ。私以外が見ても意味がないだろう」
朗らかな笑い声と共に、驚く事を発する王だ。王の替えなどきくはずがないだろうに。赤い瞳見たさに呪いを受けようなどと、本当にこれが王なのだろうか。
宰相はそれでも色々と王を止めるべく説得していたが、王は頑として受け入れなかった。
そして―――
ついに王を残して、その場にいる全員が私の後方へと移動した。宰相だけでなく近衛なども皆不本意そうにしているが、結局は王の命を聞き入れた。
私はただただ事の成り行きに驚いていた。
「さて、客人よ。ベールを取りなさい」
嬉々として発せられる言葉に、これまでのやり取りを聞いていた私が断れる筈もなく。本当に良いのかと自問自答しながらも震える手でえいやあとベールを取った。
後方からざわめく声が聞こえる。その声を聞きながら、私は下げていた頭を上げ、瞳を開いた。
目の前には黒い髪、黒い瞳の男性が座っていた。優しそうな瞳は細められており、やや年老いたようにも見えなくは無いが、引退を考えるような年齢には決して見えない。
「ほお……これは確かに赤い。ここまで赤いものは見たことがない」
王は繁々と私の顔を見ている。が、変わった様子は無い。それどころかニコニコと微笑んでいる。
暫くそうしていて満足したのか、王は私に再びベールを着けるよう言った。そして、後方に下がっていた配下を元の配置に戻した。
配下は皆其々に王の体調や気分などを確認したり、医者を呼んだりとバタバタしている。
私は所在なくただそこに跪いて、次の指示を待った。
王の安全が確認された所で、騒ぎはやっとおさまった。
「待たせたね。いやあ、皆は心配性で困ったものだ」
「いえ……とんでもございません」
私は深く頭を下げた。配下の反応が正しく、王の反応の方が異質であるように思うのだが、口に出せるはずもない。
「さて、ここからは貴女の今後のことについて話し合うこととしよう」
王の言葉に、私はハッとし思わず背筋を伸ばした。