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聖女と月影  作者: ゆず
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 そうして数日が過ぎた。

 未だ王の予定があかないのか、はたまた私に会うつもりが無いのか、謁見の日程は定まらないままだ。

 しかし、おかげで手厚い世話を数日にわたってしっかりと受けることができた。旅の疲れを癒すことができたのは勿論、さらには、あの日からしばらく部屋に籠っていたことで弱ってしまった体力も十分過ぎるほどに回復した。

 体が健康になると、心も健やかになるというもの。

 心が健やかになれば、後ろ向きだった気持ちも前を向きだす。

 

 私はあれだけ見るのを躊躇していた「彼の思い」がわかるという小さく折り畳まれた紙をついに開こうという気持ちになっていた。


 あの日、王宮に着いた時に私が自分自身で持っていた物は彼の服と二つの折り畳まれた紙だけだった。最初それらを王宮の侍女が預かろうとしてくれたのだが、私は拒否した。その必死な姿に何を思ったのか、次の日にはそれらをそれぞれしまっておける大きさの箱を用意してくれていた。一つには服を畳んで入れ、もう一つには二つの紙を入れた。そして寝室に備え置かれている小さな棚に二つを並べて置いた。その後は何度か服を取り出して見ることはあっても、紙の入った箱を開けることすら無くそのままにしていた。


 私は深夜、ベッドから出て箱の前に立った。

 この時間を選んだのは唯一確実に一人になれるからだ。ここに来てから常に誰かがそばにいるために一人になれるのはこの時間くらいなものだ。主室の扉の前には騎士か護衛が立っていることだろうが、この部屋は主室の隣の部屋。静かにしていれば多少動いても人が来ることはないだろう。

 一人であればベールをつけることを必要としないこともそうだが、何よりも、何が書かれているかわからないものを見るのにそばに誰かいては集中できない。

 小さな箱を手に持ち、月明かりの差し込む窓際へと移動する。丁度よく窓際に備え付けられている小さなテーブルセットのイスに腰かけ、箱を開けた。一つは既に読み終えている護衛からのものであり、それを除けてもう一つの未だ小さく折り畳まれている方の紙を取り出す。

 ここまできて、折り目を開いていくごとにやっぱりやめようかと何度も不安が過った。しかしそれでもやめることなく開いた。

 手紙は予想に反して私宛てのものではなく、アーベルという人物に宛てたものだった。


『アーベル。俺は恐ろしいことをしてしまった。これをお前が読む頃には俺がしでかしたことは既に知っていることだろう。そして俺はもう生きていないだろう。お前は俺の行いに対して呆れているだろうか、それとも怒っているだろうか。まずは謝っておく、本当に申し訳ない。俺がしたことによってお前たちの立場まで危ぶまれることがないよう尽力するつもりだが、それが達成できたのか確認できないことが気がかりだ。事実、今回のことは俺単独の行動なのだから大事無いと思うのだが……』


 ここまで読み進めて、一度手紙から顔を上げた。

 あの時私と離れるときに言っていたことはやはり彼の嘘だったのだ。彼は嘘をついて、あの事の責任をとるために一人で神殿に戻ったのだ。そのことで命がなくなってしまうことを予想していたというのに。

 胸が掴まれたように痛んだが、手紙はまだ続いている。私は大きく息を吐いてから続きを読み始めた。


『少なからず迷惑をかけてしまっているだろうことは間違いないのだろうが、その迷惑ついでに頼みたいことがある。ああ、頼むから気を悪くせずこのまま読み進めてほしい。頼みと言うのは聖女様のことなのだ。今、お前たちは聖女様がいないことで大騒ぎになっていることだろう。安心してほしい。聖女様は礼拝堂にいる。俺が連れ出したのだ。ひとりで不安な気持ちでいるだろうから出来るだけ早く迎えに行ってやってほしい。ただし注意が一つある。合図が無いと彼女は出てこない。合図は簡単で、扉を三回ノックすること。お前ならこのノックの正しいリズムがわかるはずだ。子どもの頃遊んだあの合図と同じだ。きっとお前しか彼女を迎えに行くことができない。だからどうか頼む。俺の最後の頼みだ』


 あの護衛が合図を知っているという事は彼が教えたのだろうと思っていたが、まさか私が彼らの子どもの頃の合図を借りていたのだとは思わなかった。元から二人だけの秘密の合図では無かったのだということは非常に残念に思えた。しかし確かにあの合図がなければあの時の私は返事をすることはなかっただろうと考えると、結果として彼が最初にあの合図を使ったという選択は正しかったのだろう。

 手紙はまだ続いている。


『最後にもう一つお前に謝らなければいけないことがある。本当は最初、俺は聖女様とともに逃げてしまおうと思っていたのだ。そのことでお前たちに迷惑がかかってしまうことは承知していたのに、だ。このことは許してくれなくてもいい。俺はあの時、恐れ多くも彼女との未来を夢見てしまっていた。それは幸せな夢だった。しかし月明かりの下で彼女の手や服に赤い血がついているのを見た時に冷静になることができた。彼女のこの赤は俺がつけたものだとわかった時、あの美しい彼女を汚してしまったのは紛れもなく俺なのだと気づいた。そして月のように白く美しい彼女を汚してしまった俺に、彼女と共に未来を生きる資格はないと気づいた。俺は彼女には誰よりも幸せになってほしい。だからこそ彼女の隣は俺であっていいはずがない。結果として、この時にそのことに気づくことができて良かったと思っている。そしてたった一時のことだったが最後に幸せな夢を見られたことは俺にとってこれ以上ないことだった。奇跡だった。死を前にしてなお俺が心穏やかでいられるのは彼女のおかげだ』


 涙が一粒、手紙に落ちた。

 インクが円状に滲んで歪んだ。


 手紙は、最後にもう一度『くれぐれも彼女を頼む』という言葉で締められていた。

 彼も私と同じく二人一緒の未来を夢見てくれていたことはとても嬉しいことだった。

 しかし結局、彼はその未来を選ぶことはなかった。他でもない彼の意志で。

 その結果として、他の護衛たちは責を問われることはなかったのだろうし、私も身を隠しながら慣れないことをしながら生活することはなくなった。しかしそのこと以上に、その夢をそのまま一緒に見続けて欲しかったと思ってしまうのはただの我儘になるのだろうか。誰に迷惑をかけても、私がどれだけ汚れようと、傍にいて欲しいと思うのは我儘なことだったのだろうか。そんなことを考えること自体良くないのだとはわかっている。彼は私や友人のことを思って、彼にとっての最善を選んだのだということもわかっている。

 それでも―――

 それでも、何か一つでも違っていれば二人が一緒に生きる未来があったかもしれないと思ってしまう。決して迎えることのない未来をまだなお夢見てしまう。

 なんて愚かなのだろうか。

 手に力が入り、くしゃりと音をたてて手紙が歪んだ。

 涙が一粒、また一粒と流れ出し、止め方がわからなくなってしまった。

 もう、大丈夫かとノックしてくれる優しいあの人はいないというのに。




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