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聖女と月影  作者: ゆず
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 私たちは手を取り合って部屋から抜け出した。

 護衛という職業柄、彼は神殿の地図や人の配置をよくわかっていた。彼の進む後ろについて行くと、簡単に神殿を出ることができた。

 空には月が高く上がっていて、森の中だというのに十分に足元を照らしてくれた。これからどこに向かうのか決めてはいなかった。しかし習慣とはいうのは恐ろしいもの。毎日同じ道のりを歩いていると、自然とその道を辿ってしまうものなのだろう。

 私たちは程なくしていつもの泉に到着した。

 泉に着くと私たちは手を離した。そこでふとその手を見ると、月明かりに照らされたその手が赤く染まっているのに気付いた。その赤がなんなのかは私にもわかる。繋いだ時に彼から赤が移ったのだろう。よくよく見ると、着ている白い服にも赤が着いていた。もとより私には白と赤しかないのだから、気にならなかった。


「聖女様、忘れ物をしてしまいました」


 ぼんやりと泉を見ていた私に、後ろから彼が声を掛けてきた。


「忘れ物?何を忘れたのです?」

「恥ずかしい話、今持ち合わせが無いのです。このままでは聖女様にご不便をおかけしてしまうということに今更気づきまして。金を取りに行ってきます」


 私たちは着の身着のまま出てきてしまった。私は先ほどの破れた服の上から彼の上着を着ているだけの状態だ。確かに満足な準備ができているとはお世辞にも言えない状況だった。


「私働きます」

「いいえ、貴女にそんなことさせられません」


 世間に疎い、しかもこれだけ目立つ容姿をしている私が働くのは簡単ではない。それでも今、ここで彼と例え一時であったとしても離れるのは不安でたまらなかった。私は必死に続ける。


「それでは、このベールを売ります。服も、靴も。売れるものは何でも売ります」

「いいえ、貴女のものは何も売ることはできません」


 彼は頷いてくれない。どうしたら稼ぐことができるのかわからないため、これ以上具体的な言葉が出てこない。私は黙った。


「大丈夫、直ぐに戻りますよ。私が戻るまで、どうかあの礼拝堂に隠れていてください」


 そう言って示すのは、いつもの礼拝堂。勝手知ったるもので確かに隠れるのには最適だ。

 再び手を引かれて連れてこられてしまえば、ひとまずは彼の言うとおりにしなければいけないという気持ちになってくる。私は拭い去れない不安を纏いながらも仕方なく礼拝堂の扉に手をかけた。常ならば、身を清めてからしか入れない場所。今のこの姿で入るなどこれまでなら考えられないことだった。しかし、今の私は違う。

 ぎぃと小さく扉の軋む音が響いた。

 私は礼拝堂に入る前にくるりと振り返った。


「ベックマン、どのくらいここで待っていればいいですか」


 ベールがあって彼の表情はわからない。

 少しの沈黙の後で、彼は明るい声で答えた。


「すぐですよ。神殿に行って戻ってくるだけですから」

「そうよね、すぐよね」


 私は彼の言葉をオウム返しに繰り返すことで自分に言い聞かせた。


「私が戻ってきたらいつもの合図を送ります。それまでは隠れていてくださいね」

「わかりました。待っています」


 私は頷いてから礼拝堂に入った。彼の走り去る音が聞こえなくなってから静かに扉を閉めた。

 長くここに通っているが、夜の礼拝堂に入るのは初めてだった。

 そこは狭く、空気がひんやりとしている。いつも祈りを行う場所に行き、いつも通り跪く態勢をとった。胸の前で手を組む。そして考えるのはこれからのこと。

 彼がここに戻ってきたら、どうしようか。

 初めての場所、初めてのこと、たくさんの初めてが待っているだろう。

 この目立つ髪は染めてしまえばいい。瞳は前髪を伸ばして隠してしまえばベールをとってもいいかもしれない。料理や買い物をしてみたい。馬にも乗ってみたい。やってみたいことがたくさんある。だから……。



 神様。どうか私から彼を奪わないでください。



 私は祈り続けた。

 そうして過ごすうち、どのくらい時間が経ったのだろうか。礼拝堂の中がベール越しでもわかるほどに明るくなっても、まだいつもの合図は響かなかった。

 それでも私は信じていた。それしかできなかったから。

 再び礼拝堂の中が暗くなってきたところで、ざわざわと辺りが騒がしくなったのに気付いた。

 足音が複数、近づいてくる。

 それが一つならば彼かもしれないと考えることもできる。しかし、複数だ。私は嫌な予感しかせず握っていた手をほどいた。そして入り口から離れるために祭壇の後ろに隠れた。狭い礼拝堂の中で隠れられるところなど、ここしかない。

 この礼拝堂に入ることを許されているのは、聖女と神官長と一部の神官のみだ。

 そのため、ここに入ってくるのはほんの数人だと予想できる。私に触れることができない彼らは、上手くすれば走ってかわせるかもしれない。それは礼拝堂の外で待ち構える人にも言えることだ。ここにきて、触れることができないということは私にとって利に働く。

 前向きでありかつ短絡的なシミュレーションを行い、いつでも来いとばかりに耳を澄ませて待つ。

 そうして待っていると、思った通り礼拝堂の前で足音は止まった。

 緊張しながら待っていると、響いていたのは軽やかなノックで。


 「ベックマン……?」


 聞こえたのは確かに彼との秘密の合図だ。

 彼は離れる前に言った。いつもの合図を送ると。それまでここで隠れていて欲しいと。

 この合図が聞こえたということは、扉の向こうには彼がいるのだろうか。それではあの複数の足音はなんだというのだろうか。

 困惑で動くことができないでいると、再びノックが聞こえてきた。

 私はゆっくりと扉の方に向かった。

 信じて良いのかわからない。でも、確かに彼は言ったのだ。「合図を送る」と。

 扉の前に立ち、震える手を静かに上げた。


 コン、コン、コン。


 静かな空間に嫌に響いた。

 いつもならばここで声を掛けるのだが、そうして良いのかはまだわからなかった。扉の向こうがどういう状況なのかわからない。私は彼の声が聞こえるのを待った。

 しかし、声は聞こえない。それどころか扉の向こう側で数人がざわめく声が聞こえた。

 私は反射的に扉から離れた。やはり彼ではなかったのだ。隠れなければならない。

 同じ場所に隠れようと祭壇に向かったところで、背中から声を掛けられた。


「聖女様」


 思わず足が止まった。彼の声ではない。しかし、その声に聞き覚えはある。

 護衛の一人だ。彼と一緒になって、あの男から私を守ってきてくれたうちの一人だ。それがわかって、突然どうしたらいいのかわからなくなってしまった。

 

「聖女様」


 もう一度声を掛けられた。

 その落ち着いた声は、扉を開けて押し入ろうという気はないように思えた。

 私は暫く悩んで、もう一度扉の方に向かった。


「……はい」


 返事を返した。

 扉の向こうが再びざわめいたが、声の主がそれを制したのがわかった。


「聖女様、出てきてはいただけませんか」

「できません」

「ここには貴女を傷つける者はいません。安心してください」

「できません」

 

 その後暫くは私を安心させるような言葉を投げかけられたが、首を縦に振ることはなかった。そしてついに声の主は根負けしたのか、どうすれば出てくるのかと尋ねてきた。私は声の主が彼の同僚であること、私に手荒な真似をしようしていないだろうことから、正直に告げることにした。


「ベックマンを、彼を呼んでください。彼が出て来いと言うのであればここから出ます」


 私の言葉に、声の主が息をのむのがわかった。それと同時に何とも言えない嫌な雰囲気になったように感じた。それでも私の言葉は止まらない。そうしなければ胸に広がり始めた不安が消えないように思えた。


「私は彼と約束をしました。ここで彼を待つと……」


 だから、彼を呼んでください。

 私の心からの願いに、声の主は言いづらそうにしながら答えた。


「それはできません」

「なぜですか。彼はどこですか」


 矢継ぎ早に尋ねる私に、彼はなおも言いづらそうにしている。

 私の不安は全身に広がってしまったようだ。身体すべてが重たい。扉に手と額を付けて身体を支えなければ立っていられない。胸が痛い。鼻がツンと痛む。


「お願いです。彼をここに呼んでください。お願いです」


 私はそう繰り返した。それが叶わないということはもうわかっていた。でもそうしていないと認めることになるのだと思えた。何を認めるのか?それすらも考えたくない。


「お願いです、お願い……」


 ついに力が入らなくなって、膝から崩れ落ちた。膝に鈍い痛みが広がる。

 しかしそれよりも胸の方がよほど強く痛んでいる。


「聖女様。彼を呼ぶことはできません」


 黙っていた声の主は、私の声が小さくなってきたところで静かに言葉を発した。

 聞きたくない。そう思っているのに、私の耳はしっかりと言葉を拾ってしまう。


「彼は、レオン・ベックマンは……。昨夜のうちに王宮に戻りました。そして、神官長殺害の罪により本日処刑されました」


 はっきりと届いた言葉は、しかしすぐに理解することはできなかった。 

 頬を伝う涙が、彼の上着に小さな染みを落とした。



 


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