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聖女と月影  作者: ゆず
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 一番古い記憶は眩いほどの光、だ。

 全てが白く、影など一つもない。音も聞こえず、ただ光だけ。そんな世界。

 ある人はその時に神託を賜ったのだろうと言う。

 またある人はその時に色を無くしたのだろうと言う。

 そのどちらであろうと、光と闇しか感じなくなってしまった私にとってそれはただの記憶であり、それ以上でも以下でもない。

 ただ、近頃この記憶を何度となく夢に見る理由だけが気にかかった。




 私の朝は早い。

 朝日が昇る前に起床し、手早く身支度を整えることから私の一日は始まる。顔を洗い服を着替えると最後の仕上げに頭からすっぽりとベールをかぶる。このベールは眠るとき以外は常に身に付けねばならないのだと決まっている。顔、特に瞳を隠す必要があるからだ。ベールは白いレースが幾重にも重なったもので、顔がしっかりと隠れるようになっている。問題はこれを付けるとベールが厚すぎて手元以外は全く見えなくなってしまうという点なのだが、常に身に着けているために慣れてしまえばなんということもない。

 こうして身支度が整うと、すぐに護衛と神官とを伴って数人で神殿の裏手にある森に入っていく。森に入ってからそれほど時間をかけずに目指している場所に到着する。そこは小さな泉と小さな礼拝堂だけが存在する静かな場所。そこに着く頃にちょうど朝日が昇り始める。そして朝日が差し込んだばかりの泉に手を差し入れて水をすくう。その水を一口含んで喉を清めるのだ。そして次に頭から泉の水をかぶることでその身も清める。季節によっては水のあまりの冷たさに震えを伴う行為なのだが、こうして身を清めてからでないと礼拝堂に入ることができないのだ。清めが終わると一人で礼拝堂に入り一日中そこに籠って祈りを捧げる。そうして日が落ちるとまた森を抜けて神殿に戻り、簡単な食事を済ませる。その後は国や神について学ぶ時間をとり、翌日のために早々に眠りにつく。

 私は毎日毎日これを繰り返している。休むことはない。

 そうするのには理由がある。私が聖女だからだ。

 聖女と言うのは、国のために、王のために、民のために祈るものだという。だからこそ毎日このことを繰り返す必要がある。聖女の大切な仕事だから。私は例え雨が降っていようと雪が降っていようと、熱があろうと意識が朦朧としていようと毎日毎日祈りを捧げなければならない。

 物心ついたころにはすでに泉と神殿を行き来して祈りを捧げることが当たり前のこととして生きていた。

 聖女としての生活以外は知らない。私はずっと、この生き方しか知らない。




 いつだったか、なぜ私がこんな生活をしなければいけないのか神官長に尋ねたことがある。


「貴女の白い髪と白い肌、そして赤い瞳はまさしく聖女の証。貴方の祈りは我が国に繁栄をもたらすのです。そのことに誇りをお持ちなさい」


 神官長はしゃがれた声でそう言って私の頭を撫でてくれた。

 私はベールで視界を閉ざされているため、神官長の表情は見えない。それでも優しい顔をしているのだろうと思った。撫でる手が、優しかったから。とても温かかったから。

 毎日同じことを繰り返していると子ども故にすぐに飽きたり嫌になったりする。そうすると私はすぐに神官長に「なぜ」と尋ねるようになった。その度に神官長はあきれることも怒ることも無く、決まって優しく撫でてくれた。その温かい手が好きで、どんなに辛くても頑張れる気がした。

 他の神官たちも護衛たちも私と「会話」をしてくれない。もちろん学習の時間に話をすることもあるし、視界を閉ざされているために身支度や食事にも助けが必要となることはある。しかしそのどの場合であっても必要最低限のことしか話さないし、触れようとしない。禁じられているのか、または彼らの意思なのか。私にはわからない。ただ唯一の事実は、私と「会話」をして「触れて」くれるのは神官長だけだということ。

 親を家族を知らない私にとって、神官長の優しさ、温かさだけが支えだった。ずっと神官長は私にとって唯一の家族だった。




 そんな変わらない毎日に変化が訪れたのは突然のことだった。

 常であれば、学習時間になると指導担当である神官と神官長がやって来る。この時しか神官長と話すことが無いため、一日の中で私が最も楽しみにしている時間だ。その待ち遠しい時間になって部屋に近づいてくる足音が耳に届いた時、私はおやと不思議に思った。視界を閉ざされているためなのか、私は音に敏感だ。遠くであったとしても足音や声で誰なのかまたそれが何人なのかが大まかにわかる。だからこそ不思議に思った。聞こえてくる足音が一人分で、さらには聞いたことが無いものだったからだ。

 その足音は私の部屋の前で止まり、扉の前に立つ護衛と短く話す声が聞こえる。ここで訪れてきたのが怪しい者であるのならば護衛が追い払うはずであるが、予想に反して私の部屋の扉はすぐに開いた。


「聖女様、入りますよ」


 鼻にかかったやや高い声。やはり聞き覚えはない。


「貴方は誰ですか」


 見えはしないのだが声のする方に顔を向けた。そして警戒心を持って強い声で尋ねる。すると小さな笑い声が耳に届いた。その笑い声は静かな部屋に響いて、その嫌らしさに寒気を覚えた。


「貴方は誰です。神官長はどこですか」


 もう一度尋ねると、声の主は私の近くまで歩を進め目の前に立ってこう言った。


「本日より私が神官長です」

「それは…どういうことですか」

「その言葉通りの意味ですよ、聖女様」


 神官長だと名乗る男がまた笑ったのが分かった。


「今日は挨拶に参りました。本日付で神官長に任命されました。これからは私が貴女様のお世話をさせていただくことになります」


 一時、言葉を失った。

 新しい神官長、この人が?それではあの神官長は?あの優しい、温かい神官長は?

 私の疑問は言葉にしなくても伝わっていたらしい。男は笑いながら教えてくれた。


前神官長(老いぼれ)とは仲良くやっていらしたそうですね。しかし残念。奴はもう来ませんよ」

「こ、ない…?」

「いえね、奴は私の育ての父だったのですがね。数年前からどこから見つけてきたのか()()()に傾倒してしまいましてねぇ。それ以来全く私たちには見向きもしなくなって…。それならば私たちよりも大切だというソレを奪ってしまおうと思ったのですよ」


 白い女、とは私のことだろう。私は自分の姿をちゃんと見たことはないが、神官長が繰り返し私の髪と肌を白いと言っていた。私は男の言葉の意味を考えると不安な気持ちが渦巻き始めた。

 そんな私の気持ちは関係ないとばかりに男の嫌らしい笑いは止まらない。


「貴女に傾倒するあまり、奴は私がどんな動きをしているかもわかっていなかった。おかげで私が次の神官長になるという話は思いのほか順調に進み、先日決定しましたよ。少し早いかと思ったのですがねぇ。しかしこういうことは早い方が良いと思い立ちまして。ちょうど年齢的にも体力的にも自然でしたから、飲み物に薬を少し混ぜるだけで良かった」


 恐ろしい言葉が続く。


「あっけないほど簡単でしたよ。昨夜のことです。何もかも貴女のおかげだ、感謝します」


 私は言葉の意味を理解すると、男への憎しみが奥底から湧き上がってくるのを感じた。それでもその怒りを鎮めるために唇を強く噛んだ。すると私とは温度の違う男が「おやおや」と間抜けな声を出した。


「そんなに強く噛むと美しい唇が切れてしまいますよ。…しかしその白い肌に赤い血が滴れば映えるかもしれませんね。それはそれは美しいでしょう。こうして貴女に会うと、奴がなぜそれほどまでに傾倒していたのか納得できるというものだ」


 そう言うと、男は私の頬に触れた。

 どこまでも冷たく、硬い手。神官長の手とはまったく違う、優しさを感じないそれ。

 最初に感じたのは背筋にぞわりと何かが這ったような不快感。そして次に、先ほど食事で口にしたものすべてを吐き出してしまいたい感覚がやって来た。

 気持ち悪い。この男の言葉が、手が、この男そのものが。

 しかし同時に大きな恐怖を感じて、その手を払いのけることができなかった。

 怖い。気持ち悪い。怖い。気持ち悪い。怖い。怖い。

 私は身を強張らせ、ただただその手が離れるのを待った。

 男は私の頬を一撫でした後でやっと離れた。


「今日は挨拶だけに参りましたので、これで下がります。また明日お話しましょう」


 小さな笑い声と共に「それでは」と男は部屋を出て行った。

 男が私の部屋にいたのは、それほど長い時間ではなかっただろう。しかし私には毎日の祈りの時間よりも長く感じた。

 明日、またあの男がここに来るという恐怖。

 そして、神官長にもう会えないという悲しみ。

 涙が溢れた。嗚咽が漏れたが、気にしていられなかった。これまで平坦な日々を過ごしてきた私は泣いたことなんてほとんどなかった。だからこそ綺麗な泣き方なんて知らない。涙は枯れることが無く、声がかすれても泣き続けた。

 そうしてどれくらい泣いたのか。突然扉をノックする音が聞こえてピクリと体を揺らした。泣いていたから足音に気づかなかったのだろうか。また、あの男が来たのだろうか。あの頬に触れた手の感触を思い出して恐怖で小さくなった。

 もう一度ノックが聞こえる。

 そういえば先ほど男はノックなどしなかった。ノックをするということは、あの男ではないかも知れない。そう思って意を決して「誰」と声を掛けた。その声は泣きすぎて掠れてしまっていた。


「ベックマンです」


 声の主は扉の前に立っている護衛だった。私は護衛とは直接会話はしたことが無かったのだが、護衛同士や神官との会話でそれぞれの声を聞いたことがある。名前は知らなかったが声で彼が護衛の一人であり、あの男ではないということがわかった。恐怖で強張った心が少しばかり緩む。


「何かありましたか」

「いえ……。大丈夫かな、と思いまして…」


 扉の前から控えめに発せられた言葉に嘘は感じられなかった。男との会話は聞こえていなかったと思うが、私の泣き声は確実に聞こえていただろう。相当大きな声だったはずだ。

彼の優しさは感じるものの、しかし今の私の恐怖と悲しみはとてもではないが「大丈夫」ではないもので。私は答えようがない質問に無言でいるしかなかった。しかし彼はそれ以上何か言ってくることはなかった。

 暫くすると再び悲しみが押し寄せてきて涙が溢れた。しかし扉の向こう側の存在を思い出したからだろうか。嗚咽を漏らすことは無かった。だからと言って涙は止まらない。明日の仕事を思えばもう眠りにつかなければならないというのに。

 結局涙は止まらず、寝具にくるまって小さくなりながら泣き続けた。

 暫くそうしていると、またノックが聞こえた。

 今度は返事を待たずして扉が開き、驚いてさらに小さくなると、聞きなれた足音と声が聞こえた。


「聖女様、起きておいでですか」


 それはいつも私の身の回りの世話をしてくれる年配の女性だった。

 私は急いで近くに脱ぎ去っていたベールをとり、頭からかぶった。そして返事の代わりに寝具から顔をのぞかせると、女性は私のもとにやって来た。


「ああ、ああ。お辛かったでしょうね」


 そう言って女性は「目を閉じて、お顔を少し下に向けてくださいね」と断りを入れた後、私のベールを取って目元に温かな布をあててくれた。暫くそうしてからまた優しくベールを掛けてくれた。そして手に小さなコップを渡してくれた。


「水分をとりましょうね。さあどうぞ」


 女性は私が泣いていたことを知っていた。そしてそれは先ほど声を掛けてくれた彼が知らせたのだろう。

 私はコップの水を飲んだ。冷たい水が喉を通っていくのを感じる。


「もっと必要であれば、またお呼びください」


 そう言って、女性はすぐに部屋を出て行った。

 気持ちは決して晴れやかではない。悲しみも恐怖も胸に重く揺蕩っている。それでも。

 私は再びベールを取り、寝具にくるまってから瞳を閉じた。

 明日の仕事のため、私にしかできない仕事のため。今は眠らなければならない。

 思い出されるのは神官長の温かな手と優しい声。ベールを取って神官長の顔を見てみたかった、と思った。もう叶うことはない願い。

 私は眠りにつく前に一筋涙を零した。





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