なんとなく法案
「ホットコーヒーないっすねぇ。」
「え、どうして…?」
目の前の男性は好奇心とちょっとした恐怖が混在した佇まいで振り向く。
「いえ、ホットがないからです。」
「え、でも今夏だし、ホットってなんで分かったの?」
やってしまった。時々出る先回り癖だ。理由を聞かれてるからには理由理由。ぐるぐる頭を回転させる、ぐるぐる。
「ここら一帯の自販機に並んでないのホットコーヒーくらいだし。うぅん、なんとなくです。」
「へぇ!」
男性はニヤニヤしたまま好奇心を剥き出しにしている。私は超能力者ではないんだ。応えられそうもないけど、ぬん!と力を込めてみる。当然何も起こらない。
「あっちに何か感じない?」
「いえ…。」
「霊感のある子と来たら、みんな必ずあっちに人の霊が居るって言うんだよね。」
やめてくれやめてくれ。よからぬ期待を抱かないでくれ。
「分かる人には分かるんですねぇ。」
「ちなみに俺もあるんだよねぇ、だから分かるんだ。」
であれば仲間でないことを察してほしい。
「そうなんですか。私平気なんで行っても大丈夫っすよ。」
その後、男性はこの話題に飽きたのか能力的な話を振ってくることはなかった。因みに霊の巣窟には赴いたが、あらざるものとお会いすることはなかった。
感覚的なことは共有しにくい。解説を求められても難航する。安易になんとなく、と返したら信頼を失ったりする。発信することで首が絞まったりする。きゅっ。
かと思いきや、大喜利番組だと感覚的な回答がよかったりする。勢いや空気感でなんとなく笑えてしまったりする。うちの母はなんとなく笑いを生み出す芸人さんを「ちょっと他と違うわぁ。」「天才ねぇ。」なんて言う。素直な人だ。「せやね。」などと適当な相づちを打ちながら、一流芸人の説得力のすごさを感じる。笑いの教科書を勉強したことのない我々がなんとなく笑っている。
いやまてよ、この場合笑っているのはこちらだから、なんとなく笑わされている、ということになるのか。ロバート秋山さんの計算にドハマりしているのか。
ということは、ホットコーヒーを買おうとしていた男性は、ホットコーヒーを買おうとしていることをこちら側に気づかせようとして…?
いやそうはならない。ぐるぐる。
なんとなくホットコーヒーを淹れてみる。飲みたくなったからだ。なんとなく、飲みたくなったからだ。食後の〆にふさわしいのは、なんとなくだ。苦いものに甘いものが合うというのもなんとなくだ。
コーヒーを淹れてるこちら側がコーヒーに淹れさせられている。コーヒー業界の思うつぼである。
なんとなくがまかり通る世の中にしてほしい。なんとなくに清き1票を。
なんとなく法案が可決したとする。
いい感じの二人がやって来る。
「明日デートしようよ。」
「え…どうして?」
「なんとなく。」
興ざめである。葛藤したり右往左往したりしないので非常に冷酷に聞こえる。なんとなくが思考の特急快速になってしまった。これはよくない、よくないぞ。
なんとなく法案が可決したとする。
法にも秩序が必要なようだ。ある程度パターン分けしてはいかがだろうか。
その1 直感的である場合
・漫画家「降りてきた!!」
・運命の相手だ!!
・親父と同じターンの洗濯は勘弁
その2 習慣化されていること
・右足を上にして脚を組む
・Suicaのチャージを忘れる
・美しい星空に感動する
その3 五感+霊感に纏わるもの
・刺さると痛い
・煮卵は旨い
・ヘッドホン大音量は鼓膜のダメージがでかい
・ガソリンスタンドは鼻腔のダメージがでかい
・なんかいる
わりと網羅できるのではないだろうか。これで今後躊躇なく「なんとなく」を発することができる。さぁ食らえ。できたてホヤホヤのなんとなく砲だ。
「ホットコーヒーないっすねぇ。」
「え、どうして…?」
「なんとなくです。」
「へぇ!」
男性は腑に落ちない顔でこちらを眺める。へぇ!君は!僕がホットコーヒーを飲もうとしたことに気づいたのかい。
はっ、もしかして君もホットコーヒーが飲みたいのかい?この暑い時期に物好きだ。僕以外の物好きは久しぶりだよ君にコーヒーを買ってあげる!
そんな都合のいい話はないのである。
だが、なんとなく砲を駆使することで相手の負担が大きくなるのは間違いない。いざというときの隠し兵器にしておこう。
どうして冬にこんな話を…?
なんとなくである。