EP01 ◆ 火星のコンビニ #08
「あぁ」と、ムクロがやっと納得したというようにうなずいた。
「ムクロが着てるマントは簡易ステルス機能付きだからね。さっきはフードまで被っていたから、彼にしてみればまったく気付かないうちに接近されていたように思えたんだろうな。いや、思いがけない効用があった」
アマネは楽しそうに笑う。
「班長は性格が悪いですからね」と、ムクロは肩をすくめる。
「用心深いと言って欲しいね――さて、定期連絡したら就寝しようか」
「今日は僕が不寝番をします」
「ああ、頼む」
「万が一彼が戻って来たとしても僕なら――」と言い掛けたのを、アマネは笑顔で制した。
「そういった心配をしなかったわけじゃないけどな、彼が莫迦でなければ、あの時点でステルスに気付いているだろう。そして俺らにはかなわないだろうということもね」
「だといいのですがね……ではそろそろこれもいいですよね?」
ムクロは肩をすくめる。そして小さく音を発した。
「まぁ、そういう意味もあるよ」
アマネはまた苦笑した。
彼が莫迦ではない場合も、万が一好奇心に勝てず盗聴器を仕込んで行ったとしたら、今の会話を聞いただろう。アマネは聞かれてもいいように、むしろその可能性を考え聞かせるつもりで話していた。
ムクロたちは、普段は彼らが得意とする圧縮語で会話をする。文節を特殊な音で圧縮し、相手の脳内で展開させるという暗号である。
一般人の耳には短い雑音にしか聞こえない圧縮語だが、戦闘中なども一瞬で仲間に情報を伝えることができる。またその『音』が聞こえた脳内では自動的に情報が展開されるため、聞くことに集中しなくても情報の齟齬が非常に少なくなる。
彼らは圧縮語で会話する方が脳への負担が少ない。そのため、一定の範囲内に一般人がいない場合は雑談であっても圧縮語を使用することが多い。
普通の日本語で会話するのは、主にアマネの脳を休ませるためもあり、休息中や食事時が多かった。
ムクロは先ほどアマネの意図を汲んだうえで、セールスマンに聞かせるために普通の言葉で会話を続行したのだ。情報を武器とする彼ならば、共通語以外の言語も理解するだろうという前提である。
そして最後に圧縮語で放った言葉は、「これくらい威嚇しておけばいいのか」という確認だった。
アマネは小型のラジオかトランシーバーのような機器を取り出した。側面には大きな四角いスイッチと伸縮式のアンテナ、正面にはチューニング用のダイアルが付いている。
「耳を塞いでおけよ」と連れの二人を見て笑う。言われるまでもないという様子で、ムクロもカバネも大袈裟なイヤーマフを装着していた。
それを確認してからアマネはアンテナを伸ばし、四角いスイッチを押す。
その一瞬で彼らは五感をすべて奪われたような錯覚に陥る。この機械による特殊なジャミングのせいだ。身体に埋め込まれている極小チップに少なからず影響されている命である、ということを自覚せざるを得ない瞬間でもある。
アマネは戦慄に耐えながらダイアルを回した。
正しくチューニングできると半径二メートルのみジャミングが解除される。周波数は毎回変更されるので、そこは勘に頼るしかない。
それでもこれが日常の行動の一部になっているアマネは、ほんの数秒でチャネルを探り当てた。
「やあ」と、装置から声が聞こえる。同時にアマネたちの耳にも直接声が届く。
「ご苦労さん。調子はどうだい?」
その声のトーンは軽く、機械を通したような不自然さがあった。
「定期連絡です――N11アマネ分隊、本日も異常なし」
淡々とした口調でアマネはこたえる。
「そうか……何かいいものは見付かったかい?」
「いえ――ああ、コンビニの倉庫の中で、インスタント麺を見付けましたよ。少し油焼けしていましたが、まだ食べられる状態でした」
「はは。そりゃあいい……そんなもの、随分長いこと食べてないなぁ。そうか。他には?」
「あぁ、そういえば俺たちの前に同じルートを通った者がいたようですが、暗号の使い方がなっちゃいませんでした。若いやつなんでしょうかね……識別記号は――」
一通りカイマクロのシェルターについて報告すると、相手はふぅんと鼻を鳴らす。
「そうか。ふむ。彼は今は一般人だね――おや、どうやら彼はセールスマンをやってるらしいぞ」
「セールスマン? このご時世に?」
「なんでも、元兵だった者に向けて自作の機械を売り歩いてるそうだよ。数ヶ月前、ある港町で彼を見掛けた元同僚からの報告だ」
アマネはぎくりとした。
「もっとも、彼は兵には向かない人物だったらしいね。むしろ我々に反感を持っており、何かしらウィークポイントを見付けたいということで潜り込んだという噂も聞いている」
「…………」
嫌な予感ほど外れてくれないのはいつものことだ。カバネとムクロが自分の方を凝視しているのをアマネは感じていた。
通信相手に動揺を悟られないよう、慎重に呼吸を繰り返す。
「彼がもう少し頭が良ければスパイになれたかも知れないがね。今のままじゃあスパイごっこだよ」
く、く、く、と電子音の笑い声が届く。
「あなたはひょっとして――」
思わず言い掛けて、しかしアマネは言葉を濁す。「いえ、こちらからは以上になります」
どうせ何を訊いたところで、相手は何も答えちゃくれないのだ。それはもう散々経験して来たのだから。
「ああ、もし彼に会うようなことがあったら、よろしく伝えておいてくれたまえ。『あまりお遊びが過ぎると、自らの生命を運命の天秤に載せることになるぞ』ってね――ではまた」
「あの……っ!」
何か返すより早く連絡は途切れ、同時にジャミングも解除された。
背中に二人分のため息とイヤーマフを外すかすかな音が聞こえる。
「あいつ――この先で不慮の事故に遭わなきゃいいけどな」
アマネはそう言うと、深く深くため息をついた。