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EP03 ◆ きみの面影 #13

「――初めは眠るためだった」

 男はため息とともに呟く。


「眠れない。ぐっすり眠りたいと……でも眠るたびに戦争の夢を見ると言うんだ。睡眠薬でも安眠できない、眠れないから想像力が涸渇してしまったんだと、そう言って泣くんだ。昼も夜も泣き喚くから俺も眠れなくなるさ。だが俺の方は堪えられずについうとうとする。すると今度は俺ばかり寝てると恨み言を連ねる――そしてとうとうあいつは自殺未遂を繰り返すようになった。だから俺は、あいつのためを思って()()()()()()()()()()を与えたんだ」



 ――なんて莫迦なことを。


 ムクロは思わず天井を見上げた。

 一時的な覚醒や昂揚感(アシッド・ハイ)では、効果が切れた時の落差が激しくなるだけだ。彼女にとって、『クリスタル』は更なる地獄の始まりでしかなかったであろう。

 恋人を破滅に導いたのは、紛れもなくこの男だった。


「俺は、シェリーがまた作る喜びを取り戻せたんだと思ったんだよ」

 男はまた一歩進む。ムクロは天井の一点を見つめながら聞いていた。

「僕をどうするつもりなんです?」

 男に視線を戻してムクロは問い掛けた。


「僕にはシェリーのような才能はありませんし、あなたの恋人にもなれません。どうかこのまま解放してください」

「恋人になれないだって? これさえあれば、お前だってすぐ、よだれを垂らして俺にしがみついて来るようになるさ」

 男は虚ろな笑いを見せてまた一歩近付く。

 ムクロもまた一歩下がるが、狭い部屋の壁はすぐ後ろに迫っていた。

「僕はそんな薬を必要としません。今すぐ解放してください」


 ムクロはまた足を後ろに下げる。作業台の脚に踵がぶつかった。はっとして足を戻したが、視線を男から離すわけにはいかない。

 先ほど部屋に入った時の記憶と視界の端に映る色合いを照らし合わせ、どちらへ逃げられるか素早くシミュレーションを行った。

 しかし、ただ横に逃げただけでは、この狭い部屋の中で簡単に捕らえられてしまうだろう。


 ――覚悟を決めるしかない。


「僕は女性ではありません。それにあなたにはシェリーがいるでしょう?」

「でもシェリーは死んじまったんだ。俺を残して、ひとりで勝手に――」

「彼女は勝手に死んだのではありません。彼女は――シェリーとその芸術は、あなたに殺されたんです!」

 ムクロが叫ぶと、男は一瞬()()されたようにたじろいだ。しかし次の瞬間、雄叫びをあげ突進する。

 手にした注射器はまっすぐ前に向けられていた。ムクロはそれから眼を離さないようにしつつ瞬時にぐっと身を縮めて前傾し、男の脇をすり抜ける。



「ムクロ!」

 天井から叫び声とともに細い光が走った。


 振り返る男の首元にそれが刺さる。カバネのスタンガンだ。

 放電音とともに男の身体が痙攣した。だが男は意識を失わず、なおもムクロに掴み掛ろうと手を伸ばして来た。

「マジかよ……あぶねえ!」

 カバネが慌ててキャットウォークから飛び降りる。

 しかしカバネが男を止めるよりもムクロが捕まる方が早い――カバネも、そして多分男もそう思っただろう。


 その瞬間、くるりと身をかわしたムクロは、注射器を持つ男の腕を払った。

 男の目が見開かれる。

 ムクロは男の手首を素早く掴んで捻り、もう片方の手で肘の辺りを掴む。男は思い掛けない痛みに顔を歪めた。ムクロはその一瞬の隙に男の腕を折り曲げる。

 注射器の先端が男の鎖骨の下に当たった。

 シュッと鋭い噴霧音がした。


 ムクロは予想外の事態に驚いたが、男も驚愕の表情のまま凍り付いたように動きを止めた。先端にセンサーがついているタイプの注射器だったらしい。

 おもむろに自分の手元を見下ろし、またムクロを見る。

 男の喉がぐぶう、と妙な音を立てた。細かく全身が痙攣を起こし始め、口の端から泡が垂れる。小さい呻き声と共にぐるりと目が上向く。

 そしてそのまま、前のめりに倒れてしまった。


 * *


 しばらく経っても男がなんの反応も示さないのを確認して、カバネはようやくスタンガンの針を回収した。

「にしても、驚いたよ。ようやく最後の売人のアジトを見付けたと思ったら、ムクロが一緒にいるんだもんなぁ」

 カバネは(z)(i)(p)で話し掛けた。軽口のような口調だが表情には安堵が浮かぶ。

「そうだったんですか」

 深く息をついて、ムクロも圧縮語でこたえる。


「==なんでここにいたんだ?」

「==シェリーが――僕に似た人がいるというので案内してもらったんです」

 ムクロは茫然としたまま倒れた男を眺めていた。クリスタルか(アイス)(バーン)かは不明だが、彼はそれをムクロに()とうとしていたのだ。

 ムクロたちの身体(からだ)には薬耐性があるが、大量のクリスタルや新種のI・Bへの耐性データはない。最悪の場合、(じん)()()(せい)に陥っていただろう。


「==その件か……」

 カバネはわずかに眉をひそめてため息をつく。ムクロがそこまで思い詰めているとは考えていなかったのだ。大事に至らなかったのは幸運だった。

「==で? シェリーには逢えたのか」と、からかうような口調(ノイズ)で問い掛けると、ムクロは首を横に振ってベッドの木乃伊に向かって手を差し伸べた。

「==いえ、彼女はとっくに亡くなっていました」

 カバネがいた場所からは死角になっていたらしい。今更ぎょっとしている。


「==写真も見ましたが、あまり似てませんね。別人でした」

「==そ、そっか……いやぁ、それは残念だったな」

 ようやく台詞(z i p)を絞り出すと、カバネはごくりと唾を飲み込んだ。

 死体そのものは戦場で散々見て来た彼らだが、日常の中に突然湧いて出たような死体には、やはり驚かされるのだ。


 しかし間もなくカバネは気を取り直した。

 シェリーの遺体をスキャンし、写真に収める。腰のシザーバッグからサンプル回収ケースをふたつ取り出し、シェリーの爪を小さく切り取って収納する。枕やシーツについていた細い銀髪を数本、ピンセットで摘まみ上げてもう一つのケースに収めた。


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