EP03 ◆ きみの面影 #11
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じめじめした路地にはいたる所にゴミが散乱している。油断すると得体の知れない何かにつまづいたり足を滑らせて、たちまち全身が酷い臭いになりそうだった。
足場の悪さや死臭や腐臭に対して、ムクロも戦場でそれなりに慣れていたつもりでいたが、ここに溢れているのはまた違う悪臭である。
「カビ臭いですね」
控え目に感想を述べると、少し先を歩く男は鼻で笑った。
「カビだけじゃねえよ。ゲロからクソから、酷えもんさ、この辺は」
やはり、とムクロは顔をしかめる。今すぐマスクで顔を覆いたいのを、先ほどから必死に我慢しているのだ。
ホテルへ戻ったら着ている物はもちろん靴も洗浄し、シャワーで念入りに全身を洗わなければ気が済まないだろう。
「こんなところに、本当にシェリーが?」
男はムクロを追い返すつもりで、こんなところばかり通っているのかも知れない……という気もして来る。だが男は小さくうなずいた。
錆だらけの小さなゲートを押し開けて、二人は伸び放題の草の中に足を踏み入れた。奥には廃墟であろう大きな家が見える。
足裏に伝わる土と草の感触。ムクロは少しだけ安堵するが、そこもまたガラクタや小動物の死骸、ガラスの破片などが散乱していた。
「あいつはな……薬中なんだよ」
「そんな莫迦な。僕たちに生半可な薬は効かないのに」
思わず呟いた言葉を男が拾った。
「あんたやっぱあいつの知り合いかい?」
ムクロは否定も肯定もせず、男の後ろに従って歩く。
数本のガラスパイプ、空になった金色のシート、植物のマークが入った袋、使用済みの避妊具なども視界に入る。
鋭利な金属片や釘が刺さった木片を踏まないよう、気を配らなければならない。また、物陰から男の仲間が飛び出して来ないとも限らない。
男は廃墟のドアを開き、暗い家の中を通り抜けて裏口へと抜けた。
「――そうだよ。そんじょそこらの薬じゃあいつには効かない。だから特注品を仕入れるのが俺の役目だ」
男は軋む裏ゲートを開けながら、ちらりとムクロを振り返る。
「何故……」と思わず声が出た。
「最初は、悪夢を見たってことだったんだよ」
男は通りへ出て石畳の坂を上り始めた。
「シェリーは幼い頃、戦争で酷い体験をしたらしい――その夢を繰り返し見て、毎晩毎晩悲鳴を上げながら目を覚ますんだ」
ムクロは黙って聞いていた。
ある意味ではムクロも戦争体験者で、酷い体験を何度もしている。もしもシェリーがムクロの考えている人物だったとしても、男の話に齟齬はない。
「もっとも、あいつはしばらく戦争のことなんて忘れてたらしいんだが、大人になってからその夢を見るようになったんだとさ。なかなか眠れず、医者に導入剤を処方されたらしい。それもあまり効かず睡眠薬。それでも眠りが浅いってんで、とにかく夢を見ないようにできるんなら……と」
「でもそれなら『クリスタル』は逆効果ですよ? 覚醒作用が強いですから」
坂道を上がり切る手前の細い路地に、足を踏み入れる。ここまで何度道を折れ曲がったのか、ムクロには覚えきれなかった。
「もちろん逆だが、『眠らなければ夢を見ない』っていう理屈さ」
男は苦笑する。
「クリスタルでハイになるのは、長くても八時間程度だ。その後、一気に『落ちる』やつもいれば、スイッチが切れたみたいに眠りこけるやつもいる。シェリーはそこに賭けたのさ」
もしそれが本当だとしても、莫迦げている。ムクロはそう思ったが口には出さなかった。
「でもあいつ、いつの間にか俺に隠れて色んな薬をやってたらしくて、クリスタルを一度に十錠飲んでも効きゃしねえ……」
男は背中越しにぽつりと呟いた。
「十錠? 耐性のない人なら、致死量にも近いじゃないですか!」
ムクロは思わず責めるような口調になる。
だが男は逆上する様子もなく、肩をすくめただけだった。
「俺に言うなよ……おれは止めたよ? 売人ではあるが、客が死んじまったら商売にならないからな」
「……それで」
どうにか感情を抑えてから話を促すと、男はうなずいた。
「で、まぁ、もっと強い薬ってな、まだ流通はしてないんだが……たまたま、末期症状の奴らに売り捌こうとしていた新商品があってな、それが――」
「『アイス・バーン』ですね?」
すかさずムクロが口を挟む。可能性は低いと考えていたが、『クリスタル』が効かない場合に出て来る薬としては想定の範囲内だった。
「お? よく知ってんな」
男は足を留めて振り返った。
どうやら、その薬の名が出て来るとは思っていなかったようだ。
「あんた……一体何者なんだ?」
「僕は薬はやりませんよ。ある伝手で、情報だけ――初めは冗談かと思いました。僕が育った地域にもそういう言葉があって耳に残ったんです。でも違いました。ドイツ語ではなく英語だそうですね」
『アイスバーン』ではなく『アイス&バーン』。そういう仮コードで呼ばれていたのが、いつの間にか『&』が取れてアイス・バーンと呼ばれるようになった――と、ムクロたちに教えてくれたのは、修理屋のパオだった。
彼の馴染みには昔ながらのチャイニーズ・マフィアの関係者もいるらしく、表にあまり出て来ない情報も、時々手に入るのだと。
「そうよ。氷のようにきりっと頭が冴える効果と、燃え盛る炎のような――でも、熱いってのとは違う感覚らしいな。体温は高くなるから、暑いこたぁ暑いのかも知れねえが」
男は自分で体験したことがないらしい。まだ希少価値が高い薬のため、売人が『試す』には割に合わないのだろう。
「身体の内部から燃え尽くされるんですから、暑いのは当然です」
「お前、本当は何者だ?」
男は警戒するような声を発した。
さっきまでは『あんた』と少し親しげな呼び掛けだったが、また『お前』に戻っている。
「どうしてお前みてえなガキが薬についてそんなに詳しいんだ」




