EP02 ◆ あだ花に実はならぬ #15
「マルーン? いる?」
呼ばれて店の奥から出て来たのは、ほっそりとした女性だった。長めの金髪を後ろでひとつに縛っている。
「まあキャンディ、お昼にはまだ早くってよ? あらいらっしゃいくせ毛くん」
「この子たちがレシピを知りたいって。私じゃわからないから、あなたお願い。いいでしょ?」
「そうね、今日のお昼ごはんを買ってくれたらいいわよ」
マルーンは快活に笑う。頬にうっすらとそばかすが浮かぶ。
ムクロが早速タイクタッシェのレシピを尋ねると、ふいにマルーンはムクロの顔を覗き込んだ。
「ひょっとして、あなたかしら? 甘いものが好きだっていう」
「え……」
ムクロは赤面する。一体カバネはどのように話していたのだろう。
「どう? クリームパンはお口に合ったかしら。二年前にFEAUから来たベイカーに教えてもらったの」
「あ、はい。とても美味しかったです。バニラビーンズが香り高くて、カスタードが濃厚で。それからパン生地。ふわふわしてそっと持たないと潰れちゃいそうなのにかぶりつくと適度な弾力が――」
「ムクロ……あとで買うから、今はレシピの方を頼む」
カバネが苦笑しながら口を挟む。
「あ、ごめんなさい」
「そんなに喜んでもらえて、光栄だわ――ええと、どこまで教えたかしら?」
マルーンもキャンディも楽しそうに笑った。
材料をマルーンやキャンディと一緒に買って廻ると、店主たちも無視せず買い物をさせてくれた。道中、中折れ帽の男は見掛けずに過ごせたのも幸いだった。
その翌日の作業中の雑談ネタはもっぱら、マルーンが作るアレンジパンとタイクタッシェのことだ。
「西洋風の餃子って感じだよなぁ」とカバネが呟く。ゆうべから何度もレシピを見直しており、特に張り切っているらしい。
「ラビオリよりは餃子に近いですね」
ムクロが同意する。
「ソースは先に作っておけるな。牛のひき肉だから、カレーソースにもビーフのブイヨンを使おうか……」
「俺は何をしたらいいかな」とアマネも声を掛けたが、「明日手伝ってもらいますから、今日は大人しくしていてください」と言われてしまった。
* * *
翌日、イチゴはいつもより早めにやって来た。
「あら、今日はきれいなんですね?」とムクロが目を丸くする。
「うんそう。一昨日からママがずっと家にいるし、リィ姉ちゃんもいるから、普通のかっこしてていいって。おかしくない?」
シンプルなクリーム色のシャツに、瞳の色と同じ深い緑色のキュロット。
ゆるいカールのついた金髪の上部を薄く取って後ろでまとめ、普段よりずっとかわいらしい。
母親はイチゴを娘として育てたいのだろう、というのも伝わって来た。
「かわいいですよ」
ムクロが微笑むと、イチゴもふわりと笑った。
「花のような笑顔だな」とカバネが柄にもない台詞を口にする。
一緒に食事の用意を整え、ジュースの乾杯でささやかなパーティが始まった。
ムクロはくるみボタンのブローチを用意していた。カラフルなはぎれと小さなガラスのパーツをあしらったもので、買い出しの途中にマルーンと一緒に材料を購入し、手作りした。
カバネは調査中に見付けたという、緑の縞模様が美しいドロップのような石をチョコレートの小箱に入れて贈り、アマネのは赤いリボンで作ったブローチ。
「アマネがこんなものを作れるなんて、知りませんでした」
「昔な……知り合いの女の子にせがまれて作ってたことがあるんだよ。もう随分前に作ったっきりだから、思い出せるかどうか不安だったんだが」と、アマネが照れたように笑う。
「みんなありがとう……ずっと、宝物にするね」
イチゴは目を潤ませる。つられそうになったムクロは、さっと立ち上がった。
「そうそう。冷めないうちにタイクタッシェを食べましょう?」
二種類のソースを掛けた皿を並べ、口々に説明をする。
「オレのカレーソース。こないだのよか旨くできてると思うんだ」と、カバネは得意げだ。
早速食べ始めて互いに感想を述べていたが、ふとイチゴは手を置いた。
「もうお腹いっぱいなんです?」とムクロが訊ねると、イチゴは首を横に振る。だがどこか苦しそうだ。
「何か言われたのか? その、余所者と会うなとか」
アマネはずっと懸念していたことを口にしたが、それも否定する。
四人の間に沈黙が降りる。アマネたちは急かさずにイチゴの言葉を待った。
「オレね、オレ……よその街に働きに行かされるんだって」
やがて、意を決したように吐き出された言葉は、アマネたちに衝撃を与えた。
「何があったんだい?」
「どうしてイチゴが?」
「働く? まだ小さいのに?」
イチゴはムッとして、「小さくたって仕事はある、って言われたもん!」とカバネに言い返す。
「そうじゃない、そうじゃなくて……まだ働かなくてもいいじゃないか、って言ってるんだよ」
カバネの表情はすっかり曇っている。
「でも、ママたちを助けないと」
「十歳じゃあ雇ってくれるところはないんじゃないか?」
アマネは顎に手を添える。先日の資料によると、就職可能な年齢は十二歳以上となっている。
「今年から、十歳でも仕事ができるように変わったって教えてもらったよ」
イチゴが言うと、カバネはもう言い返せずにぽかんと口を開けた。
「だってムクロもカバネも働いてるでしょ? オレだって働けるよ」
「何故――」と言い掛けて、ムクロはある可能性に思い当たる。
「まさか、イチゴが働くからお姉さんが残るんですか?」
「うん……そう」
姉が家に残ると聞いた時は嬉しかったが、翌日その理由を聞かされたという。誕生日が過ぎたら、イチゴは家を出るのだと。
兄弟の中で――しかも姉が残るのに――どうして自分なのかわからない、とイチゴは呟く。
姉や兄は仕事を覚えてもいい年頃だ。だが、たとえ十歳から働くことができるとしても、自分が働けるかどうかは別問題だ。
それはイチゴ本人がよくわかっていた。
「リィ姉ちゃんを連れてくはずだった男の人がうちに来て、オレの方が稼げるって言ったんだ。そしたらパパが……次の日に、『イチゴが働くことで契約したから』って……」




