EP01 ◆ 火星のコンビニ #02
緩やかな丘を更に十分ほど進んでようやく、建物の全貌がはっきり浮かび上がって来た。起伏が少ない土地ではあるが、とにかく砂埃で視界が悪いのだ。
風も徐々に落ちつき先ほどよりは見通しもよくなり、周囲の空には青みが戻り掛けている。もっとも、そろそろ夕刻が近い時間だ。間もなくまた世界は朱く染まることになるだろう。
建物の向って左側の方には、入り口だったらしい枠がかろうじてその原型を留めている。まずアマネがそこから内部へ足を踏み入れた。建物の前面を覆っていたであろう大きなガラスは粉々に砕け、そこら中に破片が散らばっている。
ゴーグルの側面に触れ、ライトを点灯させる。
ざり、ざり、と床材と瓦礫が擦り合う音がすると、そのたびに何かの影にいた小さな生物や虫らしきものたちが視界の端を逃げ去って行った。
「彼らの棲み処になっていたのか……」
アマネは誰にともなく呟く。
連れの二名も建物内に入る。
どちらもまだ少年ほどの背丈しかない。背の低い人物は狭い場所で動きやすいようにマントを跳ね上げ、その姿があらわになる。
彼の四肢はほっそりしていた。実用的な筋肉で覆われたアマネの体躯と比較すれば、ひ弱、貧弱としか言いようのない華奢な体型だ。
しかし彼らの動きには無駄がなかった。それぞれ手分けして素早く動き回り、棚や扉の中を次々確認して行く。
こういった場所では最初から水の類いはアテにならない。食料もそれほど期待はできなかった。
ただここには多種多様な雑貨もあるはずなので、自分たちに必要な物が見付かれば、それを持って行こうというのだ。
そして、野営はできれば建物のそばで行う方が安心だ。
この辺りはもう戦闘地域ではないので、爆撃や銃撃の危険もない。となると、彼らの目下の敵は自然である。
大型の肉食獣はほぼ皆無――食糧難の時期に互いに争い合ったり、人々が狩ってしまったせいだった――だが、砂嵐や突然の豪雨、条件によっては竜巻なども起りうる。
そういった場合、だだっぴろい平地でキャンプをするより、このような建物の方がいくらかでも安全なのだ。ここは丘陵になっており、風さえやめば見通しもいい。
もちろん、建物自体の耐久力には疑問が残る。しかしこういった建物にはほぼ確実にシェルターを兼ねた地下室がどこかにあるはずなので、周囲が暗くなる前にアマネはそこを確認しておきたかったのだ。
「――あった」
細い通路を通って裏に回り、更にそこにある倉庫の棚の奥の床。サーチライトに照らされて浮かび上った扉を認め、アマネは少し安堵した。
先ほど爆破して開けたシェルターと同じタイプのものだった。
左手をその扉に向けて伸ばし、右手で左手の甲に触れる。すると、アマネの耳の中にザザッという雑音が走った。
「最近、調子悪いなぁ……」
アマネは顔をしかめながらまた左手の甲に触れる。するとノイズがおさまり、ほっと息をつきながら扉に触れる。先ほどとは違い、電子キーの小さなパネルは生きていた。
アマネは扉に付いているピンホールにピンを刺し、パネルに触れる。指紋認証が使えない場合やメンテナンス時に使用するマスターキーを素早く入力し、扉を開けた。
左腕につけた大きめの腕時計のようなものを確認してから、彼はマスクを少しずらし、鼻をひくつかせた。扉を開けた途端に黴臭いひんやりした空気を感じる。黴の匂いがするということは、地下は地表と違ってある程度の湿度に保たれていたということだ。
「腐臭はなし――と」
左腕に装着している『腕時計』のモニタにも、臭気の分析結果は表示されている。
その他、温度、湿度、周辺の大気を構成する気体――特に重要なのは毒性があるかないか――も表示されているが、アマネはそれらをスクロールして確認することもせずいきなり地下室を覗き込んだ。
がらんとした四角いコンテナのような空間で、隅に大きなポリタンクが数個積み上げられている。
モニタによると、中身は水ということだ。タンクの状態と運がよければ、そこから安全な水を補給できるだろう。
だが、その他食料らしきものやその残骸は見当たらず、また、人間が生活していた様子も見られなかった。
「いざというタイミングで避難しそびれたクチか……もしくはその前にどこか他所に逃げたのかも知れないな」
マスクを戻してアマネはひとりごちる。
ここは立地条件もよく、倉庫は大きめに作られていた。駐車場が広めに用意されていたことから、ここの主はそれなりの財産を築いていただろう、と考えたのだ。
戦時下であれば、多くの人たちが有事の際に全財産を喪失しても補償金が出るような特殊な保険にも入っていた。もしもここの主が生きながらえていれば、既に補償は済んでいるはずだった。
だからといって他人の財産であったものを勝手に持ち去ってもいいというわけではない。
だが『最後の全世界戦争』と言われた大戦が一応の決着をつけたのはもう十年以上前のことだ。それなのに、地図上のこの地点には所有者在りのタグが付けられていない。
戦後五年の間に財産の回収、もしくは回収の意思を主張していないのであれば、それは所有権を放棄したということになるのだ。
アマネたちはそういった所有者不在の場所や、扉が閉ざされたままのシェルター――これも地図上に記されていた――などを確認しながら、各地を移動しているのだ。
アマネはもう一度シェルター内を見回すと起き上がり、シェルターの扉を閉めた。もちろん解除した電子キーを無効にすることは忘れない。
来た道を戻るために一歩踏み出したアマネは、ふと何かを思い付いたような表情で足を留めた。
そのまま建物の入り口の方向へ向けて左手を伸ばし、右手で甲に触れる。途端に鳴り出す耳障りなノイズ。彼は顔をしかめながら、そのままモニタをスクロールしてデータを確認する。
「なるほどね」と、やがてその表情は満足げな笑みに変わった。